第16話 過去の罪業、とは

 試験まで10日となったある日の放課後、試験前最後の部活動に取り組むべく、春陽は部室を訪れた。


「春ぴ〜、おつ〜!今日もエメラルドサーガ?ゴーグル、いるよね」


 到着するやいなや、紅緒が春陽にVRゴーグルを手渡しながら話しかけてくる。

 このゴーグルは、紅緒が予備として使用しているものである。

 春陽が使用していたゴーグルは、この間の戦闘を経てからやや不調だ。

腕に抱えたムッチーは新しいゴーグルが気になるらしく、ふんふんと匂いを嗅いでいる。

その頭を場でてやりながら、春陽はぼやいた。


「うん…ミッションが、全然終わんないんだよね…」


「かわいそうにっ!日に日に精気吸い取られているっぽいし、ここらで一回休憩したら〜?」


「いやあ、そうもいかなくて」


「深谷ネギとの恋のため?」


紅緒がハテ?と首をかしげながら問いかけてくる。


「まあ…そんな感じかなあ…」


 事情を詳しく説明するわけにもいかず、春陽言い淀んだ。

 ウィステリオの呪いがこの世界にまで拡大していることは、紅緒にも告げることはできない。いくら非現実的な前世の話やらを信じてくれる紅緒でもさすがにこの話は恐ろしすぎて、スピリチュアルを通り越してホラーである。

 仮に伝えたとしても、呪いという対処のしようのない現象でいたずらに紅緒を怖がらせる事態は避けたい。

他人を不必要に恐ろしい思いをさせるのは、貴族的振る舞いとは言い難い。


(いくら紅ちゃんでも、ホラー界隈ではないだろうし…)


 紅緒は納得のいかなさそうな表情で「ふうん?」と首を傾げてから、いそいそと自分のゲーミングチェアに向かい『どうぶつの里』を起動させた。

紅緒がここ数ヶ月ご執心な『どうぶつの里』は、かわいい動物のキャラとゆるい生活を送るゲームだ。まったくもってeではないが、もとよりいい加減な部活動ではあるので、部長である春陽もお目こぼしをしている。


 春陽も自身の椅子に戻って、『エメラルドサーガ』を起動させた。

 ムッチーが小声で話しかけてくる。


「飼いムチ、今日の戦闘は、こないだのボス戦よりも楽チンだと思うム!フィオリアが倒しやすい、炎使いとの勝負だム!今日も、ムッチーがんばってアドバイスするからム!」


 ムッチーが春陽の腕をぽんぽんと叩きながら、能天気な声で励ましてくれる。

 この間のボス戦で、春陽が軽い怪我を負ったのを、ムッチーはずいぶん心配していたから、きっと内心は怯えているはずだ。それなのに春陽を励ますムッチーは立派な忠犬もとい、忠魔獣である。


「ムッチー、ありがとう!」


 己を愛する臣下の気持ちに応えるべく、春陽は勢いよく『エメラルドサーガ』のステージ開始ボタンを押す。


 ステージが始まると、いつものように全身に不思議な力が満ちてくるのを感じる。ス

 目の前いっぱいに広がる、ウィステリオの景色。

フィオリアは、王城の敷地内から外に出ることは終生なかった。だから、目に見える景色自体に懐かしさは感じられない。

けれど、魔法のかかったゲームの中で味わえる光の眩しさや風の感触、空気の匂いは確かに懐かしい故郷のものだ。


 そう思えるようになったのも、フィオリアの記憶の大部分が戻ってきたからだ。


(懐かしいーー僕の故郷ウィステリオ


 ぱんぱん、とテンポ良く道中のアンネームドキャラを倒しながら、春陽はその光景に目を細めた。

 生まれてから21年間、フィオリアが焦がれながらもついに見ることはできなかった故郷の街並みを、こうして目にすることができると不思議な感慨深さが込み上げてくる。

 神などこのにいないと世界を呪ったまま死んでいったフィオリアに、こうして報いが訪れたことは歪ながらも幸福なことだと思えた。


 ムッチーのいうようにこのステージは意外と簡単に進む。地図のゴール地点にいる敵は、炎魔法の使い手のようだ。フィオリアは氷魔法の使い手なので、戦えばこちらがやや優勢になるだろう。

それに、舞台になっている街自体はどこかの田舎町のようなので進むのも難しくない。


 これまでに比べて、格段にあっさりとゴール地点の敵の元に辿り着いた。

ーー敵キャラの名前はミンス。

痩せ細った中年の男で、役人のような身なりをしている。いかにも怨霊化しそうな、暗く陰険そうな顔つきだった。


 フィオリアを見て、ミンスは憎々しげに顔を歪める。


「その紋章…貴様、王家の人間だな」


その声はしわがれて、聞き取りづらいほどだ。


「いかにも」


 春陽は居直って答える。王家のものたちが憎まれているのは承知の上だし、そもそもこのゲームの敵は怨霊なのだ。春陽が王族だろうがなかろうが、攻撃してくるのは目に見えている。


「…だが、見ない顔だ。名はなんというのだ」


 手帳か何かを開きながら、ミンスとやらが尋ねてくる。


「王家の者の顔がわかるのか?」


 不思議に思って、春陽は問いかける。


「わかるとも!なんたって、俺は生前、この地域で一番の学校で校長をしていたんだからな!国政に携わる人間の顔くらい、暗記していて当然だ」


 ミンスは怨霊にしては珍しく、かなり意識がはっきりしているようだった。

 けれど、いくらミンスが政治通でもほとんど存在を公にされなかったフィオリアのことなど、知っているはずもない。

名乗ったとしても理解されるはずもないのは承知の上で、淡々と答えを告げる。


「…我が名はフィオリア・ウィステリオ。ディグランド王の第6子にして、第5王子である」


「フィオリア…?第5王子…?」


 ミンスの声が不自然にしゃがれた。その痩せこけた顔が不自然に歪み、恐ろしい表情に変わる。


「貴様が!!貴様があの呪わしいーー第5王子か!!!」


 突然凶暴化したミンスは、けたたましい叫び声をあげながら全身をかきむしり始めた。 恐ろしさで春陽はびくりと身を引く。ミンスの歪んだ顔はそのままちぎれんばりにどんどんねじれてゆき、顔中を雑巾絞りしたような状態になる。


 同時に、疑問が頭をもたげる。


(ミンスは第5王子のーーフィオリアの存在を知っているのだろうか?)


 思わず考え込みそうになった春陽の肩にムッチーがドンと乗っかってくる。


「ぼーっとしちゃダメム!左に避けるム!」


 言われるがままに、春陽は大きく左に移動した。

ミンスの攻撃が、春陽の元いた場所に直撃する。


(危ない!)


 ミンスは大きく舌打ちをし、再び戦闘体制に入った。

魔道具らしき分厚い本に手を当てて、呪文を詠唱している。

 春陽の目の前に技名の「イグナイトラッシュ」という文字が表示される。

「イグナイトラッシュ」ーー攻撃魔法の発動だ。


 だが、春陽はそもそもの魔法の属性も有利な上に、ミンスは怒りで我を失いすぎている。強い攻撃を何度も繰り出してはいるものの、ミンスのMPの総量を考えると、無謀な作戦と言わざるを得ない。


 春陽は手慣れた手つきで、氷の攻撃魔法をミンスの急所めがけて打ち込んだ。

 大きくうめいて、ミンスが倒れる。

 ミンスはすぐに立ち上がり、またしても「イグナイトラッシュ」を発動させる。瞬間、春陽はムッチーに向かって叫んだ。


「ムッチー、バリアだ!」


「わかりましたム!」


 しもべ魔獣であるムッチーは、春陽を守る魔法を1ステージにつき1度だけ使うことができる。ムッチーの使うバリアは、フィオリアと同様に氷属性で、炎属性の攻撃をかなりの加減で軽減できる。


「ぐっ…」


 それでも、強力な攻撃魔法である「イグナイトラッシュ」の力は強い。バリアを通過した攻撃が、左の足首を傷付けたような感覚がした。


「飼いムチ、大丈夫ム!?」


「大丈夫だ…!」


 春陽は己の魔道具である古びた短剣を取り出して、その切っ先をミンスの喉元に当てた。

 バリアで跳ね返ってきた攻撃をまともに食らったミンスが、苦しそうにうめく。うめきながらもなんとかその手に魔道具を出現させようとしている。が、魔道具が出てきたからと言って、もう戦う力はないはずだ。


「諦めるんだ…!もう力が残っていないのは、わかるだろう。ここで僕に短剣を刺されるか、自分で成仏するかを選ぶかだ」


 春陽がミンスに向かって説くと、ミンスが春陽の顔に唾を吐きかけ絶叫した。


「死ぬ方法を選べとは、慈悲のつもりかァッ!今更、貴様の慈悲など、必要ない!ラングラスの人間は、貴様のせいで死に絶えたのだッ!!セオドア様がお戻りになっていれば!!あんなことにはーーー」


(ラングラス?セオドア?)


 春陽は聞き覚えのある単語に一瞬動きを止めた。

 だが、ムッチーがそんな春陽の頭に突進してくる。


「だから、ぼーっとしちゃダメだと言ったム!!飼い主、短剣を刺すんだム!」


 はっとしてミンスを見ると、またも凶暴化しようとしている。こうなっては、もう成仏の道は残っていない。春陽は焦って短剣を喉元に突き刺した。

 人を刺した感触はしない。が、目の前にいたはずのミンスは、煙のように溢れて消えた。

 春陽は、罪悪感やら恐ろしさやらが入り混じった複雑な気持ちで顔を顰めた。

 ミンス自身にとっても、無理矢理にでも成仏させてやった方が望ましいのはよくわかっている。けれどいつまで経っても、短剣で怨霊を成仏させるのは苦手だった。


 ーーせめて来世は幸福であるようにと、祈ることしかできない。今の、春陽のように。


 ミンスの痕跡が消え失せた後、春陽はぽつりとムッチーに問いかけた。


「この地域の名前は…?わかる?」


「ラングラス、ム。ミンス、セオドアのことも知っていたみたいムね?」


「…ラングラスについて、情報はある?」


「ムーッとね、ム…」


 魔王様からもらったらしい首輪型デバイスを起動させて、ムッチーがラングラスに関する情報を検索している。

 すると、ムッチーの顔が突然真っ青になった。

 プルプルと震えながら、春陽の腕の中に飛び込んでくる。


「ムッチー、どうしたのっ?!」


「か、飼いムチ…。ラングラス、なくなっているム…王朝がなくなる少し前に…ウィステリオ歴567年、伝染病にて滅亡…ム」


 春陽は驚愕で目を見開いた。ラングラスは確かに、人口が1000人にも満たない田舎町だったはずだ。だが、その町が伝染病で壊滅している?

 それにーーミンスのあの言葉はなんだったのだろう。


(セオドアがいなかったから?それも、フィオリアのせいで?)


 確かに、セオドアは常にフィオリアのそばにいた。ラングラスにいないのは、フィオリアのせいといえば、フィオリアのせいである。

 だが、それとラングラスが滅亡したことにどんな因果関係があるのだろうか。


 不穏な予感を感じ、春陽はブルリと身を震わせムッチーを強く抱きしめた。

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この恋、死にかけにつき 前世の記憶で蘇生します! 竹見あんず @silko

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