空飛ぶシーチキン

@gagi

空飛ぶシーチキン

「とんぼって、シーチキンに似てるんだ」


 そう言って、同級生の伊藤kがとんぼの背中を引き裂いた。


 羽の付け根からぱっくりと割れたその断面には繊維質なとんぼの肉がぎっしりと詰まっている。

 

 たしかに、その繊維質な肉はシーチキンのそれと類似している。


 伊藤は羽の付け根のとんぼの肉を、歯並びの汚い口に入れた。そしてぐち、ぐち、と咀嚼する。


 気持ちわりぃ、と心底思った。


 伊藤の家は貧乏だった。月曜から金曜日まで同じ服を着ていて変なにおいがする。


 伊藤の家ではごはんが出ないみたいで、給食の時は人の倍は食べていたし、中休みや放課後には今みたいにとんぼやセミみたいな虫をよく食べていた。


 他のみんなも、とんぼの肉をぐち、ぐち、と食う伊藤を気持ちわりぃ、と思っていたのだろう。


 伊藤は俺たちの小学校でいじめの対象だった。


 俺たちは伊藤でいろんな遊びをした。


 スーパーやコンビニで万引きをさせたり。


 自転車で囲って野良犬と戦わせてみたり。


 秋になってとんぼがたくさん飛ぶようになれば「腹いっぱい食えてよかったな!」と、かき集めたとんぼの死骸を無理やり口に入れて飲み込ませたりした。


 一番やったのは川遊びだ。


 小学校の敷地のすぐ横を川が流れていて、その川を伊藤に渡らせる。


 ただ渡らせるだけではつまらないから、石を投げたり棒で押したりして妨害する。


 伊藤がそれでも何とか岸までたどり着いたら、伊藤のカバンを川の中に投げ入れて取りに行かせた。




 あの日も川遊びをしていた。


 季節は秋。木々は色づきアキアカネたちが空を舞う。


 外気はすっかり冷え込んで、川の水も冷たい時期だ。


 その日は前日に降った雨のせいで、川の水は多く流れも速い。


 だから伊藤は普段と比べてかなり川渡りにてこずった。


 その苦戦している反応の分、俺たちの妨害は盛り上がった。


 それでもなんとか伊藤は岸までたどり着いた。


 俺は普段のお決まりとして、伊藤のカバンを川に投げる。


 伊藤がカバンを取りに行こうと踵を返したところで、あいつの上体が川の中に消えた。


 きっと川底で足を滑らせ転んだのだろう。


 数十秒立って、伊藤が立ち上がる気配がない。


 頭を打って沈んだままなのか。それとも川に流されてしまったのか。


 どうする?


 そんな空気が俺たちの間に生じた。


 大人を、助けを呼んだ方がいい気がする。しかし大人を呼べば俺たちの悪事がばれてしまう。


 誰も、何も言いださなかった。


「ほっとこうぜ。そのうち戻ってくるんじゃね?」


 俺の一言にみんなが賛同した。


 そのまま別の遊びをする気分にはなれなかった。だからその日はそれでお開きになった。




 伊藤のことは俺が言ったとおりになった。


 川遊びの日から二日後。


 伊藤は河口付近で水死体になって戻ってきた。


 あいつの葬式の日。


 霊柩車が小学校にやってきて、敷地内をゆっくりと一周した。


 のろのろと走行する霊柩車を児童総出で見送った。


 お見送りが終わって教室へ戻る。クラス中の雰囲気はどんよりと重い。


 自分の組から死人が出れば当然だ。事情を知らないやつも、知ってるやつも。普段みたいにお喋りせずに、暗くだんまりしている。


「いやあ汚物が処理されて良かったなぁ! 空気がうまいぜ!」


 沈黙を破って仲間内の誰かが言った。誰だったかはもう覚えてない。


 今思えば酷いセリフだ。


 しかし、当時の俺たちはそうだ、そうだ、と口をそろえた。


 そうしていつものようにバカなことを駄弁り始めた。空元気だったのかもしれない。


 沈黙の中で、一人の命の重さに落ち潰されそうになっていた。


 伊藤が死んだ程度のことは大した話じゃないと、そう認識することで重苦を跳ね返したかった。


 少なくとも、俺はそうだった。




 伊藤の霊柩車を見たその日は凄まじい疲れを感じて普段より2,3時間早く寝た。


 だからだろう。普段起きないような時間に尿意で目覚めた。


 おねしょをしなくて良かったな。便所で小便を済ませ、また床につく。


 気が付いたのはその時だ。


 俺の家の外壁、ちょうど俺の部屋の学習机の横あたりの壁をがり、がり、と何かが引っ掻いている。


 犯人はおそらく猪か猿あたりだろうと思った。俺の地元は田舎だから、そういう類いの畜生がよく出る。


 少しうるさいなと感じたが、目を瞑ればすぐに眠りへ落ちてしまった。


 朝になって、登校するために外へ出たところで、俺は昨夜の外壁の引っ掻きが気になった。


 あまりにも壁がぼろぼろになっていたらどうしよう。今度は俺が貧乏だと馬鹿にされてしまう。なんてことを考えた。


 家の裏手にある庭。俺の部屋がある部分の壁を見に行く。


 正直、壁に傷があったかどうかなんて事は覚えていない。


 それよりも、今でも鮮明に思い返せる記憶がある。


 母が育てていた藍色の桔梗の花。それが植わっている鉢。


 その鉢にぎっしりと詰められた、とんぼの羽、尻尾、頭。


 胴体部だけの無いとんぼの死骸たち。


「――――」


 俺は朝食ったものを全て戻してしまった。


 胃液の酸味に舌がビリつく。


 繊維質なとんぼの肉。ぐち、ぐち、という咀嚼音。汚い歯並びの伊藤の口。


 古い皮脂と安い柔軟剤の混じりあった、伊藤のあの嫌なにおいが鼻のから離れないような気がした。


 それからしばらく、俺は夜になる度にあの引っ掻き音がまた来るんじゃないかとびくびくしていた。


 結果的には、引っ掻き音もとんぼの死骸もその一件のみだったが。




 アキアカネのつがいが連なって、俺の頭上を飛んで行く。


 伊藤がよくとんぼを捕まえて食っていたのがこのs公園だった。


 こんな場所に来ちまったからだろう。伊藤のことを思い出してしまったのは。


「とーちゃん」


 息子の声。今年の春に小学校へ入ったばかりだ。こちらに向かってくる。


「みて。つかまえた」


 その小さな手の内には一匹のアキアカネが捕らえられている。


 上手に捕まえたな。そう褒めてやると息子は得意げな顔をする。


「ちょっと、みてて」

 

 息子はそういうと両手でとんぼの羽の端をつまんだ。


 とんぼの羽を左右から引っ張る。


 とんぼの背中がぱっくり割れる。


 その断面から見える、繊維質なとんぼの肉。


「シーチキン」


 息子がその小さな口へ、繊維質なとんぼの肉を運ぶ。


 ぐち、ぐち、という咀嚼音。そして、


「まずい」


 と言って地面に吐き出した。


 ……ぞっとした。ひどく気分が悪い。


 病気になるかもしれないから、とんぼを食べるのはやめなさい。


 俺は強めに息子へ注意した。息子はまずいからもう食べないといった。


「その、シーチキンってやつ。自分で考えたのか」


「ううん。けんたくんにおしえてもらったの」


 けんた君、ね。そういう素行の悪いガキとは自分の子供を関わらせたくないな。


 しかし、けんたという名前はどこか聞き覚えがある。


 まあ、ありふれた名前だから、小学校の同級生の誰かがそんな名前だったのかもしれない。







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