日々、幸運待ち
未人(みと)
第1話
降って湧いた幸運っていうものが嫌いな人間はいないと思う。
たとえば、探していた本を偶然古本屋で見つけたとか、めちゃくちゃ疲れている時にたまたま電車で座席が空いたとか。そういう小さなものですら、心が躍る。ましてや桁違いの幸運となれば、嫌いどころか一生の思い出になるだろう。
私はそんな幸運が大好きだ。なんたって、努力も苦労もしていないのに手に入るからだ。言ってみれば1Byte、ひと噛み分も労力を払っていない。それでも口の中に甘い果実だけが残る。これを嫌う理由は見つからない。
じゃぁ、8噛みぐらいしたら“苦労”と呼べるのだろうか。正直よく分からない。努力とか忍耐とか、そういう言葉はどこか自分とは縁遠いものに感じてしまう。子どもの頃から「努力は裏切らない」と言われるたびに、「いや、けっこう裏切るんじゃないか」と心の中で反論していた。世間が美徳とする努力というものを、私はどうにも信用できないのだ。
だからこそ、努力もしないくせに、ただ降って湧く幸運を待ち続けている。自分でも呆れる。良いご身分だと笑うしかない。年齢が40にもなると、その思考のクセを変えるのも難しい。人間は歳を取ると頑固になるというけれど、私の場合は「努力嫌い」という頑固さだけが骨の髄まで染みついている。
そんな私がよく考えるのが、アメリカの宝くじの話だ。10億ドルを当てた男が、なぜか悔しがっているという話。聞いたときは耳を疑った。10億だ。ゼロがいくつ並んでいるのか数えるだけで指が震える。普通なら笑いが止まらないはずだ。ところが彼は20億を狙えたチャンスを逃したことを悔やんでいたのだという。
人間の欲望とは底なし沼だなと思う。欲をかけばかくほど、いくら手にしても満足できない。10億を握りしめながら「もっと」を願う姿は、滑稽であり、同時に少し羨ましくもある。そこまで強く「次」を望める情熱が私にあるだろうかと考える。
私だったら──いや、確実に──降って湧いた10億円で十分に満足するだろう。人生は安泰だと隠居を決め込み、残りの時間は本を読んだり、昼寝をしたり、猫と遊んだりして過ごすに違いない。人によってはそれを堕落と呼ぶかもしれないが、私にとっては最高の幸せだ。
それでも、どこかで私はまだ、降って湧く瞬間を信じている。もしかしたら今日、駅前の売店で買ったスクラッチが大当たりするかもしれない。あるいは、道端の石ころを蹴った拍子に、石が金塊だったなんて奇跡が待っているかもしれない。可能性はゼロに限りなく近いけれど、ゼロではない。
もっとも、そんな幸運はまだ降ってきていない。だから私は今日も、空を見上げて待っている。
日々、幸運待ち 未人(みと) @mitoneko13
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