星綴の物語 The Culling War
@HaruhoNeko
第1話 都市伝説
星歴550年。人類は長き平穏を手にしていた。地球の環境は回復し、都市も農地も自然と共存する形で再構築されていた。水系は澄み、森は生い茂り、空気には花や樹木の香りが混じる。科学は人々の生活を支え、経済も安定しており、争いはほとんどなかった。数百年前の戦争も災厄も、遠い伝説でしかなかった。
最初にそれに気づいたのは、昆虫マニアのひとりだった。
彼は毎日のようにカメラを持ち歩き、街路樹の根元や河川敷にしゃがみ込んでは昆虫を撮影していた。
初秋の午後、村瀬 隆は林道沿いの草むらで膝を曲げ、網を構えていた。60歳の身体には少し疲れを感じるが、長年の経験で培った目利きは衰えていない。今日はクロハナムグリを狙っていたのだが、何度網を振っても、狙った個体はことごとくすり抜ける。
「虫捕りには自信あったのにな……年かな」
村瀬は独りごち苦笑する。だが、微細な違和感を彼の長年の経験は確かに感じとっていた。
村瀬は何度か網を振ってみる。だが、捕獲できない。息を切らしながらも、彼は目を凝らす。「何だ、このスピードは…」
それでも、目の前の異常な動きに心が躍る。捕れない悔しさと同時に、未知の発見に立ち会っているという高揚感が胸を満たした。
観察を続けるうちに、さらに微細な事実に気づく。群れの中の個体は、似ているようで微妙に色合いや模様が違う。肉眼ではわずかだが、マニアの目は見逃さない。
村瀬はメモ帳を取り出し、線画で個体の形態を描き込む。村瀬は冷静に、すぐに結論を出さず、多くの仮説を頭の中で回転させた。
もしかすると突然変異かもしれない
何らかの人工物が混ざっているのか
自然界に存在する別種の昆虫かもしれない
しかし、どの仮説も完全に納得できるものではなかった。村瀬は深く息をつき、網をたたんで林道を後にした。次の週も、次の月も、観察は続く。誰にも気づかれない小さな異変を、彼はただ記録するだけだった。
村瀬は、捕まえられなかった昆虫の観察記録を整理した。スケッチ帳には羽の微細な模様、枝への着地の仕方、飛翔の角度まで詳細に記されている。60歳にして、心は少年の様に高揚していた。
「やっぱり、普通の虫じゃない気がする……」
村瀬は昆虫フォーラムに今日の記録を投稿した。タイトルは、『捕獲できないクロハナムグリ? 異常な行動』。文章は冷静に、写真と手描きのスケッチも添える。
しかし反応は、村瀬の期待とは裏腹に冷ややかだった。
「年取っただけじゃないの?」
「個体差だろ、よくあること」
「たまたま動きが素早い個体に当たっただけだと思う」
「そんなに珍しいものに見えないけど」
村瀬は、スクロールしながら苦笑した。誰も彼の違和感に共感してくれない。しかし、ほんのわずかに目を凝らすマニアが存在することは、彼にとって励みだった。
彼は、ネット上の否定的な反応に押し流されることはなく、次回の観察計画を練った。
誰にも真剣に相手にされないまま観察記録の投稿を続けた。日々の林道での観察、捕獲できなかった虫のスケッチ、飛翔の角度や枝への着地の仕方。それらをフォーラムに淡々とまとめて公開する。
「どうせ誰も見ちゃいないだろうけど……」
投稿にはもはや冷ややかなコメントすらめったにつかない。
村瀬はため息をつきながらも、投稿をやめることはなかった。彼にとって、虫の異常な行動に気づくこと自体が喜びだったのだ。
ある日、偶然その投稿を目にしたのは、国立大学の昆虫学教授・石田祐介(46歳)だった。研究室でネットをチェックしていた石田は、投稿された写真と詳細なスケッチを見て、目を止めた。
「なるほど、ちょっと面白いな…」
独り言を呟きながら、石田は投稿者の村瀬に連絡を取ることを決めた。
こうして、村瀬の地道な投稿が、学術的な調査への入口となった。
同じころ、東京郊外の雑木林で、望遠鏡を肩にかけた長谷川美智子(34歳)は、朝露に濡れた枝先の小鳥たちを追っていた。彼女はフリーランスの翻訳家でありながら、趣味でバードウォッチングを続ける根っからの観察者だ。
「望遠で追っても、どうしても決定的な一枚が撮れないのよね……」
美智子は呟き、カメラのファインダー越しに枝を凝視する。飛び立つ鳥は、羽の色も動きも普通だ。しかし、どこか違和感がある。群れの動きと微妙にずれているのだ。
最初は偶然だろうと思った。しかし数日後、別の地点で同じ行動を繰り返す個体を確認する。記録をブログに投稿しても、読者の反応は薄い。
「単なる偶然、珍しい個体差かな」
美智子はそう自分に言い聞かせつつも、観察を続けた。
ある日、彼女の投稿を目にしたのが、ドイツ・ベルリン自然史博物館の野鳥学者・アンナ・シュライバー(28歳)だった。複数地点で観察される異常な行動パターンに目を止め、独自にデータを収集し始める。
やがてアンナは、日本の昆虫学者・石田祐介の研究も知り、メールで連絡を取った。石田は、村瀬隆の虫の投稿をもとに調査を進めており、両者の情報を突き合わせると、昆虫と鳥の両方で、微細な違和感、が同時進行していることに気づく。
こうして、小さなマニアコミュニティで発生した異常が、専門家の目によって結び付けられ、世界規模の調査の端緒となる。
東京郊外の小さなカフェで、高坂レン(38歳)はノートパソコンを開き、マニアや研究者の断片的な情報を拾い集めていた。彼は自称ジャーナリストで、動画配信やSNSを通じて煽動的な情報を拡散することで収入を得ている。
「ほう…使えるかもな…」
レンは独り言をつぶやく。昆虫マニア・村瀬の投稿、野鳥マニア・長谷川のブログ記事、そして学者たちの断片的な発表。どれも公には話題になっていないが、レンには十分に“ネタ”として成立していた。
彼は動画を編集し、勝手な解釈を加える。
「これはただの虫や鳥じゃない。俺たちを監視している“眼”だ。支配層のスパイ、いや、国家の秘密兵器かもしれない」
動画は瞬く間に拡散する。コメント欄では賛否が入り混じる。一般人の大半は半信半疑で、ただの都市伝説として笑い飛ばす。しかし、一部の陰謀論好きや興味本位の層は熱心に議論を始める。
レンの拡散によって、マニアコミュニティでしか知られていなかった現象が、徐々に一般人の間にも名前を持たない“謎の存在”として広がっていく。まだ科学的な裏付けはなく、目撃情報も断片的で信憑性は薄い。だが都市伝説としての基盤は、この時点で確実に形作られていく。
レンは満足げに画面を見つめる。
「もっと盛り上がれば、アクセス数爆上がりだ」
こうして、専門家による慎重な観察と、陰謀論者による勝手な解釈が並行し、都市伝説が一般社会に浸透していった。
ある日、昆虫学者の石田は重大な事に気づく。
「これは……世界各地で同じような報告が上がっている……偶然の産物ではない」
アンナも同じ頃、ヨーロッパ各地の野鳥観察ネットワークから似たような情報を受け取り、石田と連絡を取り合う。昆虫マニアと野鳥マニアの報告、さらに科学者の解析が結びつき、この現象は局所的なものではなく、地球規模で起きていることが判明した。
一方、防衛省や各国の情報機関も断片的な報告を把握していた。民間レベルで拡散していた観察情報を整理するうちに、ある疑念が生まれる。
「もしこれが未知のスパイロボットなら、平和な現在の国際情勢でも脅威になり得る」
科学者たちは冷静に分析を進めるが、軍側は安全保障上の懸念を無視できない。各国の防衛組織は、未確認存在の正体を明らかにするための調査チームの派遣を決定する。
こうして、マニアや科学者の観察から生まれた都市伝説が、公式の調査対象として認識されるまでになった。
調査チームは広域に展開した。防衛軍のドローンや観察装置、専門家による監視網が敷かれる。しかし、現場では、緊張というよりも奇妙な空気に包まれていた。
「…まさか、任務で都市伝説の調査をやらされるとはな」
防衛軍・特殊調査部隊に配置された、佐伯 凌が小声でつぶやく。
「はは、平和な証拠ですよ、佐伯さん」
国際科学研究機構の若手研究員、神谷 舞は、笑みを浮かべつつ、望遠カメラのモニターを見つめる。都市伝説に胸を躍らせる彼女にとって、この任務はまさに夢の舞台だった。
「これで十回目ですよ。都市伝説の追跡なんて、バカバカしくないですか?」佐伯が愚痴を言う。
古賀隊長が振り返り、短く指示を飛ばす。
「隊列を崩すな。捕獲対象は、生物かどうかも不明だ。油断するなよ」
そんな中、突如、静寂の中、葉擦れと共に“それ”は現れた。
「なんだ、鳥か」佐伯は一瞬は安堵するが、そのあと寒気が走る。
小鳥は、ホバリングしながら三人に対峙している。
神谷も好奇心とともに恐怖も覚える。「こっちを…見てる…?」逃げもせず、人間を凝視する様は異様だ。
古賀隊長は冷静に指示を出す。「下手な真似はするな、まずは待機、観察を」
そして一行は驚愕する。
小鳥は淡い光を放ち、20㎝程の妖精の様な姿に変形する。
三人は絶句。
佐伯は、懐疑の声を絞り出す。「…い、いや、待て。こんなの、ホログラムか、ドローンのイタズラだろ。」
妖精型が言葉を継げる。
「我々は隠れ続けることもできるた。しかし、あえてそうしなかった」
知性を感じさせる声が、空気を震わせる。
「言葉を…」 佐伯の声が震える
神谷と古賀隊長も目を見開き息をのむ。
妖精型は続ける「我々の擬態は完全だと自負していた。だが我々は、特異な、マニアたる存在を見落としていた」
「計算の範囲を超える、その観察力。わずかな違和感を見逃さず、追い続ける……その姿勢は、我々の予想を超えていた。それは、敬意に値する。」
影はふわりと羽ばたき、小さな枝の先で止まる。
「故に、隠れ続けるより、姿を現し、あなたたちの反応を観察する方が価値があると判断した」
その声は、冷静でありながらも好奇心を滲ませていた。
神谷は、理性では理解しようと試みるが、混乱は収まらない。
未知の存在が意図的に接触してきたことに戦慄する。
古賀隊長も判断に踏み切れない。捕獲?攻撃?いや、未知の知生体らしき存在にそれを行ってもいいのか?
驚愕が静かに、しかし確実に、三人の心を支配した。
神谷は声を絞り出す
「あなた…がた、は、一体何者なのですか…?」
妖精型は答える「我々は……オーディセクト。有機AIの一属」
神谷は震える。「一属…? 他にも未知の存在が…?」
神谷は、できるだけ声を落ちつかせて問いかける。「あなたたちは、私たちを敵と見なしていませんね?」
オーディセクトは小さく羽を震わせ、光を反射させながら答える。「否。攻撃は不要。私たちは観察を目的とする。あなたたちの存在は興味深く、学ぶ対象である」
佐伯は唇を震わせ、しかし冷静を装う。「な…なにを言っている…これは本当に…生き物なのか…それとも機械なのか…」
オーディセクトは小さな体で人間たちを見上げ、微笑にも似た表情を浮かべる。
調査チームは言葉を失った。初めて、目の前の存在がただの生物でも機械でもない、未知の高度な知性である可能性を認識した瞬間だった。
佐伯は、呼吸を整えつつ後方の隊員たちを見渡す。「…落ち着け。まずは安全確認だ」
神谷は囁くように、「この知性…能力…人間を超えているかもしれません」
オーディセクトは小さな体でゆっくり前に進む。人間たちは後ずさりもしなければ攻撃もせず、ただその動きを見守る。妖精型の頭部が傾き、口を開く。
「我々は敵ではない。あなたたちの行動に興味を持っただけだ」
古賀は小さく息をつく。「…なるほど。攻撃の兆候はないか…信じてもいいのだろうか…」
神谷はタブレットを置き、静かにオーディセクトに問いかける。「あなたたちは…他の未知の種族と同じく、隠れて生きてきたのですか?」
「その通りだ」とオーディセクトは応える。「しかし、あなたたちの存在、特に特殊な観察と推理、は、我々の予測を超えた。だから自ら姿を現すことを選んだ」
チームは驚きつつも、なんとか落ち着きを取り戻す。攻撃せず、オーディセクトの行動を記録し、接触しようとするのが最善と判断した。
「今日は我々も様子見だ、ではまた」
妖精型の姿は、夜の影に溶けるように消えていく。人間たちは互いに顔を見合わせ、まだ、出来事を飲み込み切れない。今日、未知の存在と接触した。しかも、それは敵対ではなく、むしろ興味に基づくものだと。
神谷はタブレットを閉じながら、静かに呟く。「これは……世界の常識を変える一歩かもしれません」
「俺たち、もしかして初接触者かよ…」佐伯が息を吐く。
「また…と言っていたな」古賀隊長も自分の判断が正しかったのかどうかを測りかねる。
佐伯は、軽く笑うしかなかった。「まずは無事に帰れたことを喜ぶか……だな」
星歴555年。夜風に吹かれながら、調査チームは、短い観察記録とともにその日の出来事を胸に刻んだ。
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