第4話 その声が美しく聞こえるのは

とりあえず目の前の辺りに、「契り」の特典スキルで舞椰を呼び出してみた。


「何なのここは!ーー」

真っ白い光の輪から出るや否や、金髪を指で巻きつけて化け狐がボヤく。

「ボクさんの髪、湿気に弱いんですけど!?」


巨大な木々が空高く伸び、葉は密集していた。吹き抜ける風はあまりにも湿っぽく、重く体にのし掛かる。足を一歩踏み出すごとに土と葉の匂いが鼻腔を突き抜けた。鳥は聞いたことのない声で共鳴し、葉の上で数秒ごとにその羽音を響かせる。


四年に一度の周期で、2月は一日だけ伸びる。昨日振り込まれると思っていた報酬は今日振り込まれるらしい。赤いベリーが小さな実をつけていた。これ食べられるのかな、と舞椰が隣で匂いを嗅ぎ出した。


「食うなよ!仕事前に体調崩されたら困るからな」

「だってボクさんお腹すいた〜。このアマゾンの名物が食べたいな〜」

「どうせ観光客向けの価格設定だろ。絶対食わねぇからな!」

「あ〜い」


舞椰は口と尖らせる。残念ながら仕事は遊びでもなければ観光でもない。

「今日も3件ハシゴを目標にしてるから」

「ーーで、ここはどこなのさ?」

「分かんねぇ、俺にだって!タブレットには【東京都】としか表示されていないんだから」

「冥界のコンプライアンス課は何をしているの!?」


『終息予定者リスト』のおかげで、俺たちは1日に何件も魂を飛び回る生活を送っていた。大閻魔の言っていた通りで、寿命以外の理由でその人生にピリオドを打つ魂はその「心のこり」が大きい傾向にある。また、顔と氏名だけのリストである為、リープするまで詳細な居場所は分からないし、終息時計を見ることはできなかった。


生活できるだけの稼ぎをフリーランス死神で作る。そして舞椰にもたまには良いものを食べさせる。それが俺の中の細やかな目標となっていた。

「一日三魂」を目標に動く死神と化け狐は、前代未聞の妙なコンビネーションを築きつつあった。


大井町のハズれにあったオフィス。借金で首が回らなくなり逃げ場を求めた経営者は、最後に妻へ手紙を書くことを選んだ。生前に触れた肉体は再起不能状態になると同時に通知が入る。アテンド当日、経営者は支えた妻に化けた舞椰に感謝の言葉を何度も送っていた。


北千住の団地の一室。夫の暴力に絶望して0歳の娘との無理心中した若き母親は、命日となる前日、映画のプリンセスみたいな衣服に身を包んだ娘とセルフィーで写真を撮り、額縁に飾った。母親は、自分の母の姿で現れた舞椰にやさしく抱きしめてから娘の魂と共に穏やかに冥界を目指した。


朱色に光る東京タワーが見えた大学病院の個室。経済的な事情で安楽死を選択できなかったがん患者は、最後の瞬間まで、日本の法改正検討を求める文書を書き続けた。冥界行きを頑なに拒む魂だったが、書き上げた原稿を内閣総理大臣の前で読み上げる機会の中で「心のこり」はあっけなくプチンと小さな音を立てて美しい断面を見せた。


ターゲットをとらない帰り道はソウル・リープを使えないので公共交通機関を利用した。常識だと思っていた死神の労働環境は、気楽に生きる妖狐から言わせれば「ど」が付くブラックだそうだ。


***


「きっとここだな…」

視界の先に現れたのは、廃材で組まれた手作りのログハウス。傍らに「ようこそ父島へ」と彫られた木の看板が地面に打ちつけられていた。シュノーケル、カヤック、スキューバ……マリンアクティビティが盛んな小笠原諸島の一角だと、ようやく知った。


足を踏み入れると、軋む床板が俺たちの足音を誇張した。庭先には母屋と小さな離れがある。離れの小屋に終息時計が赤く浮かび上がっていた。何日後、あるか何時間後にその瞬間を迎えるのか。まだ遠くてよく見えなかった。


「じゃ、舞椰はいつも通り外で待機で。重要な内容は都度、流すから」

「あ〜いっ。室内、クーラーきいてたら早めに呼んでね♪」

一人で訪れる方が相手の警戒心は解ける傾向があった。ただ、予期せぬリスクに備えて舞椰には最初から側にいてもらうことにしていた。結局出番がないまま終わる訪問もザラにあるのだけど。

「失礼します」

木の扉にノックを三度打ち、ゆっくりとドアノブをひねった。鍵は開いていた。部屋の奥、窓辺で海を見つめる男が風に揺れるカーテンから姿を見せた。髪は肩に届くほど伸び、艶を残したロマンスグレー。その背は細身ながらも貧弱さとは無縁で、タックインしたポロシャツ越しにすら凝縮された筋肉の輪郭が見てとれた。


「いらっしゃい、えーと…お客さん?予約取っちゃったっけ」

「いいえ…客では…」


【00:00:40:02】キタモリ・タツヤ


小麦色の肌に映える真っ白な眼球がぎょろりと光っていた。視線は鋭く、野性味が宿る。するとすぐに目元は垂れ、目尻の皺がくしゃりと縮んだ。

「うちはね、民泊なんだ」

キタモリ・タツヤは、俺が誰で何をしに来たのか。特に何も詮索する様子も見せず、壁に立てかけたパイプ椅子を広げた。

「…よかったら、まぁ、上がっていきなよ」

「あ…ありがとうございます…」


会話する時間が必要だった。俺は椅子に腰掛けながら静かに深呼吸をした。心の中で意識を一点に収束する。脳内の言葉を舞椰の精神へ直接接続するように紡ぎ、響かせた。


(キタモリ・タツヤ。39分後。おそらく急性疾患か事故だな。くも膜下出血、火災、感電、あるいは滑落ーー)

(今日の方は、早いねぇ)


テレパシーの使い方には少しコツがいる。意識が散漫しているように見せてしまったか、キタモリ・タツヤは俺の顔を不思議そうに覗き込んでいた。


「よかったらコーヒーでも、淹れようかな」

「お気遣いなく。あの、俺、じつは……」

「いいから、いいから。コーヒーを飲むくらいの時間はあるだろう?」

穏やかな声をその場に残しキタモリ・タツヤは母屋へ向かう。扉を開き、コーヒーの用意を取りに行った。


(むっく!出てくるなら言ってよ!ビックリしたじゃん!)

(ごめん!突然出て行ったから…)


舞椰の声が脳内へ直接放り込まれた。母屋の方から、台所の食器の擦れ合う音が響いた。カーテンは不規則に、ふわふわりと揺れていた。連れて小さく軋むガラス窓。その外には、整然と手入れされた菜園が広がる。ゴーヤ、トマト、島唐辛子――手書きの札が、夏の訪れを静かに待っていた。


「お待たせ、結構大掛かりなんだよ」

笑顔で戻ったキタモリ・タツヤの手は大きめのトレーを持っていた。手動で回すコーヒーミル、豆の袋、ティーカップが乗っていた。この炎天下でホットコーヒーを淹れるつもりのようだ。


テーブルにコーヒー豆がザラリとこぼされた。赤い実のような粒だった。コーヒー豆は収穫時から黒いものだと思っていた。キタモリ・タツヤは豆を一粒指先で拾い上げると、まるで宝石を扱うような慎重さで、その皮をむいていく。すると今度は見慣れない緑色の豆が現れた。それをテーブルに転がして見せると、また赤い実に指を伸ばしていた。俺はつい問いかけた。


「…まさかこれ全部、手で剥くんですか?」

キタモリ・タツヤは声を立てて笑った。

「アハハ、君、おもしろいことを言うね」

「はい?」

「一つ一つ、手で剥く以外に、どうするっていうのさ」


その白い歯列のあいだに、銀色の歯が数本、ちらりと覗いた。その人生に確かな歴史があったことを知る。

「やってみる?」

キタモリ・タツヤが豆を差し出した。どうも会話の主導権を掴めなかった。

「やったことないですが…俺にもできますかね?」

キタモリ・タツヤはまた笑う。

「ーーこれがそんなに難しい作業に見えるかい?」


座るタイミングを逸して肘をついて立つ男二人が、真ん中に一台のテーブルをはさんでコーヒー豆を剥き続けている。世間話に花が咲くバーカウンターのような距離感なのに、ずっと無言で百粒近い豆の皮を指先でこそげ取っていた。


神経をすり減らして剥いた豆は炭火で焙煎され、やっと黒色になった。そしてアルミ製の小さなミルにざらりと流し込まれる。キタモリ・タツヤがゴリゴリと音を立てて手動のミルで豆を挽いた。その不規則なリズムが耳をくすぐる。促されるまま、俺も見よう見まねでレバーを回した。中の豆がミルの内壁の凸凹に引っかかる。単純な動作のはずなのに、指先の力加減に意識を集中させる必要があった。普段から飲むコーヒーが、本来このゆな手間と時間をかけて生まれる物だなんて。そんな当たり前を、俺はキタモリ・タツヤに会わなければ知らないままだった。


「んで、どうだい。俺はもうすぐ、死ぬんかい?」

「えっーー?」

唐突に響く声が俺の耳に打ちつけた。

「変なことを言ってごめんよ。もしもこの世に本当に死神が存在するのなら、きっと君だろうなーーって思っただけ」

その発言から仮説が立った。キタモリ・タツヤは間も無く自分で自分をーー。

「若いっていいね。君からは、根拠のある自信を感じるよ。きっと今、君の周囲には君に期待してくれる人がいる」


湯の注ぎ口から落ちる真っ黒な雫が、ドリッパーの中でポタリ、ポタリと静かに弾けた。シンプルに、やった分だけ報われる世界にいた。


「俺も昔、銀座にある会社で執行役員までやらせてもらってさ」

「……そうなんですね」

「そう、そんで、ぶっ壊れた。」

キタモリ・タツヤの穏やかな笑顔の奥に、確かに闇を感じてハッとした。


「ポイントを稼ぐ人生って、案外もろいんだよ」

「そうなんですか」

「キミが歳を取り、動けなくなったり、調子が悪くなったりした瞬間に、そういう奴らは、キミの前からパタリと姿を消すーー」

生産性のない人間からは人が離れる。当然の話だと思った。1杯目のコーヒーが完成していた。当然のようにそれが俺に差し出される。

「ーーそんな人間に、自分の貴重な時間を差し出すなんて、馬鹿げてると思わない?」


【00:00:17:18】キタモリ・タツヤ


なぜだかこの人に最後にゆっくりコーヒーを飲んでほしくなった。自分はなかなか落ちない二杯目をいただくと伝え、引き続き待つ姿勢に入った。


「…たまんねぇよな。海の見える家でさ、豆の皮を丁寧に剥いて、ミルでじっくり挽いて、香りを楽しんで、一滴ずつドリップして……その全ての工程が、この一口の感動を作っている気がするんだ」

効率は悪いですけどねーー。そんな言葉は風に舞った。「コスパが良い」の反対語が「たまんねぇ」だなんて、誰からも教わったことがなかった。


「売上ノルマ、派閥争い、妬み、嫉み。気がついたら船に乗ってこの島に来ちまった。そしたら、海がとんでもなく綺麗でよ」


キタモリ・タツヤは優しい瞳で海を見つめていた。


「気づいちまったのよ。…金なんかなくても、人って幸せになれるんだなって。そりゃあ、ゼロ円ってわけにはいかんけどさ。必要最低限でいいのよ」

「最低限、ですか……」

「金は目的じゃない。あれはあくまで、欲しいものを手に入れるための“ツール”だろ?」

俺は相槌を続けた。

「だとしたらよ、まずは自分が何を欲してるのかを正確に知らないといけない。そこをはき違えると、いつまで経っても空っぽのままなんだよ」

俺は二杯目のコーヒーに目をやった。やはりまだまだ時間がかかりそうだ。

「俺にとっての幸せはさ、あの波に乗ることなんだよ」

キタモリ・タツヤは海を親指で指して言う。

「それを知ってしまったらよ、金なんか稼いでる場合じゃねぇだろ?そんな時間があるなら、もう幸せに直行しちまえばいいのさ」

そう語るキタモリ・タツヤの瞳は、差し込む南の陽光を受けてキラキラと輝きを放っていた。

「家はそこら中から廃材を集めて自分で建てた。畑では野菜を作ってるし、奥には養鶏所もある。白米が恋しくなったら、港の店で少しだけ買えばいい。民泊を利用してくれる人が月に3〜4組いてくれりゃ、俺の人生は十分なんだ」


欲しいもの。とりあえずの“稼がなきゃ”に突き動かされ、ゆっくりと考えたこともない。


「老いぼれの話に耳を傾けてくれてありがとうな」

死期まで残り10分を切ったキタモリ・タツヤは不自然な間を挟んだ。そしてゆっくりと椅子から立ち上がる。キタモリ・タツヤは今日、その命に自ら終止符を打つつもりだったんだ。しかし、彼の目の奥にはわずかに揺れる未練が感じ取れる。


「お名前で失礼します。キタモリ・タツヤさん」

名を呼ぶと、白い眉が力強くピクリ動いた。

「……どうして、俺の名前を?」

「あなたが今、何かを一番強く伝えたい方は誰ですか?」

「え……?」

キタモリ・タツヤは目を泳がせた。次々と脳裏をよぎる旧知の顔ぶれ。その中から明確に選択肢を削り落としている。「あぁ、アイツだな」そんな確信めいた表情を見せた時、俺たちの眼前は眩い光で視界が真っ白に塗り潰された。光の中にある人物の影が現れ、それがゆっくりと歩き出る。契りを交わしたバディがどんな姿を見せるのか、俺すらもまだ分かっていないーー。


***


一度大きく膨らんだ光が、静まった。目の前に立つのは背広に身を包むオールバックの50代前半の男。いかにも日本の営業マンといった佇まいで。鋭く瞳の目尻には皺が集まる。キタモリ・タツヤが最後に会いたかった人物が俺には誰なのか知る由もない。


「……キタモリ・タツヤの魂よ。聞いてください。残念ですが、俺は死神です。あなたの肉体はおよそ3分後に再起不能状態となる予定です。望むならば、肉体に指示を伝えられる今の内にこの者に想いを伝えることをお勧めします」


驚きと混乱を抱えたまま、キタモリ・タツヤの視線が宙を彷徨った。残されたのはあまりに短い時間だった。冷や汗が背中を伝うのが分かる。突然目の前に現れた人物に驚いているのが伝わってきた。記憶の中で一度も消えなかったものが形となって現れた瞬間だった。まるで時間が遡るように、心の中で長い間封じ込めていた感情が溢れ出してくる。すぐにでも駆け寄って抱きしめてやりたいーーその気持ちとは裏腹に、崩れるように膝を落とした。差し出そうとした両腕を静かに下げて、上体が前のめっていく。


「……必死だったよな。まさかアイツが自ら死んじまうなんて、この時のお前は夢にも思ってなかったよな」


オールバックにスーツの男は、膝をつくキタモリ・タツヤを見据え立ち尽くしていた。俺の角度からではその背中しか見えない。それでも言葉の続きを促すような視線を送っているのだろうと感じる。


「ーー売るために売って。仕事のために仕事をして。稼ぐために稼いだ。ぶっ壊れる前に、助けてほしかったよなぁ。本当に、すまなかった。もうすぐ俺も逝くつもりなんだよーー」


キタモリ・タツヤは勢いに身を任せ額を床に擦りつけた。まるで過去のかさぶたごと地面に押しつぶすかのように。声にならない嗚咽が、長年胸の底に沈んでいた贖罪の叫びを掘り起こすようにして響いていた。詳細は分からない。分かったのは、社会の歯車に潰され一度善良な心を見失った何者かがそこに立っていたことだけ。その時だった。


ドクン。


床に押し付けられたキタモリ・タツヤの頭上に浮かぶ赤く儚い数字。それが突如、脈を打ちだす。激しい残像と共に大きく震えた後、本来とは逆再生のカウントアップを刻み出した。キタモリ・タツヤの中で込み上げる何かが新たな未来を切り拓こうとしていた。自らの中に潜む「影」を原動力に出来る者が人間界にも稀にいる。俺が数字の異変を気づいたのとほぼ同時に、脳内で相方の声が弾けた。


(むっく、暫くこのままでいいの…?)

(…変化、解いていいぞ。状況が変わった)


キタモリ・タツヤが、床に突っ伏したままで微動だにしなかった。人間に見られない隙をつくように、グレースーツの背中は溶けて、中から金髪の青年の輪郭がふわりと現れる。


2杯目のコーヒーも抽出が完了していた。死神に関わる記憶を処理してからキタモリ・タツヤに声をかけた。

「コーヒー、いただきますね」

「いいなぁ。ボクさんも!」

初めて聞く声。キタモリ・タツヤはガバッと顔をあげた。

「あれ、二人…?」

発生してしまった時系列の矛盾を、俺は慌てて誤魔化した。

「えっと、先ほどコーヒーを淹れている時、後ろから入ってきました」

「そうか、気づかなかったよ。何かおかしな夢を見ていたようで」

「夢、ですか」

俺は尋ねた。死期をズラすほどの強い決意の正体が気になった。


「夢の中で、10年前の自分に会ってきたよ」

俺は抽出されたコーヒーをカップに移す仕草とともに相槌を打つ。土と焙煎の混じった香りが立ちのぼっていた。

「ずっと引っかかっていたんだ。俺だけ幸せになっていいのかって。でもねーー」

キタモリ・タツヤがこの島で手塩にかけて育て、自ら剥き、挽き、淹れたコーヒー。口に含むと、スーパーに出回る既製品では絶対に味わえないような野性味を帯びた苦味と、鋭い酸味が舌を打つ。一緒に豆の皮を向いたひとときが思い出される。

「最後にどうしてもやりたいことを思い出してね」

「やりたいことですか?」

「うん、最後に本を書こうかな、なんて。お抱えの読者なんて一人もいやしないのに、笑っちまうよな」


書く内容は聞かなかった。その本の読者は少なくとも一人、もうここにいる。カチャリと音を立て、舞椰がコーヒーカップを揺らし舌を巻いていた。


「うわぁ、ボクさん、酸っぱいコーヒーなんて初めて飲んだよ!」

「バカ。こう言う時は、酸味が豊かですねとか言うんだよ!」

俺は舞椰の尻を蹴るジェスチャーをして見せた。キタモリ・タツヤはまた目尻に皺を集めて笑っている。

「アハハ、いいんだよ。チャーミングな相棒だね。人間関係はほどよい緊迫感と、ほどよい許しあいをね」


舞椰はポカンと口を開いた。そしてキタモリ・タツヤに笑いかけ、小さな八重歯を見せた。

「じゃあこのコーヒーも、アリよりのアリなんだね!」

「じゃあって失礼だろ!」

今度は舞椰に肘鉄を打つフリをした。

舞椰はコーヒーを飲み干したらしゃがみこんだ。膝をついたままのキタモリ・タツヤと視線を合わせて、そっと手を握る。


「どうせ誰にも読まれねぇだろ、くらいの気持ちで書く本の方が、良い時もあるよねん♪」

穏やかな声だった。キタモリ・タツヤは、初めて会ったばかりの舞椰の言葉をうんうんと受け止めていた。

(…むっく、行こっか)

「こんなに美味しいコーヒーは初めてでした。ご馳走様でした」


***


湿り気を帯びた山道を歩いた。地面にはオオヒキガエルの亡骸の数々。遠くから野鳥のアンサンブルが不協和音で奏でる。ここが東京都である事実がどこまでも異質感を際立たせていた。


「悪かったな。即金案件じゃなかった。コーヒー豆と島唐辛子だけでも、もらって来れば良かったよ」

やっと港町が見えてきた。何が可笑しいのか、舞椰が肩をすくめて笑った。

「随分遠くまで来たのにねぇ♪」

フェリー時刻表を見ると、帰りの出航は明後日を表示していた。この季節、父島は一週間に一度しか船が出ない。

「帰りが大変なんだよな。今、ハシゴできる案件がないかーー」


大閻魔からもらったタブレットのアンテナが1本も立っていなかった。


「がんばろう、おー」そう言う舞椰の目元に疲れが見えた。キタモリ・タツヤが述べた相方のあり方が脳内で反響していた。


「舞椰、ご飯屋さんにでも入ろうか」

舞椰が背中に飛びついてきた。汗ばんでいてもシトラスの爽やかなフレグランスが漂う。諦めてタブレットの電源を落とそうとしたーーその時だった。


「…なるほどね」

誰もいなかったはずの背後から声が聞こえた。振り返るとそこには、全身黒の仏衣に身を包む者が一人いた。

「死亡者リストではなく、生前の終息予定者リスト…ときたか。ウケるなぁ。あの伝説の死神が今や…チマチマと生前の人間に根回しみたいなことして廻ってらぁ!」


痩せ細った黒い翼が旗めく度に、羽が2、3枚落ちる。死神だ。舞椰が小さな八重歯を剥き出して俺の前に立ちはだかる。浮き上がる頬骨までさも届きそうな口角で死神は言葉を発した。


「最近、死亡者リストの最新情報にいち早く飛びついても、既に魂が抜かれ済みーーそんな奇妙な事象が数件ほど続いたからね。不穏な動きをするアヤカシがいるのかと思ったら、そういうカラクリだったか」


舞椰からシャーという音が聞こえた気がした。死神の胸には大手の葬儀会社のロゴが見えた。どこぞの坊主の差金かは分からないが、最近あまり良い噂は聞かなかった。死神を多く囲い、死亡した人間の遺言書に一筆加えることで葬儀の注文を大量に受けている、とも聞く。


「うち、死神の数だけは多いんだけど…最年少でベスト・グリムリーパー賞を受賞した、君みたいな頭の切れる死神は大歓迎だ。ウチへ来ないか?なぜそんな出来損ないの妖狐と行動している?」


薄ら笑いを浮かべる死神を睨み返す舞椰。そのブロンドヘアがゆっくりと逆立っていた。


「どうせまた大鎌を振り回したくてウズウズしているんだろう。一度染みついた感覚は簡単に抜けやしねぇよ。ウチならデカくてスカッとする案件の情報もたくさん入ってくるぜ?」

「ドーギョータシャってやつ?ボクさんのむっく、スカウトはお断りだよ」

「いや、舞椰のってわけじゃーー」

舞椰の手が言いかけた俺を制す。


「まぁ一旦、今日は挨拶程度ってことで。真相も分かったし。いつでも支え合える仲間が必要になったら言ってくれ」

その死神は手元の死亡者リストに目を落とすと、すぐにリープして消えていった。


***


『ウミガメあり〼!だって。ねぇむっく!?』


舞椰が定食屋の張り紙を前に目を輝かせている。「ここに入ってみたい」と顔に書いてあった。許していないのにもう木製の引き戸に手をかけている。


父島の港町では船による物資が島じゅうからはけていた。商店やスーパーの棚が閉店間際のようにガランとしており、軽食も入手困難な状態だった。島内唯一のATMで確認した2月末期日の報酬に立ちくらみがした。1月に作業した6件分だった。必要な金額の1/4ほどしか賄えなかった。来月末の給料の請求書を早く出したかった。どうえ支払い日に変わりはないのだけど。


舞椰が勝手に入った店は広かった。色褪せたポスター、棚に並ぶショットグラス。トランプ、ルーレット、ボードゲーム。観光客と地元民のコミュニケーションのハブとなるささやかな仕掛けが数々用意されている。


ウミガメの刺身は、息を呑むほど鮮烈な赤色をしていた。馬刺しを彷彿とさせる濃厚な色味。陸の肉よりも生々しく、艶を弾き、神秘的だった。即席麺とスーパーの惣菜以外は久しぶりだった。隣のテーブルに座る地元の常連客が慣れた口調で絡んできた。冬でもアロハシャツで呑む無骨な男たちだった。海の中の生き物は泳ぐなら赤身、漂うだけなら白身だと教えてくれた。言われてみれば確かにそうだ、と腑に落ちた。ずっとそばにあったのに、分からないことが沢山あるんだ。


「キタモリ・タツヤさんって知っていますか」

地元の常連客に、俺は聞いてみた。

「あぁ、民泊のとこの!ただのノーテンキなサーフィンおじさんだよ!」

その声に、舞椰が突然立ち上がった。

「きっとボクさんの方がノーテンキさ。東京で歌を歌っているんだよ!」

「おおっ、イケメンのあんちゃん、芸能人かい! そりゃすげぇ」

舞椰は両手でピースをして撮影チャンスだよと笑っていた。男たちは誰も知らない歌い手を何枚も撮影して喜んでいる。


店の隅にあるカラオケセットは随分と年季が入っていた。舞椰は知りもしない昭和歌謡曲の伴奏に合わせて当てずっぽうで歌っていた。酔いのまわった島の住人たちと肩を組み、共に体を揺らしながら。


「みなさん、今日はボクさんの歌に出会えて最高かいっ?」

「ワハハ、間違いねぇ!」

「いいぞ、もっと歌ってくれや!」


舞椰のメロディーは原曲に掠ってもいなかった。それに水を差す者は誰もいなかった。お世辞にも高尚とはいえない、声量も技術も月並みの歌。けれど、その声はやけに温かく響いたんだ。

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