第4話 血よりも濃い

 風呂を終え、自室へ戻る廊下。

 妹の瑠華るるかが待ち伏せるように立っていた。

 タンクトップに、灰色ショートパンツの部屋着。冬が近づく時期にしては露出が多い。


「あのさ、おにぃ。……ほんとに出ていくの?」


 珍しい。

 普段であればわざわざ声などかけてこない。

 急に離れると知って、心境に変化があったか。


「うん。パパの弟おじさんに部屋を見つけてもらえたら、だけどね」


「……だれかに脅されたとか?」


「いや、違うよ。僕の意思」


「嘘でしょ?」


 瑠華は訝しむ目を向けた。

 今までの優介の態度を見ていれば、疑う理由もわかる。


「いじめで命令されたわけじゃないから。強くなりたいって理由は本当だよ」


 そう、これは俺の意思。

 復讐の準備をするにしろ、トレーニングするにせよ、気兼ねなく使える拠点が不可欠だ。


「……あっそ。ハァー、せいせいする。二人部屋だと友だちも呼べなかったし、こんなダサいのが兄だって知れたら、超恥ずかしいもん」


 ふっ、たしかにその通りだ。

 こんな不甲斐ない男を兄などと吹聴したくないだろう。

 現に瑠華はそうしている。

 同じ高校の同学年、別クラス。田中という凡庸な名字のおかげで、学校では他人を決め込んでいた。


「……でも、無理して出てかなくてもいいじゃん」


 言いながら、視線はそっぽを向いた。

 頬に垂れた栗色の前髪を指先でいじっている。


 ……なるほど、そういうことか。

 ならば、伝えるべき言葉は、まずこれだな。


「ごめんね。こんな兄で」


「いちいち謝んなっつーの」


 妹の無愛想にいら立ちが混ざる。

 優介の態度が神経を逆撫でる理由を、今の俺には理解できる。

 だが、この謝罪は俺からじゃない。の贖罪だ。


「一人暮らしなんて、おにぃには無理だよ。後に引けなくなる前にさっさと撤回したら?」


 瑠華が蔑む目でこちらを見る。

 学校では優介だが、家では「おにぃ」と呼ぶ。

 昔から変わらない名残。

 その呼称は、かすかな願いにも聞こえる。


『素直になれない天邪鬼』


 瑠華の頭上に浮かんでいる。

 異能『魔眼インサイト』が看破した本音。

 ……まったく、理解に苦しむ。

 この雑な文言は、能力の劣化では説明がつかない。本当に弱点を映しているのか。


 だが幸い、今回は意味がわかる。

 ずとも知っていた。

 昔から見てきた妹の癖、態度、言葉。

 とっくに勘づいていたことだ。


 本音すら吐けないとは。虚飾に塗れた、嘆かわしい人間。

 その化けの皮、今ここで剥がしてやろう。


「ルルカ、俺にしっかり向き合え」


「え、俺……?」


「おまえが素直になれないなら、正直に伝えてやろう。ルルカは——」


 少なくとも俺は、一緒に育ったこいつの本質を知っている。


「ルルカは優しい妹だ。俺のことが心配なのだろ」


「はぁ? か、勘違いしないでよ!」


「それとも寂しいのか」


「……ねぇ、ふざけてる?」


「先に言っておく。俺は、寂しいぞ」


「え……?」


「寝食を共にした兄妹と離れて、寂しくないわけがない。それに、ルルカがあえてキツい態度をとっていたことにも気づいていた。情けない兄に発破をかけるためだろう」


「おにぃ……」


「今まで悪かった」


「うぐっ……なんだよ、急に……っ」


 原因は、優介の不甲斐なさ。

 この惨めな性格は、生まれつきではない。

 昔は違った。中学時代のトラウマから次第に形成されていき、今ではこの有り様。

 立ち直るよう、瑠華は親身に働きかけた。何度も、幾度となく。

 報われない思いと向き合うのはつらかっただろう。

 最後には呆れてしまったのも、無理はない。

 こいつには向き合う気概がなかった。


 ——冷や水を浴びせられ、目覚めるまではな。

 安心しろ。ここから先、この俺が始末をつけてやる。


「バカおにぃ……いまさら、謝んないでよっ」


 瑠華の目に雫があふれ、すかさずぬぐおうとする。

 態度はどうあれ、本音は勝手にこぼれるものだ。

 泣くという情緒は、俺には理解できんが——。


「まあ、見てろ。以前のように、おまえが誇れる兄になろう」


 胸に抱きしめてやる。

 瑠華は驚いて顔を上げた。が、すぐに隠れるように収まると、ぎゅっとシャツを握った。


 ……ふん。愚かしい。

 これも人間として過ごした弊害か。

 十六年の人間生活で、こうした態度を見せるのが兄という存在だと学んだ。

 お人好しの両親に、天邪鬼な妹。

 たとえ、血のつながりがなかろうと——。


「どこにいようが、俺はルルカの兄だ。寂しくなったら、いつでも頼ってこい」


「……うん。毎日行く」


 アポカリアにはついぞなかった。

 ここで、血縁よりも濃い絆を知るとはな。


「——さて、瑠華。今夜は気分がいい。同衾を許そう。思う存分、甘えていいぞ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔族、軟弱男子に転生する。 でい @simpson841

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ