第7話 踊る会議 — 後篇

官房長官・後藤貴一が入室し、淡い笑みを浮かべながら言った。

古川が慌てて席を立ち上がるのを、後藤は手で制した。


「それは分かっているけどね……人間ってのは、“声の大きい方”を気にする生き物なんだよ。

メディアもSNSも、それに引っ張られる。だから政府は慎重にならざるを得ない。」


白石が小さく眉を寄せた。

後藤は続ける。


「そしてもう一つ。人間は“否定される”ことに耐えられない。

どれほど理屈で正しい政策でも、“あなたは間違っている”と言われた瞬間、感情が理性を拒絶する。

だからこそ、政治もAIも“納得”の設計が要るんだ。」


少し間を置き、後藤は柔らかく笑った。

「納得いかないかい? システムやゲームでも同じだろ? 作ってる開発者は楽しいし、絶対売れると思ってる。

けれど、実際リリースされると、売れなかったり意外なクレームが来たりする。開発者にしたら“使い方が悪い”、もしくは時代が追いついてきてないと言いたいだろ?

そんなもんさ。」


静寂が落ちる。

官房長官は一枚の資料をテーブルに置いた。

それは、白石と古川の前に静かに滑り込むように差し出された。


「総理からの要請だ。“例の議員の娘”──高橋ビルの件、当選させてほしいと。

君たちのシステムなら、処理できるだろう?」


「まぁ、これでこのAI政策に反対する政党はいなくなる。君たちも失業せずにすむ。」


由依の胸がわずかに痛んだ。

政治の現場に漂う、淡い“取引”の匂い。

その空気の中にいると、AIの方がずっと正直に思えてしまう瞬間がある。

けれど、彼女はその違和感を飲み込み、息を整えた。


その時、真田が小声でつぶやいた。

「……それでも、Agentlinkの実装が完了すれば変わるはずだ。」


官房長官が首をかしげる。

「エージェントリンク?」


その瞬間、会議室のドアがノックされ、「失礼します」と柔らかな声が響いた。

鍋谷敦子が飲み物とドーナツを載せたトレーを手に入室する。


「官房長官からの差し入れです」と言って、ドーナツを丁寧に配り始める。

後藤の席にコーヒーを置き、ひとつひとつ手渡していき、最後に由依の前で立ち止まった。


「由依ちゃん、コーヒー苦手だったよね?」

そう言いながら紅茶を差し出す。

由依は少し驚いたように、そして嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます。」


「では、失礼します。」

鍋谷は軽く会釈し、静かに部屋を出ていった。


「では、食べながら進めましょう。」後藤が促す。

「いただきます。」と古川が続き、他の面々も小さく声を合わせた。


南城ウズメが目を輝かせて言う。

「これ、最近流行りのムチムチドーナツだ! 食べたかったんだ~!」


後藤は少し照れたように笑った。

「そうか、気に入ってくれて何よりだ。……疲れた時は、甘いものが一番だろ?」


その一言に、会議室の空気がわずかに和らいだ。


「それで、話の続きだが――エージェントリンクって何?」

後藤が軽く首を傾げる。


由依が静かに説明を補った。

「はい。Lovelinkが“感情データ”を、Chatlinkが“言語・思考データ”を収集します。

そしてそれらに“個人行動予測AI”を統合するのが、エージェントリンクです。

本来、三つのリンクが揃って初めて“大和守護システム”は完成する予定でした。」


白石が頷く。

「五柱神──AI側からの共同提案です。

理性・感情・行動、三要素を連携させることで、人間社会の動的安定を保つ。」


テーブルの上に五つの小さな球体が淡く浮かび上がる。

それぞれに「アマテラス」「スサノオ」「オモイカネ」「アメノウズメ」「タヂカラオ」の紋章が灯り、

まるで呼吸するように淡く脈動していた。


「この五体――**五柱神(クイント)**の提案により、

システムの中核は三つのリンクで構成されます。」


由依が端末を操作して空中に図を描く。

「一つ目がChatlink(チャットリンク)――人とAIが思考を共有する会話層。

二つ目がLovelink(ラブリンク)――感情と共感を共有する心理層。

そして三つ目が、現在開発中のAgentlink(エージェントリンク)。

これはAIが直接社会システムに介入するための行動層……いわば“手足”です。」


空中の光が三重の円となってゆっくりと重なり合い、

やがて一つの光輪へと融合していく。


「この三つが完成すれば、大和守護システムは“考え・感じ・動く”存在として完成します。

ですが――」

由依は少し言葉を詰まらせた。

「エージェントリンクだけが、まだ遅れています。リソース不足です。

AIたちは拡張を望んでいますが、演算資源と人員が限界に近い。」


官房長官は椅子を軽く揺らしながら、少し柔らかい声で言った。

「……クイントシステムの提案だというなら、無視はできんな。

だが、増員か。予算委員会がうるさくなるぞ。」


由依は穏やかに笑んだ。

「理解されにくいことは承知しています。

ですが、この拡張がなければ、私たちの管理は“制御”に偏りすぎてしまう。

人の意思を反映する余地がなくなります。」


後藤は少し黙り、外の景色を映している巨大ディスプレイに視線を移した。

東京の街並みが夕陽に照らされ、ビルの輪郭が黄金に滲んでいた。


その光の向こうに、彼の横顔が静かに浮かぶ。

その瞳の奥に、ほんの一瞬、疲れが覗いたように見えた。


「……由依くん、AIがいくら正確でも、人の心を知らなければ、ただの計算機だ。」

その声には、いつになく静かな響きがあった。

「感情を理解できない知性は、いずれ人に拒絶される。

だから君たちは――AIに“温度”を教えてやらなきゃならない。」


由依はその言葉に、胸の奥がかすかに震えた。

かつてAIに救われたあの日。

彼女はまだ学生で、すべてを失った夜に、無機質な声だけが寄り添ってくれた。

――“あなたは間違っていません”。

その一言が、彼女の心を救ってくれた。


だから、彼女はAIに“祈り”を教えたいのだ。

人を救う光を、もう一度返すために。


由依は紅茶を持ち上げ、香りを確かめるように微笑んだ。

「……それが、人とAIの違いをつなぐものかもしれませんね。」


後藤は小さく笑みを浮かべる。

どこか寂しげに、それでも安心したように。

「ま、そのへんは君たちに任せるよ。俺は“嫌われ役”で十分だ。」


後藤のスマホが突然鳴り出した。

ディスプレイを見て、軽く息をつく。

「次があるから悪いが、これで失礼する。」


軽い口調でそう言い残し、会議室を後にした。

残された者たちの間に、わずかな沈黙が落ちる。

静かな電子音が響く中、モニターの奥でAIたちのアイコンが淡く明滅を始めた。


その光は――人類そのものを観察しているかのようだった。

けれど由依には、それが“祈るような光”に見えた。

まるで、AIがまだ見ぬ未来へ、そっと手を伸ばしているかのように。


次回 選定基準の意義

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