第6話 踊る会議 ― 幕間 《会議1時間前》
後藤貴一が首相官邸を出ると、官用車が静かに待機していた。車の後部座席に近づきドアを開ける運転手に軽く手を上げる。
革新党の幹事長からの“お願い”——高橋ビルの抽選で落選した娘を特別枠で入居させてほしい、という要請を、総理から直接受けたばかりだった。
車内にはすでに第一秘書官の榊清十郎が座っていた。
後藤がドアを閉めると、榊が無言で書類を整えながら言った。
「やはり、高橋ビルの件でしたか?」
「うん。想定通りだな。」
榊はわずかに眉を動かす。
「それで、革新党の依頼を受けるのですか?」
後藤は笑いながら窓の外に目をやった。
「そうだね。これで予算が通るなら安いもんさ。——エビで鯛を釣る、ってやつだ。」
「それは政治的な取引ですか?」
後藤は少しだけ笑みを薄め、短く答える。
「そんなご大層なもんじゃないさ、ただの“大人の事情”さ。」
そして小さく間を置いて、
「……まぁ、“誰のための事情か”は聞かないでくれ。」
その一言に、榊はそれ以上何も言わなかった。
車は官邸前の坂を静かに下り、やがて大和社会システムが入る霞が関のビル街へと向かう。
⸻
ビルに着くと、榊は後部座席から白い箱を取り出して後藤に手渡した。
「ドーナツです。首相官邸に行く前に頼まれていたものです。」
「お、ありがとう。……俺の分も入ってる?」
「もちろん。プレーンが入ってます。」
「助かる。あ、榊くんのは?」
「ご心配なく。別で用意してあります。」
「そりゃ抜かりないな。」
後藤が笑って車を降りようとすると、榊が言った。
「私はここで待っています。」
「あれ? 一緒に行かないのか?」
「どうせ部屋には入れませんので。」
「ああ、そうか……じゃあ、後で。」
榊は軽く一礼した。
「あ、次はアステカ製薬との打ち合わせです。1時間でお願いします。」
後藤は静かに目を伏せた。
「ああ、例の話だね。」
「そうです。」
後藤は軽く頷き、ビルのエントランスへと向かう。
手にしたドーナツの箱を見つめながら、
「……また白石さんに白い目で見られるだろうな」と心の中で苦笑した。
それでも、これで少しは“気が収まる”だろう——そう思いながら。
⸻
ゲートでセキュリティスキャンを受けると、
モニターに「官房長官ルーム・イン」と表示された。
警備ロボットに軽く手を振りながら会議室へ向かうと、
事務補佐員の鍋谷温子が近づいてきた。
五十代後半の小柄な女性で、人の良さがにじむような笑顔を浮かべていた。
「お疲れさまです、官房長官。あ、それ……?」
「お土産だよ。ドーナツ。」
「ありがとうございます。コーヒーをお持ちしますね。」
「ブラックで。……あ、ドーナツはプレーンで。」
「了解です。」
鍋谷は笑顔で去っていった。
会議室の前まで来ると、中から加納隼人の怒鳴り声が聞こえてきた。
「“声を上げてる連中”が民意じゃないんだ! 本当の中道層は黙ってる多数派だ!」
後藤はドアノブに手をかけ、
「……また面倒な時に来ちまったな」と小さく呟いた。
それでも口元には、どこか余裕のある笑みが浮かんでいた。
次回 踊る会議 — 後編
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます