現実代替病case1:『才能承認欠乏症』

@Youtaiutyou

第1話

 ──── ちょっとした嫌なことがあったとしてさ、きっとその時私は人類が滅びて欲しいって思うんだ。だから、その前に私を殺して。なるべく、優しく。

 

 

 ベランダでキャスターの5ミリを取りだして口に咥える。仄かな甘いバニラの匂い。そうして火をつけるが、先端がほんのり赤く光って、黒く焦げるだけ。

 

「しっかり息を吸いこまなきゃ、小学校の授業とかでやったでしょ? 酸素がなきゃ火は燃えてくれないよ」

 

 なるほど、ならば再点火。次は強く息を吸って……、

 

「げほっ、がっ……っ……」

 

 熱を孕んだ煙で思いっきり噎せる。喉の奥を焼くような痛み。熱さが喉元を過ぎないせいで全く忘れられないのが本当に嫌になる。ならば冷やしてみようと深呼吸をするも、今の空気ではまだ清涼感が足りていない。……季節はまだ秋、10月だというのにまだ残暑である。

 

「はははっ、なんでダイレクトにいくのかなぁ、少し口の中に溜めるんだよ。始はまだまだ子供だね」

 

 その姿を一頻り笑った後、目の前の女、この白い凶器の異常なリピートユーザーである利賀 陽芽が頬を少し膨らませて、大袈裟に振舞ってみせる。

 

「っせーな。陽芽みたくこんな健康破壊コンテンツを好む感性の方が理解できねぇよ、俺は。あーー、クラクラする」

 

「ヤニクラをすぐに起こしちゃうんだ。はぁ、若いなぁ……、本当に」

 

 こんな毒ガスに慣れることが大人になることならば、きっと全人類は子供のままの方がいい。そうなればきっと人類種の平均寿命も伸びるに違いない。

 

「……同じ22だろ、お前」

 

「そういえばそうだったね、うん」

 

「あーあ、これだから一理もない百害の権化に脳をやられた奴は」

 

「その言い方には語弊がある! 一理ぐらいはあるから! 例えば、ほら、今の始みたく有り余る暇な時間に何もしてない人でも、喫煙すればこの瞬間は煙草を吸ってる人にはなれるんだよ」

 

「それさ、遠回しに俺ディスられてない? 確かに今は休学中でなんもしてねーけどさ」

 

 ──── とある事情、書面上では一身上の都合と提出したそれにより、一年間俺は休学という形で大学に籍を置かせていただいている。

 

 一応言っておくと、別にサボりという訳ではなく、本当に一身上の都合としか言えないような状況だったのだが、存外早くそれは解決して後期には大学にも顔を出せるようにはなっている。

 そのおかげで現在は実に暇な時間を過ごすことになってしまっているわけだが……、まぁそれも悪くはないのかもしれない。

 

「……は? 氷遊、今なんつった?」

 

「乱丸くんが一週間前から行方不明らしいんですよ! あー怖い怖い。ところで唐揚げ1個貰ってもいいですか?」

 

 遅めの昼食に、と大学の学食に訪れた直後、図々しくも目の前に座ってきたサークルの後輩……、名前を氷遊愛理と書いてノンデリカシーと読むその女は、ウチの学食の新メニューである秋の味覚カレーをかき込みながらそんな爆弾発言をかましてきた。

 

「ダメに決まってんだろ。……しかし、よくそんな呑気に飯食ってられんな。一応同じサークルメンバーだろ?」

 

「まー、そこまで彼に興味なかったですし。同じサークルに入ってる知らない人、くらいの感覚ですよ。パチスロやってばっかでボランティア活動してませんでしたしね! 大方使っちゃいけないお金に手を出して怖ーい人に連れてかれたんでしょう! もしくは闇バイト、とか」

 

「あー、いや、流石にそんなわけ。一瞬納得しそうになったが」

 

 乱丸君は……、確かに飲む吸う賭けるの3カスコンプリート民で、実家からの仕送りの額に日々文句を言ってるタイプの典型的なダメなやつではあった。

 だがまぁ、擁護の言葉は正直思い浮かばないが、流石にそういったモノに手を出すほど馬鹿ではなかった……、と信じたい。

 

「じゃあもう迷宮入り、ってやつですね。まー最近治安悪いですからねー。今の都心は半グレだの闇バイトだの反社絡みで猟奇殺人たっぷり、ゲンダイ病になる人もいっぱい! 世はまさに大世紀末時代、魔都東京!って感じです。人も一人くらい消えますよ。そう、次に消えるのは先輩かも!」

 

 ズバリ、と言った感じで、氷遊はスプーンの先をこちらに向けてくる。

 

「汚いからやめろ。言ってることもろくでもないしさ」

 

 こんなわたしみたいな美少女にやられるならむしろご褒美でしょうに!なんていう聞こえてきた妄言は聞かなかったことにする。お前はもう少女という歳ではないだろう。親の顔を見たいとはさっぱり思わないが、きっと泣いているに違いない。

 

「でも案外ありうる話ですからねー。ほら、この辺でも最近猟奇殺人事件があったらしいじゃないですか! 被害者は顔ぐっちゃぐちゃになってたそうですし、もしかしたら乱丸くんもその中にいるかもですね」

 

「知らない事件だな。それに、ぐっちゃぐちゃって。食事中にする話じゃないだろ。……でも一応詳細聞いてもいいか?」

 

 俺がそう言うや否や、すぐさま氷遊はスマホでネット記事を開く。日付を見ると、どうやら今朝に書かれた記事らしい。

 

「要点だけまとめると、今までの犯行件数は3件、犠牲者は推定10人。犯行場所はそれぞれ違う人通りの決して少なくない場所、時刻はどれも深夜。犠牲者は総じて顔を潰されていて、現場には血液を用いた絵が描かれている。って感じですね。……怖いですねー、本当に」

 

 カンペ有りとはいえ、随分とわかりやすい要約。簡潔にヤバいやつが近所にいることがわかった。

 人を10人以上殺すなんてもう気が狂っているとしか思えないし、その後に絵を描くなんて公的機関への挑戦みたいなものだ。早くお縄につくことを心から祈りたい。

 

「ちなみにだが、その犯人はどんな絵を残したんだ?」

 

「無修正のやつネットに転がってましたけど見ます? だいぶ凄いですよ、これ」

 

 あー、なるほどね。これは、すごい。

 

「あー、どもっス。応久さん」

 

 氷遊から話を聞いた後、することも無いので深夜徘徊をしていたら、ばったりと件の行方不明だった乱丸くんに出会った。

 

「あれ、お前行方不明じゃなかったの?」

 

「ゆ、行方不明!? なんスかそれ!」

 

 彼は随分と驚いた様子。どうやら、何か情報の行き違いがあったようだ。

 

「んじゃま、ちょっと歩きながら話すか」

 

 特にすることもないのだし、深夜徘徊にツレが居てもいいだろう。ということで、少しばかし彼と並んで歩くことにする。幸いにして行き先は同じ方向だったみたいだし。

 

「俺も今日初めて聞いた話ではあったんだが、乱丸くんがなんか行方不明で……」

 

 とりあえず聞いた話を……、と話を続けようとしたタイミングで、よくよく考えると行方不明になった以上の情報は何も知らないことに気づく。なら仕方ない、少し大嘘で話を広げてみるか。

 今の俺は伝言ゲームの端の端なわけだし、脚色して伝えた方が後々の話のネタにもなるだろう。

 

「ふむ、なるほど。つまりオレは反社に拉致られた上で今トラックに轢かれた後に異世界に虫として転生した上でチート能力を使いながら人型になろうとしてる扱いされてる、ってことっスか」

 

「そうそう。で、どうだったんだ? 異世界」

 

 やはり徳かレベルを積んだりして虫から人になったのだろうか? 多分どっちも低そうだし割と効率は良かったに違いない。

 

「流石にネタっスよね……? 確かにクレカとガスと水道と携帯は止まってて本気で異世界か何かに行ったみたいな生活はちょっとしましたけど、そんなファンタジーは経験してないっス」

 

 おっと? 思ったよりヤバいなコイツ。少しばかし限界すぎるぞ。

 

「でも一応何とかはなったんスよ。怪我の功名というか、思わぬ才能発見というか。なんていうか、遂に世界に見つかっちゃって」

 

 彼はそう言って、ピシッと襟を整えてみせる。よく見ると、彼の服は限界生活中とは思えない程に、まるで新品のように綺麗なものである。前まで二着程度の服を着回していた記憶があるのだが、どうやら新しい服を買ったらしい。

 

「あー、その、日雇いバイトでも始めたのか?」

 

 もしくは怪しいお仕事とか。

 

「まっさか。オレはそんな馬鹿でもできるような非効率的なことしないっスよ。才能の無駄遣いってやつっス」

 

 いや、馬鹿じゃなきゃ酒賭けヤニに金を使いまくった末にインフラ停止とかやらかさないだろう。と、口から出かかった言葉を強引に飲み込む。乱丸くんとの間に、多分これを言っていいほどの信頼関係はない。

 ……しかし、いよいよマルチとかみたいななんか手を出しちゃいけないタイプの金稼ぎをやったみたいなこと言い始めたな、こいつ。

 

「ところで、応久さんは芸術品……、特に絵とかわかるタイプっスか?」

 

「いやもうさっぱり。ゴッホとかピカソよりSNSに流れてくるイラストの方が好きなタイプだよ、俺は」

 

 一応弁明しとくと、現代は情報入手とノットフォーミー、それと消費のハードルが極限まで下がった世界だ。絵というものが進化するために過去が必要だったってのは間違いないが、今の人間が昔のヤツらのセンスに合わせる必要は無いだろう、ってのは一つの持論として言わせてほしい。

 

「そうっスよね、そんな感じはしてたっス」

 

 もしかして喧嘩売られてるのか? 大正解なので何も言えないのだが。

 

「だけども、今日このタイミングで会えた記念っス。そんな応久さんに本物の天才が描く芸術ってやつを見せてあげるっスよ」

 

 こちらには特に行きたい場所もなかったので乱丸くんと同じ方向に歩いていたわけだが、気付けば辿り着いたるは人目のない高架下。

 

 そういや乱丸くん、芸術とか言ってたけど、今この辺にいるらしい猟奇殺人犯もお絵描きが趣味だったっけか。いやー、まさかな。だって、彼は直近で何らかの手段でそれなりの金額を得ていて、言動がちょっとばかしおかしくて、ついでになんか俺の生存本能が警鐘を鳴らしまくってるだけだ。

 

 ……あれ? もしかしてこれ、ヤバかったりする?

 

 日曜の朝は大好きだったけれども、嫌いでもあった。

 小学校に行くのと同じ時間に起きて、朝ごはんを食べて、9時から1時間、アニメを見る。それは至福の時間と言っても良かった。

 

 体感数分の物語を楽しんで、次回予告の後は来週を心待ちにしながら、ワイドショーで浅く世間を理解して、それが終わると、少し嫌な時間が始まる。

 

「この子、乱丸と同い年だって。凄いね。」

 

 画面に映し出されるのは、同世代の才能溢れる原石達。アスリートの卵、たまたま産まれた時期が被っただけの上澄みも上澄みの連中。前提条件も何もかもが違うというのに、近い年の人間が出てくる度、親はこう言ってきた。「乱丸も頑張りなさい」と。

 

 多分、親にはこちらを責めるような気は無かったとは思う。むしろそれを激励だと思っていたかもしれない。ただ、俺の器はそれを素直に受け止められるような大きさではなかった。

 

 ──── 幼い頃から一般的でなんの取り柄もないような存在であったと、俺こと小夜田乱丸は自らを評価する。

 

 特別運動ができるわけでもなければ、賢さがあるわけでもない。才能が、タレント性がない子供。

 

 世界の大きさは学校で精一杯で、その中での立ち位置は中くらい。リーダーシップがあるわけでもなければ、嫌悪されるほどでもないモブキャラクター。

 下駄を履かせてもらえても、基礎スペックの都合で上には上が沢山いて、そんな自分への投資にはきっと意味が無いとさえ思ってしまうような、十把一絡げのノーマルレアリティ。

 費用対効果の観点から努力する対象を決められない中途半端。

 下を見れば別に下がいくらでもいることが甘えの理由になってしまって、いつまで経っても凡庸を抜け出せない。

 

 ……散々それっぽい表現を並べてたが、つまるところ、本当にどこにでもいる人間。まさにバーナム効果のど真ん中。

 

 だから俺は何者かになりたかった。小夜田乱丸という存在は他とは違う存在なんだって、テレビに映って、憧れられて、好きなことに力を入れられて、才能があって、認められる存在に。

 

 軽やかな足取りで乱丸は薄暗い高架下へと入っていく。時刻は深夜2時を回ったぐらい。遠くから響いてきたうるさいバイクの音は、それよりももっと大きい音、高架下から放たれた有機的なそれに掻き消される。

 

「好奇心はなんとやら、ってか」

 

 今ここで引き返す選択肢もそれが許される道理もない。なので、俺も高架下へとゆっくりと足を踏み入れる。

 次の瞬間、まず感じたのは甘いスイカのような甘い香り。目に入ったのは幾人かの人影。そして、混じりあった音に耳を傾ければ、聞こえてくるのは賞賛の言葉、そして拍手。

 

「……自分には、才能があったんスよ」

 

「へぇ、何の?」

 

 何を言い出すのかは見当がついている。だから、これは答え合わせだ。

 

「絵っスね。ガキの頃図工でちょっと触れたぐらいでしたけど、試してみるもんっスね。天才ってのはいきなり花開くもんっス」

 

「ふぅん、そうか。良かったな」

 

「なんスかその淡白な反応! これでも今後はテレビでも大注目の超人気アーティストになるんスよ! サイン貰うなら今のうちっス。ほら、見るっスよ! この芸術を!」

 

 乱丸が指さした先の壁、そこにあったのはスプレーアートの上に上塗りされた、……赤。

 

 ──── あぁ、なんて素晴らしい『絵』なのだろう。

 

 オレには才能があった。『絵』の才能が。

 

 それに気付いたキッカケは、些細なこと。

 することも無くて夜の街を歩いていたら、スプレーアートを描いているヤツらがいて、オレにもこれくらいできるだろって思ったんだ。

 

 だから赤色を貸してもらって、オレも自分なりの作品を描いてみた。

 初期衝動のままに描き殴った作品ではあったけど、皆はそれを褒めてくれた。天才だって、そう言われて鼻も高くなった。

 

 その次の日、オレは百均で絵筆を買った。弘法は筆を選ばなかったと言うし、オレという才能が最初に使ったモノならば、この絵筆にも何らかの価値はつくだろう。

 

 ただ、絵の具を買う金はなかったから、その日も赤色は他の人に貸してもらった。オレの才能に対して、彼らは喜んで使わせてくれた。いいのにと言ったのに、良いものを見せてくれたからと、金までくれた。

 

 さらに次の日、貰った金で服と赤い絵の具を買った。インタビューを受けるならば、身嗜みは大事だから。そして、その日の内にまた新しく絵を書いた。赤は途中で足りなくなってしまったので、皆に使わせてもらった。見込みが甘かった。

 描き終わった後に服が汚れる可能性にも気づいたけれど、幸いなことにそれは綺麗なままだった。その時、とても安心したことを強く覚えている。

 

 それから暫く経って、その日も足りなくなったので赤を探していたら、偶然、始先輩に会った。

 

 そういえば、オレの絵を知り合いには見せていなかった。きっと、褒めてくれる。きっと、赤をくれる。そう思って、少し恥ずかしさはあるけども、先輩にも絵を見せることにした。

 

「素晴らしい絵だな」

 

 先輩も、他の皆と同じように褒めてくれた。雨音のように続く皆の拍手と声が心を満たしてくれる。オレも、ようやく他とは違う存在になれたんだと、そう自認できる。

 

「あー、ところでさ。一本吸っていいか? 少し落ち着きたい。感想はその後で」

 

 そう言って、先輩が取りだしたのは、キャスターの5ミリ。オレがいつも吸っているものと同じような、甘い煙草。

 

「あれ? 吸うんスか、先輩。ならオレも」

 

 スティックを機械に挿入して、カプセルを噛み潰す。そうして味が着いた煙を、ゆっくり肺に落とす。メンソールとフルーツの甘い匂いが舌の奥から咽頭を通って鼻腔に抜けていく。

 

「……少し、世間話をしようか。お前、ゲンダイ病って知ってるか?」

 

「現代病……、糖尿病とか鬱病みたいなやつっスよね」

 

「すまん、言い方が悪かった。現実代替病ってやつの話だよ。聞いたことあるんじゃないか?」

 

「あぁ、都市伝説っスね。確か同じ幻覚を見たヤツが沢山居たから、『一人の妄想が他人に伝播していったんだ!』みたいな感じに騒ぎ立てられたのが発端とか聞いたような気がするっスよ」

 

「そそ、それそれ。で、本題はこれからな。……多分お前、それの罹患者なんだわ。ちなみに俺は確定で罹患者ね」

 

 そう言いきって、先輩は紫煙をゆっくりと口から吐き出す。

 

「は? ……は?」

 

 1つ目の困惑。それは、突然病人扱いされたことに起因するもの。ただ、2つ目はそれを打ち消すような更なる困惑。

 

「やっほ、元気してた? ……してはないかぁ」

 

「利賀先輩? なんで? 先輩は今年の春に……」

 

 なにせ、突如、先輩の隣に音もなく虚空から現れた黒髪の女性。利賀 陽芽という名前の彼女は自分の大学の先輩であり、……今年の春に死んだはずの人間なのだから。

 

「その辺の説明はまた後で。じゃあ俺もう一本吸うけどさ、どうする? 乱丸君」

 

 理解を超えた理外の現象。仄かに感じるバニラの香りと、鼻に抜けていく薄くなったフルーツの香り。まるで蛇か何かに睨まれているかのような、激しい悪寒。

 熱を放ってばかりの心臓をクールダウンするために、オレは新しいカプセルを噛み潰した。

 

 ──── 『現実代替病』……、俗称、ゲンダイ病。

 

 2020年代に入ってから噂されるようになってきたそれは、端的に言えば、脳の病気である。

 

 発症要因はモラトリアム期における理想と現実のコンフリクト。そして、その病がもたらす症状は至極シンプル。海馬と大脳皮質の一部をぶっ壊して再構成、都合の悪いことの記録を自らのエゴで塗りつぶしてオールハッピー、たっのしー!みたいな感じ。

 それだけ聞けばまぁどこにでもいるような奇人変人の正体はそれだったのか!となってしまいそうなところだが、それで終わらないのがゲンダイ病の厄介なとこ。この病の真に恐ろしい点は、症状が患者の頭蓋の中で完結せずに、妄想が文字通り『現実』を『代替』することにある。

 

 ……とは言っても、あくまでそれは『代替』であって『改変』ではない。何も隕石を降らせたり大災害を引き起こしたりできるわけじゃない。

 ゲンダイ病患者ができるのは電気信号を放って他の人間の認識をバグらせることだけで、できることの上限は精々思うだけで人を殺すことくらい。

 

 ま、要するにゲンダイ病ってのは人を無自覚に化け物に変えちまう病気ってことだ。

 

 なにせ視覚も聴覚も嗅覚も触覚も、他人のそれを全部思い通りにできてしまう。つまり、人間の現実に対する認識を全部全部代替できるのだ。自分が主人公の世界に勝手に他人を巻き込めると言えばわかりやすいだろうか。

 

 世の中に奇人が多いのと人が氾濫しているおかげでホンモノの存在と被害について世間が気付いてないのは救いだね、本当に。もし情報が広まれば魔女裁判の時代が再来するかもしれないし。

 

「で、説明はこんなんでOK?」

 

 そんな感じで説明はだいたい完了。乱丸くんの反応は……、あんま良くないか。そりゃそうだ、幸せの絶頂にいたところで冷や水ぶっかけられたんだから。心情察するに余りあるってカンジ?

 

「……つまり、オレは頭がおかしくなってるってことっスか? そんなわけないっス。あんま言いたくないけど、説明通りなら始先輩がゲンダイ病に罹ってるだけで色々説明はつくっスから。利賀先輩がいるのも先輩が何かしたからでしょうし」

 

「事実とはいえ頭がおかしくなってる扱いされるのは傷つくよねぇ。事実だけどさぁ」

 

 最初に一言喋って以来、無言を貫いていた陽芽が再度口を開く。……否、俺の脳が思い描く彼女の台詞が世界に向けて放たれた。

 

「あーね、確かにそう思うのも無理はない。てか、むしろそう考えるのが自然だわ。だから先に言っておくと、そこにいる陽芽、そいつは俺の妄想だ。お前も知ってるように、本物はもう死んでる。俺が殺したんだ」

 

「ははっ、始先輩、アンタ頭おかしいんじゃねぇの。正気じゃないっスよ。狂ってる」

 

 乱丸くんの顔が引き攣る。彼の目に浮かんでいる感情は恐怖。なにせ知人が殺人を自白したのだから、あまりにも順当な反応。しかもそれに現在進行形で頭おかしい扱いされてるんだからさもありなん。

 

「そうだな。言われるとは思ったよ。でもなぁ……」

 

 周囲を見渡す。綺麗な服を着た乱丸くんと、彼に向かって賞賛の声と拍手を送るオーディエンス、それと赤い絵。……これは、彼の妄想だ。

 そして、それがわかっているのならば彼が見せてくる幻覚から逃れることだってできる。もっとも、このゲンダイ病にやられた頭で真面目に世界を見る、なんてことをしなきゃいけないわけではあるが。

 

 胸中に広がる陰鬱な気持ち、それを飲み込むようにゆっくりと紫煙を飲む。そして、しっかりと目を閉じて、開ける。

 

「……乱丸くんも大概だよな、聞き忘れてたんだけどさ、この落書きは何? 絵ではないよな、これ」

 

 実に素晴らしい『絵』、弄られた認識の中ではそうとしか認識できなかった場所に描かれていたのは、血で描かれた不細工な赤黒い線の集合体。

 

「は……? 落書き? 違うっスよ。皆、オレには才能があるって」

 

 おっと、思った以上に効いてしまったらしいが、悲しいことにこれは事実。書き換えられた認識のチューニングを戻した結果見えたものなのである。

 

「見えるよな。俺が君の認識を上書きしたんだからさ。わかるよな。お前が何をしたのか」

 

 拍手喝采ファンコールは既にない。その代わりに彼らが立っていた場所取りに転がっているのは、文字通り"顔を無くした"人々。その顔面は個人の識別が不可能なほど、丁寧に潰されて画材へと変換されたらしい。

 横転して顔ないってか。そんな反応されたらまぁ創作者としては嬉しいのかもしれない。ネットでたまに見るし。

 

「で、なんで人を殺したんだ? お前」

 

「先輩が言えたことじゃないでしょ。アンタは人殺しっスよね」

 

「俺のは正当防衛ってやつだったよ。殺されそうになったから、殺した。実はもう司法にも許されてる。それに対して乱丸君はどうだ? 彼らが全員君を殺そうとしてきたのか?」

 

 少しばかりの偽証。俺は殺されかけたのではなく、頼まれたから殺した。だけどもそれは今語るべきことではない。

 

「……、違うんスよ。オレがいいって言っても、みんな絵の対価にって」

 

「あんな落書きを見て顔潰して死ぬやつがどこにいるんだ、現実を見ろ。お前が顔面潰して殺したんだよ。証拠だってお前が着てるしさ」

 

 先程まで新品同然に見えていた乱丸君の服、それもしっかりと見れば血と脳漿とエトセトラでぐっしゃぐしゃである。ゴアゲーでも見ないぞ、そんな衣装。

 

「そんでもってお前が殺人をした理由なんだが、多分わかったよ。ヒントは『才能』ってやつだ」

 

「……え?」

 

 呆然と立ち尽くす乱丸君。可哀想ではあるが、ここから更に追い打ちをかける。そして、おそらくだが、これは彼の心を壊す一手になる。

 

「ちょっと、これ以上はやめた方がいいんじゃない?」

 

 これには俺の妄想の中の陽芽、良心とでも言うべきモノも待ったをかけてくるが、趣味嗜好でやっているわけではないので許してほしいところではある。……この場合、誰に許してもらうのだろう。陽芽か?

 まぁそれはいいか。今はさっさとレッテルを乱丸君に叩きつけてやるべきだ。

 

「簡潔に言うならさ、お前はずっとガチャ引いてたんだよ。それも当たるはずのないやつをさ」

 

「……」

 

 乱丸君は黙り込む。この一言で言いたいことは伝わったはずだ。そして、反応的に多分正解。だから、平易な言葉で追い打ちをかける。

 

「努力も何もなしに『才能』がある扱いされるって怖いよなぁ、いつそれが無くなるのかわかんなくてさ。努力も研鑽も何も重ねてきてないもんな。自信なんてないよな。だから探したんだ、お前の落書きを評価してくれる人間を。だってそうだよな? お前にも自分が描いたものが良い物に思えなかったんだから」

 

 認められたい、評価されたい。そう思うのは当たり前の話。誰しもがそう思っている。それは間違った考えじゃない。ただ、彼は褒めてくれる相手を選んでしまった。

 

「もう一度聞くぞ、なんでお前は人を殺したんだ?」

 

「……、オレは。殺したかったわけじゃなくて」

 

「そうだよな。最初から褒めてくれる人間が見つかれば、多分誰も殺さなかったよなお前」

 

「いや、その……」

 

「でも、お前が絵を見せた相手はお前が思い描いた妄想の中の反応を超えることはなかった。本心から良いと思って貰えてないと知っているから、正気に戻る前に殺した。だから、お前が改竄した絵に対する印象も何の中身もない『素晴らしい絵』っていう認識止まりなんだろ? 自分に何ができてるのか分からないんだもんな」

 

 と、こんなとこか。取り敢えず、言いたいことは全部言えた気がする。……いや、一つだけ言い忘れてたか。

 

「あーそうだ、絵に対する感想を言い忘れてたよな。……そうだな、乱丸君の絵に対する評価は、ヘタクソってことにしてやるよ。よかったな、まだ上を目指せるぞ」

 

「……っぷ、うぇっ」

 

 っと、これでオーバーキル成立、乱丸君の嘔吐フェイズに入る。そのまま泣き崩れ、傍から見ていると、彼はしばらく動けそうにない。

 

「酷いね、始。本当に酷いことしてる。……後輩にマウント取って気持ちよくなって恥ずかしくないの?」

 

「……いい気分じゃないのは確かだな」

 

 これには陽芽も苦笑い。彼女は俺の妄想なので分類的には自己嫌悪だろうか。別に俺だってやりたくてやったわけじゃないのだけれども、やっぱ印象悪いよなって感じはする。……ただ、こうしないと俺が死にかねなかったので仕方ない。

 何せ俺は分類的には社会復帰ができると思われているレベルの軽症者で、その症状が出てくるのもキャスターの5ミリを吸っている時のみ。妄想の出力だって陽芽を再現するのが限界で、今回の乱丸君のような無法をすることはできない。


 だから彼の妄想に再度塗り潰される前に、言葉で精神を崩す必要があった。いわゆるところのジャイアントキリング。相対的弱者が強者に対抗する盤外戦術だ。

 

 ……と、かっこいい感じの言葉を使って言い訳をしてみたりはするのだが、実際のとこは相手の頭がおかしくなってしまったのをいいことに、ひたすらに暴言と共に人格否定をし続けていたわけであり、絵面と傍から見た時の心象は最悪だろう。

 

「てか俺も罹患者だしな。人のことをとやかく言える立場じゃねぇわ」

 

 現実を認められないから空想で代替する、そんなことをしている大人になれない人間の一人が偶然大量殺人をしなかった運のいい存在が俺だ。環境次第で俺も乱丸君のようになっていた可能性は大いに存在している。

 

「……って、こんなこと考えてもしゃーないか。まぁなんだ、少しの間、休んでいてくれ。乱丸君」

 

 彼に殺された人間が多数いることは事実。しかしながら、彼も救われるべき存在であることも事実。

 

「じゃあ陽芽、頼む」

 

「はいはい。でも始、きっとこれから乱丸くんはとっても苦しむことになるよ。それならさ、すっぱりと……」

 

「それはよくない。……でも、陽芽ならそう言うよな。だけど、やってくれ」

 

 利賀陽芽、今は俺の妄想の中にいる彼女もまた、俺や乱丸くんと同じように罹患者だった。そして、そんな彼女にできたことは"思うだけで人を殺すこと"。だけど陽芽は、一人も人を殺すことなく罹患して数日で死んだ。

 

 俺が思い描いているのはそんな優しい人間であり、今からやるのはその人間に対する冒涜のような行為。

 

「……そっか。じゃあね、乱丸くん」

 

 陽芽がそう言い放つとそれと同時に一つの妄想が砕けて、怪物が死んだ。

 

 視界に映る赤と、鼻腔を刺す鉄の匂い。仄かに混ざるバニラの匂いと、それよりキツイ煙の匂い。手に持ったままだった灰の柱は燃え尽きた線香のようにボロボロと崩れていき、それと同時に俺の妄想も掻き消えていく。

 

 ……キャスターの甘い後味が、本当に嫌になる。

 

「聞きました? 乱丸くん家業を継ぐために退学ですって。色んなやらかしで親が激怒したとかそういう感じってみんな言ってます!」

 

「へぇ、そっか。大変だな」

 

「もう大変も大変ですよ! 貴重な男手も減っちゃったわけですし! あー、これはもう先輩にも復帰してもらうしかないですよ」

 

「まぁ別にいいが……」

 

「やった! 言質取りましたからね!」

 

 実に短い秋が終わって、季節は冬になった。あの猟奇殺人事件が終わっておおよそ一ヶ月が経ったことになる。犯人は未だ見つかっていない、ということになっている。

 本来ならばきっと大騒ぎになって犯人が未だ探されているのだろうし、かなりの厳戒態勢が敷かれる可能性だってあるのだろう。しかしながらここは東京。一千万人を超える人口を収容する都市からすれば、十数人がいなくなることなんて大きなニュースにはならないのだろう。巷を騒がす話題は、一週間も経たずに別のものへと置き換わっていった。

 

「で、サークルの次の活動いつ?」

 

「今日ですね!」

 

 世界は常に回っている。それにたとえ追いつけなかったとしても、勝手に俺らを乗っけてぐるぐると回り続ける。過去を置き去りにして、延々と回り続けていく。

 自分はいつまで、彼女のことを覚えていられるのだろうか。

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