第4話:「影術士の沈黙」
紅蓮王国戦術庁の地下には、外界の音が届かぬ静寂の空間があった。
そこは、影術士たちの訓練場。
光が届かず、音が吸われ、時間さえ沈黙する場所。
ユグ・サリオンは、そこにいた。
詩集を閉じ、語りを封じ、ただ沈黙の中に身を置いていた。
彼の周囲には、精霊が集まっていたが、声を発することはなかった。
沈黙の場において、語りはまだ許されていなかった。
「……語りを封じるのは、苦手ですか?」
声がした。
けれど、それは空気を震わせるものではなく、心に直接届くような響きだった。
リュミナ・ヴァルティア。
黒衣の影術士。
彼女は、沈黙を武器にする者だった。
「苦手というより、落ち着かない。
語りがないと、僕の思考は散らかる。
精霊も、少し不安そうだ」
ユグは、肩に触れた風の精霊をそっと撫でた。
精霊は、沈黙の場に馴染めず、微かに震えていた。
「精霊は、語りに寄ってくる。
沈黙は、語りを拒む。
だから、精霊と影術は、相性が悪いと思っていた」
リュミナは、静かに首を振った。
「それは誤解です。
沈黙は、語りの余白です。
精霊は、言葉の間に宿ることもあります」
ユグは目を細めた。
「……余白か。
語りの火が燃えすぎると、命を焼く。
沈黙があれば、火は揺らぎに変わるかもしれない」
リュミナは、ユグの隣に立った。
彼女の気配は薄く、影のようだった。
けれど、その沈黙には確かな意志が宿っていた。
「あなたの語りは、強い。
だからこそ、沈黙が必要です。
語りが届きすぎると、敵も味方も焼かれます」
ユグは、苦笑した。
「……それ、褒めてるの? 皮肉ってるの?」
「どちらでもありません。ただの観察結果です」
ユグは思わず吹き出した。
「流行ってるな、その言い回し。
セリナも使ってた。
次は精霊が言い出すかもしれない」
リュミナは、わずかに口元を緩めた。
それは、彼女にとって最大限の笑みだった。
「精霊は、語りに反応する。
でも、沈黙にも耳を傾ける。
あなたの語りに、私の沈黙を添えれば――
戦術は、より深く届くかもしれません」
ユグは、しばらく黙っていた。
そして、静かに頷いた。
「試してみよう。
語りと沈黙の連携。
精霊がどう反応するか、見てみたい」
リュミナは、手を差し出した。
ユグは、その手を取った。
影術士と語り手。
沈黙と火。
その手の中に、精霊がふわりと舞い降りた。
そのとき、セリナが扉の向こうから顔を覗かせた。
「……あら、珍しい組み合わせ。
語りと沈黙が手を繋いでるなんて。
精霊たち、混乱してるわよ」
ユグは、肩をすくめた。
「戦術的には最悪の構成だ。
でも、物語的には……最高かもしれない」
セリナは笑った。
「それ、前にも言ってた。
語りの残響ね」
ユグは、詩集を開いた。
沈黙の場に、語りが戻ってきた。
けれど、その語りは、以前よりも柔らかかった。
沈黙が添えられたことで、火は揺らぎに変わっていた。
| 影術士の沈黙。
| 語りの火に余白を与え、精霊の居場所を広げる。
| まだ、誰も知らない。
| この沈黙が、滅びを選ぶ火に寄り添う日が来ることを。
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