エピローグ「暗夜行路」

 

 鳥取駅北口を出て、目の前の地下道を降りてまっすぐ進み、階段を登ったほうが断然早いエスカレーターでゆっくり上がっていくと、栄町にあるサンロードという商店街に辿り着く。飲食店や美容室、個人商店などが立ち並び、人の行き交いはまばらだ。

 その商店街の中に「チャップリン(・・・・・・)」という喫茶店がある。ちょうど目の前を通りかかり、足を止める。高校生の頃はよく通っていたが、最近は足が遠のいていた。ここも禁煙か……。世知辛いな。とはいえ、色々思い出してエモくなってしまったので、

 「久しぶりに行ってみるか……」

 そう独りごちて、階段を降りて、店内に入っていく。

 昼過ぎのピークタイムを過ぎた時間帯なのに、客は意外といた。週末だからだろうか。適当に空いている席に座り、水を持ってきた女性の店員にアイスコーヒーを頼む。口元にほくろのある、やけに色気のある美人な店員さんだった。歩いて行った後には、リネンのような、鈴蘭と菖蒲が混ざったような柔らかく透明感のある残り香が漂っている。今いる客全員あの美人店員目当てか。と勝手に納得する。

 メニューや内装は変わってない。当時のまま時が止まったみたいだ。ここに一緒によく来てた高校の同級生とは卒業後、バラバラになった。SNSで近況はわかるから寂しさとかは感じないものの、自分の人生圏内からは離れてしまったなぁとつい遠い目をしてしまう。

 「……午後は一時的ににわか雨の可能性があります。お出かけの際は折り畳み傘をお持ちください。お天気情報は以上です。次の特集は、絶望死についてです。絶望死。それはここ数年、アメリカの低学歴な労働者階級に多く見られる、薬物の過剰摂取、アルコール性肝障害、自殺などによってもたらされている死の呼称です。依然として大きな社会問題になっている格差、経済的困窮による生きる希望を失った人々の死。それはアメリカのみならず、日本にもその余波が広がっているようです。今回はそんな絶望死の実態に迫ります……」

 ボーッとテレビを見ていて、内容なんか頭に入っていないのに、死という言葉だけがやけに耳に残る。コトッとアイスコーヒーが置かれる。ハッとして店員さんと目が合う。美人店員さんがニコッと微笑みかけてくれる。これが0円なのはおかしい。誰だよ笑顔に値段をつけるとかいう概念植えつけたやつ。天才かよ。あのスマイルに一万円払いたい。

 なんて脳内ではたぎりながらも、顔面はいたって冷静にコーヒーを飲む。

……‼︎‼︎‼︎

 何だこれ。今まで飲んだコーヒーのどれより美味しくて、思わず口元を抑える。あれ? ここのコーヒーってこんなに美味しかったっけ? ただのアイスコーヒーだぞ? ブルーマウンテンでもゲイシャでもハワイ・コナでもない、普通のアイスコーヒーだぞ? 何だこの苦味と深みの絶妙なバランス。まろやかで柔らかなのにしつこくなく、スッキリ喉に通っていく。おかしい。ここのコーヒーは良くも悪くもお値段通りの味だったのに。美人店員目当てかなんて周りの客達をバカにしてたのを恥じた。この人たちは、実はコーヒーガチ勢かもしれない。

 満足して会計を済まし、外に出ようとすると、「お客さ〜ん」と呼び止められる。振り返ると、さっきの美人店員さんだった。

 「これ〜良かったら、傘。今から一雨来そうだから」

 「いえいえ、お構いなく」

 「いいからいいから、持ってって。返さなくていいから〜」

 「じゃあ…はい。ありがとうございます」

 「は〜い。またいらしてね〜」

 最後まで太陽のような人だったな。また来よう。そう思い、サンロードの中を歩いていると、丸由百貨店のほうが何やら騒がしい。音のするほうにつられていくと、開閉式大屋根、通称バードハットの下のイベントスペースで、ガールズバンドがライブをしていた。ステージの周りには結構な人だかりができている。有名なバンドなのだろうか。全く知らないバンドだったが、はじめは遠巻きから眺めていただけだったのに、つい足が前に前にと進み、気づけば人だかりの中に混ざって拳を振り上げていた。

 ギターヴォーカルの女性が、ブロンドのさらさらストレートな長髪を振り乱しながら紫色のギターを弾いているのが格好良い。ベースの人のクールな感じも、ドラムの人の、パワフルでタイトな感じも素敵だ。みんなキラキラしていて羨ましい。好きなことを見つけて、ひたむきに努力して、夢に向かって真っ直ぐで……。

 遠い目をして感慨に耽っていると、今度はアイドルがステージで歌っていた。圧倒的なビジュアル、歌唱力、ダンスのキレ、ファンサービス、表情の作り方、パフォーマンス、ポージング、全てのレベルが高水準で、圧倒されてしばし呆然と立ち尽くしてしまった。すごい。

 連発でキラキラにあてられ過ぎて軽く酔ってしまい、タバコでも吸おうと喫煙所を探す。しかしなかなか見つからずぐるぐる回り、結局サンロードの交差点まで戻ってきて、喫煙所があるのを見つける。とんだ徒労だ。まぁいい、やっとタバコが吸える。喫茶店からずっと我慢してたしな。ベンチに座り、そわそわとポケットを探る。あ、やべ、タバコ切らしてたんだった。最寄りのコンビニ……遠い。くそ、めんどくせぇ。

 「あの……」

 「…はい」少し警戒しながら声のするほうを向くと、声の主は三十代後半くらいの男だった。きめの整った白い肌に、キリッとした眉、すらっと伸びた鼻筋、毛先だけウェーブした髪をセンターで分け、少し袖幅にゆとりのある白いボタンダウンのシャツに、タックの入った黒いチノパンを合わせている。

 「よかったら…」と言って渡されたタバコは、ちょうどラッキーストライクだった。新品。まじでラッキーでストライクなんだけど。

 「あ、あざまーす」

 と一本もらう。そのまま男性は金のオイルライターを出し、火をつけてくれた。優しい。

 まず軽く吸い込んで、煙をぷふと吐く。そして今度は深く吸い込み、今度はこちらに向けてぷふぅ〜と煙を吐く。うまーい! やっぱこれだよなー。

 「亜衣子……だよな……」思わずその男性を注視する。こんな知り合いいたっけ。ヤニクラでふらつくのを抑えながら必死に頭を働かせる。しかし全然思い出せない。でも確かに、なんか懐かしい感じがする。あ。ちょっと待って。わかるかも。え、嘘でしょ。まさか。

 「信じてもらえないかもしれないけど、尾後健治、亜衣子の、パパだよ」

 そのまさかだった。久々に会ったパパは、本当にパパかどうかわからないくらい変わっていた。会うのは十年以上振りだ。今更、何の用があって会いにきたのだろうか。軽くパニックになる。

 「だって、パパは……」

 「更生したんだ。酒もタバコも薬も、何もかも止めた」

 「でも、タバコ持ってたじゃん」

 「これは、亜衣子の為に買ったんだ。亜衣子にもらった分を返そうと思って」

 「は? ワケわかんない」

 「そうだよね。だから、説明させて欲しい」

 「は、イヤ」

 「どうしてもダメか?」

 「ムリ。キモイからどっか行って! 二度とツラ見せないで」

 「そうか、ごめんな。そうだよな。虫が良すぎるよな。でも、これだけ、せめてこれだけでももらってくれないか」

 その場を去ろうとするあたしに、リレーのバトンのようにパパは何かを手渡した。あたしはそれを握りつぶし、泣き笑うピエロのような表情で立ち尽くすパパを置いて、構わず走り去った。

 

 *

 

 太平公園まで無我夢中で逃げてきて、呼吸を整える。なんなんだよいきなり。意味わかんない。パパはどうしてあたしがあそこにいるって知ってたんだろう。怖い。右手に持っているものに視線を落とす。パパからもらったのは、ラッキーストライクの箱だった。投げ捨てようかとも思ったが、何だか妙に捨てられなくて、結局持ってきてしまった。

 よく見るとパッケージが今と違う。警告文のスペースが今より小さい。賞味期限はとっくに切れている。箱を開く。タバコは入っておらず、紙切れと、写真が入っていた。

 写真には、高校生の時のあたしとクラスメイトが写っている。やった覚えのない演劇の背景だ。あたしは真ん中で気恥ずかしそうに光り輝く靴を抱えている。何これ? コラやディープフェイクだったとしたらタチが悪い。この隣の賞状を持ってる男子にも見覚えがない。百舌鳥高にこんなやついなかったと思うけど……。

 紙切れを開く。どうやら手紙のようだ。開くと、目を疑った。筆跡は完全に自分なのに、全く書いた覚えのない文章が綴られていた。視線を手紙から外して、しばし唖然とする。それから、また視線を落とし、文章に目を通す。

 『そっちの亜衣子へ

 この手紙を読んでいるってことは、パパと会ったんだね。どちら様って思ってるかもしれないけど、この手紙を書いてるのは正真正銘小室亜衣子、あたし自身だよ。まぁそっちの世界とは違う世界のあたしだし、この手紙に身に覚えがないのも当然だけど。パラレルワールドってやつ? まぁ厳密に言うと違うらしいんだけど、詳しくはパパから聞いて。パパは、こっちの世界で高校生になって、百舌鳥高であたしとクラスメイトとして数ヶ月一緒に学校生活を送ったの。意味わかんないよね? わかる。でも、ほんとなの。でね、あたし、パパと約束したの。パパ、ゲロほどジャンキーだったじゃん? だからそれ卒業できたら、また会ってあげる。卒業するまで絶対会わないっていう約束。多分この手紙をそっちのあたしが見てるってことは、パパは無事克服したってことだから。亜衣子に会いたくて改心したってことだから、ちゃんと許してあげて。てゆーか、本当はもう許してるでしょ。素直になんなよ。あ、ご褒美に砂丘デートするって言っちゃったから、それだけお願いね。

 こっちの亜衣子より』

 手紙を読み終えると、行ったこともない、やったこともない記憶が、さもあったかのように繋がったような錯覚を覚える。頬からは無意識に涙が伝っていた。

 「パパ……」

 まだ近くにいるかもしれない。とりあえずサンロードのほうに戻る。いない。さらに走る。とにかく探し回った。吉岡街道、智頭街道、川外通り、桜土手通り、弥生橋通り、散々走り回って、鳥取駅のほうに着くと、風紋広場の石階段に座り込んでいるパパを見つけた。思わず叫んでいた。

 「パパ!」

 パパが振り向く。他の人も何人か振り向いた。構わず駆け寄る。

 「亜衣子……」

 パパは、また嬉しそうな悲しそうな、くしゃっとした顔をして、私を見る。膝に手をついて、ゼェゼェ弾む呼吸を整える。パパはハンカチを出して「これ、使うか?」とか「水買ってこようか?」とか、しきりにオロオロしている。全部「いいから」って断って、単刀直入に尋ねる。

 「これ、……ほんとなの?」

 パパの顔と同じくらいくしゃくしゃになった手紙を、パパの前に突き出す。

 「ああ。嘘じゃない。本当だよ」

 「薬物依存も、アル中も、克服したの?」

 「したよ。タバコもやめた。証明する手段はないけど、この数年本当に何もかも辞めて、手をつけてない」

 「あたしの為に?」

 「もちろん。やめたら、亜衣子に会えるからって頑張った」

 「いきなり現れて、びっくりした。……色々急過ぎて、パニックなんだけど」

 「ごめん。一応ママに、亜衣子と会うのを了承してもらって、休みの日は大体ここら辺ぶらついてるって聞いたから」

 「ママに、会ったの?」

 「うん。会ってくれた。時間はかかったけど、ママも許してくれた」

 「そうなんだ……仕事は、今、何してるの?」

 「小説を書いて、何とか生活してるよ。賞に応募したら、たまたま良い編集さんに拾ってもらってね。よくしてもらってる。無茶振りがひどいんだけど、とっても敏腕なんだ」

 パパはそう言いながら、頭の後ろを掻く。

 「ふーん、その人って、女?」

 「え、ああ。そうだよ、なんで?」

 「別に」

 「でね。あの手紙の通り、パパは不思議な体験をしたんだ。そのおかげで、パパは九死に一生を得たし、薬物やアルコールからも足を洗えた。いろんな事がありすぎて、簡単には説明できない。だからその経験を元に、この本を書いたんだ。ぜひ亜衣子にも読んでほしいな」

 そう言ってパパはカバンから一冊の本を取り出して、あたしに渡す。

 その小説の表紙には、「因幡っこごっこ」と書かれていた。

 「まぁ……よくわかんないけど、読んでみる」

 「ありがとう。もしよかったら、今からでも、どこか行かないか?」

 「…………いいよ」

 「どこに行きたい?」

 「…………砂丘」

 「わかった。向こうに車を停めてある。行こう」

 パパの車に向かう途中、喫茶店のお姉さんが言った通り、晴れてるのに急に雨が降ってきた。天気雨だ。チャップリンの杖みたいな傘を広げると、パパがさしてくれた。相合傘の中で近づいたパパからは、タバコや酒の匂いが嘘みたいにしなかった。昔は嫌と言うほど染み付いていて、思わず顔を背けていたぐらいだったのに。天気雨は狐の嫁入り、天が泣くと書いて天泣とも言うらしい。そんなことを話すパパの横顔は、あたしの知らないパパの顔と、あたしの覚えてるパパの顔がチラチラと移ろい、これからは、その隙間を埋めていけるのだなぁと、心がポッと灯った気がした。

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因幡っこごっこ 井上藺上 @enoch_enoch_

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