花籠しずく

 わたしが死んだら、わたしのお腹をさいてね。きっとよ、ねえ、きっとよ。

 富江さんは口癖のように、そう言いました。あたしとはどんな仲だったのかと聞かれると、少し困ります。友達のような関係だったかもしれませんし、友達以上の何かがあったのかもしれません。


 私たちが尋常小学校で身を寄せ合って過ごしていた時から、富江さんは、蝶になる準備をずっとしていたのかもしれません。あたしが富江さん、富江さんと呼びかければ、富江さんはいつだって上品に笑いました。どこかのご令嬢と間違えてしまいそうな、そんな綺麗な笑顔だったのですが、着物はあたしと同じような、どこでも手に入るようなもので、同じ教室にいるお金持ちの子が着るような、洋服やハイカラな模様の着物は着ていなくて、あたしと同じ生き物だと知るのです。しかし富江さんは、口癖のように、何か歌を口ずさむような軽やかさで、富江さんが死んだ時に、お腹を裂いて、その中を見るように言うのでした。

 でも、あたしは分からないふりをしました。この時分、女は馬鹿な方が可愛がられますので、女相手に馬鹿なふりをしてどうするのだ、というのはさておき、あたしは馬鹿なふりをするのは慣れていました。何言ってるの富江さん、とだけ言って、あたしは微笑みました。


『わたしのお腹の中には蝶がいるのよ』

『人間のお腹の中に、蝶がいるわけないじゃない』


 あたしたちがそれぞれ結婚しても、そんなやりとりは続きました。ですが、つい一昨日、富江さんが死んでしまったのです。

 死に顔はとても綺麗でした。あたしはもう、富江さんが死んでしまったなんて信じられなくて、何度もその顔を見ては家に帰ってと繰り返したものですが、それを五回繰り返した頃でしょうか。真夜中に包丁を持って、富江さんが嫁いだ家に向かうことにしたのです。


 富江さんが嫁いだ家は、恐ろしいほどに静まり返っていました。皆、富江さんの死というものに耐え切れずに、魂を手放してしまったようでした。そんな家に忍び込むのは難しくなく、あたしは富江さんが寝かされている部屋に忍び込んで、その身体にかけられていたものを全てすべて、丁寧に脱がしました。月明りに映る彼女の身体はまだみずみずしく、死んでいるとは信じられませんでした。


 あたしは包丁をその腹に突き立てるか何度も迷い、三十分か一時間でしょうか、いえ、もっと短かったかもしれません――ひどい汗をかきながら、彼女の胸の下に包丁を突き立て、ぐっと下腹部にかけて引きました。肉が見え、白いものが見え、あたしは吐き気を感じたものですが、次の瞬間、そこにあった赤いもの白いものが光のように弾けて、蝶に変わっていったのです。彼女の身体の内側から少しずつ形が崩れていって、赤や桃色、水色、黒といった、色とりどりの蝶に変わっていくのです。あたしは腰を抜かしつつも、その光景に目を奪われていたのですが、やがて富江さんの身体のすべてが蝶になり、そこには包丁だけが残されました。


 うち一匹が、あたしの肩に、耳にとまって離れませんので、あたしはこの蝶を富江さんだと思って話しかけているのですが、どうにも、答えてくれませんね。

 あたしが遺体を盗んだと皆さん疑っていますので、あったこと全てをお話したのですが、皆さん信じてくれませんよね。富江さんが何かお話してくれたらいいのですけど。ねえ、富江さん?


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花籠しずく @huzisakimiyo

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