第6話:「帝国、速攻の牙を研ぐ」
帝国軍本営、黒鋼の城砦。
その中枢にある戦術会議室は、冷たい石と鉄で構成されていた。
装飾はなく、窓もない。
あるのは、戦術図と命令書、そして沈黙を破る声だけ。
「……語りで兵を止めた? 精霊が戦場を揺らした?
そんなもの、戦術ではない。幻想だ」
レオニス・ヴァルハルトは、机に拳を打ちつけた。
若き将軍。帝国の速攻戦術を担う者。
彼の瞳は鋭く、語りという概念に対して明確な拒絶を示していた。
「幻想に兵が怯えた。剣を捨てた。
それは、兵の弱さだ。語りの強さではない」
副官シュヴィル・カイネスが、静かに資料を差し出した。
「ですが、将軍。前線の報告では、語りによる戦意低下が確認されています。
精霊の干渉も、空間に影響を与えている可能性があります」
レオニスは資料を一瞥し、鼻で笑った。
「精霊? 空気の揺らぎか?
そんなもの、剣の速さで吹き飛ばせばいい」
参謀ミルフィ・エルナが、慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「ユグ・サリオンという戦術士は、語りによって兵の記憶を刺激し、戦意を削いでいます。
香りと精霊を組み合わせ、空間そのものを“語りの場”に変えているようです」
レオニスは立ち上がった。
背筋はまっすぐで、声は冷たかった。
「ならば、語りが届く前に叩く。
語りが火なら、速さは水だ。
火が燃える前に、押し流せばいい」
彼は壁にかけられた戦術図を指差した。
「速攻型戦術――“断裂の牙”を再構築する。
兵士の感情遮断訓練を開始。
語りに反応しない兵を育てる」
シュヴィルが眉をひそめた。
「感情遮断は、兵の精神に負荷を与えます。
長期戦には不向きです」
「長期戦は不要だ。
語りが届く前に、勝てばいい。
語りは遅い。速さには勝てない」
ミルフィが、資料を閉じながら呟いた。
「……ですが、語りは残響を持ちます。
届いた後に、兵の心を焼く。
速さだけでは、残響を防げないかもしれません」
レオニスは、彼女を見た。
その瞳は、冷静だった。
「ならば、残響が届く前に、語り手を潰す。
ユグ・サリオン。
その語りが届く前に、沈黙させる」
会議室が静まり返った。
誰も反論しなかった。
それが、帝国の戦い方だった。
その夜、レオニスは一人、訓練場を歩いていた。
兵士たちは、感情遮断の訓練を始めていた。
家族の記憶を封じ、感情を抑え、命令だけに従う。
「語りに揺らぐ兵は、弱い。
語りに届く心は、戦場では不要だ」
彼は、空を見上げた。
星は見えなかった。
紅蓮王国の空とは違い、帝国の空は常に曇っていた。
「幻想に勝つには、現実を突きつけるしかない。
語りは火。
ならば、鉄で踏み潰す」
そのとき、風が吹いた。
微かな香りが漂った。
藤と柚子。
紅蓮王国の精霊術師が使う香りだった。
レオニスは眉をひそめた。
「……香りまで届いているのか。
語りの残響は、風に乗るのか」
彼は、剣を抜いた。
空を斬った。
香りは消えた。
けれど、心の奥に、微かな揺らぎが残った。
「……くだらない。
幻想だ。
俺は、速さで勝つ」
彼は剣を収め、訓練場を後にした。
語りに届かぬ兵を育てる。
それが、帝国の答えだった。
| 帝国、速攻の牙を研ぐ。
| 語りの火に対抗するため、感情を封じ、速度を武器にする。
| まだ、誰も知らない。
| この速さが、語りの残響に焼かれる日が来ることを。
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