最終章「残響の果て、そして巻き戻り」
──帝国軍本営・黒鋼の城砦。
戦術開発室は、かつてないほど静かだった。
語りの構造図は、すでに破壊対象として赤く塗り潰され、壁から剥がされていた。
代わりに貼られていたのは、存在否定型構造の設計図。
記憶遮断、感情封鎖、感覚消去、自己認識の希薄化──
それらが、兵士の人格を“空白”へと変えるための手順として並んでいた。
将軍レオニス・ヴァルハルトは、剣を机に突き立てたまま、沈黙していた。
その沈黙は、かつて語りに触れた沈黙ではなかった。
それは、語りを拒絶する沈黙だった。
語りの火が沈黙でも届くなら、沈黙すら否定する。
それが、帝国の答えだった。
副官シュヴィル・カイネスは、構造図面を見つめながら、何かを再設計していた。
彼の手は迷いなく動いていたが、目は揺れていた。
語りの残響が、構造の隙間に染み込んでいることを、彼は知っていた。
だが、それを設計に組み込むことは許されなかった。
参謀ミルフィ・エルナは、報告書の余白に静かに書き加えていた。
「語りの火は、存在を否定しても、空白に残る」
その一文は、誰にも読まれることはなかった。
だが、それは彼女自身の“語らない語り”だった。
──訓練場では、“空白の兵”たちが並んでいた。
彼らは、記憶も感情も感覚も持たない。
命令に従うだけの構造体。
語りに触れない兵士。
語りを認識できない兵士。
語りの火が届かないように設計された存在。
その中で、一人の若い兵士が、訓練後に呟いた。
「……何も感じない。
でも、何かが足りない気がする。
空白の中に、何かが……残ってる」
その言葉は、記録されなかった。
だが、ミルフィはそれを聞いていた。
そして、報告書の余白にもう一行を書き加えた。
「語りは、沈黙でも届く。
空白に染み込む残響は、構造の外にある」
──紅蓮王国・語りの座。
ユグ・サリオンは、石床に座っていた。
肩のルクスは、羽を膨らませて丸くなり、静かに彼を見守っていた。
語りの主としての役割を終えた彼は、語りの設計者としての道を模索していた。
だが、帝国の構造は、語りを拒絶していた。
語りの火は、遮断され、否定され、消されようとしていた。
ユグは、詩集の余白に震える手で一行を書いた。
「語りは、火だった。
でも、火は燃え尽きる。
ならば、残響を構造にする。
語りを、灯すだけでなく、築くものに」
だが、その設計は届かなかった。
帝国の遮断層は、語りの流れを拒絶した。
語りの火は、沈黙の中で揺れたが、構造の中には入れなかった。
──そして、世界は沈黙に覆われた。
語りは、誰にも届かなくなった。
語り手は、語ることをやめた。
語りの座は、誰も立たないまま、風を受けていた。
精霊場は、命令に応答する場へと戻り、声に反応しなくなった。
構造は、揺らぎを拒絶し、再定義を止めた。
沈黙は、語りの余白ではなく、語りの墓標となった。
ユグは、語りの設計図を閉じた。
痛みは、もう感じなかった。
感情の大半を失っていた。
数多の過去の記憶が混ざり合い、妄想と現実が曖昧になっていた。
それでも、彼は理想を追い求めていた。
──そして、時は巻き戻る。
語りが遮断され、構造が語りを拒絶したその瞬間、
ユグの中で、何かが静かに崩れた。
それは、人格の崩壊の予兆だった。
だが、彼はそれを受け入れた。
語りが届かない世界を、もう一度やり直すために。
「……もう一度、語る。
もう一度、灯す。
もう一度、届かせる。
たとえ、何度繰り返しても。
たとえ、人格が崩れても。
それでも、語りは火だ。
沈黙でも届く火だ。
ならば、何度でも、灯す」
ルクスが羽を震わせた。
風が、静かに応えた。
──ユグ・サリオンは、時を繰り返す。
怒りと憎しみは、復讐の業火をより強く燃え上がらせ、連鎖となってすべてを焼き尽くす。
最悪の結末を、何度も見てきた。
それでも、彼は語りを信じる。
語りが、誰かに届くことを。
語りが、世界を変えることを。
──そして、時は巻き戻る。
語りの座は、再び朝の光を受ける。
風は、語りの余韻を運ぶように、静かに吹いている。
語りの座は、誰も立っていないのに、確かに揺れていた。
ユグは、詩集を開いた。
ルクスが肩に乗る。
痛みは、まだ訪れていない。
だが、語りの火は、もう灯り始めていた。
| 語りは、遮断され、否定された。
| それでも、残響は空白に染み込んだ。
| ユグは、語りの設計者として、時を繰り返す。
| 理想を追い求め、語りを灯すために。
| たとえ、人格が崩壊しようとも──。
小説『風の残響』へ続く
『残響の灯火』 詩守 ルイ @Lemon_slice
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます