SNS文芸部投稿作品

つじ みやび

空を見上げる

 夜勤なんてするもんじゃない。お腹は空くし、肌は荒れるし、夜勤明けなんて休んだ気にならないし。

 私はそんな気持ちを抱えながら、パソコンに向かっていた。時刻はとっくに日付を超えていて、藁人形でもあれば木へ打ち込みに行くような時間帯。


「ね、お月見しようよ」


 そろそろ休憩しようかなと体を伸ばしていた時、今日のもう一人の生贄、チームリーダーの五十嵐さんが声をかけてきた。


「あー、中秋の名月ですか? ちょっと遅くないです? 九月ですよね、中秋の名月って」


 私はパソコンの右下を見る。今日は十月一日。


「今年は十月六日らしいから、まだなんだな〜」


 五十嵐さんがメガネを外し、眉間を揉みながら言う。しごできキャリアウーマンって感じでかっこいい人なんだけど。仕事で忙しくしていた間に、旦那が不倫していたらしい。

 最近発覚したらしく、先週開催されたプロジェクトの飲み会では大変荒れていた。


「寂しいんですか?」

「あんたデリカシーってもんを……まぁそうなんだけど」


 大きなため息をついて、五十嵐さんが背もたれに体重をかける。


「毎年夫……いやもうすぐ元夫か、まぁ彼とお月見してたのよね。なんか、今年もそのこと思い出しちゃいそうで」

「あー」

「だから、もっと楽しい記憶で上書きしてやろうと思って。むかつくじゃない、私一人だけ寂しい思いするの」

「なるほど」


 確かに、悲しい記憶になってしまったなら上書きしてしまえ、という気持ちもわからないでもない。


「私でよければお付き合いしますけど、良いんですか?」

「貴方とがいいのよ。1回サシで話してみたかったのよね」


 そう言って、五十嵐さんは悪戯っぽく笑う。


「ね、元義妹いもうとさん」

「それは言わないお約束ですよ、元義姉ねえさん」


 元義姉妹の私達の関係は、そう悪いものじゃない。我が家の長男という共通の敵がいるので、何なら仲は良かったりする。

 たまたま同じプロジェクト配属である事が判明してからも、特に支障なく仕事はできているくらいなので。流石にお月見に誘われたのは初めてだけど。


「ちなみに、お月見の用意はあるんですか?」

「もちろん。今日の夜勤は斎藤さんとお月見するのを楽しみにしてたんだから。ええっと、お団子替わりのマシュマロでしょ、あとあったかい紅茶。私は煙草も用意してるわ」


 ごそごそと机の中から袋を出しながら、五十嵐さんはそんな事を言う。


「なんでマシュマロなんです?」

「だってお団子って、時間経つと固くなっちゃうじゃない。だからおんなじ白くて柔らかいもので代用しようと思って」


 美味しくなくなっちゃうの嫌だもの、と口をとがらせて言う五十嵐さんは、同性の私から見てもかわいらしいと思える愛嬌があった。

 本当、兄さんは馬鹿なことをしたなぁ。こんなに良い人を手放して何がしたかったんだろう。


 私は作業中だったデータを保存し、伸びをしてから言った。


「私、今ならキリがいいので、いつでもいけますよ」

「やった、じゃあもう今から行っちゃいましょ」


 五十嵐さん曰く、野外の喫煙スペースから空が比較的広く見えるらしい。今の時間なら人もそう居ないだろう。


「ちょっと煙草くさいけど、いいかしら」

「もちろんです。私、義姉ねえさんの煙草の匂い、好きなので」

「え~! ちょっとやめてよ、恥ずかしいじゃない」


 ロッカーへ向かって、カーディガンを羽織ってから外に出る。この時期になると夜は冷え込むな、そろそろ夜冷房無くてもいいかもしれない。そんな事をぼんやりと考えつつ、空を見上げた。


「中秋の名月の日じゃなくても、結構綺麗に見えるもんですね」

「本当ね。良かった、天気よくて」


 言いながら五十嵐さんは袋の中から紙コップを出し、1つ私に差し出した。


「はい。紅茶、熱くないはずだけど、気を付けてね」

「あ、すみません。ありがとうございます。いただきます」


 五十嵐さんは気にしないで、と言いながら紅茶を入れる。自分のコップにも紅茶を注いで、私の方を見た。


「じゃあ、乾杯でもしとく?」

「そうですね。えーでは。無事に夜勤が終わることを祈って」

「乾杯」


 こつんとお互いのコップを軽く合わせてから飲む。たしかに紅茶は程よい温かさで保たれていて、じんわりと胃のあたりが温かくなってゆく。


「マシュマロも自由に食べてね」

「ありがとうございます。袋開けちゃいますね」

「うん、お願い」


 袋を破ってお互いが取りやすいように置く。五十嵐さんは早速煙草に火をつけていた。


「紙煙草に戻したんですか?」

「もう気使わなくてよくなったからね」


 くすくすと笑って、たばこに口をつける。

 たしか、結婚してすぐの頃に兄と喧嘩したって言ってたな。女が煙草吸うとか信じられないとか、何とかで。そもそも付き合ってる時に気づくでしょって話だ。折衷案として電子タバコに切り替えていたはずだ。


 私は紅茶をちびちびと飲みつつ、そっと煙草を吸う五十嵐さんを覗き見る。

 すぅ、と吸ってぷかりと煙を吐き出す五十嵐さん。うん、かっこいい。ちょうど吐いた煙が月の方に流れていくのが、なんだか雲みたいで良いな。煙をはききると、五十嵐さんは口を開いた。


「あいつ、今頃楽しくやってんのかな」

「どうせ女の人にでも殴られてるんじゃないですか?」

「はは、たしかに。殴られていなくとも、そこそこひどい目に合っていると良いな」

「少なくとも、正式に我が家から勘当はされましたよ」

「聞いた聞いた。斎藤家も災難ね~」

「そうでもないですよ?」


 私はマシュマロで甘くなった口内を、紅茶で潤しながら答える。


「少なくとも、五十嵐さんとの縁はできましたし。良縁かは……分かりませんけど」


 五十嵐さんは目を何度か瞬かせたあと、笑みをこぼしながら言う。


「嬉しいこと言ってくれるじゃない」

「またいつでも頼ってねと、両親も言ってましたよ」

「じゃあまた遊びに行こうかしら」

「是非」


 そうして月を見上げる。

 煙草の匂いと、お月見もいいものだ。


「月、綺麗ですね」

「ええ、ほんとうにね」


 ぷかりと、煙が宙を漂った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

SNS文芸部投稿作品 つじ みやび @MiyabiTsuji2525

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ