リヒトシュヴェルト

443

紡ぐイト

 月は雲に隠れ、道には一片の光も届かない。表通りから数本進んだ裏路地は、人の姿も見られない。

 少女はあえて慣れ親しんだ道を外れて人目につかない経路を進み、何度くぐったのかも分からない裏口へ。その近くにある隠し戸の取手を引けば、部屋は灯りの魔道具によってぼんやりと照らされていた。

 震える肩を数秒押さえ、特別な衣に身を包む。そうして奥へ、ゆっくりと歩みを進める。たとえ逃れることのできない運命だとしても、ただ流されることを拒むために。


 転移陣を抜け、訪れるは目的地である空間の魔法具——その内部へ。社会から恐れられる私たち、裁きの剣リヒトシュヴェルトの牙城だ。

 黒大理石の長い廊を近づくほどに明るさを増すブラケットライトが照らし、先の見えない闇は手招きするように私を誘う。


 悪趣味な通路の先には同じテイストの大広間。私は壁沿いを辿って自分が属する派閥の椅子に腰を下ろす。

 大きな円卓を囲むは我らがあるじたる統主シャイデと、彼女からの信頼が厚く実力も高いと噂される九名の精鋭グリフ。一定距離を置いてその背後に控えるのが私たち、合わせること百人弱にもなる一般構成員クリンゲ


 全員が揃うのは発足以来初めてだった。理由は単純、これから始まる会議に同席しなければ——抹殺されるからである。無視されるのではない。本当の意味で殺される。ここはそういう場所なのだ。


 いつ始まるのかと身構えていれば、軽い世間話めいた調子でシャイデが口を開いた。

 『今、この組織はいくつかの派閥に分かれている。多少の理念の乖離なら、これまでは見逃した。しかし、現在はどうだろうか?』と。


 なんでもないように発された言葉に大広間の空気が一気に冷え込んだ。

 二つの大派閥が衝突し、互いの担当地にまで踏み込んでいる——そのために、シャイデは言葉を続ける。

 

「“私たち”はこれまで通り、私の命令に従うならば組織の方針程度はどこのものでも構わない。だから決めなさい。処刑人と呼ばれる貴方達らしく、禍根が残らないように。強い理念を持つのなら——殺し合って決めなさい?」


 しんと静まる部屋に、有無を言わせないシャイデの声が耳鳴りのように響く。彼女が黒と言えば、白も黒になる。言葉が紡がれた時点で、それは既に決定事項だった。


「曲げられない理念のある者は起立」


 その声と同時に、二大派閥の筆頭である二名のグリフが立ち上がった。それに続くようにそれぞれ一名ずつのグリフが。それに釣られる訳ではなく、私も自分の理念を基に立ち上がる。

 決戦は今夜。私たちはこれまで共に働いてきた同僚に刃を向け、私たちの理念を通すために命を奪う。



 空間の魔法具がある林一帯を利用した“戦闘領域”。そこでは勝つか負けるかの二者択一、戦いが終わるまでは出られない。されど立ち上がった者の中に、望まない未来以上に“死”を恐れる者はもういない。私たちは二つに分かれて両端に待機していた。

 私が属する派閥はカシラガリ率いる『殺す数は最小限を心掛ける』穏健派。立ち上がったもう一人のグリフ、副長はコクイン。従うクリンゲは二十三人。

 対する相手はクロギリ率いる『悪い奴は全て殺す』過激派。副長はリョウダン。従うクリンゲは十三人。


 数では私たちの方が優位だが、数を殺してる向こうの方が手にした力はずっと大きい。それにグリフの中でコクイン様は強くない。私と同じく、力の使い方を殺しに向けようとしなかったから。

 技能でも、魔法でも、私たちは全員何かしらの力を持っている。進化したなら更に多くを。


 グリフの方々は何を求めたのだろうか? いや、手札が未知数な相手に挑むなんていつものことか。ならば自分がいかに動くかを考えた方が良い。

 私は一人を相手にしていたらいいだろうか? それとも乱戦になって収拾が取れなくなるだろうか?  そもそもクリンゲ一人すら、私はまともに相手できるだろうか? 勝てるだろうか? 負けたら後はどうなるのだろうか?


 “初代”が築いた暴力と恐怖による秩序はいつか失われるべきものだとシャイデは言った。しかし、それは決して今では無い。

 だとしても、なぜこうする必要があったのか。どうしてこの組織を作るに至ったのか。知る者として、そして語らう者として、私は相対さなければならない。

 とはいえ、私同様にここにいる全員が敵側の方が強いことを認識している。だからこそ、誰一人として口を開くことが出来ずにいた。そんな重苦しい空気の中、草が踏み締められ、聞き馴染みのある女性の声が周囲に響く。


「みんな、顔を上げて? そんな悲壮的な表情されちゃあ、私たちが悲しいじゃない」


 緊張のせいか、どこか冷たいコクイン様の声に派閥の者たちが顔を上げる。その後ろをゆったりと歩く派閥の長、カシラガリ様。そこから推測できることは一つ。私たちの長い夜が始まろうとしていることだった。

 重々しい声が闇夜に渡る。


「クロギリは俺が殺す。リョウダンのスキルは空間系だ。決まった範囲を強制的に断絶する。コクインでは明らかに戦力不足だ。そこからそこまで、コクインと共にリョウダンを討て」


「「「承知!」」」


 大雑把に指を刺されたクリンゲが了解の返事をしたのを見てカシラガリは満足げに頷き、命令を続けた。


「残りは二人以上で組め。人数は問わん」


 近くの男に視線をやれば、無言の頷きが返ってくる。これで命令は遂行できるだろう。


「最後に全員、両腕にこれを巻け」


 そう言って小箱から出されたのは青の布地。敵派閥は赤色のものを巻いているのだと言う。


「奴らの包帯を、全て血で染めなおせ」


 鼓動が一層と強まり、湧き上がる熱を冷ますように林の隙間を風が薙ぐ。その時を待っていたかのように、開戦を知らせる法螺の音が暗闇に響き渡った。



 魔力を活用できる新時代において、暗闇は既に視界を阻むものではない。視覚の源——眼球に魔力を集中することで生物本来の能力を活性化させることができる。それは瞳だけでなく腕や脚も同様で、私たちにそれが出来ない者は存在しない。技能強化は基本中の基本なのだ。


 自らと同じ黒装束を身に纏い、腕に赤色の生地を巻きつけているだろう敵派閥。まずは地形と情報の利を得るために、同僚三人と共に山側へと駆ける。

 会話は無く、枝を切り払う音と草を踏み締める音だけがその場に響く。それは不気味なほどに長く続き、戦闘領域に定められた領域の最高地点に辿り着いた時、遠くから武器と武器がぶつかる戦闘音が響き始めた。

 迸る魔力光は遠目でも強大で、それがグリフ同士の戦いによるものだと予想できる。


「ん?」


 呟いた仲間に目を向けると、背後から胸が一突きされていた。腹に回された腕が離れれば、そのまま地面に倒れ伏す。

 そこには赤——敵がいた。


「よお、何見てんのか教えてくれよ」


「——ッ」


 完全に不意を突かれた。動き出すまで全く気が付かなかった。

 私は即座に距離をとって木の裏に回る。思い思いに離れた私たちを、敵は明らかに嗤っているだろう目をギラリと輝かせて一単語つぶやく。


「《同化》」


 ただの言葉。されどそれは強力な力を孕んでいた。


「ん〜? 一人残った?」


 力を失ったかのように倒れる二人の仲間。体の大半は残っているのに、フードに隠れた頭だけが異様に形を失っている。

 フードから流れ出す砂。それは命が枯れた証拠だった。


 私はあまりの恐怖に全身から力が抜ける。頭上に斬撃が飛び、潜んでいた木が大きく倒れた。

 首を回す。目に映るのは細身の男。悠々と歩み寄る敵の瞳は怪しく煌めき、獲物を見定めているようだった。


「お前、女か」


 眼前の敵は警戒を解かないままに、武器の柄に手を掛けることも出来ずに座り込む私へと話しかける。


「仲間の配置は?」


 答えなければ殺される。今になって怖気付いた私は、喉から搾り出すように声を出す。


「し、知らない」


 ジッと目が細められる。この仕草の意味は良く知っている。嘘か真かを図ろうとする顔だ。

 でも私は嘘を言ってない。何も、知らない。私の言葉は本当だと、願うように首を横に振るう。怖い。死にたくない。それだけが思考を埋め尽くしていた。

 まるで執行を待つ罪人のように。最後の一片の希望に縋る気持ちで私は仲間の訪れを祈る。

 風に暗色のフードが揺れる。祈りは届く筈もなく、しかし確かに望んでいた結果に動こうとしていた。


「まぁいいや。オレさ、女の子殺すの嫌いなんだよね。思うんだ、別に方法なんて始めっから殺しじゃなくていいだろ〜って」


 男はふざけた調子で語りを続ける。


「だってさ、どうせ殺すなら楽しんでからの方がいいじゃん? ただ殺すだけなんてモッタイナイ。ねぇ、キミ何歳? 中学生? 高校生?」


「……じゅうごさい。中学生」


 脚に力が入らない。怖くて武器を握れない。状況を改善する余地のない私に、じっくりと舐め回すような気色悪い視線が注がれる。


「そっかぁ。まだ、中学生なんだぁ。——ここに居るってことはカクゴもできてんでしょ?」


 私は全力で首を振る。覚悟なんて出来てなかった。私には殺される覚悟なんて始めっから無かった。私は自分が特別だと信じていた。

 シャイデの話し相手になって、欠片の側に寄り添って。でも、それは私じゃなくてもいい。誰にでもできることだったんだ。


「ふ〜ん。そぅなんだぁ。じゃあ、死にたくない?」


 生き残れるかもしれない。そう感じた私は何度も強く頷いた。


「オレのペットになれば、命は助けてあげてもいいよ? どうせカシラガリもクロギリ様には勝てない。それに、クリンゲや最弱グリフのコクインにリョウダン様が勝てない訳が無い。クリンゲ同士の戦いで、たとえ全てそっちが勝ったとしても、結局勝つのはオレたちだ」


 そうだ。もしもカシラガリ様がクロギリに勝てたとしても、よっぽど損耗してない限りリョウダンとの連戦は厳しいだろう。

 初めから勝敗は決していたんだ。……いや、それでもカシラガリ様が勝つ可能性も——。


「戦況を教えてあげるよ。カシラガリは胴を前から斬られて死亡。コクインはお仲間と一緒にみんな仲良く両断されて死亡。四人組の君たちも、オレが一人で壊滅させた。オレの仲間のグリンゲも、君の仲間を脱がせて連れ回してるよ。ね? もうキミたちに、勝ち筋は無いんだ」


 そっか、終わったんだ。あぁ、忘れてた。力無き理想はただの願望、か。貫き通す力がない者に価値はない。私たちはそうやってきたんだ。

 私はどうしようも無いと悟って項垂れる。


「……なんでもします。どうか、殺さないでください」


「うん、イイよ。むしろその言葉を待ってたんだ。安心して、オレは優しいから『そう言った人をお前は殺して来ただろう?』とか、下ではしゃいでるヤツみたいに服を脱がせたりはしないから。だってそういうお楽しみは、オレだけの特別にしないとモッタイナイからね?」


 やっぱりそういうことだよね。でも、死ぬ勇気が湧かないよ。死んでもどうせ好き勝手にされるなら、生きていても……普通に生きたかったなぁ。普通に生きて、普通に勉強して、普通に怒られて。でも、そういうのはもうなくて。


「とりあえず、リードと首輪ね? あと、武器も没収。魔力も必要ないよね。止めとくよ?」


 小さな針を首元に刺され、首輪をつけて、それもロープに繋がれる。

 “イト”。繋ぎ合わせるという私の名前がこの未来を予見していたように。この運命へと綺麗に収束するように。


「ほら、行くよ。イトちゃん」


「はい」


 名前を呼ばれ、リードを引かれる。抵抗する気力もなく、ただ私は連れられるままに林を下る。


「実はずっとキミのこと狙ってたんだ。オレの拠点に戻ったら、本当の名前も教えてね?」


 敗者の結末は相場が決まっている。私は女で、殺されなかった。これからどうなるかなんて、火を見るよりも明らかだろう。



 そこだけ林が消えていた。木々は鋭く切り倒され、周囲には血と汚物の臭いが充満する。目の前にはさも当然のように目を背けたくなるような景色が広がっていた。


「……コクイン様」


 クリンゲの無造作な死体が転がる中、首だけを綺麗に断たれた派閥副長コクインの姿。楽しげに自分たちの成果を語る敵の姿。

 リョウダンが鳴らした打鐘だしょうの音に敵派閥が集って、戦いの結果が見えてきた。


 敵派閥の死者数はたったの五人。半分以上が残っていた。対して私たちの生存者、捕虜になった数は六人。大半は首になってそこにいた。

 しかしこの場にはクロギリの姿も、カシラガリ様の姿も見られない。もしかすると、まだ終わって無いのかもしれない。——そんな淡い期待も、遅れてやって来たクロギリの姿に打ち消される。


 彼は無傷だった。これによって私たちの壊滅と戦いの全容が見えた。結末は私たちの完敗。手綱の主が言っていたことは正しかった。


「クロギリ様〜! カシラザコガリの首は取って来なかったんですか?」


 下着姿に剥かれた派閥仲間ほりょを従わせる敵派閥の少女、アミがクロギリを出迎えるように明るく話す。


「アイツは腐ってもクリンゲだからな。組織の戦力維持には死体も必要なんだよ。ほら、そこのヤツ。ペコペコしてるソイツの力で傀儡にな」


「へ〜! シャイデから命令されて来たって言うの疑ってたんだけど、生かしといて良かった〜!」


 ペコペコ……シャイデ派閥の新入りか。

 組織発足以来初の新規加入者、サバク。シャイデとの話しで存在は知っていたが、目にするのは初めてだった。


「なー! 言ったろー!? 全く最近のガキはどうなってんだよ!」


「は? あんま調子に乗ってたら……半殺しにするけど?」


「あー、すんません。マジ死体の後始末をしに来ただけなんで」


 なるほど。新入りもここの構成員らしく、どこか壊れているらしい。

 現実逃避気味にそう考えていると中央に二人の女が現れ、近くに居る奴らが警戒態勢をとる。しかし、当の本人たちは呑気なものだった。


「は〜い。とうちゃ〜く。クール入りま〜す」


「疲れたー。シャイデも全く無茶言うなぁ」


 どこからともなく現れたのは、どちらもグリフのユメミドリとシュウコンだった。


「……ハイ! クール明けたので、最後の仕事! 頑張るか〜!」


 ユメミドリの力は組織で知らぬ者は居ないほどに有名だった。なぜなら、各地に繋がる転移陣が配置される前までは、皆が彼女に世話になったから。

 スキルは単純明快な転移能力。一定範囲か体が触れ合っている全員を一度に超長距離まで転移させてしまえる転移系最上位とも言える力だ。


 もう一人。グリフに上がりたてのシュウコン。力の全容は知らないが、クリンゲの名前は与えられた力から単純につけられていることが多いため、死霊系だと推測されいた。

 どちらもシャイデの命令に従順なシャイデ派閥。今回戦ったどちらにも全く関わっていないからこその人員選択。更に予想が当たっているのならシュウコンの戦力強化にもなるだろう。


 それが分かってしまうと、シャイデからすれば私たちなど本当にどうでも良かったのだと理解できた。だからこそ、悔しい。結構を知っていたはずなのに、私たちを見放した。だからこそ憎かった。私はいい。ただ何よりも、あんなに優しくて私に生きる道を指し示してくれたコクイン様を見捨てたことが許せなくて、私はいつしか二人を睨んでいた。

 そんな私の心を見透かしてか、こちらにクルリと向いてユメミドリは言い放つ。


「アンタの弱さが悪いんだよ。せっかく進化して更なる力を望める立場にあったあんたは、善人ヅラしたさにその機会を見送った。アンタには戦況を変える力を手にする資格があった。

 アンタはね、自分のエゴで仲間と恩人を見殺しにしたんだよ。この結末の一端はアンタにある」


 ぐうの音も出なかった。私は自分の罪から逃れたくて外に理由を探した。きっとこれはシャイデの言葉で、彼女がそう言ったのならば全て私のせいなんだ。

 呆然と見ていたユメミドリの頭へ、突然シュウコンから手刀が落とされる。


「お説教きびしすぎ! クリンゲにそこまで言う必要ないでしょ?」


 その言葉は私から期待が失われた、或いはそんなもの初めから無かったのだと言っていた。


「そりゃそうだけどさ〜。んじゃ、逝こっか」


 敵クリンゲが転移の時間だと思って近づくと刹那、一刀のもとに首が落とされる。


「讃えよう。崇めよう。その末光で大地を照らせ。《祀霊しれい顕現》」


 詠唱。いや——短縮詠唱!?

 現れた白光は閃光を発し、生み出されるは数多の人間。その瞳は闘志に燃えて、何者であれど戦い抜く覚悟が見られる。

 魔法は世界の理。一度起これば止まらない。光から無尽蔵に現れる人間は武器を手にして過激派へと突き進む。


 ユメミドリは転移を駆使し、シュウコンは数を操る。当然グリフに『実は本体が貧弱でした』なんてことあるはずもなく、敵は一瞬の内に劣勢へと陥った。

 クロギリは動かず、リョウダンの視線は次の転移に警戒するようにユメミドリに釘付け。新入りのサバクまで動き出し、即座に斬られてお終いかと思えば、出血も無く即座に再生して動き続ける。


「あぁ、こりゃハメられたな。全部台本かよクソアマが」


 手綱が強く引かれてその主の元へと私は倒れた。


「どうせ死ぬんでもよ。最後に一揉み、させてくれや」


 首元から腕が服に潜り込み、下着の下へと滑り込む。辿り着くのは当然ソコで、私は突然の出来事に声も出せない。


「まだ育ってねぇナァ。ま、ガキだし当然か」


 脳が理解を拒む自身の状況。目まぐるしく変わる眼前の戦闘。私の頭は処理落ちし、ただ見るだけの生き物に成り果てた。



 強い力には制約がある。それこそ転移のような力には。なのにユメミドリクソバードの転移は終わりが見えない。いつもはもっとクールが長いようだった。なら距離変動か? だとしても短距離限定でも無制限なんて有り得ない。消費魔力も多くは見えない。道具やポーションでブーストしてても限度がある。ならば考えられる答えはひとつ。


「お前ら! ここから離れろ! 本来の戦いは終わった。もう領域の外に出ても罰はねぇ!」


 領域指定型のスキル強化。これが答えなんだろう?


「あ〜。出ない方が良いよ? クロギリは初めっからあんたらを裏切ってる。制約はまだ続いてるから」


 良く通るユメミドリの声に仲間の脚が止まる。

 確かにクロギリはさっきから動いてねぇ。クソが——


「なら殺してやんよ!」


 俺の威圧にユメミドリは怪しく嗤う。


「アタシを殺すために求めたその力。届くか挑戦してごらん?」


 お望み通り——殺ってやんよ。

 そうは思っても制約が見えなければ何も出来ない。俺の力はかなりの魔力が必要だ。ポンポン撃てるものじゃない。ならば確実な一回に繋げるのが一番か。


「いち、に、さん——いち、に、さん、し——いち、に、さん。……《烈空》!」


 クソバードとクリンゲが戦う合間、自分だけに聞こえる程度の声量で数字を数える。そして、然るべき瞬間に必殺の一撃を放った。


「ざんね〜ん。クールは三秒じゃないんだなぁ〜」


 分かっちゃいたがそこにヤツは居ない。無制限に転移を続けるクソバードは当然のように避けたが、これだけ見ればネタは見える。


「ハッそうかよ、お喋りなんて随分と余裕だなぁ!」


 極少量の魔力の揺らぎ。その地点にヤツは跳ぶ。


「アタシの死に場所はここじゃないからね〜!」


「だと良いなぁ!」


 揺れた。目の前しゃがみか!


「《烈空》!——は!?」


 目の前には二つに断ち切られたサバクが。アイツは——頭上に跳んでいた。


「ダッ!」


 熱い。いや、寒い。頭が割れるように……違う。割れてるんだ。


「アタシ、命がチップの賭けは大の得意分野なんだ。もっとも、賭けるのは他人の命なんだけど」


 耳が遠ざかり、世界から色が抜ける。どれだけ腕を伸ばそうとしても、目の前に居る女を殺せない。それもそのはず、脳は情報伝達の役目を終えていた。

 口惜しさを残して、意識は無に帰す。



 死んだリョウダンを見てサバクが慌てて力を使う。


「《鎖縛》。……ざっけんなよクソオンナ! 跳ばす前には合図しろって言っただろ!!」


 また一つの仕事を終えただけなのに、新入りの男が唾を飛ばす勢いで文句を垂れてくる。全く鬱陶しい。


「生きてんだからいいじゃん。不死身男」


 私の言葉に我慢できない様子でサバクの語気が強まる。


「不死身だけど違うんだよ! ちっとは遠慮しろ! 遠慮を!」


「五月蝿い」


「あっハイ」


 僅かな威圧で大人しくなる。物分かりの良い子は嫌いじゃない。

 作戦は最終盤。まともに立っているクロギリ派閥は……本人と残党三人か。


 飼おうとしていたのだろう下着男を全員殺したアミと、“祀霊”を全員社に帰したシュウコンの対面。イトにセクハラをキメてから狂ったように敵味方の死体でフィーバーしているヘビ。自派閥のクリンゲに止めを刺したクロギリ。……ヘビ? あ、ヤバ。

 視線の先でヘビは芝居めいた動作で両手を大きく広げる。思考が状況に追いついた時には既に事が始まろうとしていた。


「紳士淑女の皆様ご機嫌よう! 本日は大変麗しゅうお日柄ですのでレッツパーティーパーリー致しましょう!」


 ヘビの周りに薄く漂っていた真っ赤な霧が濃度を増して立ち込める。

 あれば紅血? いや、蝕毒か。中に転移すれば間違いなく私が死ぬ。ならサバク……マジの顔で嫌がってるじゃん。あいつって死ぬんだ。


「何か心配ごとでも!? ご安心を! どなた様にでも楽しんで頂けますように、与えられたモノを活用しまして全員参加の追いかけっこを開催致します! えぇ知っていますとも。純粋に走るその楽しさ! いま一度体験しましょう!

 あぁ、そうだ。オレ、目が良いんですよ。ゴールはあちらで倒れているカシラガリにしましょうか!」


 え? ガリちゃん倒れてるってまじぃ?

 クロギリに視線を向けると『うっかりしてた』とでも言いたそうな舌出しを披露される。

 誰がそんなので許すかよ! まじで許さねぇぞクロ——クソギリが!


「いやだって、ある程度愉しんでから話そうとしたんけど『問答無用!』とか言ってガチ斬りして来たんよ。途中で起きても面倒だし」


「——見るな気色悪い!」


 タラタラと言い訳を続けそうなクロギリの言葉を遮る。


「いやだって感情真っ黒ですやん」


 ヘビはウンウンと頷き、ニンマリと笑ってから口を開いた。


「作戦会議は済んだかな? じゃ、始めよっか! ——《呪血》」


 どこまでも愉快で残虐な笑みを見て、アタシは一人で転移する。



 蝕毒属性。それは相手を蝕むもの。例えターゲットで無くとも、側を過ぎただけでその周囲は跡形もなくなるだろう。指を指された方向的に、コクイン様の亡骸も。

 死者すらも冒涜するなんて、私は絶対許さない。それがお世話になったコクイン様であれば命を賭けるに値する。彼女の骸は私の命より重いのだから。


 私で遊ぼうとしたヘンタイの腕から、滲み出るように蛇が這い出す。発動者すらをも蝕む毒霧も、ジュケツによって造り出された蛇すらも、私であれば打ち消せる。

 立ち尽くしたまま動かない私にサバクが駆け寄ってきた。


「馬鹿野郎! 逃げるぞ!」


 良かった。これは私に外せないから。

 小脇に抱えられたまま指示を出す。


「首裏。首輪の下。取って」


 私はこれまでに類を見ない程に冷静だった。それは駆けるサバクも同様に。


「なんだこの楔は!」


 文句を垂れながら、サバクは正しくそれを抜く。瞬間、止まった魔力が再び動き出した。

 私は自分を火だるまにして正常に驚くサバクの腕から抜け出すと、脚に魔力を集めて進んだ道を引き返す。


「行け」


 ヘンタイが口を動かすと、視線の先で腕から生えた何百もの蛇が自由を得た。緑の草地は黒になり、大地を犯す厄災は一斉にうねり出す。

 死を迎え入れるように手を広げるアミと、それより前で斃れたあの人。もう、躊躇う意味もないだろう。


 私の命はここに捧げる。友も役目も放り出し、私の想いのままに動かせてもらう。

 シャイデ、これが貴女への最初で最後の反抗です。どうか頭を悩ませてくれますように。


「《浄火》! 私が全て背負うから——だから! 未来だけは壊さないで!」


 迫り来る黒蛇。拮抗する光。背後には恩人と、私よりずっと価値のあるグリフたち。

 カシラガリを呑んだ後、黒蛇はきっと散り散りになる。目的も使命もなく人と自然——未来を呑み込む。そうさせてなど、なるものか!


 数多の願いと命によって補装された、細く険しい道のり。それはきっとこれからも、同じもので伸ばされ続ける。されど何人たりとも悲しむなかれ。それこそが人が歩んだ歴史なのだから。


「あぁ、失敗したなぁ。ペットには惜しい、良い女だ」


 安心しなよ。しょうがなく一緒に死んでやるからさ!

 闇の奥から響くヘンタイの声は、どこか悔しそうな声に聞こえた。けれど、防御による拮抗は当然不利。体の奥底にある魔力を全て吐き出しても、止めるには至らない。


 最後にコクイン様の顔を見つめる。その人は恐怖に染まった悲惨な表情をしていた。

 申し訳ありません。私はあなたを救えませんでした。許されるなら、きっと——。


 闇より深い暗黒に、いつしか意識も奪われていた。

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リヒトシュヴェルト 443 @yoshi-mi

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