となりのメリーちゃん
スター☆にゅう・いっち
第1話
昭和のブラウン管を彩る国民的アイドル、歌姫・天童芽理(てんどう・めり)。
ファンは親しみを込めて「となりのメリーちゃん」と呼んだ。
愛らしい笑顔、少女漫画から飛び出したような丸い瞳。伸びやかな歌声は茶の間を明るく照らし、子供から老人まで誰もが憧れた。街角のレコード店には、芽理のポスターが必ず貼られていたし、商店街を歩けば「メリーちゃんカレー」「メリーちゃん人形」と、彼女の名前を冠した商品があふれていた。
だが、舞台のライトが消えた瞬間に残るのは、ただのひとりの少女だった。
地方巡業から戻ればすぐにテレビの収録。休む間もなくラジオの生放送へ駆け込む。睡眠時間は連夜三時間に満たず、栄養剤と気力だけが彼女を支えていた。
「休めば人気が落ちる」――マネージャーは冷たくそう言い放ち、反論は許されない。ファンの歓声に包まれても、心を許せる友人は一人もいなかった。
深夜。仕事を終えて小さなマンションの一室に戻ると、芽理は必ずベッドの端に腰を下ろし、涙をこぼした。
「わたしはひとりぼっち……いつか王子様が来て、しあわせにしてくれるの?」
かすれた声でそう呟き、ドレッサーの鏡を見つめる。そこに映るのは、ステージの華やかさとは別人の、目の下に隈を浮かべた少女だった。
――そのときだった。
鏡の奥が、ゆらりと歪んだ。
そこに現れたのは、黒いマントをまとった老婆。顔はしわくちゃで、ぎらついた眼だけが異様に光っている。
芽理は悲鳴を上げようとしたが、喉が痺れたように声が出ない。身体も石のように固まっていた。
「そうかい」老婆はくぐもった声で言った。「それじゃあ、王子様のところへ行くかい?」
恐怖と期待がないまぜになり、芽理はただ目を見開いた。老婆はにやりと笑い、杖を鏡の内側で振り下ろす。
――ぱん。乾いた音が響いた。
次の瞬間、楽屋の白い壁も、蛍光灯の光も消え、芽理は見知らぬ大広間に立っていた。大理石の床、豪奢なシャンデリア。階段の上から現れたのは、金色の衣をまとった若き王子。
二人は目を合わせ、その瞬間に恋に落ちた。
……だが、それは芽理の物語。こちらの世界には、もう一人の「芽理」が残された。
老婆は土くれをこね、泥人形に魔法をかけ、彼女と瓜二つの姿を与えた。歌声も真似できる。だが、決定的に違うものがあった。
そこには生気がなかった。感情も温もりもない、ただの抜け殻だった。
ステージで歌う「メリーちゃん」は、次第に笑顔を忘れ、ファンの声援にも無反応になった。テレビの司会者が冗談を言っても笑わない。曲は同じでも、心を揺さぶる響きは消えていた。
人気は急速に冷め、やがて歌番組から姿を消した。
時は流れた。
芽理の名は過去のものとなり、週刊誌の片隅に「元国民的アイドルの転落」と小さな記事が載った。借金に追われ、住まいはごみ屋敷のように荒れ果て、生活保護にすがる日々。
それでも、かつてのファンの中には彼女を見捨てきれない者もいた。かつて彼女の歌に救われたという中年の女性が、募金を呼びかけ、施設に入れるための資金を集めた。そうして芽理は老人施設に迎えられたが、そこに暮らすのは――瞳の光を失った、空っぽの人形のような女だった。
――では、本物の芽理はどうなったのか?
異世界の王子に愛され、白雪姫のように幸せな結婚をしたのだろうか。
それとも、あの老婆の手のひらの上で踊らされているのだろうか。
だが、繰り返す。
本物の芽理の運命など、こちらの世界にとってはどうでもいいのだ。
残されたのは、ただ空っぽの「となりのメリーちゃん」だけだった。
となりのメリーちゃん スター☆にゅう・いっち @star_new_icchi
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