召使の言い訳

入鹿 なつ

召使の言い訳

 わたしの主人、オリバー様は大変お可愛らしい方でございます。

 とうに成人召され、家督をお継ぎになられている主人に可愛らしいとはどういうことだ、と思われる方も多かろうと思いますが、他に表現が見つからないのですから致し方ございません。

 見目だけならば、可愛いと形容するものではないかもしれません。

 もちろん、醜いという意味ではございません。撫でつけたブロンドに澄んだ青い瞳が麗しく、精悍な面差しに魅入られるご婦人は少なくないのですから。

 もっとも、今は特定の伴侶をお迎えになるお気持ちはないようではございますが……。


「フレディ……またなのか」

「……申し訳ございません」


 執務机に向かわれたオリバー様は眉間に筋を刻んでこめかみを押さえ、わたしは主人の顔を直視できずにうなだれました。

 ああ……またやってしまった。

 わたしにはなんと申しますか……つまりその、そそっかしいところがございまして。

 先日はティーカップを倒して大切なお仕事の書類を台なしにしてしまいましたし、その前には燭台を移動させた拍子にうっかりカーテンを焦がしてあわや小火ぼや騒ぎになるところでございました。

 そして今日は、出すように言いつかっていた手紙を、あろうことか紛失してしまったのでございます。失くさぬようしっかりとスーツの内ポケットに入れていたというのに、一体どこへいってしまったのやら見当もつきません。


 オリバー様が革張りの椅子から立ち上がられ、わたしは首をすくめました。言いつけられた仕事ひとつ満足にこなせなかったのですから、お怒りは当然です。

 案の定、はたかれたわたしの頬は清々しく高らかな音を奏でました。あまりの痛みについつい涙ぐめば、オリバー様の眉間はさらに険しき山脈を築き、わたしの心臓は縮み上がりました。


「お前は一体、何ならできるんだ」

「……申し訳、ございません」


 消え入りそうなわたしの声に、オリバー様のため息が重なりました。


「もういい。もうお前には頼まない。今日は夜まで部屋で謹慎していろ」


 わたしがあまりに無能でございますから、オリバー様は叱ることにお疲れになってしまわれたのかもしれません。お苛立ちではあるもののあっさりと命じられ、わたしは恐縮して部屋を辞するしかございませんでした。


 さて、このように主人を怒らせ呆れさせるばかりのわたしがなぜオリバー様にお仕えさせていただいているかと言えば、ひとえに情というしかないのかもしれません。

 と申しますのも、実はわたしとオリバー様はよく言う幼馴染みというものでございまして、幼い頃にはよく一緒にお勉強やスポーツもさせていただいておりました。その頃からわたしは、物を失くす壊すは日常茶飯事、土手から転げ落ちる、犬の尾を踏みつけるなど、生傷の絶えないそそっかしさは今と同じでございました。オリバー様はそんなわたしに、辛抱強くつき合ってくれた数少ない友人であったわけでございます。

 ところがオリバー様のお陰でどうにか学院を卒業できるといったとき、なんとわたしの父が事業に失敗。危うく路頭に迷おうかという所を拾ってくださったのですから、なんと情に厚い方でございましょう。


 そんなわけでもう長くオリバー様にお仕えさせていただいているわけでございますが、これだけ仕事ができないとなるといい加減、愛想をつかされそうに思われます。しかし、そこはまた、なかなかそうもいかない事情もあるわけでございます。


 夜まで謹慎、とのことでございましたから、日が落ちるのを見計らって、わたしはお茶をご用意して再びオリバー様の執務室へと参りました。オリバー様はまだ執務机に向かっておいででしたが、わたしを見るなり書類を片づけ、背中をお反らしになりました。


「お疲れのご様子ですね」


 労いながら横からお茶を差し上げれば、オリバー様はふと笑んでカップをお取りになられました。


「お前のせいでな」


 まさしくその通り。こんなにオリバー様のお役に立ちたいと願っているのに、わたしときたらなぜこんなにも役立たずなのでしょう。

 わたしがしょんぼりとうなだれると、オリバー様は「冗談だ」とお笑いになられました。

 なんともまあ、甘い笑みでございます。男のわたしでもそう思うのですから、初心うぶなご婦人であれば卒倒してしまうでありましょう。


「今の商談が今週中には片がつくだろう。そうすればもう少しゆっくりできるはずだ」


 おっしゃりながら、カップを置いて背もたれに体を預けたオリバー様が、横に立つわたしを見上げられました。


「昼間は悪かったな。わたしも感情的になり過ぎた」


 オリバー様の慈悲深さに、落ち込んだわたしの心持ちがふわりと浮き上がるのが分かりました。

 本当に、お優しい方でいらっしゃいます。


「いいえ。わたしが失敗したのですから、お怒りは当然です。どうかお謝りにならないでください。わたしを含めた下々に舐められますよ」


 調子に乗ってしまいそうなわたし自身を自制する意味もあって申し上げれば、オリバー様はやや目を細められました。


「構わないだろう。お前ならばな」


 オリバー様の声色がささやくような響きを帯び、わたしは主人を正面から見返しました。青い瞳に灯が映り込み、うるんだように揺らめき、きらめいております。星空にも似た輝きがあまりに美しく、わたしは机に手を突き、顔を寄せて瞳を覗き込みました。

 触れぬ距離で見詰め続けておりますと、オリバー様の目元がにわかに赤くなってまいりました。わたしは構わず見詰めておりましたが、やがて机に突いたわたしの手に、オリバー様がお触れになられました。


「……フレディ」


 わたしは距離を保ったまま少しだけ首をかしげました。


「いかがなされましたか」


 問いかければ、オリバー様は眉をお寄せになりました。苛立たしげでなく、切なげに。

 なんて、お可愛らしい。

 欲しいのならそうおっしゃればいいのに、命令はできてもお願いはできないなんて、難儀な性格でいらっしゃいます。誇り高いあなたにそのようなお顔をされては、わたしでも少々いじわるをしたくなってしまいます。

 触れていた手を焦れたように握られ、わたしはつい笑ってしまいそうでございました。しかし主人を笑っては失礼というもの。わたしはこらえて、距離を詰めました。

 唇が触れると、オリバー様は待ちかねたように口をお開きになられました。ですが、簡単に応えて差し上げるほど、わたしは優しくはございません。舌を差し出される寸前に素早く身を離せば、オリバー様は哀切を帯びた吐息をつかれました。


「フレディ、なぜだ……」


 オリバー様のお声に、産毛を撫でるようなぞくぞくとした感触がわたしの背中を上ってまいりました。青い瞳の輝きが増えているように見えるのは、きっと気のせいではないでしょう。

 わたしは再び触れる寸前まで顔を寄せ、オリバー様の唇に人差し指を当てました。


「ここではなりません。お部屋を、移動いたしましょう」


 オリバー様のお顔がさらに赤くなられました。お仕えする以前からの関係だというのに、変わらず素直な反応をされるオリバー様に、愛しさが募らないはずがございません。

 今宵はどのようなお声を聴かせていただけるか楽しみに、わたしはオリバー様の手を握り返しました。

 わたしの主人は、本当にお可愛らしい方でございます。

 だからこそわたしは、お仕え続けさせていただけているのでございます。

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