夢見るさかなとゆうれい少女

湊 小舟

さんざめく星がいびきする間に

一匹の魚が鳴いた。


三時間目の算数の時間だった。


───わたしはそれを見逃さない。


青白い光をペカペカと腹の辺りから放つ

生意気な柄をした魚を

素手で思いっきり捕まえる。


逃げないように、できるだけ素早く捕まえる。


ざらついているけれど、気を抜けば

魚が暴れて落っことしてしまいそうになる。


しかし......力を込めすぎて魚が

苦しそうでいけないので、

そのまんま胸のポケットに突っ込む。


担任の先生は何も知らないで、黒板にカリカリと

音を立て、チョークの粉を撒き散らす。


わたしが授業中に歩き回っているというのに、

注意のひとつもしやしない。


みんなもわたしを知らんぷりして

仲間はずれにする。


なので眠っている子の耳の辺りから

その子のお母さんや公衆電話、

かわいい犬とかの柄で飾られた魚を取り出す。


魚はみんな違う夢の柄を纏っている。

夢見る魚には柄がある。


もう、みんなの魚を捕らえきってしまって、

暇になってきたので、


そこら中にビー玉や三角定規を

ばらまいてみても、

だんれもこっちを見やしない。


悲しそうな顔や泣いた顔をしても、

だれかにちょっかいをかけようとも、

だーれもかまってくれない。


......魚が次々と消えていったので、

授業は終わったようだ。


先生は相変わらず疲れた笑顔で

何かを言って去っていく。


うまく聞き取れなかったけれど、

「おつかれさま」......とかかな?


先生が教室から出ていったのを確認した

みんなが私の席のまわりに集まってくる。


わたしの席の上には教科書のひとつもない、

月曜かばんだってないし、音楽かばんもない。


引き出しの中にもなにもない。


花瓶がひとつあるだけ。花はとうに枯れた。


......それにしても、みんな何を話してるんだろう


とても楽しそうに笑っていて、

わたしもつられて笑ってしまう。


するとオオタくんが私の席に駆け寄ってきた。

いつも通りおちょけた様子で、何かを持ってきた



わたしの写真だ、しかも大きい!



でもモノクロだし、右上と左上の端の方に

黒いリボンみたいなのが付いているそれを

わたしの机の上に置いてみせた。


......よくわからないけどみんな笑っている。


わたしはやっぱりひとりぼっちなんだな

と分かって悲しくなった。


すると、いきなり教室のドアが開く

5分休憩が終わったのかな。


ドアからのそのそと入ってきた先生は

わたしの机の上の写真を見たかと思うと、

顔を真っ赤にして必死そうに

何かを話している。


わたしは訳がわからなかったので

みんなの様子を見てみた。


みんなすっかり顔が青ざめてしまって

さっきの魚みたいに口をパクパクさせている。


もう授業どころじゃないなぁ

ということはわたしにも分かった。




◆◇◆




お昼休憩、先生はみんなを集めて

何かを話している。


クラシック音楽が流れている。

お昼休憩にいつも流れているやつ。

たしか、名前はカヴァレリア・ルスティカーナ。


教卓の上にはわたしの写真が置いてある。


先生は教卓を思い切り叩きつけて、

体を震わせて怒っている。


なんとも場違いで穏やかなクラシック音楽は

無言をつらぬいて、先生に同調している。


みんなおびえていて、可哀想だった。




◆◇◆




みんながひとしきり何かを話したあと

オオタくんを指さす。


オオタくんの顔はさつまいもみたいになった。


先生はとても冷たい目でオオタくんを見て、

その手でオオタくんを教室から引きずりだす。


オオタくんはどこかに連れられてしまった。


......わたしはずっと先生のとなりに立っていた。


のに、だれもわたしに気づかないし

だれもわたしのことを見てくれないので


わたしは家に帰ることにした。

これでりっぱな不良学生。


今日の宿題は不在。




◆◇◆



おうちまでの道のりはとても短い。

信号なんて渡る必要もなく、ひたすら裏道を

通るだけで、すぐにおうちに着いてしまう。


なのでわたしはいつも違った

裏道を通って帰るのだが、


正直、もうネタ切れ。わたしは全ての道を

網羅してしまったのだ。


・・・というのはタテマエで、結局

はやくおうちに帰りたい。ただそれだけだった。


無味無触の風と、灰色のブロック塀を横切って

わたしは走りだした。


パタパタと運動靴が鳴る音だけは

しかと、はっきりと聞こえた。


 

◆◇◆




おうちに帰ってきた。でも、

インターホンを鳴らしても

お母さんは出てこない。


とりあえず庭にまわってみると、

窓が開いていて、網戸になっていたので、

そこからおうちに入った。


網戸を開けると、いつものリビング。

おかあさんはいないみたい。

ソファーの端っこにリキがいる。


リキは相変わらず寝ぼけているのか、

わたしを見向きもしない。


ミエちゃんとこのサブローは、

犬らしくあいきょーを振り撒きまくって

逆に迷惑なくらいだ、というのに

うちのリキは......


わたしはリキのいるリビングを抜けて、

洗面所にいく。


いつも通り、ハンドソープを押して

泡を出す、ささっと手を洗う。

すぐに水で流して、タオルで手を拭く。


うがいは......忘れてた。


多分、おかあさんは和室。

なので帰ってきたよ!とだけでも伝えておこう。


「ただいまぁ〜!」


......おかあさんは反応しない、

リキも耳のひとつすら動かさない。


「......おかあさん?」


わたしは少し不安になって、

リビングのすぐ隣にある和室へと

駆け込む。


和室の入口は

スライド式のドアになっているので、

それを思いっきり横に引いて

勢いよく、おかあさんにも分かるように



ドアを開いた。



おかあさんは額に汗をくっ付けて

手のひらのシワを合わせていた。


おかあさんはびしょぬれだった。


風鈴の音と優しい青い日差しが

おかあさんを焼いて、カーテンに揺られていた。





そうか......





───わたしはゆうれい。





◆◇◆




夜がわたしを襲いにきた。




多分、わたしが眠ってしまったなら


......全部、最初から。


おかあさんはチャカチャカと、

お茶碗にこびりついたお米を一粒一粒

ていねいに捕らえてゆく。


おとうさんは今日も帰ってこない。


おにいちゃんはずっと病院。


だだっ広い机にお皿はたった三枚。

おかあさんはもくもくとご飯を食べる。


炊きたてのご飯、わたしの分は

和室に置かれている。


でも、おはしがないので食べられない。

量も少ない。


お昼のときのご飯みたいに、カチコチに

なってしまうのがオチだろう。



───おかあさんがわたしの方を見た。



いきなりで驚いた、目が合った。


「おかあさん!」


おかあさんは皿洗いに向かった。


おかあさんの水晶体には、

わたしなんかずっと写っていない。


皿洗い中もおかあさんは

写真のわたしばっかり見ている。

だからわたしは写真が嫌い。



───わたしは胸にあきを抱えた。



わたしにはもう血が通ってないみたいで、

なんとも冷たい。

汗ひとつかかないし、心臓の音もない。


おかあさんに触れたとして、

おかあさんはなんにも反応しない。


それどころか、わたしに重さがないみたいで

風船みたいに軽く押しのけられてしまう。



......わたしはゆうれいだ。



どうせ今日のことも忘れてしまうなら。

みんなにだんだん忘れられてしまうなら。


わたしはおうちから駆け出した。


わたしはゆうれい。

どこにだって行ける。

もう夜中の11時。


......みんな、もう寝ている時間だ。




◆◇◆




わたしは夜を抜けて、

夜に成り代わっていく。




この美しい悪夢みたいな世界に、

狂おしいほどに愛おしい

古臭い電燈みたいな世界に、


わたしは変わっていく。


わたしがみんなを襲う。


冷たい夜道に雨音と水溜まりを踏みしめる

わたしの素足。頭の中には、

カヴァレリア・ルスティカーナ。


これはわたしからわたしへ手向ける

レクイエムってやつだ。


青白く明滅する街灯の合間をくぐり抜ける。

雨に濡れたそれは、不安定な先を照らしていた。


わたしはこれから


みんなが抱く、儚くて温かい夢をぬすみにいく。


家族の夢、みんなから愛される夢、

美味しいご飯の夢。


閑静な住宅街をかけて、ドアをすり抜ける。

誰彼構わず、みんなの夢だけをさらっていく。



みんなの耳から魚を捕まえにいく。



雨が降っていた。土砂降りでなんとも冷たい。

温かさは感じないのに、冷たさだけは

感じられるのが不思議でならなかった。



だから、唯一温かさを感じられる

みんなの夢をさらっていく。


みんなの夢を胸ポケットいっぱいに詰め込んで、

朝が近づくこのすばらしき世界を走り抜ける。


雨の中、夜のふちで踊ろうが、

夢をさらおうが、


結局はなんにも変わらない。

なんの意味もないけれど、



───ほんの少しだけでいいから、



わたしを気にかけて欲しい。



もしかしたら連想してくれるかもしれない。



......そんな淡い期待が

わたしを突き動かしていく。




◆◇◆




わたしはみんなの夢の魚をさらって、

知らない人のおうちで、たまたまついていた

映画をみんなの魚と一緒に見た。



映画はつまらなかった。



けれど胸ポケットにある魚たちは

たしかに温かくて、

わたしの胸ポケットの中ではね回る。


それがなんだか、わたしの心臓みたいだったので

わたしは抱きしめて撫でてやった。


やっぱりわたしは、

あともうちょっとだけ生きてたかった。




◆◇◆




───この美しい悪夢は

そろそろ終わってしまうらしい。




胸ポケットの魚達が元の場所へかえっていく。

わたしのからだが段々と軽くなる。


重力までもわたしのことを少しずつ

忘れてしまっているようだ。


でも......まだ終わってほしくない。


わたしはその手を伸ばし、

無意識のうちに何かにしがみつこうとしていた。



......ついにわたしの指先は、何も掴めなかった。



けれど、わたしには心残りがある。



おにいちゃん。



おにいちゃんは病院にいる。

首から下が動かなくなって、


......もう回復の見込みがないらしい。


だから、最後に会いに行こう。

そろそろわたしもおなかが空いたし

だんだん眠たくなってきた。


わたしは、

じきに新しいわたしになるだろう。


全部忘れておしまい。


だから心残りのないよう、悔いのないよう

今の"わたし"として、最後にしたかったこと。




───おにいちゃんに会うことだった。




◆◇◆




まどろむ街並みと青い雲、

星たちはもう姿を消している。


わたしの夜はもう終わり。


鳥たちがあくびする路地裏を通り、

L字になった階段を飛び越えるように

軽々と5段くらい飛ばして登っていく。


胸ポケットの魚たちはもうみんないない。



時間はない。



もうじき、

みんな目を覚ましてしまう。



街の中を駆け抜けた先に病院がある。


おにいちゃんの病室は二階。

とはいえ、わたしにとってはすぐそこだった。


わたしは窓から病室に立ち入る。


幸い、窓が開いており容易に

病院に入り込むことができた。




和らいだ風がカーテンとわたしを押す。

わたしは風に浮き上がって、

病室へと飛び込む。


もう......時間は本当にないらしい。


わたしの後ろには青く焼けた雲と空。

わたしは多分、鳥。

鳥に見えたであろう。




───わたしは今、それなりに自由だ。




わたしは病室を宙から眺める。


病室内は殺風景。ベッドのような器具、

小型テレビを備え付けた木製の小さな棚、


小さな机と、その上に花瓶。

花瓶にはたっただけ一輪。赤いお花。


あとわたしとおにいちゃんのツーショット写真。

小さな写真立ての中に面影が収まっている。


おにいちゃんは、冷たい金属の器具の上に

横たわっていた。


わたしが病気のときによく嗅いだ、

あの清潔感に満ちた無機質な匂い。


その中でおにいちゃんは、

死ぬまで消えない炎に焼かれている。


あくまで比喩、しかし。

傷の一つもないのに。


淡く寝息をたて、胸のあたりが膨らんだり

縮んだりを繰り返している。


いつも通り、頬はほんのり赤くって

わたしは安堵する。


その血の通った血管が浮き出た両の腕は、

わたしの果てしなく望むものだった。


赤く血色のよい頬を見つめる。


手に、頬に触れてみても、何も感じない。

懐かしいあの茶番のような掛け合いも、

温度も、まなざしも。


全ては、空よりも遠い場所にある。


心臓に耳を当てても、何も聞こえない。


わたしにははっきりわかった。

やっぱり、わたしはゆうれい。



「○○○○......」



おにいちゃんは、何かを口から放った。


「○○○○......さようなら」


おにいちゃんは、別れを告げた。

誰に向けたものか、わからない。


でも、わたしじゃない。


わたしに向けられた言葉ではなかった。


「......おにいちゃん」


おにいちゃんにはどうせ何も聞こえやしない。

けれどまだ、期待してしまうわたしがいる。


「おにいちゃん......さようなら」


わたしのおにいちゃん。

......あなたじゃなくてもよかった。

けどあなたで本当によかった。




......ほんの少しだけ、夢を見てしまっていた。




おにいちゃんとまた出逢う夢。


勝手に...期待してしまっていただけ。


最後に会った時の言葉は、

最後に放った言葉は、覚えていない。

別れの一つも、感謝の一つすら言えていない。


覚えているのは些細な喧嘩ばかり。


かといって渡す言の花は一つも見当たらない。


コップ一杯の水を、あなたの傍にある

お花にやる。

そんなこともできない。



......ごめんね。



本当に、わたしももうひどく疲れたから。


やなぎの花も無くしてしまった。


やなぎの花が咲くまであとちょっとだったのに。


想い出になってしまうには、

あまりにも哀れで、それでいて恐ろしい。


わたしは想い出を面影として、

記憶のどこかに閉じ込めてしまうように、

わたしは鳥であることをやめてしまいたかった。


でも、わたしは......ゆうれい。




せめて、赤いお花の隣に

わたしの好きなやなぎの花を......




いや、写真立て。


ツーショット写真を持っていってしまおう。


どうせ全てなくなるんだから。最後なんだから。

少しくらい、いいよね。


わたしは半透明のその手で、

写真立てを掴んで、二人きりの写真を取り出す。


───人差し指の腹に微かなざらつきを感じた


写真の端の辺りで切ってしまったようだ。



もしかしたら...と胸のあたりによぎった。



わたしはもう片方の手で赤いお花の棘に指を

思い切り押し当てた。



───血が出るとは、痛みはないのに。



左の人差し指がほんのり赤く滲んだ。


わたしは......それを、おにいちゃんの

左手の甲と唇にそっと擦り付ける。


気づかなくってもいい。

でも、この赤を覚えていて。


......常にじゃなくていい。

時々でいいから思い出してほしいな。

たまに夢の中で会えるくらいがちょうどいい。




「───またね」



重さを失ったわたしを


朝の嵐がさらっていった。


さよならだけが、人生だ。




◆◇◆




わたしは砂浜にいた。

ここは、病院からそこまで遠くはない。

多分、飛ばされてきたんだ。


あまねくオレンジに近い赤い光が、

より返す波と、雲に滲んでゆく。


カモメが一羽だけ飛んでいる。


あいつもまた、

わたしのことなんか、気にしちゃいない。


わたしは、どうやら綺麗に散ることが

できなかったようだ。



残念なことに......わたしはまだここにいる。



死んでいるけれど、確かにここにいる。


ほんの少しカッコつけたところで、

なんにも変わりはしないようで、

これからもわたしは、ゆうれいだ。


わたしはゆうれいとして生きていく。


潮風がわたしを吹き飛ばす。




わたしは空を泳ぎ、街を外れて

雲の灯りの上へと舞い上がる。




空から今まで産まれ育った街を見渡す。


いつもの学校、みんなのお家、わたしのお家、

おにいちゃんの病院......


公園や駄菓子屋、お花屋さん。


ぜんぶぜんぶ、そう。


これまでの日々、与えられた優しさやら愛情。


ずるい。


みんなみんな、自分勝手に他人を思うように。

みんながわたしにくれたもの。


それらはみんな、失くしたモノなんかより

もっと、果てしなく大きかった。


失くしたモノから目を逸らしたら、

今までもらったモノが見えてきた。


そのせいで、わたしは。


まだ......未練は残っている。

わたしを地に縛りつける呪い。

ぜんぶぜんぶ、




吹き飛んじまえ!




......でも、わたしはそんな呪いが大好きだ。

死んだ今も愛してしまっている。

わたしの中で忘れることなく残った最後の感情。


だから、この街から離れたくはない。

離れることはないだろう。


でも、夢はいつか覚めてしまう。

次の日になってしまうと、もう

なんにも覚えてはいないだろう。


風みたいに吹き飛んで消えてしまっても......


でも、おにいちゃんには魚がいなかった。


......そう、あなたは夢を見ていなかった。


それならわたしがおにいちゃんの

魚になってやろう。


わたしは空を泳ぐ魚になった。


わたしは、あなたの中に。


あなたの思い出の中を泳ぎ続けたい。


わたしは唯一残った、一枚の写真を

胸ポケットへと丁寧に差し込む。


夢が覚めてしまっても、

いつだって傍にいるよ。


最後だし、名前くらいは呼んで欲しかったけど。


なにより、あなたの赤が大好きでした。




さよならだけが、わたしの心臓だった。




◆◇◆




......最後に。


拝啓、みんな...いや、あなたたちへ。


あなたたちに読んでほしい。


─────────────────


あなたたちにとっての一瞬は、

わたしにとっての青春です。


わたしなんか、取るに足らない

人間でしたでしょう。それでも、

わたしは、


あなたたちと一緒に、

ネコヤナギと桜の花が見たかった。


ただ、それだけです。


────────────────


ユーリより。






さよならだ、


それじゃ、


みんなみんな


吹き飛んじまえ!




......なんてね。




ここまで、私に付き添ってくれてありがとう。

見えてなくてもわかってる。


あなたたちが大好きだよ。

......ほんとうに。


それじゃ、


また、どこかで会いましょう。

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