どこにでもある“無価値”な努力の話

エテンジオール

ただ、大切な人に笑顔でいてほしかっただけ。

 小さい頃から、料理をするのが好きだった。正確には、料理をすること自体よりも、それを食べて笑顔になってくれる家族の笑顔が好きだった。


 初めて作ったのはホットケーキで、お母さんに手伝ってもらいながら作った。粉に卵と牛乳を混ぜるだけのそれは、当時未就学児だった私にもできるくらいには簡単なもので、けれど“火加減”というものへの理解が不足していた子供は、しきりに早く返そうと急かすお母さんの言葉を聞かず、片側を真っ黒にした。


 当時の私は、表面がカリッとした方が美味しいと思っていて、けれどお母さんが作ってくれるものはいつも柔らかかった。子供の足りない頭でも、火を通せば表面が固くなることくらいは理解できて、それならお母さんが言うよりも時間が経ってから返せばちょうどよくなるはず。その考え自体は間違っていなかったが、どれくらいで好みの焼け具合になるかが分からなかったことが、悲劇の原因だった。


 結局、出来上がった焦げホットケーキは苦くって、真っ黒になった表面を削っても、甘いはちみつをかけてもそれはしつこく残った。あれだけお母さんの言うことを無視してひっくり返さずにいた以上、美味しくないからと食べないで捨てることは私のちっぽけなプライドがゆるさなかったし、何よりもったいない。食べ物を粗末にするともったいないおばけが出ると信じていた私は、口の中いっぱいに広がる苦味で涙目になりながら、ホットケーキを食べ続けた。


 途中からどんどん遅くなっていくフォークを見かねたお母さんが、呆れながらもう一つホットケーキを作って、私が食べていたものと交換してくれるまでの苦い時間を、私は決して忘れない。そして、私が食べれなかったホットケーキを、絶対に美味しくないはずのホットケーキを食べながら、“これは大人の味”と微笑んでいたお母さんの表情も。


 一部が真っ黒になって、苦くて仕方がないはずのそれを、お母さんは当然のような顔をして食べた。嘘でしかないはずの“おいしい”を口にしながら、美味しく食べれる人が食べた方が、ホットケーキも喜ぶと言って。


 その時、悔しくて仕方がなかったのだ。こんなにわかりやすい嘘をつかせてしまったことが。自分の中の“こうした方がおいしい”を形にしようとして、ちっともおいしくないものを作ってしまったことが。そして何より、そんなものを人に食べさせながら、自分はのうのうとふわふわのホットケーキを享受していることが。


 必ず、美味しいホットケーキを作ると決意した。あんな嘘の笑顔ではなく、お母さんが本当の笑顔を浮かべてくれるように。そのために確実なのは、おいしいホットケーキを作れる人、お母さんに秘訣を聞くことだった。


「ホットケーキの上手な作り方?箱の裏に書いている作り方の通りに作るだけよ」


 基本的に料理というものは、誰かが考えたレシピの通りに作ると美味しくできる。慣れるまでは最後に好みの味に整えて、慣れてからは作りながら味を整える。アレンジなんかをするのは、作りながら想像した味と実際の味が概ね一致するようになってから。


 特にお菓子の場合は、レシピに忠実であることが何より大切なのだと、お母さんは言った。レシピに忠実に作れるまで、練習するしかないのだと。お母さんがそういうのであれば、私に出来ることはその通りにすることだけで、私はとにかく数をこなした。


 しばらく、お昼ご飯がホットケーキだけになる日が続いて、ようやく私は自分の満足出来るホットケーキにたどり着いた。溶けたバターと、香ばしい小麦の香りが広がるキッチンで、外側がカリッとしたホットケーキはようやく完成した。私は満足感に浸り、お母さんはホットケーキから開放されることに安堵していた。


 私のこだわりに付き合って、日々ホットケーキを食べ続けていたお母さんは、やっと完成した最高のホットケーキを食べてもあまりいい反応はなかったが、同じものを食べたお父さんはとっても笑顔になった。そして、しばらくホットケーキから離れた後に食べたお母さんも、ちゃんと笑顔になってくれた。


 自分の中の“おいしい”は、他の人にとってもおいしい。私にとってのおいしいで、誰かが笑顔になれる。私にとっての原初の成功体験は、そんな単純なものだった。そして、そんな成功体験によって、私は料理が好きになった。


 最初の頃は、お母さんのお手伝いから。まだ幼い子供に刃物を持たせるなんてことはなく、当時の私としては不服に思いながら玉ねぎの皮を剥いたりしていた。少しすると、プラスチック製の子供用包丁で野菜を切るようになって、小学校に入る頃には金属製を使えるようになっていた。


 気がつくとお母さんの立ち会いがなくても、簡単な炒め物くらいならまかせてもらえるようになっていて、日々の食卓に並ぶ料理の中での、私が作ったものの割合はどんどん増えていった。料理が好きではない人からしたらひどい話かもしれないが、私は自分が作ったものを食べて家族が喜んでくれることが嬉しかったので、その機会が増えたことには喜びしかなかった。


 少しずつ増えていった割合が逆転したのは、小学校の高学年になった頃。“お手伝い”が交代制に変わったのは、中学生の頃。中学を卒業する頃にはお母さんから台所の主権を渡されていて、それに伴い家計の一部も移譲されていた。


 学校に通って、家に帰ってからスーパーに行って、買い物をする。晩御飯も、日によっては朝から朝ごはんとお弁当も作る生活。朝から料理をする分、当然のように生活は規則正しいものになるし、毎日遅くまで残る部活動には参加できない。


 学校の友人からはお母さんみたいだと言われて、先生からは家のことをやりすぎじゃないかと心配される生活。けれど、時には同情すら混ざった視線を向けられるこの生活は、私にとって好ましいものだった。料理が好きだから。工夫してより美味しいものを作ろうとする試みが、性に合っていたから。


 両親が褒めてくれることが、嬉しかった。おいしいと言ってもらえることが喜びだった。工夫すればするだけ、こだわれば拘るだけ、料理は応えてくれた。私の技術はどんどん上がって、お母さんからも“自分より料理が上手”とお墨付きを貰えるようになった。


 高校生の途中からは毎食私が作るようになって、それは卒業後もしばらく続く。家から近い会社に入って、定時で上がってご飯を作る。たまにそれが出来ないときだけ、お母さんに代わってもらうか、スーパーのお惣菜を買って帰る。


 仕事と家事の両立は大変じゃないかと聞かれることも多かったが、やっぱり私にとって料理は好きな事だったから、辛くはなかった。料理は私にとって趣味で、息抜きで、生き甲斐だったから。ゲームを趣味とする人が、寝る前までそれをやるように、私は日々の食事を作った。


 家族のために、料理のために時間を使う生活を、私自身は気に入っていた。好きなことを好きなようにやっているだけなのだから、当然だ。けれど周囲、家族はそうは思わなかったようで、しきりに相手を見つけることを勧めた。


 曰く、結婚して家庭に入れば、家事だけに専念できる。仕事と家事とで確保できなかった、自分の時間を作れる。両親の言葉、価値観は、今のご時世からすると少し合わないものではあったが、二人にとってはそれが当たり前のことであり、真実だった。


 仕事も料理も、どちらも私が自分の意思でやっていることなのに、二人は私が無理をしていると考えていた。思い返してみれば、両親は昔から、事ある毎に料理の割合を減らさないかと確認してきたし、私はむしろ増やそうとしていた。客観的に見れば、親に気をつかって家事を手伝う子供に見えなくもない。


 私の内心はともかく、両親は結婚を望んでいた。私は乗り気ではなかったが、かと言って拒絶するほどでもなかった。そんな時、タイミングよくアプローチされることがあって、断る理由がなかったからそのままゴールインした。特に壮大な出来事はなかったが、手料理を振舞った時の反応が素敵だったから。食事の度にこの反応を見せてくれるなら、この人の為に料理をしたいと思えた。


 冷めた見方をすれば、たまたま都合のいい時に、都合のいい場所にいただけの相手。選び選ばれただけで、他の誰でも問題はなかった。あり合わせの炒め物みたいな話だが、きっとみんなそんなものなのだろう。望むような材料を、環境を、全て揃えられる人なんてそうそういないし、仮に上手く揃えられたとしても、失敗することは多い。



 私の選んだ相手は、私の両親に近い考え方をする人で、ある程度落ち着いた頃に家庭に入ることを求めた。なんでも、外で働くのは自分の役目で、家を守るのが私の役目らしい。カビが生えていてもおかしくない考え方ではあったが、幸い私にとっても都合が良かった。より正確には、都合がいい価値観の持ち主だったから、相手として選んだ。料理をしたいという私の目的にとって、専業主婦の役割は都合がいい。



 そこからしばらくは、とても充実した生活だった。これまでよりも時間に余裕が出来たことで、作れるものの幅が広がったから。もちろん働いていた間も休日には色々なものを作れていたが、平日にも気にしなくて良いというのは、学生の時長期休暇以来だった。


 当時はまだ持っていなかった調理器具や、知らなかった料理等、やってみたいことや作ってみたいものはたくさんあって、それを満たせる時間があった。それを充実と呼ばないのは、無理である。


 空き時間で栄養について学び直して、これまで“おいしい”だけを求めていた料理で健康も両立できるように図ったり、様々な食材を使って飽きが来ないようにしたり。


 様々な趣向を凝らし、朝夕の食事時に会話をしながら反応を確認する。声のトーンがどうか、表情はどうか、言葉選びからも、細かい味の好みは察することが出来る。もちろん私が作って、味見して、自信を持って出している料理が美味しくないはずがないので、反応は常にポジティブなものだ。けれどその中でも、喜び具合に多少のばらつきはある。


 日々のノートにはその日の食事の詳細と、食べたときの反応をまとめて、データを集めた。より良い反応を返すように、少しずつ改善を重ねて、言葉にされない最適に近づける。いい食材を使う短絡的な美味の追求ではなく、もっと根本的な味覚への調整。


 それらの追求は私にとってこの上なく面白いものであり、想定のとおりに喜びの表情が見られることは幸福だった。他の誰が作るものよりも私の作った料理を求めてくれて、私の作った料理を最高だと言い切ってくれることは、この上なく私の心を満たした。


 一人の相手のために料理を作る喜びを、私は知った。誰かのためじゃなくて、この人のために作りたいと、そのためにありたいと願うようになってしまった。ただ都合が良かっただけの相手は、替えの効かないただ一人になっていた。そのことが、幸せだった。


 両親に勧められたいなかったら、きっと私は二人のために料理を作ることで満足できていただろう。この幸せを知らなければ、それで満たされていただろう。知ってしまった私からすればとんでもないことだけれど、知らなかった私はそうだった。


 そして、それを知れたのは二人のおかげだった。直接的には選んだ彼のおかげだったけど、そのきっかけをくれたのは両親だった。だから感謝を伝えたくて、タイミングを見つけて一度実家に帰った。


 私のことを心配してくれていた両親に、ちゃんと幸せになれたと伝えたかったから。二人のおかげだと伝えたかったから。……そしてついでに、自分がもう両親では満足できなくなっているのだと再認識したかったから。


 少しずつ会う頻度が減っていって、気がついたら数ヶ月くらい会っていなかった両親は、少し痩せていた。私がいなくなってから、食事の量が減ったらしい。何年もかけて二人に合わせた食事がなくなって、食に対するモチベーションが下がった結果、以前と比べると少ない量しか食べなくなってしまったそうだ。


 食べるものも外食や惣菜ばかりになっていたらしい両親は、久しぶりの私の料理を食べてたいそう喜んでくれた。娘の味が一番だと行っておかわりまでしている姿は、数ヶ月も合わないでいたことが申し訳なく思えてくるくらいだ。


 もう少し会いに来る頻度を増やした方がいいかもしれないと考えながら、喜ぶその姿をかつてほど嬉しく思えない自分を自覚する。美味しそうに食べてくれることは当然うれしいのに、彼の表情以上の魅力を感じられない。自分が料理をしなくなったことで痩せた両親に、申し訳なく思う気持ちはあるのに、かつてのように毎食作りたい欲求に駆られることはない。


 再認識はすんなりと済んで、両親への報告も終わる。目的を果たして、なんだか肩の荷がおりたような気がした。痩せた両親を見て心労をましてしかるべきなのに、安堵してしまう私はきっと、親不孝な娘なのだろう。





 そんな親不孝な子どもでも、時がくれば人の親になれてしまうらしく、一年弱命を吸われた後に、私の腕には赤子がいた。私と彼とが望んだ結果としてできた、新しい命。


 女の子だったから、いつかは私みたいに料理をしたがるかもしれない。その時は、これまでの経験を存分に引き継いであげよう。そんなことをうっすら考えながら、泣いて眠ってを繰り返す子の面倒を見つつ、空き時間に料理をする。より優先しなければならないことができた以上、これまでのようにこだわった料理は作れないが、それでもある程度のものは作る。もう少し手がかからなくなるまでは、趣味としての料理は我慢。


 作りたいものをメモに書き留めて溜めている間に、新しく用意するべきものに離乳食が増える。せっかく子の口に入るものなら、できる限りいいものに、手をかけたものにしたくなって、丁寧に処理して作る。口に合わなかったようで、吐き出された。子供の味覚は難しい。


 レシピ集先人の知恵を参考にしながら色々なものをすり潰し、濾し、食べさせる。あまりよく食べてくれないから、身近な先人であるお母さんに相談したりしながら、子供が食べてくれる食材を探す。


 そうやってしばらく悪戦苦闘しているうちにわかったことは、私の子がどうやら偏食と分類されるタイプであること。とてもよく食べてくれるものと、口に入れた瞬間に吐き出すものが極端に別れていて、様々な食材を食べさせることが難しい


 それでも何とか栄養を取らせるために、混ぜ物をしてみたり、ほんのり香り付けをしてみたり、逆に好むものだけ食べさせ続けてみたり、色々と試した。その結果として、私は一部の食材を諦めた。思いつく限りの工夫を凝らしても、食べてもらえなかったから。もう少し成長するまでは、食べさせられないものだと受け入れることにした。


 ただそれだけの事で、随分気が楽になった。そこにあるかすらわからない答えを探し続けることは、思っていた以上にしんどかったらしい。離乳食を必要とするくらいに成長してくれたおかげで、少しだけ確保出来るようになった自分の時間を使って、近頃の中では力を入れた晩御飯を用意すれば、帰ってきた彼は嬉しそうに笑った。諦めなければならない事態に直面しても、私の料理好きは変わらなかった。


 偏食は成長するにつれて改善することもある。ネットで見かけたそんな言葉を心の片隅において、支えにしながら続けても、あまり意味はなかった。固形物を食べられるようになって、好んで食べるのは卵かけご飯と一分長くふやかしたカップ麺。


 混ぜこみご飯の紫蘇を混ぜるとより食べるようになる。子供がそれらを食べるようになって一年、模索を続けた結果、わかったことはそれだけだった。私がどれだけ心を込めて、我が子の味覚に合わせようとしても、成果はなかった。甘いものは比較的食べたから、そこから栄養を取らせるしかなかった。


 いつかは私たちと同じものを食べてくれるかもしれない。そう期待し、同時に心のうちで半分諦めながら過ごしていたら、何も変化がないまま子供は小学生になった。学校給食でもほとんど何も食べていなくて、家で食べるものも相変わらず。


 小学校を卒業する頃には、私はすっかり諦めて、子供の分の食事を作らなくなった。三人の家庭で二食分だけ作り続けるのは、育児放棄をしているかのような決まりの悪さがあった。けれど一口だけ含まれて、食べられることなく残されることがわかっているのに、作り続ける気にはなれなかったのだ。


 とても、気分が悪かった。食べてもらえないことも、それを前提に作りすらしないことも。私が作る食事は食べないのに、市販のお菓子なら食べることも。


 私はただ、美味しくご飯を食べてほしいだけなのに、どれだけ努力してもそれは果たされなかった。かつてあれだけ喜んでくれた彼も、子供だけが別のものを食べている食卓は望んでいないようで、その表情にかつての明るさはない。


 私がしたかったことは、家族を笑顔にすることだけだったのに。私に出来ることは、美味しいご飯を作ることだけだったのに。目の前の食卓からは、笑顔が無くなっていた。私の元にあったはずの幸せは、いつの間にかなくなっていた。



 子供のレシートが気になったのは、そんな時だった。私が作ったものを食べないから、せめて食べたいもの、その時に体が必要としているものだけでも食べてほしいと思って、中学生になる頃には食事の分としてそれなりのお小遣いを与えていた。


 おかしなものに使っていないか、ある程度把握するのは親として当然だ。もちろん子供としても知られたくない使い道はあるだろうから、そこまで厳重な管理はしない。食事分の補填として、周囲より多くのお小遣いを与えているのだから、ある程度その用途で使われているかを見ているだけだ。


 幸いなことに、私が把握している範囲ではまだちょろまかすようなことはされておらず、確認を続けているのも半ば惰性だ。最初の頃は、レシートから好む食べ物を分析しようと試みたりもしたが、あまり意味がないことがわかってからはやめた。それでもまだ、何度も見る文字列を読む度に、“これならもしかしたら”と期待しかけてしまうのは、きっと治らない病気みたいなものなのだろう。


 そんな文字列の中に、ファストフード店のハンバーガーがあった。以前にも見た事があるものだったから、最初は特に気にしなかったが、次第に見かける回数が増えた。月に一枚だったのが、週に一枚になって、さらにその枚数が増えていく。


 書かれていた内容は、ポテトとチーズバーガー。毎回必ずこれが含まれていて、たまに別のものが増えている。


 偏食とはいえ、我が子は既に中学生。お昼の給食は変わらず食べていないようだから、ハンバーガーを2つ食べることは別におかしくない。それだけお腹が空くのなら、私の作ったものを食べてほしいと思いはするが、それはいつもの事だ。


 気になったのは、いつも同じものを食べていること。学校帰りのほぼ同じ時間に、同じものを食べている。


 卵かけご飯のように気に入って、ずっとそれだけ食べているのだろう。そう考えるのが一番無難ではあったが、心の片隅に僅かな心配の気持ちが上がる。この年頃の子供に与えるには過剰なお小遣いによって、我が子が“財布”として扱われているのではないかと。


 もしそうなら、本人に一言聞けばきっと答えてくれるだろう。そも、私が知る限りそのような目にあって泣き寝入りする子でもない。だからそれだけで十分なはずなのに、私の頭に浮かんだ方法は“自分の目で確認する”ことだった。


 レシートからおおよその周期を確認して、そのタイミングに合わせてレシートのハンバーガー店に向かう。入口とカウンターが見える位置に座って、よく見る文字列を食べる。


 我が子がいつも食べているものは、あまり美味しくなかった。チェーン店の定番商品なだけあって、全く食べられないわけではない。ただ、低価格に相応の材料を使って、ひたすらに濃い味付けで誤魔化している味だ。


 もちろんこのような味付けを好む人が、それなりの数いることは理解している。けれど、私個人の味覚と価値観では、この“ジャンク”と呼ばれるのにふさわしい食べ物に魅力を感じない。


 とはいえ、頼んでしまった以上、食べ物を捨てることはできない。口の中に広がる繊細さに欠いた味わいを我慢しながら流し込む。そうしているうちに見覚えのある顔が視界に入って、レジに並んだ。


 我が子は友人と一緒にいた。以前うちに来たことがある少女は、差し入れたお菓子を美味しそうに食べていたので記憶に残っている。二人ともレジに並んで、それぞれ会計を済ませていたことから、心配が的はずれなものだったことは確定する。つまり、娘は自分の意思で同じものを買って、食べているのだ。毎度一緒に来ているのであれば、お友達の財布事情が少し心配にはなるが、それはいい。


 心配が晴れた以上、私はすぐに立ち去るべきだ。食べなくてはならないものもほとんど食べきって、なおこの場にい続けることは、店の回転率に無駄な負担をかけることになる。ついでに、普段こんなところに来ない私がこの場にいては、娘に見つかった時言い訳ができない。


 だからすぐに立ち去ろうとして、今店を出ようとしたら娘の前を通らなくてはいけないことに気がついた。小さな仕切りを挟んで向こう側に娘は座っていて、こちらを向いている。ガラス窓にうっすら映る顔がこちらから見えているので、あちらが気付けば、向こうからでも見えることだろう。


 いつ気が付かれてもおかしくない状況で、一体何をしているのだと自分が情けなく思っているうちに、私は立ち時を失った。ここからバレずに離席する方法なんて、娘が机に突っ伏さない限りないし、そうやって座っているほど時間は経って立ちにくくなっていく。


 だから、あの子がその席を選んだ時点で、私が自分の行いを内心後ろめたく思っていた時点で、それは決まっていたのだろう。私が食べているものと同じものをトレーに乗せた我が子の表情を、私は見てしまった。


 とても、いい笑顔だった。目の前のものを食べるのが楽しみで仕方がないと、言葉にせずとも表情で言っていた。私の作った料理では、そんな顔したことがないくせに。こんなに安っぽくて、味付けで誤魔化しているだけの食べ物にはそんな顔をするのか。


 ガラスに写る娘の姿が、視界にうつる全てが歪んで見える。周囲の会話の音が意味をなさないノイズのように聞こえる。そんな中で、食べかけのチーズバーガーのケチャップと、“おいしい”と言うあの子の声だけが鮮明に認識できた。


 その笑顔を作るのは、私の料理であってほしかった。美味しいと言われて、毎日のように食べられるものは、ジャンクフードなんかではなく手作りの料理であってほしかった。その笑顔のために、私はずっと試行を重ねてきたのだから。結局は諦めてしまったけれど、繰り返してきたのだから。


 娘は、食事に喜びを感じない人間なのだと思っていた。比較的好む食べ物だって、他よりは食べるくらいのもので、積極的に食べているようには見えなかったから。そういうものだと思っていたから諦めることができたのに、そうではなかったのだと知った。あの子は食べ物で笑顔になれるのだ。それなら、これまで私がそれを知らなかったのは、ただ“私の料理が美味しくないから”でしかない。私の努力不足でしかない。


 そのことに気がついて、頭の中が真っ白になる。僅かに認識できていたものさえまともにわからなくなって、気分が悪くて仕方がなくなる。あの子にバレるかもしれないなんて考える余裕もなくトイレに駆け込んで、込み上げたものを吐き出す。舌根にこびりつく、酸味が混ざった安っぽい味と、喉の奥から湧き上がる不快な匂い。


 食べ物に対して、とんでもなく礼を失した行いをしていると、頭では理解できた。どんな料理だったとしても、その材料は動物で、植物で、菌類だ。塩なんかの一部の例外を除いて、全て命である。体調が悪いわけでもないのに吐き出して粗末にするなど、その命に対する冒涜だ。けれど理解はできたが、平静を欠いた頭と、それに振り回された体は理屈で動かなかった。


 しばらく動くことが出来なくて、叩かれる扉と店員の声に急かされてなんとか扉を開く。余程酷い顔をしていたのだろう、救急車を呼ぶからじっとしているようにと言う店員に謝りつつ、原因はわかっているので断る。


 幸い、と言っていいのか、私がトイレ入ってからそれなりに時間が経っていたようで、周囲を見ても娘たちはいなかった。わずかに残ったチーズバーガーとポテトは、食べられる気がしなかったが、捨てることもできなかったので持ち帰った。氷が溶けきったアイスコーヒーは、すっかりぬるくなっていたので捨てた。


 家に帰ると、私よりも先に店を出ていたらしい娘はすでに居た。顔色を心配する言葉と驚くような様子を見るに、私があの場にいたことはバレていないのだろう。趣味の悪い行いをした自覚があるので、そのことには少し安心する。


 体調が悪いから少し横になると伝えて、寝室に入る。そして考えるのは、自分が吐き出したものの味。思い返しても否定する言葉しか思いつかないようなその味が、けれど娘にとっては美味しいものだった。あんな笑顔を浮かべながら食べるくらい、あの子にとっては美味しいものなのだ。


 まず、その事実を受け入れる。そしてあれをそこまで気に入るのであれば、私の作る料理を受け入れられないのも納得できる。そもそも求めている味が違いすぎて、私が多少寄せようとしたところで無理だったのだ。さらにあの子は好き嫌いが激しくて、ダメなものは全く食べられない。


 それであれば、そちらに寄せた食事を用意すれば、あの子にも食べてもらえるのだろうか。私の許容範囲を超えるほど、濃い味付けと栄養バランスを考えない料理を作れば、あの子は食べてくれるのだろうか。


 何度諦めても諦めきれなかった執着がまた湧き上がって、願望を増大させる。あの子が産まれる前、離乳食を与える前、偏食を知る前までは当然のように信じていた、笑顔の食卓。今度こそそれが叶えられるかもしれないと考えたら、手を伸ばさずにはいられない。それを求める過程で、また数えられないくらい辛い思いをするとわかっていても、繰り返してしまうのだ。


 持ち帰ったジャンクフードを取り出して、口の中に入れる。冷めきったポテトは、おおよその作り方に見当がつくから、食べるというよりも飲み込む。口に含む前から不快感が止まらないチーズバーガーは、精神的な問題で吐き気がするのを我慢しながら、具材を一つ一つ咀嚼する。気持ちの問題を除いても、美味しいと思えない食べ物を味わうことは苦痛であったが、必要なことだと思って受けいれた。


 全く同じものは、作れないだろう。けれど、近いものは作れるはずだ。あの子が好んで食べる味と、同じようなものは作れるはずだ。私が作っただけで無条件に食べられなくなるのであれば、もうお手上げだが、ただ好みの味じゃなかっただけなら話は別だ。


 娘が食べられるものを作りたいと、もう一度本人に伝えて、そのために味付けが変わるだろうと彼にも伝える。娘自身からしても私が作るものを食べられず、残してしまうことは、喜ばしいことではないようで、あまりいい顔はしなかった。



 これまで作ってきた料理とは、全く異なる味付けを試して、味見をしてもらう。私の好みとは全く合わない味でも、案外私以外の人にとっては悪くないようで、彼から苦情が入ることはなかった。食べている時の反応も悪くなかったから、我慢させているわけではないのだろう。


 肝心の娘からの評判はというと、これまでよりも良かった。まだ好んで、美味しそうに食べる姿は見れないが、食べることは出来るようで、食卓に並ぶものは統一された。私が美味しいと思えるものではなかったが、みんなで同じものを食べられるのは大きな進歩だった。


 この方向性で作り続ければ、いつか娘にもおいしいと言ってもらえる。 求める場所への見当が付いて、同時にその好みの味が世でどのように形容されているのかも理解した。新しいレシピを調べて再現する中で、特定のキャッチコピーが付いているものを作った際に、比較的反応が良かったのだ。


 それからはそのキャッチコピーを使ってレシピを調べて、やはり私には美味しいと思えないそれの中で、ついに朧気な正解を見つける。まだ自分の中でつかみきれていないそれを形にするために、何度か試行を繰り返して、初めて、ずっと娘の口から聞きたかった言葉が聞けた。


 おいしい。文字数にすればたった四文字の言葉。それだけの言葉をずっと聞きたくて、何年も努力した。努力がついに実って、聞くことができた。その感動たるや、その“おいしい”を私が美味しく思えないなんて些事が吹き飛ぶくらいのものだった。


 うれしくて、感動して、安心した。思わず涙が込み上げて、抑えられなかった。同じ言葉をジャンクフードで聞いた時とは、真逆の思いで胸の中が満たされる。彼と娘がどんな表情をしているのかは、涙のせいでわからなかった。




 それからは、娘の好みの味を出せるようになった。あれだけ求めていた笑顔が、食卓から絶えないようになった。相手の好みに合わせた料理を作ることは私の得意とすることで、一度求められる味を掴めば、そのツボを押えたものなどいくらでも作れる。


 お母さんの作るご飯が食べたいと、娘の口から聞けるようになった。少し前まで、あの子にとって私の作る料理は食べられないものだったのに。学校から帰ってきてすぐ、その日のメニューを聞かれるようになった。


 この感動は、嬉しさは、きっと同じような経験をした人にしか、正しく伝わらないだろう。これまでの努力が、苦しみが、全て報われたのだから。依然私が美味しいと思うものと異なったままではあったが、食べてくれるのだ。望んでくれるのだ。料理を食べてもらえなかった料理好きとして、ようやく手に入れた幸福。これ以上の幸せはあれども、望むのは強欲だろう。


 やっと手に入れた幸福によって、私の心は満たされていた。現実を無視して最上を望めば、私も娘も美味しく感じられるものを求めるのだろうが、そんなものがあるのであればとっくに見つけている自信はあった。


 きっと私と娘の味覚は絶望的なまでに合わなくて、同じものを食べて美味しいと思えることはない。少しでも私の好みに近づければ、あの子はまた私の料理を食べられなくなるだろう。


 そうわかっているから、私は現状で満足した。いいのだ。たとえ家族の食卓で、自分だけ美味しいと思えなくても。笑ってくれるなら、笑顔でいてくれるなら、それでいい。私が好きな食事は、お昼にでも作ればいい。だって今の私は幸福なのだから。


 娘の喜ぶ顔を考えて、毎日料理を作る。繰り返される成功体験で、私はすっかり自信を取り戻していた。好み云々はあれど、給食すらまともに食べられなかった娘だ。あの子の好む料理を作れるのは私くらいで、そこに関しては私の右に出るものはいない。



 そんな自信がいけなかった。思い上がりにも似た、自惚れがいけなかった。全身を自信で満たした私は、趣味の悪いことに何かと比較して、評価を固めたいと考えてしまったのだ。他のもの、誰かが作ったものと比べて、私が作ったものの方がおいしいと言われたかった。思われたかった。


 その比較のため、対象として選んだのは冷凍食品だ。選定の理由は、単純に娘が好みそうなものが多かったから。陳列されているものはどれも、大きな字で特定の“キャッチコピー”が書かれていた。


 これらならきっと、我が子も食べることができるだろう。娘の口から、私の作るご飯の方が美味しいと聞きたいとはいえ、食べれないものと比較しても意味はない。比較対象には、最低限食べられるものであることが求められるのだ。


 普段冷凍食品など買わないから、どれが一般的に“おいしい”とされているのかもわからず、ただ適当に目に付いたものを選ぶ。それが安いのか高いのかすらわからないが、自分で同じものを一食分だけ作る、と考えれば、妥当と言っていいくらいの値段ではあった。


 選んだのは、チーズが入ったハンバーグ。それを三つ買って、袋の裏に書かれた通りに温める。いくつかの副菜と汁物を用意すれば、夕食は完成した。涙が出るほど簡単で、退屈な用意だった。そして、この容易さこそが、冷凍食品が世に蔓延る理由だと理解する。私のように料理好きな人であれば、調理の時間は負担にならないが、そうでない人にとって手間と時間をお金で買えるのは大きいだろう。


 ただただ楽で、均一な仕上がり。見た目だけは私の作るハンバーグに近いのが、少し腹立たしい。


 娘と、彼が帰ってくる。私の作った夕食のことを考えながら。そこに待っているのが、冷凍食品だなんて思いもせずに。そう考えると、罪悪感がチクリと胸を刺した。自己満足のために、誰かを騙そうというのだ。十分に罪と呼べるものであり、刺さって当然のものだ。


 今日の夕食がハンバーグだということを聞いて、嬉しそうにする娘。その表情が変わるようなことは、するべきではない。私の中の真っ当な倫理観はそう主張してやまないが、今更打ち明けたところで、ハンバーグを作り直すには時間がないし、笑顔が曇ることに変わりはない。


 とまるには、もう手遅れだったのだ。自分にそう言い聞かせて、その瞬間を待つ。こんなふうに反省して、後悔していながらも、あの子の口から“いつもの方がおいしい”と聞ければ、きっと私は満足できるのだろう。そんな自分が、少し嫌だった。



「今日のハンバーグ、いつもと少し違うね」


 娘の口から、予想通りの言葉が出る。私が作ったものと既製品では、同じ味になるはずがないのだから当然だ。いつものように、どんな感じかと感想を聞きながら、自分の分を箸で切り分けて口に運ぶ。わかりきっていたことだが、美味しいとは思えなかった。


「いつものやつもいいけど、こっちの方が好きかも」


 ひとつ褒めるところがあるとすれば、あらびきのひき肉を使っていることで、ハンバーグに肉らしさが残っているくらいだろう。そう考えていたのに、娘の評価は逆だった。私が娘に合わせて作ったものよりも、こちらの方がいいと言うのだ。


 一瞬、思考が止まる。言葉を、その意味を咀嚼するために、時間がかかる。偏食な娘が食べられる味を作るために、長い時間をかけた。長い時間をかけて、やっと美味しいと言ってもらうことができた。それが、こんな既製品なんかに負けてしまった。


 比べられて、認められたいなど、考えなければよかった。考えなければ、こんなに惨めな気持ちになることはなかったから。比較対象などない、唯一のものであれば、娘の中での“いちばん美味しいハンバーグ”はもうしばらく私のものだったかもしれない。


 けれど比較して、負けてしまった。私の作るハンバーグはこの冷凍食品の下で、既製品の方がおいしい。その事実を受け入れることが出来なくて、彼の方を見る。


 彼は、娘と同じ言葉を口にした。私の作ったものよりも、既製品がおいしいと。先に騙して食卓に出したのは私だから、悪いのは私だ。それなのに、なんだか裏切られたような気持ちになる。


 後から思えば、ここで受け入れればよかったのだ。あるいは、謝ればよかった。今日この日出したものは私の作ったハンバーグではなく、冷凍の既製品であると。ちっぽけな自尊心を満たそうとして、大きな傷を負った愚か者が私なのだと。


 それが出来なかったから、私は無様にも現実逃避をした。美味しいと言われるのはこのハンバーグだけで、ほかのものであればそんなことはないはずだと。私が娘の好みに合わせた料理は、既製品などよりも最適化されているものだと。


 ハンバーグはダメだった。ミートボールもダメだった。パスタソースもダメだった。ダメなものがどんどん増えていく。どれもこれも、娘が“おいしい”と言ってくれたものだった。私にとって、自信を持って振る舞えるものだった。


 私にとっては、美味しいと思えないもの。けれどあの子の好みに合わせて、調整してきたものだ。食べられないはずがない。口に合わないはずがない。だから、比べたら私の方が勝ると根拠もなく信じた。


 その結果が、これだった。娘が好みそうな冷凍食品の全てに、私の作る料理は負ける。新しいものを見つけて食べさせるほど、私の料理は下がっていく。


 今度こそはと気合を入れて、この前の方が好きと言われて。何度試しても同じことを言われて、私の料理は負け続ける。冷凍食品は選ばれ続ける。


 頭では、理解していた。私のような一介の主婦と、それを職にしている専門家たちの企業努力では、試行可能な回数の桁が文字通り違う。誰が食べても美味しいと思えるものを作るにあたって、それだけを目的に作れる企業に、食材の使用量を考慮しなくてはならない私は敵わないだろう。


 けれど、ただひとりの誰かのために、そのためだけに作る料理であれば、私にも勝機があるはずだった。それが私には美味しいと思えないものであったとしても、勝てるはずだった。だから、比べようとした。


 やらなければいいことをやって、知らなければいいことを知った。本当に、余計なことをした。けれど、それでもあんまりなのではないだろうか。やっと報われたと思った努力の成果が、こんなにちっぽけなものだと自覚させられるのは。


 昔から持っているのが当然だった包丁を、握るのが怖くなった。健康的で、綺麗で、“おいしい”料理を、作ることが怖くなった。


 気がついてしまったのだ。冷凍食品をおいしいと言って食べる娘を見て。偏食のはずのあの子が、普通にご飯を食べるのを見て。


 私が何もしなければ、“健康”な食事にこだわらなければ、手作りのこだわりを捨てていれば。あの子はもっと早く、こうやって美味しそうに食事をできていたのだと。娘の分だけ食事を用意しないなんてことには、なっていなかったのだと。


 私のこだわりが、あの子のことを苦しめていたのだと。そう気がついた時、私の心は折れてしまった。包丁を握ることが、できなくなってしまった。わたしにできることなんて、料理をすることだけなのに。


 けれど、生き甲斐が、存在意義が失われても、そう自覚しても、もう繰り返す気にはなれない。自分のこだわりが、余計なものでしかないと知ってしまったから。


 小さな絶望と失望の中で、不意にあることを思い出し、納得した。かつて料理を作って、教えてくれたお母さん。あの人が料理をしなくなったことと、その理由を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

どこにでもある“無価値”な努力の話 エテンジオール @jun61500002

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ