エイリアンの猫

後谷戸隆

エイリアンの猫

「もしも仲間がきみを迎えに来たらどうするね」とエイリアンの猫にぼくは尋ねた。


 エイリアンの猫は宇宙からやってきたのだ。仲間はみんなエイリアンの猫を置いて母星に帰ってしまった。それで仕方がないので地球で暮らしていたのだけれども、母星へ帰る方法はないし、地球にいつまでもいたってなんにも楽しいことはない


 エイリアンの猫は鼻を鳴らしながら、 


「そんときゃさっそうとわたしは帰るさ。地球の環境はわたしたちにとってはあまりに過酷だからね」


「具体的にどんなところなんだい」


「まず猫嫌いの人間がいるだろう?」


「うん」


「それから安っぽい餌があんまりにも横行しているよ。一定の値段のものじゃないとわたしたちの舌には合わないんだ」


「母星では宇宙ネズミとかは食べないのかい」


「食べなくはないけれども」


 食べるんだ? エイリアンの猫の言うことはよくわからなかった。


 でもそれ以外ではエイリアンの猫はまるでふつうの猫みたいで、寒いときなどはぼくの寝ている布団に夜中に入ってきて、ぼくはきみを潰してはいけないから寝返りを打てなくてたいへん窮屈になってしまうのだけれども、でもエイリアンの猫はそうするのが当たり前の権利だとばかりに布団を占拠してしまうものだから、ぼくは仕方なしに隅っこの方に追いやられてしまうのだ。


「朝にお尻の匂いを嗅がせて起こすのも止めておくれよ」


「あなたが勝手に嗅いでいるのさ。わたしのお尻の匂いを嗅がないでほしいよ。失敬しちゃうね」と猫。なんか言ってやがる。


 ぼくが起きないことには餌がもらえないものだから、そういう嫌がらせを嬉々としてすることをエイリアンの猫はそんなふうに言い張るのだった。




 それから長い時間が経った。ぼくはエイリアンの猫がエイリアンの猫だったということはすっかり忘れて、夜に電気を消したあとにしばらくぼうっと山吹色に光るところ以外はぜんぜん地球の猫とおんなじだから、いつか母星に帰らなくちゃいけないのだということをまったく忘れてしまっていたのだった。


 でもある日のこと。


 エイリアンの猫が散歩につれていけと言って、珍しいこともあるものだなと指図されるまま散歩に付き合っていると、猫は近所の山の中腹ぐらいに行って、そこの木々の只中に停まっている〝宇宙船〟を探り出したのだった。


「わたしの仲間が救援の船を送ってよこしてくれたんだ。無人で、わたしが乗り込めば自動で母星まで帰ることができる」


 そしてエイリアンの猫はぼくの方を振り返って、夏至の長い残照みたいな顔をしながら、


「今までありがとう、明日帰るよ」と言った。


 ぼくはもちろんショックだったけれども、でも努めて平静な顔をしながら、


「今日はお別れ会をしようね」と明るく言ったのだった。




 眠れなかった。


 お別れ会も済んで、「地球のお酒は悪酔いするものばっかりだよ、母星の酒蔵を見習ってほしいよ。ニャムニャム」と文句を言うエイリアンの猫を寝かしつけたぼくは、昼間に宇宙船を見つけた山の中に戻って来ていた。山道を登りながらぼくは、猫を帰したくないなと思っていた。


 いつまでもうちにいてほしかった。いつまでもぼくの足元でごろごろ転がったり床用のコロコロで抜け毛を抜かれることを楽しんでいてほしいと思っていた。


 だから鞄の中にはトンカチとノコギリ、とにかく宇宙船を壊せそうなものをいっぱい詰めこんでいたのだった。


 見つけた。宇宙船だ。ぼくは鞄からトンカチを取り出して叩きつけた。粘土を叩いたような鈍い音が響いてそれからすぐに静かになった。


 壊れそうな気配がない。ぼくは力いっぱい宇宙船を叩くのだけれどもどこを叩いても鈍い音を立てるばかりなのだ。


 しかたない。山火事になってはいけないと躊躇していたけれどももはや燃やしてしまうしかほかになさそうだった。ぼくは着火剤を宇宙船に置いて火を点けて、宇宙船を燃やしてしまおうと思った。けれども、やっぱり宇宙船はちっとも炎上したりすることはなくて、頭上の木々を明るく照らすばかりなのだった。


 なんでだよって思う、どうして壊れないんだよ。叩きながら、宇宙船をトンカチで叩きながらぼくは、どうして帰っちゃうんだよって思った。どうしてぼくのところからいなくなっちゃうんだよ。


 きみがいつか母星に帰ってしまうことぐらい、ぼくはずっと前から知っていたはずなのに。


 宇宙船をトンカチで叩く。トンカチで叩いて壊れてしまうように、宇宙船が使い物にならなくなって、きみが母星に帰ることができなくなるように、ぼくはずっとずっと宇宙船を叩いていた……。


 朝になった。エイリアンの猫がやってきて「探したよ」と言った。


「朝ご飯をおくれよ」とエイリアンの猫が言った。ぼくは泥だらけになった顔をエイリアンの猫に見られたくなかったからさっと隠して、それから宇宙船の上の着火剤の燃え残りをゴミ袋の中に入れた。


「ごめんね」と帰路をたどりながらぼくはエイリアンの猫に言った。なにに謝っているのかは自分でもわからなかった。エイリアンの猫はぼくの腕に抱えられながらぼくの汗だらけの服の匂いをくんくんくんと嗅いで嫌そうな顔をする。


「謝ることはないさ」とエイリアンの猫は言った。


「わたしはあなたのことが大好きだからね」とエイリアンの猫は言った。それを聞いたぼくは動けなくなって、いつまでも、いつまでも猫を抱えたまま、日の昇る山の中でうずくまっている。

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エイリアンの猫 後谷戸隆 @ushiroyato

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