ハッピーバースデー・ハッピーエンド
椿原守
第1話
――今宵は満月。
この日、俺は約束をしていた。人と会う約束だ。
安い酒と縁の欠けた器をふたつ持って、街外れの丘を目指す。
足首の辺りまで伸びた草を踏みしめながら、緩やかな坂を登った。
小さな虫の音が耳に届き、生温い夜風が頬をすっと撫でる。
丘の上には大きな木――大樹がある。
それを目指して、ただ歩いた。
雲ひとつない闇色の空。
そこにぷかりと浮かんだ白い月。
その光が、丘上までの道のりを明るく照らしていた。
俺と約束をしていたアイツは、どうやら先に到着していたようだった。
大樹に寄りかかった人の影が、浮かび上がっている。
どうやら、あちらも自分の存在に気づいたようだ。
寄りかかっていた身体を起こし、こちらに向かって歩き出す。
木の影で見えなかった人の顔が、月明かりに照らし出された。
白銀の長い髪、そして澄んだ緑色の瞳。その目を囲うように銀色の眼鏡の縁が、キラリと輝く。
俺はその人物に近づいて、口を開いた。
「カイル……か?」
「ユーリ君……」
「よぉ、久しぶり。こうやって会って話すのは、どれくらいぶりだ?」
「十年ぶり……くらいだと思う」
「もう、そんなになるのか。時が経つのは早いな」
「そう、だね」
「お前、でかくなったなぁ~! こーんなに小さかったのにさ!」
俺は右手に持った酒瓶を腰の下あたりまで持ち上げた。
小さい頃のお前はこれくらいのだった、と表す。
カイルは苦笑して、目を細め、「ユーリ君は変わらないね」とつぶやいた。
「まぁ、とりあえず座るか。あ、これ、お前の分な」
俺は左手に持っている器をひとつを投げる。
カイルはそれを片手でキャッチすると、「危ないなぁ」と言いながら、俺の後に続いて、大樹の根元に腰を下ろした。
瓶の栓を外して、カイルの持っている器に酒を注いだ。次に自分の器にも注ぐ。
注がれた酒に、月の光がキラキラと反射し、揺れていた。
俺はそれを見て、夜空を見上げた。満月を見ながらの酒か。
今日という日を飾るには、悪くない。
「カイルとの再会を祝して――乾杯」
「……乾杯」
安い酒をぐっと煽った。一気に飲み干して、ぷはっと息をはく。
カイルも俺に続いて飲み干した。空になった器に、またトクトクと酒を注ぐ。
俺たちは無言のまま、一杯、二杯と立て続けにそれを飲み干した。
そして、酒瓶の中身が半分以下になったころ、カイルが静かに口を開く。
「……今から、やめることはできないんですか」
改まった口調で、コイツはそう聞いてきた。
俺はカイルの方を見ないで、夜空に浮かぶ丸いものを見上げたまま返事をする。
「できないな。俺がここで逃げたら、ここまでついて来てくれた人たちを、見捨てることになる」
「見捨てればいい……! なにもユーリ君が……全てを背負う必要なんてない!」
「無理だ。俺の顔は割れているし、この役を降りることは、もう許されていない」
「そんなことない――はずだ……! 今からここを発って、亡命すれば……!」
「逆に聞くが、お前なら捨てられるのか? お前のいるその地位は、血反吐はいて、ようやく掴んだものだろ? それを捨てて、俺と一緒に亡命しよう――そう言ったら、お前はそれを実行できるのか?」
「……それ、は」
「できないだろう? 軍の幹部様であるお前とレジスタンスのリーダーである俺が、ここで消えてみろ。お前の部下たちはどうなるんだ? そいつらに嫌疑がかかって、その後でどんな扱いが待っているか分からないお前じゃないだろ?」
カイルは
俺は自分の器に酒を注いで、それをまた、ぐっと煽る。
「お前は、まだまだこの国でやるべきことがある。そのお役目を全うしろよ」
「…………」
「俺の役目はここで終わり。その運命は、もうひっくり返すことなんてできない。だから、どうにかしよう、なんて考えなくていいんだ」
カイルは俯いたまま、返事をしない。
俺はフッと笑った。カイルの丸まった背中を軽く叩いてみる。
「あーあ! 小さい頃は、俺がお前の手を引いていたのになぁ!」
「…………」
「明日は、お前がしっかり『引き金』を引くんだぞ? しっかりやってくれよ?」
「……ぃ……だ」
「ん? どうした?」
「……嫌だ、と言ったんだ! 十年ぶりに会ったのに、どうして……ユーリ君を殺さないといけないんだっ!」
「それは、俺が反乱分子だからだ。王権を倒そうとしている、レジスタンスのリーダーだからだ。そいつを粛清しなければ、貴族様たちは満足なんかしないだろうさ」
「ユーリ君よりも死ぬべき人間なんて山ほどいる……! なのに、なんで……どうしてっ!」
「クーデターは失敗した。そして、その責任はリーダーが取る。当たり前のことだ。それに……俺は、自分が捨て駒だってのは、なんとなく分かってた。だから、カイル……お前は悲しまなくていい」
そう。クーデターは確実に失敗する。それは予定調和。
そうでなければ、俺のような孤児院出身の人間を、あいつらがリーダーなんかに据えるはずがないんだ。
民衆が抱いている貴族たちへの不満と怒りを吸い上げて、それをまとめ上げる力がある人間。そして、いつ死んでも惜しくはない人間。
孤児院出身である俺に、その白羽の矢が立ったのは、自然なこと。
そのことに気づいたときには、もう後戻りなんて許されていなかった。
許されるのは前に進んで、ただ死ぬことだけ。
「なぁ、頼むよ。他のヤツらはごめんだ。どうせ死ぬのなら、お前が俺を殺してくれ」
「……嫌、だ」
「俺を殺したら、きっとお前は更に上に行けるんだろ? お前が嫌だろうと何だろうと、明日、俺は死ぬ。だったら、俺の死を最大限に活用すべきだ。そう思わないか?」
「……今からでも、まだ……なにか、方法が」
「まだそんなこと言ってるのか。もうそんな方法がないのは、分かってるだろ。お前は頭がいい。最善の道も見えているはずだ」
「それでも、嫌だ……嫌だよ。ユーリにいちゃん」
カイルが俯いたまま小刻みに震えている。コイツの肘が俺の腕に少し当たっていて、それでそのことに気づいた。
まるで泣いているように思えて、ついクスッと笑ってしまう。
昔のことを思い出す。
『泣き虫カイル』――それは、幼いころのコイツのあだ名だった。
孤児院の中でも上下関係はあって、カイルはいつもいじめられていた。
俺が孤児院に来たころ、コイツがいじめられているところを目撃して、いじめているヤツらを殴り飛ばした。
殴り飛ばした後で、カイルも叱り飛ばす。
「――男ならやり返せ!!」
その日以来、カイルは俺の後をついて来るようになった。雛鳥のように、ちょこちょことついて回る。
たまに鬱陶しくなって、「ついてくるな!」と言うときもあった。それでもコイツは、ついてくるのを止めなかった。
――親分と子分。
――ときには兄と弟。
カイルとはそんな関係を築いていた。
そうして数年ほどの時が経ち、俺たちに別れの日が訪れる。
孤児院にやってきた怪しげな男が、カイルを連れて行こうとしていた。
院長先生は「新しい家族ができたのですよ」なんて言ってたけど、見るからに怪しすぎる風貌だった。
俺はカイルをそいつから取り戻そうと、邪魔をしてやった。
思いっきり脛を蹴っ飛ばし、ガクリと膝をついたところで顔を殴ってやったんだ。
カイルを掴んでいた手が緩んだのを見て、泣いているあいつを、怪しげな男から取り戻す。
正直、怖い。相手は大人だ。力が敵わないことだって知っていた。
だからといって、諦めたら、カイルはいなくなってしまう。
震える足に力を入れて、その恐怖に立ち向かった。
男はそんな俺を見て、にやりと笑った。その後で、ハハハと声を上げて笑い出す。
ひとしきり笑った後で、こっちを見て口を開いた。
「君に選択肢をあげよう。その子を俺に渡すか、君が俺のところに来るか。さあ、どうする?」
――二択。
(カイルが男の元へ行くか、俺が男の元へ行くか、その二択)
男は、孤児院の中だというのに、胸のポケットから煙草を取り出すと、火を点けて吸い始めた。
白い煙を口から吐き出しながら、語り始める。
もう、既に院長先生に金を渡してあること。俺たちのどちらかが男の元に行かなければ、違約金が発生すること。その金は渡した金の三倍。
「選択権は君たちにある。選びなさい」
選べ――だって?
どちらかしか選べないのなら、そんなもの、最初から決まってる。
「俺がお前のところに行く」
「ユーリにいちゃんっ!」
「悪ぃな。カイル。俺、さ……新しい家族が欲しいんだ」
「そんなの……うそだ。そんなのうそだって、僕だってわかるよ!」
「お前は頭がいい。だからきっと、もっといい人がきっと見つかるよ。それに、お前なら……その頭を使って、軍に入ることも簡単だろう? だから、ここは俺に譲ってくれ」
カイルに向かって、にっこりと笑ってみせる。
うまく笑えてたかな。
「いやだっ! ダメだよ! ユーリにいちゃんが行くくらいだったら、僕が……!」
「うるせぇ! 俺が行くって言ってんだろ!!」
男に向かって歩き出そうとするカイルの肩を、後ろから掴んで引き留める。
そのときに、コイツの腹を思いっきり殴った。床にうずくまったカイルを見下ろして、俺は男の元へ歩き出す。
男は口に咥えていた煙草を床にポトリと落とすと、それを靴の先で踏みつけ、火をもみ消した。
「決まったようだね。それじゃあ、行こうか」
「……ああ」
そうして俺は、怪しげな男と一緒に孤児院を去ったのだった。
**
「今日からここで暮らす。表向きは死んだ姉の息子、忘れ形見を預かっているということになっている。孤児院での話は一切するな。万が一、知り合いに会ったとしても無視しろ。知らぬ存ぜぬを通せ」
「……わかった」
男は最低限必要な情報だけを告げると、執事らしき人間に「後を頼む」と言って去って行った。
こうして、俺の新しい生活が始まった。
広いお屋敷、ふかふかの布団。ここは天国みたいなところだ、というのが俺の印象だ。
正直、奴隷のような扱いを覚悟していたけれど、そんな心配はまったくなく、ご飯もしっかりと食べられる環境だった。
怪しいと思った男は、俺の先生となって、色んなことを教え、屋敷にいる人たちもしっかりと世話をしてくれる。
(俺は……カイルから幸せを奪ってしまったのだろうか……?)
そう思うほどに、ここでの俺の待遇は……良かった。
――そうして、長い年月が経つ。
この怪しげな男の家に来て、十年ほどの月日が経った。
俺は大きくなり、成人の日を迎えた。その日に、あの男に呼び出され、そこであることを告げられる。
「お前はリーダーの資質がある。私の目に狂いはなかった。今日からお前がレジスタンスのリーダーだ」
「レジスタンスのリーダー……?」
――なんだそれは……?
話を聞けば、この国の王族、貴族たちは腐っている。
民から金を搾り取ることしか考えていない『悪』だ。
民衆は皆、この『悪』が滅ぶのをずっと望んでいる。
その『悪』を倒せる者の誕生を、自分たちは今か今かと待ちわびていた。
それができるのは、お前しかいないと、目の前の男がそう語る。
「お前が私から、カイル――と言ったか? あの子を守ったように、この国の民たちを守ってほしい」
「……カイル」
アイツを思い出さない日はない。ずっと罪悪感がつきまとってきた。
カイルが受け取るべき待遇を俺が横から、かっさらったことが……実はずっと気にかかっていた。
でも、今日という日を迎えて、この男がなぜ、カイルを選んで連れて行こうとしていたのか――これで分かった。
「頭のいいアイツを……リーダーにしようとしていたのか」
「そうだな。でも、頭の良さ以上に必要なものをお前が備えていた。だから、私はあの日、お前に選択肢を示した」
「……その選択で俺たちを、ふるいにかけたってことか」
「正義感に溢れたお前なら、彼を守ると思ったよ。そして、それは正解だった」
男はガタンと椅子から立ち上がる。
そしてこちらに近づいて、俺の頬を両手で挟んだ。
「ユーリ。お前に教えられることは、全て教えた。今度はそれを使って、この国で困っている民衆を救ってくれ」
「……そんなことができると、本当に思っているのか?」
「誰かが立ち上がらなければ、この国の腐敗は止まらない。腐りきったところを、他国から蹂躙される前に、私たちの手で止めよう」
「…………」
「そういえば、知っているかい? カイル君。彼はどうやら軍に入ったそうだよ」
「っっ! カイルが!?」
「お前には今日まで、孤児院出身の者たちと接触するなと言ってあったが、彼なら問題ないだろう。むしろ、カイル君をこちらの味方につけることができたら、クーデターは上手くいく可能性が高くなる。そう思わないか?」
目の前の男が、俺の正義感を煽る。
それらしいことを並べて、最後にはカイルのことを持ち出して、俺をその気にさせた。
よくよく考えてみれば、この国を本当に救いたいと思うのなら、コイツが立ち上がればいいんだ。なのに、それをしない。
その理由に気づくまでに、俺は少し時間がかかった。かかりすぎた。
気づいた頃には、もう後戻りできないところまで来ていた。
――俺の言葉を信じて、ついてきてくれた仲間がいる。
――俺に期待して、金を出してくれた商人たちもいる。
どんどんそれは膨れ上がって、俺という人間を包んでいく。
背負ってしまった荷は、降ろすどころか、どんどんと増えていった。
丸い球体のように膨れ上がった俺は、人々の希望という名のもとに担ぎ上げられ、そして、人生の坂道を転がり落ちていく。
――クーデターの失敗。
仲間に裏切り者がいた。いや、そもそも、クーデターは失敗するようにできていた。
これは完全に、あの男が描いたシナリオ通りの展開だったのだ。
なにもしらない俺の仲間たちは捕まった。
それから、俺の首に懸賞金がかけられる。
「ユーリさんは逃げてください! 生き延びて……また、いつか!」
またいつか、クーデターを起こしてくれ! と、そう願った仲間が、自分の囮をかって出た。
その彼は捕まる際に激しく抵抗したのか、俺じゃないとバレたのか分からないが、どうやらその場で射殺されたらしい。逃げのびたスラム街で、その噂話を偶然耳にした。
俺はスラム街を駆け抜け、悪臭のするドブ川まで走ると、誰もいないその場所で大声を上げた。
俺のせいだ。全て俺のせいだ。
あの男の思惑に気づかなかった俺のせいだ。
アイツは王や貴族側の人間だったんだ。
民が不満を抱いている――その怒りを代弁してくれるものを立てることによって、彼らの怒りが直接自分たちに来ないようにコントロールしていたんだ。
そうやって、知らずに泳いでいた俺を殺し、民衆にそれを見せつけることで、彼らの不満も反発も、その全てをへし折る。
まるで農夫が作物を育て、収穫をするように、俺の首を刈り取るんだ。
はじめから、穴の空いた計画だったのだ。
「はっ、ははっ! ……でも、まぁ……あの日の選択は、やっぱり間違いじゃなかったんだな」
いまこの場所にいるのが、カイルじゃなくて良かった。
あの日、カイルの代わりに自分が……と立ち上がって良かった。
最初から、捨て駒の人生が確定している場所へ送り出すことがなくて、本当に良かった。
「そういや……アイツが、カイルは軍に入ったって言ってたっけ」
レジスタンスと軍――それは敵対する者同士だ。
アイツはカイルをこちら側に引き込めと言っていたが、そもそも連絡なんて、なかなか取れないし、その機会が訪れることもなかった。
でも、それで良かった。
俺と繋がりがあるなんて知れたら、アイツも巻き添えになっていたかもしれない。いや、あの男は巻き添えにするつもりでそう言ってきたのかもしれなかった。
(……俺はいつか捕まる。そしたらきっと公開処刑されるだろう。民衆の前で。見せしめとして)
そうやって王家と貴族たちの描いたシナリオは、エンディングを迎える。
逆らう者はこうなるのだぞ、と、彼らは民衆に見せつけるんだ。
そうやって、また十数年の間、反抗する気を削ぎ落す。
きっと何度も繰り返された手法なんだろうな。
俺は、ひどい臭いのするドブ川を見つめて……自嘲気味にクスッと笑った。
そうやって、どれくらい川を眺めていただろうか?
バタバタと慌ただしい足音が近づいてくる。
その音にハッとして俺は後ろを振り返った。
(もしかして、見つかったのか!?)
俺はボロボロの外套のフードを深く被ると、そこから離れて、すぐそばの細い脇道へ入った。
物音を立てぬように、そっと早歩きで移動し、細道を抜け、広い道へと合流しようとした――そのとき、そこを塞ぐようにして人が現れる。
(――っ! しまっ! 罠だったか!?)
背後からも足音が近づいて来ている。俺はチッと舌打ちした。
目の前の人物を殴り倒して逃げようと思い、顔を上げ、拳を振り上げる。
振り上げた拳は空を切る。そのとき、勢いでフードが外れてしまった。
自分の視界を塞ぐものがなくなって、目の前の人物の顔がハッキリと見える。
「…………カイ、る?」
どこか面影のある顔だった。だから、ついその名前を口にしてしまった。
向こうも俺がその名前を呼んだことで、俺が『ユーリ』であることに気づいたみたいだった。
緑色の目が見開いている。
しかし、すぐにその目はスッと冷たく細められた。
ああ……ここで、俺も終わりか。カイルは今、軍の人間だもんな。
でも、最後にコイツに会えたのは良かったのかな。
なんて思っていたら、カイルの身体がスッ……と横にズレた。そして小さな声で「行って」とボソッとこぼす。
俺は戸惑いながらも、その言葉に従うことにした。迷っている間に、背後の足音が追いついてきてしまう。
カイルの脇を通る――俺たちは約束を交わした。
「「――満月の夜に、街外れの丘にある大樹の下で」」
俺は毎日、逃げて、逃げて、逃げ続けた。
カイルとの約束を守るために。
そうして、月が満ちる頃――事態は急変する。
なかなか姿を現さない俺のせいで、捕まっている仲間を明日、街の広場にて公開処刑すると発表があった。
ただし、俺がそこに姿を現せば、彼らを解放するという。
きっとあの男が入れ知恵でもしたのだろう。
レジスタンスのリーダーは正義感が強いから、と。仲間想いのヤツだから、と。
まったく……アイツの思い通りに事が進むのは、正直苛立たしいが、彼らを救う方法がそれしかないのもまた事実だった。
(でも、まぁ……いいか。そこへ行く前に、カイルとの約束も果たせそうだから)
裾が擦り切れた外套のフードを深く被って、俺は安い酒を買いに行った。
そして、住む人間がいなくなった古い家の中を物色して、酒を飲むのに使えそうな器をふたつ見つける。少し埃被っていたが、ふうっと息で飛ばせば問題はなかった。
酒と器――それらを両手に持って、街の外に出る。整えられた道を外れ、草を踏みしめ、丘を目指し、歩き続けた。
緩やかな坂を登って、俺は、先にそこで待っていたカイルに声をかける。
よぉ、久しぶ――と。
**
俺は立ち上がって、尻についた土や草を払った。
カイルと話すべきことは話せたと思う。
最後にお前に会えて良かった。心からそう思う。
「それじゃ、俺はもうそろそろ行くわ。カイル。明日は頼んだぞ」
カイルも立ち上がった。
俺と同じように尻についた土や草を払って、それからこちらを見る。
顔を上げたコイツの表情を見て、俺は微笑んだ。
そこには、もう昔の『泣き虫カイル』はいなかった。
「……わかりました。レジスタンスのリーダー『ユーリ』の命は、私が貰い受けます」
「ありがとう。嫌な役目を押し付けて、すまないな」
「いえ、これも私の『お役目』ですから」
そこには氷のように冷たい顔をした、『軍』のカイルがそこにいた。
コイツが冷酷な男だと言われているのを町中で何度も聞いたことがある。
カイルも腹をくくってくれた。
これで俺は、悔いなく逝くことができる。
「またな……って、もう言えないな。明日には言えないかもしれないから、今言っておくわ。カイル――さようなら」
俺はそう言うと、踵を返して来た道を戻るように歩き始めた。
夜風が頬を撫でていく。さっきまで生温かったはずの風が、涼しげなものに変化していた。
いつの間にか、それだけの時間が経っていたということだろうか?
いや、安酒で少し酔ったせいかもしれない。
風の心地よさと虫の声、踏みしめた草の音を感じながら、俺は街へと戻っていった。
――翌日。
太陽が頭の真上に差しかかるころ、俺は街広場にいた。
仲間を解放してもらうために、ここへ来た。
捕らえられていた仲間たちは、口々に「なんで来たんですか!」「逃げてください!」と叫ぶ。
その声に、俺はふっと笑った。
だって、俺が逃げたら、お前たちは死ぬんだぞ。
バタバタと足音を立ててやってきた軍人に捕らえられる。手は後ろ手に組まされ、縄で縛られた。
広場の中央には、処刑するために用意されたであろう木製の大きな台がある。そこへ引きずられるように歩かされた。
台の上へ至る階段をのぼる。
七段ほどだったろうか? のぼりきると、こちらを見ている街の人々、捕らえられている仲間たちの顔がよく見えた。
俺は処刑台の中央に移動した。
そこにはカイルが無表情のまま立って待っている。
「……なにか、言い残すことはありますか」
最後のお情け――のようでいて、お情けでも何でもないお決まりの定型文が耳に届いた。
貴族たちはきっと命乞いを期待しているだろうな、というのは簡単に予想がついた。
俺がそれをやればやるほど、命を刈り取る価値が上がる。
(言ったところで、何になる……)
でも、そうだな……。
何にもならなくても、一言だけ残しておくのもいいかもしれない。
俺に関わった皆へ。
「――俺のことは忘れて、幸せになれ。幸せな人生を送ってくれ!」
泣き虫カイル。
お前にも言ってるんだからな? いいか、忘れるなよ?
ひっくひっくとしゃくりあげる声、そして、すすり泣く声が聞こえる。
俺は頭から麻袋を被せられ、視界が薄茶色に染まった。
両肩を押さえつけられて、台に膝をついた。
カチャッと撃鉄を起こした音が聞こえてきて、左のこめかみに硬いものが当たる。
「──、────」
カイルが俺だけに聞こえるように小さな声を発した。
その直後、銃声が鳴り響く。
鼓膜からキーンとした音が聞こえた。
こめかみが熱い。
視界が暗くなる。
ああ、俺は落ち――――。
***
「……また、あの夢だ」
目が覚めるとそこに映っていたのは、見慣れた天井。
十六年ずっと見てきた天井だ。
身体を起こして、それから立ち上がる。
部屋の窓を開けると、朝の清々しい空気と一緒に鳥の声が聞こえてきた。
ここ最近、外見は全く違うのに『自分』だという認識のある人間が、殺される夢を見る。
必ず『カイル』ってヤツと酒を酌み交わすところから始まるんだ。そうして、翌朝になると殺される。
(あのカイルって呼ばれてる人……どこかで見たことあるんだよな)
どこだっけ? と頭を捻ってみる。
いつも喉の辺りまで出てきているのに、出てこない感覚に襲われた。
正直、イライラするので、さっさとスッキリしたい。
今日もまた少し苛立ちながら、部屋を出た。
――今日は俺の誕生日。
成人のお祝いだからと、母さんが張りきっているらしい。
部屋の扉を開けた途端、いい匂いが漂ってきて、俺の腹を刺激してきた。
朝食を食べて、家の仕事の手伝いをして、昼食、そしてまた仕事をして、ようやく夕飯の時間になった。
食卓にはご馳走が並んでいる。父さんが「この日のために買っておいたんだ!」とお酒を出してきた。
「もう大人の仲間入りをするんだ。酒の味くらい覚えないとな!」
「もう! あなたったら……そんなこと言って、自分が飲みたいだけでしょう?」
父さんがワハハと笑って、母さんも釣られてウフフと笑う。うちはそんなに裕福な方じゃないけど、それなりに幸せな家だ。
お互いが相手を思いやり、そして力を合わせて暮らす――そう。それはまるで、夢に描いたような家族の姿。
(…………? 夢に描いた?)
今朝見た夢がまだ頭の片隅にでもあるんだろうか?
そういえば、夢の中の『自分』は、孤児だったな、と思い出す。
夕飯を食べ終わって、家族の団欒も終わって、自分の部屋へと戻った。もう外は真っ暗になっていて、窓から月の明かりが部屋の中に差し込んでいる。
「あ。開けっ放しになってた」
朝に開けた窓がそのままになっていた。それを閉めようと思って俺は窓辺へ近づく。
閉める前に、空を見上げてみた。そこにはまん丸のお月様が浮かんでいる。
あの夢で見た月も、こんな風にまん丸の月だった。
夜空には雲ひとつなくて、満月を邪魔するものは――いない。
窓からは、生温い風が入ってくる。
(…………)
この村にも、夢で見たような丘がある。
その丘の上には、大きな木があるんだ。
――『カイル』と約束した場所が。
そう思うと、どうしてもそこへ行きたくなってきた。
誰かが待っている……そんな気がして。
俺は窓を閉めず、むしろもっと大きく開いて、そこに足をかけた。
窓の下は柔らかい土とまばらに生えた草がある。足を汚したくないので、草めがけて飛んだ。
両親に心配をかけたくない。俺は、物音を立てないように、そぉっと歩く。
靴がないのは正直痛いが、まぁ寒くもないし、暗いし、誰かに会ったとしても自分の足元なんて気にしないだろう。
足首の辺りまで伸びた草の上を歩く。
丘の上の大樹に向かって坂道をのぼった。
そこへ到着すると、俺は大樹の根元に腰を下ろす。
「やっぱ気のせいだよなぁ~」
そう言いながら、大樹に寄りかかった。誕生日という特別な日だったから、そして満月だったから、何かが起きそうとかそんな風に感じただけかもしれない。
気のせいだと思っているのに、すぐに来た道を戻って家に帰ろう、という気になれない。
そのまま、ぼーっと夜空を見上げて、白い月を眺めていた。しばらくすると、誰かがこちらに向かって来るような足音がする。
その人はどんどんこっちに近づいてきた。どうやらこの大樹が目的のように見える。
「こんばんは」
「……こんばんは」
大樹で足を止めた人物と挨拶を交わした。この人は……。
「〈ユーリ〉さん。こんな夜遅くにどうしたの?」
「それはこちらのセリフだよ。こんな夜遅くにどうしたんだい? ユーリヤ君」
「ちょっと月がキレイだったから、なんとなく……?」
「なんとなく、で、裸足で来ちゃうのかい?」
ユーリさんが眉を下げて、苦笑する。俺はそれに、「へへっ」と笑って返した。
「ユーリさんこそ、どうしてここに?」
「私も月が綺麗だったから、かな」
ユーリさんの右手には酒瓶と左手に小さな器がふたつある。
「それって、お酒?」
「ああ、そうだね」
「ユーリさん、俺さぁ、今日で十六になったんだ。成人だよ。だから、お祝いにちょっとお酒ちょーだい?」
「ユーリヤ君が、もう成人……月日が流れるのは早いね。少し前まで、こんなに小さかったのに」
ユーリさんは、器を持ったままの左手を腰の下あたりに手を持ってきて、小さい頃の俺はこれくらいだった、と表した。
俺はそれを見て、パチパチとまばたきする。
――満月の夜。丘の大樹。酒。ユーリ。
(……あれ?)
これはまるで今朝の夢のようじゃないか?
そう思って、何度もまばたきした。
「ユーリヤ君、どうしたんだい?」
俺の挙動を不思議に思ったのか、ユーリさんが声をかけてくる。
「…………」
〈ユーリ〉さん……?
いや、違う。なんだかこの名前は、彼に『しっくりこない』感じがする。
モヤモヤとしたものがこみ上げる。
これは、朝にも体験した、喉の辺りまで出てるのに、出てこない気持ち悪さと似ていた。
満月の明かりの下、ジッとユーリさんの顔をみつめた。その顔には見覚えがある。
白銀の髪、透き通った緑色の瞳。それからその目を囲む、銀色の眼鏡。
同じ村に住んでいるのだから、見覚えがあるのは当たり前なんだけど、そうじゃない。
そうじゃなくて、もっと前の、若い頃のユーリさんを俺は……知ってる?
そうだ。知ってる。俺は知ってる。彼の名前は――……
「――カイル?」
ポツリとそう呟いた。
口に出すと、ものすごくしっくりきた。
そうか。見覚えがあると思っていたのは、夢に出てきた人だったからだ。
ようやく、つっかえていたものが取れてスッキリする。俺は胸の辺りを右手でさすった。
ユーリさんを見ると、彼は目を見開いて、固まっていた。
「……いま、……なんて……?」
ようやく絞り出した――そんな感じだった。
少しかすれ気味の声が、俺にそう問いかけてきた。
「あ。ごめん、ユーリさん。俺さぁ、最近ずっと見ている夢があって、それに出てくる人が、ユーリさんそっくりなんだ。その人は『カイル』って呼ばれてるんだけど、いやー……その人が、ずーっと誰かに似てるなぁって思って気になってたんだ。あースッキリした!」
「…………」
「そういえば、その手に持っているお酒。夢と同じものだ。すごい、偶然」
「…………」
「……ユーリさん? どうしたの?」
微動だにしない彼を見上げる。俺は大樹の根元に座っていて、ユーリさんは立ったままだ。
ユーリさんは俯いているが、月明かりのおかげで、その顔の表情がちょっとだけ見えた。
眉を寄せ、口をへの字にして、いまにも泣き出しそうな、そんな顔をしていた。
それを見て、また俺は夢の内容を思い出し、口にする。
「あ。泣き虫カイルだ」
そう言った途端、ユーリさんがガバッと覆いかぶさってきた。
突然抱きしめられて、俺は慌てふためく。
「えっ? えっ!? なに? どうしたの!?」
「ユーリヤ君。君は……君は……」
ユーリさんの身体が震えている。それは泣いているようにも思えた。
なんだか、仕方がないなぁって気持ちが湧いてきて、彼の背をポンポンと叩く。
しばらくそのままユーリさんの背中を擦った。
彼の顔は見えないが、時折、鼻を啜るような音が耳に届く。
俺は、背中を擦りながら、夢の中の『自分』が死ぬ間際に――銃から弾が放たれる寸前に――あのカイルって人から言われた言葉を思い出す。
『もしも奇跡が起きて、あなたが生まれ変わったら……満月の夜、大樹の下で会いましょう』
きっと、あの夢は、夢じゃなかった。
なんて、そんな気がする。
三十をとうに過ぎているユーリさんが……元軍人の彼が、泣くなんて……きっとよっぽどのことのはずだ。
落ち着いたら、ちょっと聞いてみよう。
でも、いまは、ユーリさんが落ち着くまでは、もう少しだけこうしていよう。
満月の光が、俺たちを優しく包む。
まるで、この世界には俺たちしかいない、そんな気持ちになった。
唐突に胸に言葉が湧いた。そうだ。これを彼に伝えなきゃ。
「ただいま。カイル。俺、生まれてきたよ」
そう言うと、彼が顔をあげて、俺を見つめた。
赤く潤んだ瞳で俺を見て、こう言う。
「おかえりなさい。生まれてきてくれて、ありがとう」
――うん。
俺たちはもう一度抱きしめ合った。互いの温もりを感じて、ああ、生きていると実感する。
よかった……よかった。もう一度、会うことができた。
――やっぱり、誕生日ってのは特別だ。
俺とカイルは身体を起こした。
そして、カイルが持ってきた器を渡され、酒を注いでくれる。
なみなみと注がれた酒は、月の光を反射してキラキラと輝いていた。
俺たちは、互いに器を掲げる。
「ユーリヤ君。お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます!」
――この世のすべてに、生まれた奇跡に感謝を。
――乾杯。
ハッピーバースデー・ハッピーエンド 椿原守 @tubakihara
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