のこりもの
@peyomi
第1話
暑い。とにかく暑い。今までこんなに暑い夏はあっただろうか。明日から九月になるというのに、まだ夏休みも序盤ですが面を醸し出した暑さだ。「残暑の厳しさを決してなめてはいけない」――などというが、これは絶対に暑さの残りものなんかじゃない。例えるならばそう、メインディッシュ暑といったところであろうか。暑さでやられた頭が、そんなしょうもないことを呑気に考え出した。
車線を挟んだ向こうには田んぼが一面に広がっており、稲穂一つ一つが焼け付くような日差しを嬉しそうに浴びている。人間がここまで太陽を嫌っているのだから、こいつらも空気を読んで嫌うべきというのに。所詮食われる側、空気なんて読めないのだ。今はバス停そばの小屋の中にいるため日差しを受けないで済んでいるが、もし外にいたら暑さへの怒りのあまり稲穂を刈り取っていた。とにかくそれくらい暑い。暑い、暑い、暑い!
「あの!さっきから暑い暑い、うるさいんだが」
そう苛立たしそうに話しかけてきたのは、隣で腰掛ける年寄りの男だった。先ほどから表情が1ミリも変わらない仏頂面の癖に、声色からははっきりと怒りを感じられる。きっとこの人もこの暑さに苦しめられ、気が立っているのだろう。とはいっても、今俺はこの猛暑の中を必死に生きようと頑張っている。どうかそんなに苛立たないでほしい。こちらの努力を汲み取って、そっとしてやるのが年上の嗜みなんてものではないか。しかしこんな反論はお爺ちゃんには伝わらないもので、今は謝るのが最善策だった。
「すみません。けどわざとじゃないんです。お願いなので許してくれませんかね」
「言っとくが、お前が呟いていること全てこっちは聞こえてるからな。老人には謝罪が最善策だなんて、とんだ舐めた態度だ」
「あ、そうなんですね。でも呟いてるっていうか、考えてることが強制的に口から出ちゃうんですよ。しょうがないでしょ。こういう生物なんだから」
そんな俺の言葉に納得したのか、お爺ちゃんは不満そうながらも口を閉じた。よかった、と心の中で安堵する。こんなお爺ちゃんにも――俺たちセミに対する理解はあるらしい。言いそびれていたが、何を隠そう俺はセミなのだ。そしてセミという生き物は考え事が全て口に出る生物なのだ。ミンミンという鳴き声は、実は騒音じゃなくてちっぽけな生物の叫びなのだ。もしこれが知られたら、驚きで地球全体が揺れるだろう。セミになってこの事実を知ったとき、俺は衝撃で幼虫のまま地上へ這い上がりそうになった。
まあそれはともかく、要するに人間の俺は数年間に死んで、こうしてセミとしての新しい生を授かり、全力で生きている最中なのだ。しかし残暑に地中から出てしまった分、数少ない同族と番になるためにセミ一倍頑張って喋らなくてはいけなかった。
「まさか転生して人間からセミにジョブチェンジするとは思わなかった。生まれて数年は地中に潜っていたが、それでもこの姿にはショックを受け続けている。セミのいいところなど、どれだけ変なことを話しても人間達にはミーンミーンとしか聞こえないことくらいだ。まぁこの美声を届けられないってのも、また一種のマイナスポイントかもしれない。はぁ、セミってなんて世知辛いのだろう」
俺の言葉に思うところがあったのか、お爺ちゃんはピクリと眉を上げた。お爺ちゃんのゲジゲジ眉毛は、少し上がるだけでより存在感を発揮する。鬱陶しそうな癖にしっかり聞いている当たり、ツンデレの可愛いお爺ちゃんなんだろう。
「……お前、昔は人間だったのか」
「何、お爺ちゃん。一緒に話す?いいよ、話してあげる。うん、人間だったよ。めっちゃ元気にDKしてたんだ。けどね、そこの交差点で信号待ってたら突然トラックが突っ込んでさ。俺のウルトラキラキラライフ、即・終了!あのトラック運転手、死んでも許さない」
話せば話すほど当時のことを思い出して、憎しみのあまり顔が歪んでいく。人間の時のように歪めるほど顔の造形はしっかりしていないが、それでもセミ的にはしっかり歪んでいる。死んで数年が立った今もなお、あの運転手の顔ははっきりと覚えていた。ぎょろりとした目に無精ヒゲ、変なカタチの眉のオジサン。カッコつけてヴィンテージの帽子を斜めに被っていたのが猛烈にダサかった。あんなダサい男に俺の人生が奪われたと思うと、気が狂いそうになる。
「そりゃあ気の毒だったな。許されないのも無理はない。だが、何故君は人間として生まれ変わらなかったんだ?普通の若者だったのだろう」
「え?あ、ああ。いや、その……ちょっと生前はお転婆タイプだったんだよ、俺」
さらっとごまかせばいいのに、こういうときほど口は回らないもので。つい口ごもってしまった俺を、お爺ちゃんは疑わしそうにじっと見つめた。
「何をしたのだ?深い理由があったのか?」
「あぁ、えっと、深い理由は特にないんだけど……いや、深い理由といえば深い理由かも」
「些細なことで愚かな行動をするのが人間だ。深い理由かなんて気にせず言ってみればよい」
俺は確かにそうかもしれないと思った。お爺ちゃんなら本音を告げても受け入れてくれるような気がした。
「実は高校も段々飽きて退屈になってさ、二股したり嘘コクしたりしてたんだよね。それで怒られちゃった」
そう告げた途端、お爺ちゃんの眼差しはこの暑さも吹き飛んでしまうほど冷酷で、キツくて、鋭利な刃に変わった。明らかに今、お爺ちゃんは俺を軽蔑している。そのことがよく伝わる眼差しだ。
「お前、前世はセミ以下の存在だったのだな。セミはむしろ昇格だろう。お前のせいで何人が傷つけられたことか」
「ははは、かなり言うじゃないですか」
無慈悲な一言が心臓に突き刺さる。苦笑いしかできない。確かに多少ばかりアレだったかもしれないが、そこまで言われる必要はない気もする。実際二股や嘘コクがバレた時も、デートを何回か重ね、君は特別だよ、なんて言えばみんな喜んで許してくれたものだ。
「お前が人の心を踏みにじったのに変わりないだろう」
「まぁそうですね。現にセミになってから、当時やったことを後悔しだしてるんです。あんなことしたせいで、俺は人間に転生できなかった。きっとこれじゃあ来世もセミだ。来来世も、来来来世も、来来来来世も」
たとえセミとして生きていたとしても、人間としての人生は数年前に完全に途絶えてしまった。それに対するやるせなさと絶望は、ずっと心のどこかしらで渦を巻いて、俺のことをチクチクと刺激している。ショックで病むのはガラじゃない。毎日を明るく生きてはいるが、最早それは自暴自棄からのものでもあった。
「神様に来世はセミって言われたとき、ショックすぎて頭真っ白になったんです。何か良いことを成し遂げれば人間に戻してやるって言われたけど、俺セミですよ?何もできない、何も残せない、ただのセミ。そんなの無理に決まってる」
「まぁ少なくとも今の姿勢のままじゃ、お前は人間になど舞い戻れないだろうな。きっとこのままどんどん廃れて、ロクなもの残せず、未練がましいオッサン……どころかジジイになるぞ」
お爺ちゃんは悪い笑みを浮かべた。田んぼを眺める老人の表情とは到底思えない表情。自分の言葉を鼻で笑われ、半ば苛立ちながら聞き返した。
「じゃあどうすればいいんですか」
「そうだな、俺の息子は自分がやらかしたとき空を見て反省してたぞ。太陽さんごめんなさい、って。真似してみたらどうだ」
「真剣に答えてください!」
お爺さんはぶつくさ言う俺のことを気にもしないように、小屋の中のベンチから立ち上がった。立ってみると分かったが、意外とお爺ちゃんは背が高いらしい。背もシャキンと伸びていて、後ろ姿は二十歳ほど若く見える。皺でよれた服は、何処かで見たことがあるような気がした。近くのファッションセンターなんかで昔見たんだろうか。
「……人間に戻る方法、実は心当たりがあるって言ったらどうする」
「え、あるんですか?」
「無いと言ったら嘘になる。可能性は高くないが」
「教えてください!可能性が低くてもあるにはあるんでしょ」
おじいさんは田んぼよりも奥に立っている、焦げ茶色の屋根の小さな家を指さした。あまり人気のない、薄気味悪い家だ。
「あそこに住む若い男は、一年前の父親の死をきっかけに外嫌いの引きこもりになってな。母親のことをよく困らせてるんだ。俺は母親ともその男とも親しかったから、心配で仕方ないんだよ」
よく見れば、その家の周りの田んぼだけ荒れ果てていた。もう何年も手入れをしていない、そんな様子だ。手入れをする人がいないんだろう。
「あの家は今日みたいな日曜の昼に必ず宅配を頼む。大抵男が荷物を受け取るんだが、その時でさえ家に出たくないみたいでな。ドアを自分の体で固定しながら玄関でものを受け取るんだ。だからその男めがけて飛び込んで驚かせて、いい感じに家の外に出させてほしい」
「それで俺は人間になれるんですか?」
「その些細な一歩がきっかけになって、また働き出したりするもんだ。そうすりゃ社会貢献になる。後先短いんだろう?何もやらないよりはいいじゃないか。きっと上手くいくよ」
お爺ちゃんは提案するというより何処かお願いしているように、それも真剣な顔つきで言った。老人のお願いなんて善人ならぬ善セミの俺には断れないし、そもそも断る理由も無い。俺は提案に了承し、家へと向かった。
他の家の裏から待って数十分したころ、宅配のトラックがやってきた。暑さで気を失いそうになる寸前だった。これ以上遅れていたら、まず配達員の顔めがけて飛んでいっただろう。そうなる前に着けた運の良さ、俺の飛ばない寛大さ両方に感謝してほしい。
そこから更に十分くらい経って、宅配業者の青年が男の家へとやってきた。
「すみませーん。宅配便でーす」
「はい、今出ます」
インターホン越しに男の声がして、ドアがガチャリと開く。お爺ちゃんが言うように本当に外が怖いようで、ドアも数十センチほどしか空けてなかった。青年は荷物を渡しづらそうで少しイラついているし、何なら俺もイラついた。あそこに入るのは難しそうだ。でも、やるしかない。俺は覚悟を決めて、男が紙に印鑑を押したのを合図に、一気に男のもとへと飛んで行った。
自分の顔面を目掛けて飛んでくるセミを目の当たりにした男は、目をぎょろりとこじ開けた。これは、結構楽しいかもしれない。
「うわぁ!!」
俺はそのまま顔の近くを飛び回る。男はかなり驚いているようで、必死に手を払い出した。しかし、前世人間の俺はこんなの簡単に避けれるのだ。人間時代手を振って虫を払いのけた経験は、数えきれないほどある。
「もう、本当に何なんだよ!」
全く俺がいなくならないことにパニックになったのか、そのまま体をジタバタ動かし、遂にはバランスを崩してそのまま家の外へと倒れこんだ。かなり強く、男の体が地面に打ち付けられる。やりすぎた、と一瞬焦った。が、呼吸を確認する前に男は起き上がった。
「痛いなぁ……」
うつ伏せになった男は顔をゆっくりとあげて、転んだ怒りからか目をひそめた。そしてすぐ、今度は大きく目を見開いた。
「……てか、めっちゃ晴れじゃん……」
男は何だか呆気にとられた表情で、空をじっと見つめていた。立ち上がることさえも忘れていた。男は仰向けに寝転がった。その見つめる表情は真顔だったが、目に強く焼き付けているのを感じられた。その様は、まるで空そのものを飲み込もうとしているかのようだった。
その後、この男は外に出るようになったらしい。まあ、余命いくばくないセミの俺が知っているのはこの後の男の言葉くらいで、実際の様子を目の当たりにはしなかった。
「やっぱり空は凄いなぁ」
俺は一仕事終わって、清々した気持ちで元に戻った。お爺ちゃんは、俺が戻ってくるのを小屋で立ちながらずっと待ち続けていた。
「どうだった?」
「外に出たよ。凄く空を見てた」
「そうか、アイツらしいよ。これでまた外を好きになってくれたらいいんだが。外に出してくれてありがとうな」
「いいよ。これで人間になれたら万々歳だし。許してあげる」
お爺ちゃんの感謝の言葉に何でもないように答えながらも、俺の脳内は嬉しさで爆発しそうだった。この俺が、暑い中で善い事をやり遂げたのだ。達成感と誇らしさで叫びたい気分だった。例え伝わらなくても、この美声を人間に届けたくて仕方がない。セミが叫びなんてしたらどれほどの騒音になるのか、想像もつかないけれど。
「叫べばいいじゃないか。お前はいいことをした」
お爺ちゃんの俺に対する軽蔑は、もう無くなっていた。俺を認めてくれたのだ。それが嬉しいからか、今のお爺ちゃんは老人に見えなかった。まるで中年男性のようだ。その穏やかな眼差しが最後のトリガーになって、俺は眼を瞑って精一杯叫んだ。
『ミーンミンミンミン!ミーンミンミンミン!』
俺の嬉しさは大きな音になって、田んぼ一帯を駆け抜けた。目を開くと、お爺ちゃんは小屋の中からいなくなっていた。俺は更に叫んだ。その音はまだ見ぬ番への愛の叫びでもあり、俺の言葉を拾ってくれたお爺ちゃんへの感謝でもあった。
『ミーンミンミンミン!ミーンミンミンミン!』
あの家の奥で、チラリと見えた物たちを思い出す。ダサいヴィンテージの帽子は、あれだけではなく他の種類も集めていたらしい。大切にケースにしまわれたあの帽子達は、今何を叫んでいるのだろう。
『ミーンミンミンミン!ミーンミンミンミン!』
これはロクなものを残せなかったお爺ちゃんの代わりに、俺が残すロクな音なのだ。
のこりもの @peyomi
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