あの夜明けを待つ
松ノ枝
あの夜明けを待つ
天を月明りが駆け、数多の星々が我々を見下ろさんとしている夜という時間、この時は種が育たない。
種は夜明けに植えるべきである。どこに植えるべきなのかと私は問う。誰に問うたか、星に問うたのである。
植えるべきは空である、と宇宙空間から見れば青々としている楕円形は言う。空に植えるなど出来ようがない。有り得ぬことを抜かすなと口無き球へ反論する。しかし星は植えるのは空であるが、星と宇宙空間との境に、と音無き声でそう諭す。空に植えられたとして固定が出来んし、土も無かろう。星からの諭しを明後日方向へ吹き飛ばし、種について考える。種は植物に関する物らしい。種を植えたら犬やコカトリスが出る物でないのは安心である。植える場所、そこに土は無く、水や空気も少ない。しかしこれには星が応えてくれた。何でもこの種は植物の種であるが、そもそも尋常の物であるなどとは一言も申しておらぬと。申すも何も口すらなかろうと内心思った。
その種は宇宙空間を埋め尽くすエーテルに根を張るようで、ともすればあれは何かしら光を放ったりするのだろうか。エーテルといえばアリストテレスであり、光を通すための媒質であると述べられた代物だ。種から育つ植物は宇宙のエーテルに光速で根を、そしてエーテルを介し、内部に光を蓄積する。細かい理論は知らないが、そういうものは世界に多く存在する。そういう可能性はあるだろう。
夜明けに植えるのはどういうことなのか。おそらくは種の性質ゆえである。種は光も養分とし、成長する。エーテルという名の土すら養分にするというのに光からもエネルギーを頂戴する。何とも食い意地の張った種である。
夜明けの空に私は今、浮いている。浮くと言うより根付いている。地球に見下され、星に眺められ、間の私は酷く滑稽に宙ずりである。下を向けば深淵の如き黒を誇る星の海であり、上を向けば青く人工の光輝く星である。大地に根を張るものと思っていたからか、少しばかりの怒りを覚える。星へと怒りの言の葉を向けてみるが、星に意思などありませんと言わんばかりに無言である。私は境を孤独に浮いている。
夜明けに植えるべきだと言うが、そもそも私は宇宙に根を張り、昼だの夜だのは関係ない。だというのに夜明けにこだわるのは何故なのか。答えは見えている。それは私が物理的に存在しないからである。概念的に居るというのが近いと言える。私は星の、または星に住まう全生命の無意識から生まれ出でたものである。人や生き物は光ある場所を好む。理屈は知らぬが、それが無意識に居た私という存在に組み込まれ、夜明けという光が地上に降り注ぐ時が最適とされた。太陽の光を宇宙空間でいつでも摂取できる私が夜明けに成長するのはそういうことだ。人の想像、イメージが私を決めつけた。何ともくだらない出自と生態である。
私は意識にのみ映る存在で、光とエーテル、水や空気、成長に概念を取り込み続けている。それらを己の内に仕舞い込み、いずれは星を、銀河を、宇宙全てを仕舞い込む。しかし種は一つと限らない。また、私たちの種のみが尋常でないとも限らない。いずれ、人類も星も宇宙に遍く全てが私も元へ追いつくだろう。物理的な殻を捨て、概念的な肉体を持ち、時を駆け抜け、空間を跳び、次元を超えて、いつか概念の成長が来た日にはかつて物理的な宇宙を生きた日の様に、私たちは人に育てられ、星は生物の住処へと戻るだろう。
私は願う。あの夜明けを求めて、全てのモノの進化の時を。いつか日常を過ごした日をもう一度歩めるように。
あの夜明けを待つ 松ノ枝 @yugatyusiark
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