標的

生粋

1話完結

雨が路面を叩く夜、僕らは後部座席で息を殺した。高速道路のライトが前方で点滅し、ネオンの光が窓をかすめる。雨の匂いとタイヤの摩擦音、そして僕の鼓動だけがはっきりと感じられた。


 「まだ、動揺してる?」

 遥が低く笑う。瞳の奥に、何か刃のようなものが光った。


 「怖い……」

 僕は素直に答える。怖い、というより、恐怖と罪悪感が混ざり合って胸を締め付ける。


 遥は僕の手を取った。手のひらの冷たさと力強さ。

 「でも、あんたは私の側にいるんだろ?」

 その言葉には、愛情というより“共犯者同士の依存”が滲んでいた。


 あの日、裏通りの薄暗いマンションで世界がふたつに割れた。

 標的は中年の男。金と権力を握り、僕らを踏みにじった男。

 遥は笑っていた。その笑顔に僕の心は少し凍った。


 「黙らせるしかない」

 最初に言ったのは誰だろう。言葉が出た瞬間、二人の距離は消え、息が重なる。


 計画はなかった。衝動だけ。短く鋭い暴力。男の目が驚愕で見開かれる瞬間、世界が止まった。

 血の匂いと震える手、そして取り返しのつかない事実だけが残った。


 逃げるしかない。道路を、街を、知らない土地を走る。

 ホテルでは監視カメラの映像が気になり、銀行で現金を下ろすときは店員の目を盗む。

 外の視線、偶然の通行人、すべてが僕らを追い詰める。


 ある夜、モーテルのシャワーで水滴が肩を打つ。

 遥の手に小さな切り傷。血がぽたりと落ちた。

 「見ろよ、俺たちの爪痕だ」

 その瞬間、愛と嫌悪が交錯した。愛したい、でもこの愛は血にまみれている。


 翌日、田舎道を車で抜ける。遠くで犬が吠え、街灯の影が二人を監視している。

 「ねえ、もし捕まったら?」遥が低く問う。

 「……一緒だ」俺は答えるが、言葉に力はない。


 そして交差点、追手のライトが車のヘッドライトと重なる瞬間、心臓が止まるかと思った。

 僕らは互いを抱きしめる。抱き合いながら、世界の怒号とサイレンが迫る。

 「これが、私たちの愛の形ね」

 遥の囁きは、血の匂いと恐怖に混ざり合い、甘美な狂気の響きになる。


 そのまま道路に飛び出す。雨の粒が顔を打ち、タイヤが水しぶきを上げる。

 追手は近い。逃げる道はない。だが二人は手を離さない。

 世界は叫ぶが、二人の鼓動はひとつのリズムで、絶望と愛の混ざった旋律を刻む。


 光が全てを白く染め、影が溶ける瞬間、僕らは笑った。

 生も死も、法も秩序も、関係ない。

 ただ二人で、選んだ結末。

 世界がどう呼ぼうと、そこに刻まれたのは二つの歪んだ爪痕だけ――それが僕らの愛であり、地獄でもあった。

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標的 生粋 @Kissssi

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