第9話 吐露

二人は並んで、砂浜に腰を下ろした。

足もとに寄せては返す小さな波が、そっと肌をなでる。

冷たさがじわりと伝わり、指先の感覚が現実を思い出させた。


TDは手のひらですくい上げた砂を、ゆっくりと指のあいだからこぼした。

細かな粒が風に乗り、淡く空へと舞い上がる。


波の音に紛れるように、TDがぽつりと言った。

「ねぇ、これが仮想空間なんだよ。信じられる?

 ――現実との違い、わかる?」


少し間をおいて、波がまた寄せてくる。

「テルってさ、変な都市伝説を信じててさ。

 私の“趣味”を心配してくれてるんだよね。

 ――ほんと、余計なお世話なんだけど」


「公安マーク? そんなの誰だってされるよ。

 この環世界じゃ、すべての会話ログが監視されてる。

 キーワードひとつで、すぐ“要注意タグ”がつく。

 ――この会話だって、もう付いてるかもしれない」


TDは、砂を見つめたまま小さく笑った。

「そう。でもね、私が集めてるのは“ノンタグDNA”。

 管理から外れた、匿名の遺伝子。

 だから、マークされて当然でしょ。

 本当にこれを買う人がいるかなんて知らないけど、

 ――いたら、きっと近づいてくる。テルや、チート君みたいに」


「……その“チート君”って呼び方、やめてくれない?」

「だったらさ、そんな趣味やめればいいじゃん」


「いいじゃない。――チートしたのは事実でしょ?

 てっきり、あなたも“消える”かと思った。チャーリーはそうなったわ。

 せっかく努力して、採用試験まで辿り着いたのに、

 経歴に傷がついた瞬間、あの子は自分を消した。


 でも、あなたはその“傷”を抱えることにした。

 いい判断だと思うよ。

 こうしてまた、私と並んで話ができるんだから。

 ――自分の判断を、誇りなさい」


TDは、そっと顔を寄せてきた。

唇が触れる。

「その判断の、ご褒美」


……ずいぶん上から目線だよな。


TDは静かに立ち上がり、ゆっくりと服を脱いだ。

夕陽に照らされたその輪郭が、赤く滲む。

髪が潮風に揺れ、

完璧とは言えない体の線が、どこか人間らしくて、

――美しいと思った。


ふと、肌にいくつかの古い傷があることに気づく。

以前は気づかなかった。

その傷が、やけに現実的だった。


TDは振り返らずに、小さく呟いた。

「何も言わないのね?」


「夕陽に照らされて、綺麗だ。」


「違う、体の傷のこと。

 テルはね、すぐに聞いてきたの。『どうした?』って。

 でも、キミは何も言わない。

 今も、気づいてたはずなのに」


「……」

本当に、前回は気づかなかった。

でも、今は――聞くべきじゃない気がしていた。


「テルとは、あれからアバターを変えて、別れることにしたの。

 でも、“傷は残した”。」


波の音が、ふっと遠のく。

「ねぇ……私たち、人間なの?」


そんな疑問、いままで思ったこともなかった。

自分はそれを、何の疑いもなく受け入れていた。


「確かに、会話は記録され、仮想もリアルも区別のない世界に生きている。

 五感の神経通信がある限り、すべては環世界の掌の上。

 この掌から逃れるには、脳が反応しない未知の反応でも起こすしかない」


「でしょ? …ノンタグDNAから生まれた人間なら、それができるかもしれない。

 そう思って、コレクションを始めたの。

 体に傷をつけなくても、自分の存在を感じられるように。

 ――だって、痛いじゃない」


TDは少し笑って、潮風の中に目を細めた。

その笑顔が、どこか人間らしくて――

怖いほど、綺麗だった。


「消えるの?…そんなことを話すなんて」


「何? また自分が傷つくのが嫌なの? そんな心配して、

 今は、消えないと思う。…ただ、自分のことを誰かに話したかっただけ」


「そうだね。自分の心配なのかな。

 テルが“本気にはなるなよ”って言ってたけど、

 ――本気なら、守れってさ」


笑いながら、TDは言った。

「今の“そうだね”は許してあげる。

 これで私が消えたら、またテルやキミを悲しませるからね。

 ――君たちの女王様、太陽だもんね」


「多分、それは違う」


二人で、大笑いした。

そして、ボクの手を引き、浅瀬に入り、水を無邪気にかけあった。


できれば、そんな危険なコレクションは、一刻も早く捨ててほしかった。

でも、それを言ったら、テルと同じになる。

守らなきゃ――ただ、それだけかな。



完 (仮)






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