蕭条無人

速水涙子

蕭条無人

「ねえ。どうしてとったの?」

 ひとりで遊んでいると、いきなりそうたずねられた。私は相手の目をじっと見つめ返すと、彼女が次に何を言い出すかを待つ。

 私が何も言わないでいるのを、答えに困ったからだと思ったらしい。気をよくして、彼女はさらにこう捲し立てた。

「わたし見てたよ。ちどりちゃんがとったんでしょ? かなちゃんの大事なもの。かなちゃん、泣いてたよ。ねえ、どうして?」

 彼女のしたり顔には、どこかおもしろがるような笑みが貼りついている。私は彼女のあからさまな振るまいを、心の中で嘲笑った。

「私がったんじゃないよ。かなちゃんが無くしたの」

 反論されるとは思っていなかったのか、彼女はムキになって言いつのる。

「ちどりちゃんがとったんでしょう。わたし見てたよ。ちどりちゃんが、かなちゃんのお人形を持って行くとこ」

 私はふとあることを思いついて、彼女に向かって手招きした。

「いいよ。それじゃあ、見せてあげる。おいでよ。でもね、気をつけてね。私の言うとおりにしないとダメだよ。そうしないと、悪いことが起こるから」

 そう言うと、不安に飲まれた相手は、従順にうなずき返した。私は彼女の前に立って、一本の樹を取り巻くように作られた大きなアスレチック遊具の上へと登っていく。

 それは広場で一番大がかりなもので、ブランコとかすべり台とかツリーハウスとか、とにかく何でも詰め込んだような場所だった。人気の遊び場だったけれども、この日は雨がちだからか、辺りに人影はないようだ。

 今は雨こそ降っていないけれども、空はどんよりとした雲に閉ざされている。

 私はツリーハウスの端まで彼女を連れて行くと、そこに吊り下げられている、いくつかのロープのうちのひとつを指差した。

 これは、つかまって上ったり、ぶら下がったりして遊ぶためのロープだ。しかし、このときばかりは、そこには汚れた人形が吊り下げられていた。

「かなちゃんの人形なら、あそこにあるよ。でもね、あの人形はもう取り戻せない。かなちゃんが、この樹を怒らせてしまったから。この樹は怖いんだ。ほら。よく見て……」

 樹皮と枝葉の具合から、その樹には人の顔のように見える部分があった。この辺りの子どもたちなら、みんな知っている。始めはみんな怖がるのだけれど、何が起きるわけでもないから、そのうち平気になっていった。

 それは相手も同じらしく、彼女はそちらには見向きもしない。ただ、吊り下げられた人形を食い入るように見つめている。

 きっと取り返したいんだろう。大好きな友だちの大切なお人形を。

 目的を果たした私は、気をつけて、とだけ声をかけて、彼女を残し、その場を後にした。

 次の日。

 冷たくなったその子の姿が発見される。遊具に吊り下がったロープをその細い首を絡ませて、彼女はそこで息絶えていた。

 大人たちがいろいろと調べたようだけれども、それは不幸な事故ということになったらしい。それ以来、その遊具の周辺は立ち入りが禁止された。






 ふと、幼い頃のことを思い出していた。

 なぜだろう、と考えたところで、目に止まったのはイルミネーションのケーブルに絡め取られた街路樹の姿。照明が灯されている夜ならともかく、陽の光の下、葉の落ちた枝々を無数の線に囚われたその様は、どことなく寒々しい。そう思うと同時に、あのときのことが呼び起こされたのはこれのせいか、と合点がいった。

 仕事の合間の休憩時間。五人の女たちが、ひとつのテーブルを囲んで席についている。別に仲良くするつもりもなかったけれども、こういうときは周りに合わせておくのが無難だ。そう思って、私もその一端を担っていた。

 場所は近々オープンする予定のカフェの店内。さすがに内装についてはあらかた完成していたけれども、まだ細々こまごまとしたものが散乱している。とてもではないが客を迎えられる段階ではない。そんな場所に、私は新しいカフェのオープニングスタッフとしてアルバイトに来ていた。

 同じように席についている女たちも、似たような境遇の者たちばかりだ。何人か別の支店から来た者や手伝いらしき者もいるが、いずれにせよ知り合ってから日は浅い。

 そんな状況で交わされる会話なんて、大抵はたわいもないものになる。

「昨日の休みには、映画館に行って来たんですよ」

 と誰かがふいに話を振れば、

「何の映画?」

 と誰かが何の気なしに問い返す。

「ホラー映画です。あんまり有名なやつじゃないですけど」

「この時期にホラー……? 好きなんだ。そういうの」

 そんな感じで、彼女たちは映画の話題でひとしきり盛り上がっている。私はどうにも気乗りがしないので、ぼんやりと物思いに沈んでいた。

 そのうち、そのことを見咎められたのか、誰かにこうたずねられる。

「どうしたの? ずっと外見てるみたいだけど」

 内心では面倒に思いつつも、私は愛想よくこう答えた。

「ちょっと街路樹を……もう、イルミネーションの時期なんだなって」

 とっさに、ブラインドの向こうに透かし見ていたものについて話していた。それでも意識は思考の中にあって、何を見ていたわけでもないのだけれども。

 そんな心の内など知られるはずもなく、相手は納得したように、ああ、とうなずいている。

「言われてみれば……でも、そんなに珍しいものでもないでしょ?」

「それとも、そこに死体でも吊り下がってましたか」

 という、からかい混じりの発言は、先ほどまでホラー映画のことを話していたがための悪乗りだろう。普段であれば軽く受け流すのだけれど、このときの私は、なぜか相手に仕返しをしたくなってしまった。

「かもしれません。無意識に、そういうものがないか、探していたのかも。そういえば……昔、それと似たようなことがありまして。地元の話ですけど」

 と、あたかも今、思い出したかのように話し始めたのは、先ほどまで知らず回想していた幼い頃のできごとだ。

「小学校の中学年くらいのとき、かな。ツリーハウスみたいなアスレチックで事故があったんです。それで、同い年の女の子が亡くなってしまって。遊具のロープが首に絡まったみたいで」

 思いがけない話に、息を飲み恐れる者、あからさまに顔をしかめる者、うれしそうに身を乗り出す者、表向きには素っ気ない者――と反応はさまざまだ。

 私はこう続けた。

「もともと、そのツリーハウスがあった樹には、人の顔みたいに見えるところがあって。呪われているって噂されてたんです。しかも、そんな事故があったものだから、遊具は立ち入り禁止になってしまって……」

 楽しい話でもないと思うのだが、ホラー好きの女は目を輝かせている。

「へえ。人の顔のある樹ですか。そんな妖怪いた気がします。人面樹じんめんじゅ、でしたっけ」

「妖怪って……本当に好きなんだね……」

 呆れたように呟いたのは、アルバイトのリーダーを任された女だ。そのとなりでは、それまで無関心そうだったひとりが、ふいにこう話し始めた。

「違いますよ。人面樹は『和漢三才図会わかんさんさいずえ』にもあるように、人の生首みたいな花を咲かせるんです。その花は笑いはするけど人語は解さず、そのうちしぼんで落ちてしまう。不気味ではあっても、大した害はありません。そう怖がるものでもありませんよ」

「いや。なんでそんなにくわしいのよ」

 そう指摘されると、相手は少しだけばつが悪そうな顔をしながらも、早口でこう捲し立てた。

「別にくわしくありませんこれくらいは単なる雑学です決して私が特殊な家系に生まれたとかではありません」

「そんな風に否定されると、余計あやしく思えるんだけど……」

 違いますって、と否定する姿に、皆がひとしきり苦笑し合ってから、そのうちのひとりが、ふいに話を元に戻した。

「それで……それって本当の話なんですか?」

 問いかけたのは、五人の中では一番年上の女だ。おっとりした彼女は、どうやら私の話を本気で怖がっているらしい。

 私は無言でうなずいた。少し話しすぎたことを自覚しながらも、話したところでどうなるわけでもないと思っていたので、私はさらにこう続ける。

「本当です。しかも、この話には続きがあって。その事故の後、亡くなった子のお友だちが、夜にその場所をひとりで調べに行ったみたいなんです。そうして事故の現場に着いた、ちょうどそのとき――」

 私はそこで一旦、口をつぐんだ。言いづらいことを口にするとき、そうするように。それは単に、相手の気を引く効果を期待しただけなのだれども。

 そのことを確認してから、私はおもむろに口を開く。

「上から突然、人が吊り下がってきたんです。首吊りの死体が――」

「え? な、何で?」

 驚いたような声でそう問い返したのは、ホラー好きの女だ。そういうものが好きだと言う割には、耐性があるわけではないらしい。

 私は淡々と、こう答える。

「ちょうど首吊りの現場に居合わせてしまった、ということらしいです。いや――それが首吊りだとしたら、下りて来たのは死体じゃなくて、そのとき死んだってことになるのかな……それで、そのもうひとつの死も、事故で亡くなったと思われていた子と関わりがあったんじゃないかって話で……」

 たとえホラーが好きだとしても、この流れにはさすがに戸惑ったらしい。彼女は困ったような顔をして、しきりに首をかしげている。

「えーと、それはつまり……もともとの事故は、呪いとかじゃなくて、殺人だったってことですか? だとすれば、その話は人怖ひとこわ系ですね……妖怪にも、樹とか――上から何か下がってくるのがあったはずなので、それかと思ったんですけど」

「何か下がってくるって……好きなわりには、くわしくはないのね……」

 バイトリーダーは冷めた調子でそう呟くと、相変わらず素っ気なくしていたひとりに向かって、いたずらめいた笑みと共に、こうたずねた。

「どう? それについては何か知ってる? 妖怪博士さん」

「誰が妖怪博士ですか」

 妖怪博士は大きくため息をつくと、それでも、こう話し始めた。

「いわゆる下がりの怪ですよね。釣瓶落つるべおとしとか。下りてくるだけのものもありますけど、人を食う、といった話もあります。下りてくるのも釣瓶だけでなく、他の物や生首とか……馬の首なんかもありますね」

「やっぱりくわしいじゃない」

 笑い混じりにそう指摘されて、妖怪博士はやはり、むっとした顔をしている。その表情をぼんやりとながめていたところ、視線に気づいた相手がこう問いかけた。

「何か?」

 はっとした私は、とっさにこう答える。

「樹から下りてくるだけなら、怖くはないかな、と思って。だって、その樹に近づかなければ、害はないわけだし。その怖いものは――その樹から、離れたりはしないんでしょう?」

 そう言うと、相手は、そうかもね、とだけ返してから、すぐさま目を逸らしてしまう。その代わり、当初は顔をしかめていたはずのバイトリーダーが、面白そうにこう言った。

「それにしても、うまいね。話」

 どうやら、私の言ったことを作り話だと思ったらしい。ホラー好きの女が戸惑ったようにさわぎ出す。

「え? 嘘だったんですか? 嘘? 本当? どっち?」

 そんな彼女を横目に、バイトリーダーは腕時計に視線を向けると、早々に立ち上がって、こう告げた。

「ほら。もう時間だよ。休憩終わり」






「あれは、ちどりちゃんがやったの?」

 遊具での件でさわぎになった、次の日のこと。姉は私にそう問いかけた。

 三つ年上の姉は、私とは正反対の性格だ。無口で無愛想で可愛げがない。いつもひとりで遊んでいて、友だちのひとりもいない――そんな姉が、私に話しかけること自体が珍しい。

 しかし、私は何も答えなかった。だって、全ては姉のせいなのだから。近所に住む子どもがおもちゃのペンダントをなくしたときも、それは姉のかばんの中から見つかったし、いなくなったペットの小鳥は、ずたずたになったそれが姉の世話していた鉢植えに埋められていた。

 全ては姉のせいだ。そういうことに、なっている。

 けれども、このときの姉は、もう一度はっきりと口にした。

「あれは、ちどりちゃんがやったの?」

 姉はそう言って、私のことを責めたつもりだろうけれども、私はそのことを何とも思っていなかった。だって、全ては姉のせいなのだから。

 いつもならすぐに目を逸らす姉が、このときばかりは真っ直ぐに私のことを見つめている。それでも、姉は相変わらずの無表情だったから、何を考えているのかはわからない。

 悲しいならもっと暗い顔をするべきだし、怒っているならもっと怖い顔をするべきだ。そうでなくとも、もう少しうまく取り繕うことができたなら、印象も変わるだろうに。

 しかし、そんな器用なこと、姉には到底無理だろう、とも思っていた。そんなだから、お母さんもお父さんも私ばかりを可愛がる。

 無表情の姉は、強いて言えば何かを思い詰めているように見えた。だから私も、そのときばかりは、姉の言葉に耳を傾けることにする。

 姉はその後、あの遊具まで足を運び、そこで自ら首を吊ることになった。

 そういうことに、なっている。






 カフェがオープンしてから、しばらく経ったある日のこと。クローズ後の店内に、思いがけずひとりきりになった。

 しかも、目の前には不用心にも一日分の売上が入った袋が残されている。どうやら、誰かがそこに置き忘れたものらしい。

 ふと、これを持ち出せばどうなるだろうか、と考えてしまった。

 はした金ではあるけれど、無くなればさわぎにはなるだろう。けれども、周囲に人の気配はないし、それがあるところは監視カメラからもちょうど死角になっている。だとすれば、これを今、うまいこと持ち去ったならば、誰にも気づかれないのではないだろうか。

 もちろん、忽然と消えるわけはないのだから、誰かが持って行ったということにはなるだろう。けれども、もし仮に誰かがうっかりして、これを見失っているのだとしたら、所在はさらに曖昧になり、ごまかすことも容易になる。

 事実というものは、存外あやふやなものだ。良く言えばおおらか。悪く言えば嘘まみれ。何を考えていようと、殊勝な顔さえしていれば真っ当に見せかけることはそう難しくはないし、何をしたとしても、確たる証拠がなければ誰もそれを裁けない。

 ちょうど買いたい物もあることだし、ためしに拝借してみようか。持ち去ったのは、そんな軽い気持ちからだ。

 バレるようなヘマをするつもりはないけれども、怪しまれたところで、さっさと辞めればいいとも思っていた。今の仕事はあくまでもつなぎのつもりだったので、長く勤めるつもりもなかったからだ。

 とはいえ、そもそも売上金を持ち出すなんてことが、そう安々と許されるはずもない。

 後始末を終えて帰りの支度を始めようという頃には、売上金を紛失したとさわぎになった。当然、知っていると名乗り出る者もいなかったから、その場にいたスタッフは皆、本人の同意のもとで持ち物をあらためられることになる。

 こうなることはわかりっていたから、私は些かもどうじてはいなかった。そもそも、持ち出した金も今は私の手元にはない。

 それは粗末なロッカーの中にあった。しかも、他人が使用しているロッカーだ。

 当然、鍵がかかっていたけれども、安物だったので開けるくらいなら訳もない。うまく持ち出せればよし、そうでなくとも、私が持ち出したと知られなければ、それでいいと思っていた。

 この日に店に残っていたスタッフは、私の他には社員がひとりと――それから、いつぞや嬉々としてホラー映画について語っていた女と、そのときに妖怪博士と称されていた女のふたりだ。別に親しくする気もなかったので、名前なんてすぐに忘れてしまっていた。

 売上金は、ホラー好きのロッカーの中にある。普段から粗忽なところを咎められていたので、罪を被せるにはおあつらえ向きだろう。都合の良いことに、この日のレジは彼女の担当だ。

 これで彼女のロッカーから売上金が見つかれば、彼女が持ち出した以外には考えられない。そういうことに、なるはずだ。

 しかし――

「待ってください。そこにあるのが、探しているそれじゃないんですか?」

 そう言って、妖怪博士が指差したのは、オープンして間もないのに、すでに資材によって雑然としている棚の上だった。物影に隠れていたそれの中身を確認してみたところ、間違いなく今日の売上金だということがわかる。

「どうしてこんなところに。でも、よかった。また私が何かヘマをしたのかと……見つけてくれて、ありがとうございます。隼瀬はやせさん!」

 そんな発言に耳を傾けながらも、私は内心で、この事実をいぶかしく思っていた。



 あの金は、どうしてあそこにあったのだろう。

 奇妙なことではあるが、考えられる可能性はひとつしかない、とも思っていた。自身のロッカーに不審なものがあることに気づいた本人が、こっそりとあの場所に移動させた、という流れだ。

 とはいえ、普段の振るまいからすると、あの女はしらを切るようなタイプではない気もする。あるいは、私が読み違えているのかもしれないが――何にせよ、このことは、どうにも釈然としなかった。

 そんなことを考えていたせいで、私の視線は知らずその場所に釘づけになっていたらしい。そのことを、ふいに見咎められてしまう。

淡島あわしまさん。そこ。あなたのロッカーじゃないでしょう」

 振り向いた視線の先にいたのは、あのとき売上金を見つけた女――隼瀬だ。

 この女。もしかして、何かに感づいているのだろうか。

 何にせよ、この日の仕事は終わっていたし、長くおしゃべりしたい気分でもない。私は適当な言い訳をして、早々にその場から立ち去った。

 しかし、間の悪いことに、彼女もまた帰るところだったらしい。思いがけず、一緒に店を出ることになる。

 日の入りが早い冬のこと。外の空気は冷たく、暗がりの中で煌めくイルミネーションは、この時季の物悲しさを無邪気に刺している。

 私は光が灯った街路樹からは目を逸らして、ただひたすら歩き続けていた。あの女が、私の後ろをついて来ていることを無視しながら。

 それでも、相手は気にすることもなく、何気ない調子で、ふいにこう話しかけてくる。

「こんなこと、あまり言いたくないんだけど……その生き方をあらためないと、今にきっと痛い目に会うよ」

 私はその言葉に振り返ると、背後に立っている相手と真正面から向き合った。

「……何のこと?」

「あなた、自分の失敗を人のせいに仕向けるのがうまいでしょう。そうやって、要領良くやってるつもりだろうけれども、いつまでも、そんなことが通用すると思わない方がいい」

 私は相手の主張をせせら笑った。

「何それ。証拠はあるの? ただの言いがかりなら、やめてちょうだい」

 隼瀬はため息をついてから、こう続ける。

「因果応報――だなんて説教するつもりはないけどね。絶対ではなくても、それはいつか、あなたにかえってくる……かもしれない」

 そんな、あやふやなことしか言えないなら、確たる証拠があるわけではないのだろう。だとすれば、こんな会話に意味はない。とはいえ、何かしら感づいてはいるようだから、仕事を変えないわけにはいかないだろうけれども。

 それでも、私は些かも動じてはいなかった。しかし、それは相手も同じらしく、彼女は怯むことなく私の目をじっと見返している。

 そのとき、ふいにどこからか奇妙な――まるでカエルの鳴き声のような――音が聞こえた、気がした。かと思えば、彼女は突然、何かを持った手を私の方へと差し出す。

 握られていたのは、奇妙に絡まったロープの束。

「これが、あなたの怖いもの?」

 そう問いかけられて、私はふと幼い頃のことを思い出した。

 どうして私は、あの子の人形を盗ったりしたんだっけ。たぶん、気に食わなかったからだ。私が欲しかった人形を、憎らしいあの子が先に手に入れてしまったから。

 だから、それを持ち出して仕掛けを作った。うまくいけば、死んでくれるかもしれないと思ったから。

 子どもが考えることだから拙いものではあったけれども、とにかくそれはうまくいった。当初の予定とは、違ってしまったけれども。

 誰もそのことに気づかなかったのに、姉だけは何かに感づいたようだった。だから私は、姉も同じことになるよう仕向けてもいる。

 計算違いがあったとすれば、姉の死を目の当たりにしてしまった者がいたことか。どうにか仕掛けを回収できたけれども、それを処分するのに手間取った。

 あの子が大声でさわぐものだから、現場にはすぐに人が集まってしまったからだ。仕掛けを持っているところを誰かに見られでもしたら、何もかもが台無しになってしまう。早く何とかしなくては――そう考えた私は、焦った末に、それを近くにあった大きな樹の上に放り投げた。

 それは手が届かないほど高いところに引っかかると、枝に絡まっていた蔦にうまい具合に紛れ込んだようだ。今にして思えば浅知恵だったとは思うが、結局のところ、それが見つかることはなく、私の仕掛けは誰にも知られずに葬り去られた。

 だから、あれらはすべて不幸な事故。そういうことに、なっている。

 それなのに――

「どうして、これが、ここに……?」

 あのとき私が作った仕掛けは、遥か遠くの故郷にある樹の上に、今も引っかかったままのはず。

 呆然と呟いた私に向かって、隼瀬はしれっとこうのたまった。

「ああ……私、超能力を持ってるの。だから、あなたにとって怖いものと思うものを引き寄せてみた」

 何をふざけたことを。それとも、本気で言っているのだろうか。

 とても信じられるような内容ではないけれども、これがここにあるからくりが何なのか、私にはわからない。わからないなら、その言葉を受け入れる他ない。

 そういうことに、なってしまう。

「……これを見せて、私にどうしろって言うの?」

 私は苛立ちを抑えながら、そうたずねた。隼瀬は小さく肩をすくめている。

「別に。私はこれが何なのか知らないし。知ろうとも思わない。言ったでしょ。それはいつか、あなたにかえってくるかもしれないって。思わぬことで、足をすくわれることもある。そう忠告しておきたかっただけ」

「……それだけ?」

 私がそう問い返すと、隼瀬はあっさりとうなずいた。

「それだけ。まあ、そういうわけだから。せいぜい肝に銘じておいて」

 そう言って、彼女はそのロープを私に手渡した。そうして、早々にこの場を去ってしまう。

 しばし呆気にとられていたけれども、これまで恐れていたものが今、自分の手元にあることに気づくと、私は知らず笑みを浮かべていた。

 いつの日にか、自分の罪が暴かれることになるのではないかと思っていた。けれども、こんなものが、ひとつやふたつあったところで、何もくつがえりはしないらしい。だとすれば、恐れることなど何もない。

 そういうことに、なるはずだ。


     *   *   *


 楽しくもないおしゃべりの後、ひとりで歩いていると、ふいに声をかけられた。

「お。本家の嬢ちゃんじゃないか。奇遇だな」

 振り返った視線の先にいたのは、知り合いのおじさんだ。実家の近くに住んでいて、古い木を世話するという変わった仕事をしている。

「嬢ちゃんはやめてくださいよ。片桐さんこそ、こんな都会に何の用です」

「そう言うなよ。俺たちだって、四六時中、山の中にいるわけじゃないさ。しかし――嬢ちゃんと会うのは、本当に久々だな。たまには里に顔を出したらどうだ。家族とも、けんか別れしたわけじゃないんだろう? 相変わらず、妙な生きものを連れているみたいだし」

「連れて来たわけじゃないです。勝手について来たんです。私はあの家とは、もう関わりがないですから」

 そう言い返しつつも、彼に会ったことで、私はふと、あることを思い出していた。

「そういえば……うちの庭に、人面樹、生えてませんでした?」

「ああ。あるな。それがどうした?」

 あっさりとしたその答えに、私は思わず顔をしかめてしまう。

「何でそんなものあるのよ。やっぱり、あの家おかしい……」

 そんな私の呟きに、片桐は苦笑いを浮かべている。

「どうした? そういえば、嬢ちゃんは小さい頃、人面樹を見て大泣きしたそうじゃないか。もしかして、どこかで人面樹でも見つけたのか?」

 そんなものが、うち以外に生えているわけがない。片桐は単にからかっているのか――そうでないなら、私が苛立っていることに気づいているのだろう。

 私はあらためて、さっきまでの会話を思い起こしていた。

 彼女がどのように生きるかなんて、知ったことではない。それでも、あれでよかったのだろうか、という思いが、どうにも拭えずにいる。

「あれはきっと、人面樹なんかより――もっと怖い、何かですよ」

 私はそう呟くと、冷たく凍えるほど透明な夜気に、白い息を吐き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

蕭条無人 速水涙子 @hayami_ruiko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ