跳躍・日本武術異名録

明丸 丹一

藤堂王可 秘剣きっちり

 伊予松山の浜は冬でも白く霞む。潮風が砂丘を削り、海鳥が低く鳴く。その海原を背に立つ浪人の装いの男の名は、藤堂王可とうどうおうか

 彼は隠し武器か秘剣の類なのか、『きっちり』の使い手として知られていた。


 伊勢の藤堂高虎の末裔とも、新選組は藤堂平助の遠縁とも言われるが、その出自は霧の中にある。本人に問えば、にやりと笑ってこう答えるだけだ。


「日本随一の道を極めた者――そう呼ぶ者もいるがな」


 王可の剣は、誰に学んだものでもない。海獣・胡獱トドの動きを写した形象剣法ゆえに『胡獱流とどりゅう』とも、また自らの名を取って『王可流おうかりゅう』とも呼ばれた。潮の流れを読むように構え、波の切れ目に踏み込む。形に囚われず、実戦の理を重んじた。

 その口癖はただひとつ――


「面白ければなんでもいい」


 彼は奇人でもあり、異食家だった。旅の途中で捕らえたサソリや大蜘蛛を、毒を抜き炙って食う。人が眉をひそめても、彼は楽しげに言う。


「毒も薬のうちだ。体に入れて分かることがある」


 毒の巡りを感じ取ることで、気の流れを悟る。そんな禅めいた論を信じていた。


 また、能筆家だった。稽古の合間に筆をとり、思索を思うまま、紙片に残す。残された書にはこうある。

「なるべく弱者をいたぶりたくはないこと」「醍醐と牛鍋は合わないこと」「艶話は情熱ではなく設計であること」「自分は料理人ではないこと」

 乱筆ながらも気韻が生きており、風そのものが墨に乗ったようだった。


 春のある日、松山の町が騒然とした。地主のせがれが遊びの果てに人を傷つけ、蔵に立て籠もったのだ。権家の子ゆえ誰も手出しできず、町役人すら腰を引いた。そこへ王可が現れる。


「言いたいことがあるのなら早く吐き出すがよい。面白ければ聞いてやる」


 戸を叩くと中から怒声が聞こえた。ほぼ同時に飛び出てきたせがれが何かをわめきながら刃を突き出したが、王可は一歩も動かず、その眼光で対手を射抜いた。腕が震え、刃先が落ちる。ついには小刀を取り落としてしまった――これが『気当たり』である。


 王可はにこりと微笑すると静かに言った。


「わかったなら、それで終いだ。だが罪は残さない」


「え―—」


 風が止んだ。せがれの腹に王可の剣が生えていた。秘剣『きっちり』である。傷は小さく、血も少ない。だが肝の一点を穿つ。命の灯はゆっくりと沈み、助かっても生涯その痛みが残る。

 それが藤堂王可の『きっちり』――罪と罰を秤にかけ、どちらも逃さぬ絶技だった。


「肝の気をちょいと散じた――ゆえに『気散きっちり』。大層な異名の由来などそんなものだ。おぬしが死すか生くるかは罪の多寡しだいだ」


 そこでせがれは血を吐きながら言った。


「ありがとう……俺は、生まれ直せる気がする」


 王可は何も答えず、松山の町に背を向けた。


 その後の足跡は定かでない。ある者は「大陸へ渡り、かの地で馬賊の首領となった」と言い、またある者は「毒に中り、衰える前に自ら潮に身を沈めた」と語る。


 王可の流派は、時とともに名を変えた。ある者は『胡獱流』と呼び、ある者は『王可流』と記した。やがて名と象が一体となり、のちの世の人々はそれをひと続きにして呼んだ――


『トドオカ流』と。

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