第2話 あなたのお年はおいくつですか(前)

 春秋左氏伝しゅんじゅうさしでんという本は編年体へんねんたいでして、年ごとに各国の動向を記載しているオフィシャル系歴史書です。ゆえに、個人のプライベートはほとんどわからず、生没年が全くわからない人間がほとんどです、各国君主の即位年と没年がわかる程度。


 ちなみに春秋時代しゅんじゅうじだいは、次の戦国時代せんごくじだいのようにある程度自立した国家を滅ぼし併呑へいどんするということは日常茶飯事ではございません。併呑されるのは町内会レベルの極めて小さく名も残っていない国で、代表的に数えられる十二の国などは戦争しあい土地を奪い合っても滅ぼしあうという概念はあまり無いです。


 これが、現代の人にエンターテイメントとしていまいち伝わらない。現代だって都市を奪っても国を滅ぼし尽くすような戦争はめったに起きてないじゃないですか。それと同じなんですよ。


 しゅうという『天皇兼征夷大将軍せいいたいしょうぐん』に爵位と共に国(ヨーロッパでいう領地ですね)をもらった侯爵や伯爵が、勝手に国際紛争を行っているのが春秋時代です。これに異民族襲来が起こるため、『周を尊んで夷狄いてきを払う、尊皇攘夷そんのうじょういな国際連合作ろうぜ! 俺がトップな!』と言い出したのがせい封神演義ほうしんえんぎで有名な太公望たいこうぼうが開祖)で、これが春秋時代に生まれた『覇者はしゃ』というシステム。


 この『尊皇攘夷』を形骸化させ、覇者を『国際連合トップとして皆を束ねるから言うこと聞け』という強権軍事同盟制度に変質させたのが、しんであり、カクヨムコン新作の舞台、中心地です。ろくなもんじゃあないですね。こういった変遷へんせんを記述から読み取っていくのが歴史の醍醐味だいごみでしょう、そして話がずれました。


 年齢ですよ。年齢。


 主人公である欒書らんしょの年齢がわからないと書きようもないですね。


 もちろん、生没年記載どこにもねえよ!!!!! 超名門の良血のくせに!


 それでは父親の欒盾らんとんの年齢を探りましょう。――紀元前615年に下軍かぐんしょうという記述のみ。


 左伝で名前と役職のみ終わり!! ちなみに六大臣席次5番目・三軍制将軍の一人の意味。


 大丈夫です。名門ですから、祖父がいます。


 欒枝らんしです。


 拙作『父の仇に許された』序盤のキーキャラクターで主役の相棒兼愛人です※おっさん。紀元前633年に下軍かぐんの将となっています。


 そしてこの紀元前633年以前の記述が無い。没年が紀元前622年というわかっている珍しい人ですが、引退前に死亡したこと、そして当時大臣が一気に四人なんでか死亡したからでしょう。いやでも紀元前633年以前がないため、死亡年齢がわからないのは同じ。


 しかし、大丈夫。名門ですから、曾祖父がいます。

 欒成らんせいです。拙作『創世記』の主人公です。

 紀元前709年に戦死しています。


 …………。

 ……………………。


 ちょっと待て。


 欒枝らんしの最盛期とも思われる紀元前633年と欒成らんせいの死んだ紀元前709年は単純計算76年の差がありますね。たとえ欒成らんせいの死亡時に欒枝らんしが母の腹の中に入っていても、紀元前633年では70代。翌年の紀元前632年の晋楚しんそ大戦『城濮じょうぼくの戦い』にて70代で先陣を務め敵をおびき出したことになります。


 んなわけあるかい、今より栄養状態が悪い古代にそんな健康的すぎる70代がおるか。


 清代しんだいの春秋狂いもとい熱心な学者の春秋大事表しゅんじゅうだいじひょうには、欒成の息子が欒枝とされています。長い歴史の中でここは疑われることがなかったのでしょう。


 いやさあ。


 無理あるでしょ。


 絶対に、間に一人いるか、欒成の死亡がずれてるでしょ。が。欒成の死亡は、左伝さでんのほか、当時の逸話集を記述した国語こくご晋語しんご司馬遷しばせんが心血注いで作った史記しきの年表でも確認できるので、ここは動かせません。


 これ、間に一人誰かおったんやろ? 欒成らんせい欒□らんなにがし欒枝らんしでないと、欒枝は90歳前後で死亡したことになります。ははっ


 しかし、謎の欒□は史書にはかけらもおりません。あくまで、欒成の息子は欒枝とされています。


 私は欒枝を書くにあたって、この時空の歪みを無視することにしました。欒枝の性格形成上、晋公室の争いに巻き込まれ一族を二分して闘う羽目になった欒氏の過去、欒成を己が仕える君主の祖父に殺されたエピソードを無視できなかったからです。


 そして、春秋時代の史書にはよくある時間のねじれ時空の歪みなのてす。


 では、気を取り直して。

 くり返しますが、さすが名門です。欒書らんしょは高祖父の記録もあります。その名を欒賓らんぴんといい、欒成らんせいの父です。


 もちろん、生没年不明です!


 挫けそうですが、彼が仕えたしん文侯ぶんこうきゅうと晋の桓叔かんしゅく成師せいしの生没年が比較的はっきりしているのです。やったー!!


 文侯 紀元前805年〜紀元前746年

 桓叔 紀元前802年〜紀元前731年


 欒書らんしよの左伝デビューは紀元前597年やぞいいかげんにしろ。200年さかのぼれってか?


 ところで欒書らんしょ、すごく名門です。晋公室しんこうしつから分かれた公子であることもわかっています。


 初代の名は子欒しらんと残ってますが、当時のルールに則ると、あざなでしょう。


 アザナが何かって? 他人が呼んでいい名前だよ。伊達藤次郎政宗だって、本来は藤次郎って呼ばれてたと思うのね。政宗はいみな。アザナはその強力版。


 欒書らんしょをお友達が『しょ』とか呼んだら殺されてもおかしくないからね。日本の言霊信仰に近いかもね。


 さて。らんの出典が、地名なのかはわかりません。子欒の文字が欒氏らんし氏族うじぞく名の元になったと考えてよいでしょう。


 晋公しんこう六代目、靖侯せいこうの時に分かれたとされてます。在位期間は紀元前859年〜紀元前841年。


 春秋時代始まってません。

 春秋時代始まってません!


 いやまあ、これはついでのようなもの。

 拙作には


 欒成らんせい(主役)※創世記

 欒枝らんし(主役を囲ってた)※父の仇に許された

 欒書らんしょ(主役の幼馴染の父)※青春怪異譚&新作主役

 欒黶らんえん(主役の幼馴染)※青春怪異譚


 と欒氏の人物がそれなりに出てきます。


 拙作『父の仇に許された』では主役の郤缺げきけうが『欒氏の血の古さ』を意識するシーンもあります。郤缺げきけつは公室から分かれてたった四代目の若い氏族です。記録はないですが状況として前述の桓叔かんしゅくの孫が一代目でしょう。


 それに比べて欒氏は300年近くの歴史を持つ名門大貴族。幾多の戦乱内乱を晋と共に歩み、滅ぶこともない。


 なのにお前ら生没年不明かよ! いや二人没年分かってる。なんだお前ら奇跡の一族かよ(本当に生没年が分からない大臣まみれなのだ)


 この場合、全く分からない欒氏らんしと判明してる文侯ぶんこう桓叔かんしゅくだけで欒書らんしょの年齢を妄想することは不可能です。推測などできようもないですが、妄想も手がかりがなければ幻覚です。


 たとえ妄想としても整合性が欲しいところ。


 周囲――つまりは生年が分からない君主や、生没年不明の同僚たちをさらに洗い出して、決め打ちしていくということです。


 実は10年以上前にそのようにして『年齢妄想年表』を作っていたのですが、今見ると精度の低さや取りこぼしもあり、資料の精査が必須レベルなのでした。


 と! 言うことで、無事、小説の主人公は年齢がわかるのか!?


 せめて、二十代後半とか、三十路前半とか、三十路後半とかざっくりでいいから、見えてきますように!


 みなさんは歴史上の人物の年齢をどのように調べ、逆算などされてますか? 教えてくださると嬉しいです。


 私は最終的に勘です。


 後半に続く!


■□■

作中の欒氏が特に活躍する拙作は以下です。

創世記

https://kakuyomu.jp/works/16817330662502026894

欒成を主役として晋の行く末と少年君主との絆をえがいてます。


父の仇に許された

https://kakuyomu.jp/works/16817139555463331404

欒枝は主役を見いだし導くオジサマとして活躍してます。おっさんとおっさんのBLから始まり大河ドラマが展開されてます。


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