あやかしの息、買います

結城光流

第1話

 おき屋とは、命の源である「おき」を供して珠貨しゅかに換え、供された「おき」を珠貨と引き換えてくれる店。

 または、その店の主人のことである。



「頼む、この通り」


 両手をついて深々と頭を下げるあやかしに、おき屋の若旦那は苦笑まじりに答える。

 着物と袴を身につけたとかげ様のあやかしだ。身の丈も身幅も、ひとの姿をした若旦那より一回り大きい。


「頭なんて下げないでください。こちらとしても願ったり叶ったりで」

「では」

「はい。ちょうど、『おき』をお求めの方が」

「そうか!」


 目を輝かせるあやかしに、若旦那は頷いて手代に目配せをする。


「お客様、こちらへ」


 手代の案内であやかしは店の奥に消える。

 ほどなくして、少しやつれた顔であやかしは店先に戻ってきた。


「おき屋、これを」


 差し出された紙に、『息、一年分』と書かれている。

 若旦那は嘆声をもらす。


「一年分! これはまた、張りましたねぇ」

「一年と言わず、二年分でも三年分でも抜いてくれて良かったのだが」


 不満げなあやかしに、若旦那はとりなすように微笑んだ。


「お客様のおきはお強いので、一年分あればかなりの玉になるかと。おきの鮮度を考えますと、何度かに分けて供していただいた方が、こちらとしてもありがたく…」


 ここで若旦那は片目をつぶる。


「ですので…十日後にまたお運びくださいませんか。二割増しにさせていただきますよ」

「なに、本当か」

「はい。いらしてくださるなら、本日分ももちろん二割増しで」

「わかった、十日後にまた来る」


 若旦那は、傍に控えていた手代に目配せをする。心得たもので、手代はすでに用意してあった珠貨の角盆をすっと差し出した。

 光沢のある真珠貨が十二珠と、楕円の白い貝貨ばいかが二珠。庶民ならこれで五人家族が半年は暮らせる。

 珠貨をすべて入れた皮袋を受け取ったあやかしは安堵の息を漏らし、では十日後にと言い置いて暖簾をくぐって出て行く。

 入れ違いに、息を弾ませた若い女が下駄の音を響かせながら駆け込んできた。

 島田に結った髪にぴょこんと飛び出たふたつの猫耳。古びたの着物は縞柄で、腰の下の尾通し目からのびた細長い尻尾は緊張でぴんと張っている。


「若旦那、おきが入ったって知らせが」

「ああ、みけさん。ちょうどいま入ったところです」


 絶妙の間合いで、奥から丸盆を捧げ持った手代が出てきた。

 赤い毛氈を貼った丸盆にのっているのは、つやつやとした青緑色の勾玉だ。


「これかい、これがあれば、うちのあるじ様の病は治るのかい」


 震える声に、若旦那はいささか困り気味の笑みを作った。


「治るかは…なんとも。ただ、相当強いあやかしのおきなので、命の底上げをしてくれるはず」


 女はぐっと目を閉じた。


「命の底上げ……。…わかった、それでいいよ。あたしは、あるじ様にまだまだ生きてほしいんだ」


 絞り出すようにうめき、女は袂から皮袋を取り出した。


「鼠取りをしてためたお代だ。足りなかったら、あたしのおきを抜いてくれて構わない」


 涙目で胸を叩く女に、若旦那は首を振る。


「これで十分。みけさんには、うちの倉を守っていただいた恩がありますから」

「でも」


 若旦那は勾玉を入れた皮袋をみけの手に握らせる。


「大怪我をして命の危うかったみけさんを拾ってくださったあるじ様は、うちの店にとっても大恩あるお方です。さ、持っていってください」





 十年前の話。

 みけは、ねずみたちに雇われたいたちの変化へんげに襲われた。

 からくも撃退したものの、負わされた傷は相当に深く、変化がとけて元の三毛猫の姿に戻り、道端で死にかけていた。

 そんな傷だらけの三毛猫を、たまたま通りかかった六つの女の子が拾った。

 彼女は裕福な商家の娘で、親にせがんで三毛猫のために人の医者を呼んだ。

 医者は渋々治療を引き受け、三毛猫は九死に一生を得た――。





 のれんが揺れて、新たな客が入ってきた。


「いらっしゃいませ。今日は何を」


 愛想よく応じる手代に、客は持ってきた着物を渡す。


「こいつを預かってくれよ。ちょっと入り用でさ」

「お預かりします」

「できるだけ高くな」

「それは……どうでしょう」

「そこをなんとかさ、この通り」


 笑いながら手を合わせる客に見られないように、みけは皮袋を懐の奥に押し込む。


「恩に着るよ、若旦那」


 深々と頭を下げるみけに、若旦那は声をひそめてそっとささやく。


「十日後に、また来てください。追加のおきが入りますから」

「……」


 みけはこくりと頷き、胸のところを両手で押さえて店をあとにした。

 




 客がいなくなったのを見計らい、手代が口を開いた。


「若旦那。みけさんのあるじ様の病、治せないものですか」

「あるじ様は人間だからねぇ。天のさだめたものなら手出しはできないね」


 頷きかけて、手代は瞬きをした。手代は十代半ばの少年の身なりで、ふとした仕草にはまだあどけなさがある。


「でも若旦那は、みけさんに、おきの玉をお渡しに」


 袖に手を入れた若旦那は目をすがめてかすかに笑った。


「どうも、あるじ様の病は呪いらしくてね。……先のお方のおきは、その呪いを返せるほど強い」


 手代は思わず目を瞠る。


「十日後にまたおいでになるだろう。その分で、呪いに削がれた命を補えると、わたしは踏んでいる」

「! じゃあ」

「とはいえ、おきは高いからね。みけさんにはもう出せるものがない」

「え…」


 手代は不安げに眉根を寄せる。

 若旦那はにやりと笑った。


「だから、あるじ様が天寿をまっとうしたあかつきに、みけさんにはうちでただ働きをしてもらうのさ」


 手代は若旦那をまじまじと見つめた。


「あれだけ腕のいい倉守くらもりはそういるものじゃあないからね。いまのうちから恩を売っておくんだよ」

「若旦那……」

「ふっ、いい案だろう」


 悪党めいた顔をしているつもりの若旦那に、手代は無慈悲な目を向ける。


「それ……、似合ってないです」

「…………」


 容赦のない手代に、若旦那は渋面になった。


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あやかしの息、買います 結城光流 @yukimitsuru

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