あの子の素顔

A子舐め舐め夢芝居

あの子の素顔

 まぶたに沿ってアイライナーを引く。マスカラはまつげの端にたっぷり塗る。口紅を引いて前髪を整えればあたしの完成。電車に乗って窓に映った自分をチェックする。隣の芋女より腕も細くて断然かわいい。

 ハチ公前に着くと先に志保が待っていた。化粧けのない切れ長の目を細めてあたしに手を振っている。志保はキレイ系だ。あたしはかわいい系。二人でちょうどバランスがいいってわけ。スクランブル交差点を渡って公園通りを進んでいく。まずはロフトでお買い物。気になっていたティーポットを買いに来たんだよね。

「どれがいいと思う?」

あたしは聞いてみるけど志保はきっとこの赤くて丸いやつを選ぶ。志保のことならなんでも分かる。志保は棚に陳列されたティーポットたちを一つ一つ見てから、「これかな」と赤くて丸いやつを指差した。ほらね。志保は赤が好きで意外にメルヘンなものが好みなの。

「あ、やっぱり」

「やっぱりって何よー」

志保は笑ってスポーツバッグを持ちなおす。中には汗で汚れた道着が入っているはず。今度の特別演武に向けてずっと練習に打ち込んでいる。あたしだったらオリンピック優勝なんてしちゃったら一か月くらい休んじゃうのに志保は真面目だ。

「そういえば氷のうもだいぶ汚れてきてたよねー。替えちゃう?」

「そうねえ。あれけっこう気に入ってたんだけどだいぶ黒ずんじゃったし」

志保の氷のうはクラゲ柄をしている。オリンピックのときも志保が大事に使っているのをあたしはテレビで見た。本当はついていきたかったけど、あたしのお給料じゃチケット代に交通費、ホテル代を工面できなかった。今じゃ借金してでも行けばよかったって思ってる。だってルームメイトがオリンピック優勝するところ、生で見たいじゃん。嬉しさの鮮度が高いうちに一緒に共有したいじゃん。でも現実は全然違っていて、あたしはテレビの中の志保が知らないおじさん、おばさん、外国人と抱き合うのを、独りぼっちの部屋で眺めてた。

「特別演武こそは行くからね」

「来てくれたら嬉しい。でも無理はしないでね」

「さすがに都内は行けるよ」

「本屋さん休めそう?」

「うん。ちゃんと一か月前に申請すれば休めるよ。欠員出たって知らない」

「いつもフォロー出てるもんね」

「あのバイト、土日出れるって話だったのにすぐブッチするんだよ」

「そういうのクビにできないの?」

「人手不足だからなー。今度大きいトークイベントあるから余計に人手がねえ」

「本屋さんでトークイベントやるんだ!」

「けっこうあるよ?」

あたしたちはティーポットと氷のうを鞄につめてロフトを出る。家に帰る途中でスーパーに寄って夕ご飯の材料を買い出しする。

今日は志保の好きなカレーだ。志保は具材がゴロゴロと入ったカレーが好きだから人参もじゃがいもも大きめに切る。水はレシピより少なめにして中辛のルーをドロドロにさせれば志保の好みドンピシャになる。冷蔵庫にコールスローの残りがあったからカレーと一緒に出す。ちょうど料理をテーブルに並べたところでお風呂から志保があがってきた。白いTシャツにユニクロのステテコを履いている。

「わあ、美味しそう。ありがとう」

「食べよ食べよ」

あたしたちはテーブルについてテレビをつける。画面に道着姿の志保が映る。日本に戻ってきた後のインタビュー動画だ。志保は薄く化粧しているだけなのに切れ長の目が強調されていてとてもきれいだった。テレビも美人武道家ってもてはやしている。志保が拳を繰り出す映像が流れる。

「特別演武でもチャタンヤラクーシャンクーやるの?」

「うん。一番練習した形(かた)だし」

「志保の形(かた)を生で見るの初めてだから楽しみ」

「まあ期待しておいてよ」

志保はカレーを頬張りながら微笑んだ。志保は微笑むと右の頬にえくぼができる。あたしはそのえくぼを見るたびにその窪みに指を突っ込みたくなる。しないけど。志保は左手でスプーンを持ってせっせとカレーを口に運んでいる。本当は右利きだけど「いつも右手ばかり使ってるからバランスをとるため」にご飯を食べるときは左手を使うらしい。右利きのスポーツ選手あるあるなのかは知らない。

ご飯を食べ終わってあたしもお風呂からあがったらマッサージの時間だ。志保が言うにはあたしにはマッサージ師の才能があるんだって。いつも通り、拳を志保のふくらはぎに当てて、少しだけ力をこめて押し上げる。志保は細い顔には似つかわしくないほど体格がいい。腕にも脚にもしっかりと筋肉がついている。

「あーやっぱり効くわあ」

「そんなにいいなら志保の専属マッサージ師になろうかな」

「いいね、転職しちゃえ」

「じゃあ時給一万円ね」

「さすがに高いって!」

「金メダリストなのに払えないのお?」

「もう!」

マッサージが終わったら、志保は明日も早いからって自分の部屋に寝にいく。あたしは冷蔵庫からビールを出してカシュッと開ける。志保は演武をひかえていると一か月前からお酒もお菓子も口にしなくなる。だからあたしも志保の前では飲まないようにしている。別に飲んだって志保は気にしないだろうけどあたしなりのけじめってやつ。志保の競技とあたしは全然関係ないけど、最低限気をつかいたいよね。

 テレビの深夜番組ではまた志保のインタビュー動画が流れている。山城志保選手は幼少期から空手を習い始めて、高校生の頃から形(かた)に専念するようになった。十九歳で全日本選手権を制覇し、そこから全国大会や世界大会で華々しい戦績を残していき、先日のオリンピックで金メダルを獲得うんぬん。でもマスコミは志保のお母さんが柔道教室と空手教室を間違えて応募したことや、志保のお父さんが最初は女の子に空手をやらせるのに反対してたけど志保があまりに実力があったので何も言わなくなったことを知らない。

 大学の講義でノートを忘れた志保にあたしがルーズリーフを貸してあげたのがあたしたちの出会いだった。志保はお礼に食堂で昼ご飯をおごってくれて、それからその講義の後は二人でご飯を食べるようになった。あたしたちはご飯を食べながらお互いの身の上話をよくした。それであたしは志保が空手の形(かた)の選手で大学もスポーツ推薦で入ったこと、沖縄発祥の形(かた)であるチャタンヤラクーシャンクーを練習していることを知った。あたしはスポーツのこと何にも分からないから「なんかすごいんだねー」ってバカみたいな反応しちゃったけど、志保はそれであたしのこと気に入ったみたい。空手とまったく無縁な生活している人間が珍しかったのかも。

ルームシェアを始めたのは大学を卒業してからで、あたしから誘った。ルームシェアしたら色々節約できそうだし、一緒に暮らすなら仲の良い友達がいいなと思って。ルームシェアするようになってあたしはもっと志保のことを知った。帰ったら靴は必ず右端にそろえることとかお皿洗いは大きいものから洗うこととか爪切りが下手なこと、ホラーは苦手だけどミステリは好きなことや今までの彼氏の数、一番好きなキノコはシイタケで嫌いな果物はバナナなこと、お気に入りの下着の色だって知っている。みんなが知らない志保の素顔。あたしのとってはただの日常だけど、志保が有名になってその日常に何か大きな意味が生まれたような感じがする。あたしも浮ついているのかな。


特別演武は志保の地元の兵庫県で行われる。あたしたちは一緒に新幹線に乗って志保の実家に向かった。志保が両親にルームメイトのあたしも泊めてほしいってお願いしてくれたんだ。志保の家族に会うのは初めてだからあたしはいつもより清楚系なメイクをした。服も白のブラウスに群青色のスカートを履いていかにも真面目な女の子って感じ。志保は黄色のTシャツにジーンズといった格好で顔はすっぴん。道着や着替えの入った大きなスーツケースを私の隣で転がしている。

志保の実家は駅から十分くらい歩いた場所にある住宅地に建っていて、薄い黄色が基調の可愛らしい家だった。

「一昨年リフォームしたんだよね。だから中もきれいだよ」

志保はそう言って玄関に入っていった。

 志保のご両親は気さくな人たちであたしの持ってきたお土産を素直に喜んでくれたし、ちょっと固くなっているあたしにお菓子を出してくれた。あたしは志保の部屋に泊めてもらうことになり、志保のベッドの横に布団を敷いた。

「理沙、ベッドじゃなくてもいい?」

「いいよ、志保がベッド使いなよ。明日、大事な演武なんだし」

「なんか地元でやるって変な感じ。緊張するー」

志保はベッドで仰向けになっていた。

「オリンピックよりは余裕でしょ。人と比べられるわけじゃないし」

「私、人前に出るの緊張するタイプなんだよねー」

「えー嘘お。テレビのインタビューでもあんなに堂々としてるのに」

「あれは編集でそう見えるようになってるだけ。本当はめちゃくちゃ噛んで撮りなおしたりしてる」

「そうなんだ。なんか意外。じゃあ緊張しない方法教えてあげる」

あたしは布団を被ったまま志保の方を向いた。暗闇だったけど志保がこちらに顔を向けているのがうすぼんやりと見えた。

「なんでもいいから画数の多い漢字を思い浮かべるの。林檎の檎とか憂鬱の鬱とか。一本一本細部まで」

「なんとなくは分かるけど細かいところは思い出せないよ」

「そう、それでいいの。あー思い出せないなーってそっちに気がいって緊張してること忘れるから」

「何それ」

志保が笑うのが聞こえた。きっと右の頬にえくぼができているだろう。

「いやいや、あたしはこれで就活乗り切ったからね」

「じゃあ明日試してみる」

そうやってあたしたちは笑いながら眠りについた。


 翌日、あたしは志保の両親と一緒に会場となる総合体育館に向かった。朝の八時過ぎなのに既に人が並んでいて開場を待っていた。

「朝早く来て正解だったなあ」

志保のお父さんが言った。本当にその通りだ。体育館はあまり大きくないため来るのが遅かったら最悪、席に座れなかったかも。幸いなことにあたしたちは最前列から二つ目の席をとることができた。

 地元の空手道場や県警の空手部による組手や演武が一時間ほど続いた。あたしは空手の試合を見るのが初めてだったからとても新鮮だった。会場が人の熱気で温まったところで志保の演武の時間になった。会場に拍手が響いた。あたしは志保の名前を呼びたかったけどそんな空気じゃなかった。志保は中央の入り口から出てきて緑のマットの前に立ち止まると一礼してマットに上に移動した。黒い帯を締めていて右胸にスポンサー企業の名前が縫われている。また一礼して顔をあげた志保は見たことのない表情をしていた。集中しきった凛々しい顔。その繊細な顔立ちから予想がつかないほどの気迫があった。志保は空手の型名を叫んで、演武を始めた。合わせた手を静かにあげるところから始まって目にも止まらぬ速さで突きを繰り出す。シュッシュッと息を吐き出す音が響く。両の拳を上下に突き出して気合いの声をあげる。それは普段の優しい声とは全然ちがって力強くて原始的で、でも獣の鳴き声とも違っていてちゃんと人間の声だった。あたしは息をするのも忘れて夢中で見つめていた。力強い蹴りとキレのある手刀、隙のない立ち姿。何もかも初めて見る志保だった。あたしの知らない志保の素顔がそこにはあった。あたしはバカだった。志保が人生を賭けて打ち込んでいる空手を生で見たこともないのに、志保の全部を知っているつもりでいた。志保は二段蹴りを繰り出し、気合いの声をあげた。無駄のない鋭敏な動き。料理を口にしたり歩いたりするときの所作とはまた違う美しさだ。あたしは昔博物館で見た日本刀の輝きを思い出した。鋭くて迫力のある美しさ。演武をしている志保は一本の日本刀だった。

 あっという間に演武が終わって志保は一礼しマットからおりた。再び会場に拍手が響いた。あたしは手が痛くなるほど拍手した。本当にすごかった。スタッフが花束を持ってきて志保に渡した。その表情は柔らかく花束を持つ手つきも優しくて、もういつもの志保に戻っていた。

 志保はメディアのインタビューがあるとのことであたしたちは先に家に戻った。志保のお父さんは買い出しに出て、お母さんはカレーを作り始めたからあたしも手伝うことにした。

「志保は昔からカレーが好きでねえ」

「今も好きみたいですよ。ゴロゴロの中辛カレー」

「あら、中辛も食べられるようになったのね。子どものときは甘口しか食べなかったのよ」

「そうなんですね」

そっか。今の志保の情報を把握するだけじゃ志保を知ることにはならないんだ。人は少しずつ変わっていくから。あたしは今の志保のことは詳しいけれど昔からずっと志保と生きてきたお母さんのほうが本当の意味で志保のことを知っているんだ。

「あたし、志保の演武初めて見たんです」

「どうだった?」

「きれいでした。でもあたし志保のこと全然知らなかったんだなって寂しくなっちゃいました」

「それだけ志保のこと気にかけてくれているのね。ありがとう」

「メダリストのルームメイトって立場を特別視しちゃってるのかも」

志保のお母さんは笑いながら野菜と肉を炒めていた。

「意識しちゃうのはしょうがないわよ。私だってメダリストの母親になってご近所さんからちやほやされて、自分にも承認欲求ってあったんだなあって思ったわ」

「自分のこと恥ずかしくなっちゃいません?」

あたしは思い切って聞いてみた。志保のお母さんは手を止めてちょっと考える素振りを見せてから答えた。

「でも志保が私の一部なのと同じように私も志保の一部だから。私がいなかったら志保が金メダルをとることはなかったかもって思えば多少自分のこと特別視したって許されるかなあって。理沙ちゃんだってずっと志保の傍にいてくれたでしょ。それも空手とは無縁の世界を見せてくれてる。それ、家族の私にもできないことだと思う」

あたしが口を開く前に玄関ドアの開く音がして志保が帰ってきた。ラフな格好でスポーツバッグを肩に提げている。

「おかえり」

「ただいまー。疲れたあ。あ、いい匂いする!」

「お疲れ様。志保の演武、すっごいよかった」

「あの緊張紛らわすやつやったおかげかなあ。あれ、いいね、次の試合でも使う!」

志保は優しく微笑んで右の頬にえくぼを作った。あたしの口角もつられて上がった。

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