第10話 こんなシャンパーニュ地方のない世界でシャンパンなんて


 良く晴れた秋の日、ルミナとソルとディアナは、自転車に荷物を積んでお隣の12の塔に向かった。荷物は、畑で栽培して先日収穫した、アニスやクミンといった香草の種子や、ローズマリーや月桂樹の葉だ。12の塔の魔女ヴェスタは料理の魔女。料理に使える香草の納品を依頼され、量が多いのでこうして配達に来たのだ。


「ルミナ、運んでくれてありがとう!ソルちゃんとディアナちゃんもいらっしゃい!」


 金色の巻き毛のややぽっちゃり気味の魔女が門で来客を出迎えた。塔の主、料理の魔女ヴェスタだ。彼女は、香草を倉庫に運び入れると、友人の魔女と猫と幼女を塔の一室に招いた。部屋のテーブルの上にはご馳走が並んでいた。


「お昼まだでしょ?いっぱい食べていって。ソルちゃんは鶏のささみを使った新作の猫用料理を召し上がれ」


「ありがとうございマス!」

「ご馳走になります」


 幼女と猫はお礼を言ってテーブルに向かった。ルミナも「ありがたくご馳走になるわ」と言って席に着いた。


「ソルちゃんには美味しいお水、ディアナちゃんには葡萄果汁グレープジュース、私たち大人はシャンパン」

 ヴェスタはそう言って、浅皿に水を入れ、椀に果汁を注ぎ、シャンパン瓶の針金で固定されたコルクを開けた。ポン、と音を立ててコルクが抜け、ヴェスタは細長いグラスにシャンパンを注いだ。グラスの中で金色の泡がしゅわしゅわと音を立てて弾けた。


 ディアナは激しく咽た。


「ディアナ様、大丈夫ですか?」

 ソルが前足でディアナの背中をさすった。

「ダ、ダイジョウブ。それよりも今、シャンパンって言ッタ?」


「え?ええ。北の修道院で作られているシャンパンよ」

「その修道院ッテ、シャンパーニュ地方にアル?」

「そんな名前の地方は聞いたことがないわ」

「ダレがシャンパンって名前を付けタの?」

「たしか、このシャンパンを発明した修道士よね。100年ちょっと前の人よ」

「シャンパーニュ地方のない世界で作ッタ発泡酒をシャンパンと名付ける修道士。ソレハもう転生者ダロウ……」


 本当はスパークリングワインって言わなきゃなのにシャンパンって名乗ったら、時空を超えてシャンパン警察がガサ入れに来るかも、などと何やらぶつぶつ呟く幼女は放っておいて、魔女と猫は乾杯して食事を始めた。


「美味しい。久しぶりにシャンパン飲んだわ。製法が秘匿されて北の修道院でしか作られていないから、なかなか手に入らないのよね」

「今回、教会と仕事したので、その伝手で手に入れたの」


「……タブン、製法ワカル……」

 葡萄果汁をちびちび飲みながらディアナが言った。


「もしかして、前世の記憶?」

 ルミナに問われて、ディアナは頷いた。

「100年前の修道士も、ディアナ様の前世と同じ世界から来た転生者だったのですね」

 ソルの言葉に、ヴェスタは「うあ~」と呻いた。


「シャンパンの製法、知りたい!でも知ったら作りたくなっちゃう。教会の権益を魔女が侵したら、また魔女狩りが始まっちゃう!だから言わないで、ディアナちゃん」


「ハイ……」

 幼女が頷き、3人と1匹は食事を始めた。野菜たっぷりのラタトゥイユ、スープは黄金色のコンソメ、メインは鴨のコンフィ、パンは香ばしい焼きたての田舎パンカンパーニュ。料理の魔女の作る料理はどれも絶品で、ルミナたちはついつい食べ過ぎてしまった。

「もう入らない……」


「デザートは別腹よ!」

 そう言って、ヴェスタはキャラメリゼした林檎が乗ったパイをテーブルの上に置いた。

「タルトタタンよ!」

 林檎のお菓子を切り分けてサーブするヴェスタに、幼女が恐る恐る訊ねた。

「あの、モシカシテ、このお菓子も例の修道士が?」


「よく分かったわね。そうよ、タルトタタンも北の修道院の修道士様から生まれたの。他にもカヌレやシュークリームにエクレア、あ、あとマドレーヌとラングドシャも。シャンパンと違ってお菓子のレシピは秘匿されず、レシピ集が修道院から出版されているから大丈夫よ」


 やりたい放題だな修道士様、とディアナは呟いた。彼の前世はパティシエだったのだろうか。しかし、彼のおかげで、ディアナが前世知識で料理開発して金儲けするのは難しそうだ。


(いや、お菓子以外ならいけるか?)


 後でヴェスタに相談しよう、とディアナは思った。


*****


 秋の間、ディアナは、ルミナの畑の収穫と薬草の下処理を手伝い、森に栗拾いに行き、村に遊びに行き、その合間にミネルバと自転車を改良して試作と試運転を繰り返し、ヴェスタと前世の料理の再現を試みた。

 米と海産物が入手困難なので日本料理の再現はできなかったが、小麦を使った中華料理、特に点心は再現できるようになった(手に入らない調味料や香辛料が多いので、『なんちゃって点心』になってしまったが)。


「餃子美味しい」

 ルミナが羽根つき餃子を気に入り、13の塔の定番メニューとなった。羽根つき餃子を点心に分類するべきか否かは専門家の判断にゆだねたい。


 秋のある日、ディアナは4歳の誕生日を迎えた。ルミナは子供向けの絵本を贈り、ソルはこれから来る冬に備えて手編みの手袋を贈った。その日の夜は食卓にいつもより豪華な料理が並び、ヴェスタがディアナの前世知識から再現したシフォンケーキを焼いて祝った。


 春に姉姫アウロラの誕生日が国を挙げて盛大に祝われたことを思い出し、ルミナは少し苦い気持ちになったが、ディアナが嬉しそうなので良しとした。


*****


 王国の秋は足早に過ぎ、気が付けば初雪が舞う冬になった。

 魔の森は豪雪地帯だ。雪が本格的に降り出すと、外での作業は困難になる。冬の間、ディアナはルミナとソルと塔に籠り、貴族の礼儀作法や、簡単な文字を教わった。

 そして雪が止んで青空が見えると外に出て、雪かきをした。なお、雪が積もって1階からは出られなかったため、2階の窓から脱出した。


 雪かきは、ルミナが魔法でささっと雪を動かして道を作った。シャベルを持って雪かきするつもりであったディアナは落胆し、仕方ないので除けられた雪をシャベルで集めて固め、かまくらを作った。途中からルミナも参加して魔法でしっかり固めたかまくらは中々居心地がよく、ディアナはルミナに請うて雪のテーブルと椅子をかまくらの中に作ってもらった。


「寒いのは苦手なんです~」

 そう言って外出を拒むソルを引きずってかまくらに招待し、しばらく一緒に過ごしたが、一瞬目を離した隙にソルは脱走して、塔の中に逃げ帰った。


*****


 こんな風に冬を過ごし、やがて春が来て、時々はルミナに連れられて空飛ぶ自転車で王城に顔を見せに行き、王が自転車に興味を持ち、試しに乗って転びそうになったりした。


 王はディアナとヴェスタが共同開発した『点心』に興味を持ち、ディアナは城の料理人にレシピを売って小金を得た。なんちゃって点心は城で流行し、王は肉まんを、王妃は小龍包を、アウロラ姫は杏仁豆腐を気に入った。寒天は原料のテングサが入手困難のため、ゼラチンを使用した滑らかな舌触りの杏仁豆腐である。やがて第二王女と料理の魔女による新しい料理は、城から都に、都から全国に広がっていった。


 そしてまた夏が来て秋が来て……1年のサイクルを繰り返し、


 ついに運命の日がやってきた。


 第二王女ディアナは11歳になった。

 姉の第一王女アウロラは14歳。翌日には15歳になる。

 9の塔の魔女ケレスの呪いを取り込んだ13の塔の魔女ルミナの祝福が発動する日。


 アウロラ姫15歳の誕生日だ。

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