第11話 決戦は誕生日
その日、第一王女アウロラは、いつもより早く侍女に起こされた。
緊張してあまり眠れなかったアウロラは、侍女に声をかけられるとすぐに起き、侍女に手伝われながら身支度を整え、ゆったりとした部屋着に着替え、豊かな長い金髪は簡単にまとめ、部屋を出た。
夜明け前の薄暗がりの中、アウロラは、護衛と侍女に周囲を固められながら、後宮の自分と母親の住む宮を出て、馬車で移動し、後宮の外れにある古い塔に入った。この塔は、かつては見張りのために使われていたが、今ではその役割を新しい塔に譲って隠居していた廃塔だ。数日前から使用人が入って、見苦しくないように掃除がされていた。
一行は、塔の最上階の部屋に入った。部屋には、ガラスの入っていない大きな窓があり、そこから朝日が東の地平から顔を出し、空を美しい朝焼けに染めているのが見えた。
朝が来た。アウロラは15歳となった。
部屋の中には寝台が1つ、そして大きな糸車が1つ置かれていた。他に家具の類はない、殺風景な部屋。
部屋には大勢の先客がいた。
父親である王、母親である王妃、異母妹であるディアナ、その養育者である13の塔の魔女ルミナ。そして、王と王妃の側近や護衛。
「よく来たアウロラ。15歳の誕生日おめでとう」
王に声をかけられ、アウロラは礼を取る。
「ありがとうございます」
「アウロラ、どうか……無事に……」
王妃がそう言って手を伸ばす。アウロラは母の手を取り微笑んだ。
「はい。必ず無事に戻って参ります」
両親に挨拶を済ませたアウロラは、妹に向き合った。
「ディアナ、こんな朝早くからごめんなさいね」
「いえ。姉上の無事のお帰りをお待ちしております」
そう言うディアナは、黒髪を1つに結わえ、チュニックの下にズボンを穿いており、王女というよりも女騎士見習いのような装いをしていた。
この妹は、事情があって魔女の塔で魔女に養育されていた。時折王城に空飛ぶ自転車でやってきて、王に顔見せしたり、行儀作法などを習っていたりした。その際にアウロラも紹介され、一緒に行儀作法の授業を受けていた。
幼い頃は舌足らずで片言の喋り方をしており、それがとても可愛かったのだが、11歳になるとさすがに普通に喋るようになり、アウロラはそれが少し残念であった。
後宮に置いておくと野心を持った貴族に狙われてしまうため、魔女の塔で育てられていたが、アウロラが無事に戻り立太子すれば、アウロラを支える王女としての役割があり、アウロラが無事に戻らなければ、王太子としての教育が始まるため、ディアナは城に戻され、後宮に自分の宮を持つようになっていた。
「ルミナ様、どうぞよろしくお願いします」
アウロラがそう言うと、魔女は頷き、
「では、他の皆様は塔から出て、事前にお話した位置まで避難してください」
と言った。魔女の言葉に従って、部屋から人々が退出した。
「姫様」
最後に、アウロラ付きの侍女が涙ぐみながら、抱えていた熊のぬいぐるみをアウロラに手渡し、一礼して部屋を出た。
「姉上、それは?」
ディアナが熊のぬいぐるみを不思議そうに眺めながら訊ねた。アウロラは羞恥に顔を赤らめ、
「ええと、子供の頃からお気に入りのぬいぐるみなの。もう成人になるのに子供っぽいわよね……でも、もしすぐに目覚めることができず、100年経って、起きたとき知っている人が誰もいなくなったとき、せめてこのぬいぐるみが変わらず枕元にいてくれたら慰められると思ったの……」
と言い、ぬいぐるみをベッドの枕元に置いた。
ディアナは、姉の手を取り、
「大丈夫です姉上。明日には目覚めることができます。もし失敗しても、私が修行して魔女になって、目覚めた姉上と100年後にお会いします」
と言った。
「ディアナ……」
見つめ合う美しい姉妹の交流に、無粋な魔女が水を差した。
「失敗することはありえません。ご安心を。ディアナ様あなたもご退出を。アウロラ様、私たちが部屋を出たら手筈通りに」
「スーパードライ…」とディアナが呟き、部屋を出ようとしたが、握っているアウロラの手が細かく震えているのに気づき、手を強く握った。
「師匠、先に行ってください。すぐに追いかけます」
ディアナの言葉に、ルミナが眉を顰め、
「巻き込まれますよ」
と言ったが、ディアナは「大丈夫大丈夫」と笑った。
ルミナが部屋を出ると、アウロラは不安げにディアナを見下ろしたが、ディアナは笑って、
「さっさと終わらせちゃいましょう」
と部屋の中央に置かれた糸車を指さした。
アウロラは頷き、ディアナが握っている手とは別の手を差し出し、人差し指を糸車の
ディアナはハンカチを出して手早く指の止血をし、姉を寝台に横たえた。
「ディアナ、あなたも早く避難を……」
アウロラは言いかけたが、舌が回らず、瞼が重くなり、目を閉じると深い眠りに落ちた。
すると、アウロラの、糸車に刺してハンカチで巻かれた指が金色に光り、その光が徐々に球形に広がった。ルミナは15年前、ケレスの呪いを祝福に取り込んだとき、自分の祝福を光で可視化するように仕込んでいたのだ。
「げ、思ったより速い!」
扉から部屋を出ようとしたディアナは、金色の光の広がる速度に驚いた。
「ディアナ様~!こっちです!!」
呼びかけられた声のする方を見れば、窓の外に、自転車の前籠に乗って魔力を流しながら浮遊する黒猫のソルがいた。
ディアナは窓から飛び出し、自転車に飛び乗り、魔力を流しながら力いっぱいペダルをこいだ。前方にやはり自転車に乗って飛ぶルミナの姿を見つけ、追いついて並走した。
「思っていたより速い!」
「だから巻き込まれると警告しただろう!」
金色の球体は、今や塔を完全に包み込み、さらに広がってディアナたちに追いつこうとしていた。
空を飛んでいた鳥たちは、その金色の光に触れると深い眠りに落ち、ぼたぼたと地面に墜落した。茂みに隠れた野兎も野鼠も、金色の光に触れると皆眠った。この金色の光の中で起きていられる生き物はいなかった。
100年の眠りの祝福の光。これは、死の呪いを上書きした眠りの祝福が、元の呪いが強力すぎてアウロラ姫1人の体に収まり切らず、外に溢れたものである。
光は、塔から30メートルほど広がった状態で止まった。
「と、止まった……?」
「そのようだ」
ディアナとルミナは自転車をこぐのを止め、地上に着陸して停車した。ディアナはハンドルにもたれて息を整え、ソルは籠から身を乗り出して彼女の背中をさすった。
ルミナは自転車から降り、帯に結わえた巾着から植物の種子を取り出し、足元の地面を手で掘って種子を植えた。ルミナが魔法で水を撒くとすぐに種子は発芽し、葉を茂らせ、棘のある枝を伸ばした。枝は祝福の光を取り囲むように育った。
しばらくすると、この植物は、塔とその周りの光をすっぽりと覆い隠すように枝を密生させて育った。
「こ……これは?」
塔が茨に覆われたのを見た王と王妃が、護衛を引き連れてやってきた。
「
ルミナの説明に、王妃が「ああ」と安堵の声を漏らし、王が肩を抱いて励ました。
「茨に守られて塔の中は安全ですが、念のため見張りを置いてください。明日また様子を見に来ます」
ルミナがそう言うと、王は側近に見張りの手配を命じた。その時、若い男の大声が聞こえた。
「うわー!?何だこの……茨?茨の壁?」
10代後半くらいの年頃の、整った顔立ちの黒髪の青年が、茨に覆われた塔を見て驚いていた。騎士たちが彼を押し返そうとしているが、青年は構わず茨に近づこうとする。豪奢な服装から察するに高貴な身分の者らしく、騎士たちも強く諌めることができないようだ。
「え~、茨の壁~?トゲトゲで痛そう~ラウェルナ怖い~」
青年の背中には、青年と同じ年頃の赤みがかった金髪の少女が縋り付いており、怖い怖いとあまり怖がっていなさそうな口調で言っている。
「……あれは?」
ルミナが問うと、王は眉間を揉みほぐしながら答えた。
「……公国のクピド公子だ。大公の5番目の子で、アウロラに求婚するため城に滞在している。今は大変な時期なので来ないでほしいと断ったのだが、連絡がうまく伝わらず来てしまった……」
「女連れで求婚に来るとは、いい度胸ですね」
「連れの女性は公国の男爵令嬢ラウェルナ嬢だ。ただの親しい友人らしい」
「はあ。この茨に近寄らないよう注意しておいてください……」
ルミナの言葉に頷き、王は、大声で騒ぐ公子と令嬢のもとに歩いて行った。
ルミナは、ディアナとソルと共に、自転車に乗って後宮のディアナの宮に向かった。
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