須田さんの地図

クソプライベート

世界

須田さんが、長年の夢だった「一分の一スケールの地球儀」を完成させたと発表した日、町の公民館に集まった記者たちは困惑していた。目の前にいるのは、どこにでもいる好々爺だ。宇宙開発企業の後ろ盾があるわけでも、巨大な財団を率いているわけでもない。

​「須田さん、その…地球儀はどこに?」一人の記者がおそるおそる尋ねた。

須田さんはにっこり笑い、窓の外を指差した。

「あれです」

「…あれ、とは?」

「この地球そのものです。私は本日、この惑星を『作品名:地球儀』として登録しました。縮尺は、ご覧の通り一分の一。完璧です」

​記者たちは顔を見合わせた。須田さんは続けた。「もちろん、これだけではただの宣言です。ですが、私のプロジェクトはこれで終わりではありません。現在、第二段階として『一分の一スケールの世界地図』の設置作業を行っております」

​その言葉の通り、その日から世界中で奇妙な作業が始まった。何千機という飛行機が、特殊なビニール製の巨大なシートを空から広げていく。それは須田さんが生涯をかけて設計し、世界中の工場で秘密裏に製造させていたものだった。

​シートは地表の全てを寸分違わず描き写した、完璧な「地図」だった。エベレストの頂にはエベレストの絵が、アマゾンの密林には密林の絵が、そして東京の町並みには、寸分違わぬ東京の絵が描かれている。

​数週間後、地図は地球の陸地全てを完全に覆った。須田さんは満足げに宣言した。「これで完成です。皆さん、足元をご覧ください。そこにあるのは、完璧な地図です」

​世界は混乱した。人々は、自宅の玄関の絵が描かれた地図を踏みながら、本物の玄関を探してつまずいた。アスファルトの絵の上を歩き、マンホールの絵に戸惑う。地図の上に「現在地」と書かれた赤いシールを貼っても、そのシールが示す場所はシールの真下にある地図のその場所であり、何の意味もなさなかった。

​太陽の光は、精巧に描かれた空の絵が描かれた地図に遮られ、世界は薄暗くなった。鳥たちは、描かれた森の絵に着地しようとして、ビニールの上を滑稽に滑った。

​完璧な地図は、完璧に無意味だった。

​須田さん自身も、その事実に気づき始めていた。彼はヘリコプターで、かつて富士山だった場所、今は富士山の完璧な絵が描かれている場所へと降り立った。彼は足元の地図に描かれた、見事な山頂の岩肌の絵に触れた。そして、ビニールの下に手を伸ばし、本物の、冷たくてごつごつした岩に触れようとした。だが、地図が邪魔をして届かない。

​その瞬間、須田さんは全てを悟った。

​地図とは、世界を理解するために「不完全」にする作業なのだと。広大すぎる現実を、手のひらに収まるサイズに縮小し、複雑な情報を記号に置き換える。その「嘘」と「省略」にこそ、地図の本質と価値があったのだ。完璧な再現は、ただの邪魔な複製でしかなかった。

​翌日、須田さんは「一分の一スケール地図の撤去」を命じた。世界中の人々は、空が再び見えたことに歓声をあげた。

​後日、須田さんの自宅を訪ねた記者は、彼が書斎で小さな地球儀を愛おしそうに撫でているのを見た。それは、国境線が少しズレている安物の地球儀だった。

​「どうしてまたそれを?」

記者が尋ねると、須田さんは微笑んで答えた。

​「いやぁ、世界を理解するには、これくらいの間違いがあったほうが、ちょうどいいんですよ」

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