第4話 あなたのお年はおいくつですか(中中)

 さて。適当な年代からそれっぽく重耳ちょうじの年齢をひねり出したのですが、説得力はもちろん無く、整合性もありません。


 この際、史学しがく的に正確かどうかなど、どうでもよろしい。


 私が納得し、小説を書く上で整合性が無いと、座りが悪い物です。こんな、フレンチトーストを土台にしたような計算で、重耳ちょうじ武公ぶこうが死んだ年に5歳! と言っても鼻で私が笑います。


 そのようなわけで、逆算による裏取りを行います。


詭諸きしょたんの寝取り発覚、しょうの妊娠は紀元前684年前後ではないか』


 これは、武公ぶこうが紀元前716年即位23歳という仮定より、この時期、


 ・当時としては老年ともいえる50代で分家のままの君主として焦っていたのでは無いか

 ・そのため、本家の旧勢力への攻撃、正式な晋公になるため周王への工作、周辺国家との工作と忙殺されていたのでは無いか

 ・ゆえに斉(山東省)から晋(山西省)に嫁いできた若いしょう、名を『斉姜せいきょう』を閨房に放置していたのではないか(何度も申し上げますがしょうは側室程度の意味であり、正式な妻の一人です。日本のメカケとは意味が変わります)。


 という推測というか妄想が基盤となっています。この前提により紀元前684年前後


 ・息子の詭諸きしょたんは政略結婚の正室より、父のしょうである斉姜せいきょうに愛情を感じ密通し、妊娠発覚(漢代以降の後宮と違い、当時の『後宮』は後継者製造施設ではなく君主家族のプライベート空間であったことが窺え、出入りの自由さがわかります)

 ・詭諸きしょたんと斉姜せいきょうから生まれたのは長女(穆姫ぼくき


 ということで、仮に紀元前684年に長女・穆姫ぼくきは生まれたということにいたしましょう。


 さて、この穆姫ぼくきは名が付いているだけに、史書にて記されています。当時の秦公しんこう穆公ぼくこうの正室です。穆公ぼくこうに嫁いだ姫姓きせいの娘だから穆姫ぼくきなわけですね。(晋室しんしつせい


 彼女は紀元前645年、長男、長女を伴い左伝に登場。この長男が穆公ぼくこうを継いだ康公こうこうですが、まあそこはともかく。

 穆姫の年齢は40歳となります。長男、長女の年齢によりますが、なかなかに悩ましい年齢。

 秦穆公しんぼくこうは紀元前659年にようやく即位です。このとき穆姫は計算上26歳。少々行き遅れ感が強いです。


 ではこの紀元前645年、重耳はというと、36歳となってしまいます。紀元前666年に防衛を命じられて蒲邑ほゆうに飛ばされているのですが、そのときの年齢が15歳という若さに。


 つまり、逆算の結果、


 穆姫の年齢は少々高すぎる反面、重耳が少し若すぎる。重耳が若いと言うことは夷吾いごがさらに若くなる。いや夷吾たんは永遠の14歳でいいのでもういいかな若くて。


 もう嫌だよ、おっかさん。詭諸きしょたんちの四兄弟。

 長女・穆姫ぼくき! 晋のために夫との子供を人質に焼身自殺脅迫!

 長男・申生しんせい! ファザコンやばすぎて父の虐待を受け入れ自殺!

 次男・重耳ちょうじ! 強権覇者! 人の話を聞くのが長所! 短所は陰険鈍重!

 三男・夷吾いご! 挨拶ひとつで『長生きしねえわ』と言われる浅慮軽薄!


 キャラ濃いなおまえら!!!


 詭諸きしょたんの、長女長男が斉姜せいきょうの子。次男が狐氏こし長女の子、三男が狐氏次女の子。ここ姉妹丼。古代中国あるある。


 さて、詭諸たんは、斉姜を愛し暴走したことがわかるように、社会性がどうも欠けている君主です。武公が勝ち取った晋を拡張し周辺国家を平らげたという点は評価される部分がありますが、政治がよくわかっておらず、感情で動く困ったちゃんです。


 そういう情の厚さから、長女・穆姫と長男・申生しんせいは年子になってもらいました。これがギリギリです。これ以上穆姫の誕生を早めると、婚姻が三十路です。遅くすると重耳や夷吾の年齢が低くなりすぎます。


 その関係から、狐氏は申生誕生後に嫁入りしたと考えた方が良いかと思われます。跡継ぎ誕生祝いなどと言って送っても別に不自然ではない。政治的なつながりのための結婚ですから。


 それで、重耳がすぐ生まれても1年早くなるだけ、という程度ですが紀元前666年に防衛を命じられて蒲邑に満年齢16歳。数え17歳となりますので、国語の『17歳で狐邑こゆうへ行った』と、場所は違いますが『国での移動』という意味では同一となります。

 また、史記の『17歳で賢人を集めていた』という記述を、蒲邑への移動で信頼できる家臣を見極め連れて行ったとなれば、符号も合うでしょう。いや、史記の『詭諸たんが即位したときに21歳だった』で符号もくそもないこじつけ感と違和感すごいですけど。


 さて。長々と詭諸四兄弟特に重耳の年齢をあれやこれや模索しておりましたが。郤缺げきけつの父である郤芮げきぜいを処刑し晋を掌握したのが46歳となり、死亡した紀元前628年が54歳。


 当時の貴人の死亡年としては、珍しくない年齢でしょう。


 この重耳への態度や、子供の立ち位置からこの時期のきょうの年齢を以下のように設定しなおしました。と言っても少々調整したのは趙衰と先軫です。

 欒枝らんし→55歳

 趙衰ちょうし→53歳

 胥臣しょしん→57歳

 先軫せんしん→51歳


 重耳政権は前回も申し上げましたが、重耳と極めて年の近い『サークル』感覚がありますので、近い年齢から、あとは進言内容などから年齢を捏造しております。


 この欒枝55歳から欒書らんしょの年齢を推測という名の捏造をするのは今までに比べればかなり楽になってきましたが、油断は禁物です。


 そのようなわけで、欒枝で止まったまま、次こそ欒書の決着です。


■□■

重耳と重心たちが出ております、拙作。

父の仇に許された

https://kakuyomu.jp/works/16817139555463331404

欒枝は主役を見いだし導くオジサマとして活躍してます。重耳だけに命を賭けて仕える重臣と、国を見て仕える欒枝などの不協和音が序盤に楽しめます。




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