第28話

バーンズ子爵が、北の土地へ調査の部下を送ってから、数日が過ぎました。

私の森では、ホーウェルさんの提案で開発を始めた、新しいハーブティーがついに完成しました。

カモミールとラベンダーの、優しい香りが調合室いっぱいにふんわりと広がります。

蜂蜜を加えて、ほんのりと甘く仕上げたそのお茶は、美しい黄金色をしていました。

私は、完成したばかりのハーブティーを、小さなカップに丁寧に注ぎます。

そして、森の仲間たちと一緒に、その味を試してみることにしました。

「まあ、なんて良い香りなのかしら。」

一口飲むと、花の優しい香りが、口の中にふわりと広がりました。

そして、温かい液体が、喉を通って体の中にゆっくりと染み渡っていきます。

すると、どうでしょう。

なんだか、心の奥にあった小さな不安や疲れが、すーっと溶けていくような気がしました。

体中の力が、ふっと抜けて、とてもリラックスした気持ちになります。

「これは、素晴らしいですな。」

「まさに、飲む癒やし、とでも言うべき逸品です。」

ホーウェルさんが、目を細めて感心したように言いました。

他の仲間たちも、その不思議な効果に驚いています。

「なんだか、とても眠くなってきたぞい。」

「ふわあ、今日はぐっすり眠れそうですわ。」

ノームたちが、可愛らしいあくびをしています。

どうやら、私たちの作った新しいハーブティーは、大成功のようでした。

私は、このお茶に、『聖女の夢語り』という素敵な名前をつけます。

このお茶を飲んだ人が、どうか幸せな夢を見られますように。

そんな、ささやかな願いを込めたのです。

このハーブティーも、次の交易で白鹿商会に紹介してみようと思いました。

きっと、王都で疲れているたくさんの人々の、心の支えになってくれるに違いありません。

私の楽園から生まれる、新しい恵み。

その一つ一つが、私の心を温かいもので満たしてくれました。


そんな穏やかな日々が、続いていたある日のことです。

夜空を駆けて、聖獣グリフォンのグレンが、王都から急いで帰ってきました。

その様子は、いつになく慌てているように見えます。

『主様、大変です。バーンズ子爵様から、緊急の知らせでございます。』

グレンは、息を切らしながら、一通の手紙を私に差し出しました。

その手紙の封は、急いで開けられたのか、少しだけ破れています。

私は、何か良くないことが起きたのだと、すぐに察しました。

高鳴る胸を抑えながら、私はその手紙を読み始めます。

手紙に書かれていた内容は、私の想像をはるかに超えるほど、衝撃的なものでした。

それは、北の土地を調査した、バーンズ子爵の部下からの詳細な報告書だったのです。

報告書には、目を覆いたくなるような、悲惨な現実が克明に記されていました。

ミレイが、「豊穣の奇跡」を起こした広大な土地。

その場所は、もはや生命の気配が全く感じられない、完全な「死の大地」と化していました。

黒く乾いた土は、冷たい風に吹かれて砂のように舞い上がります。

その周辺の村々では、生活に不可欠な井戸水が次々と枯れてしまいました。

家畜たちは、原因不明の病で、そのほとんどが死んでしまったそうです。

そして、農民たちの中にも、体調を崩す者が続出しています。

彼らは、まるで生命力を吸い取られたかのように、日に日に衰弱しているというのです。

報告書は、こう締めくくられていました。

『このままでは、死の大地は、さらに広がり続けるでしょう。』

『そして、いずれ王国北部全域が、飲み込まれてしまうやもしれません。』

手紙を読み終えた私は、言葉を失って、その場にただ立ち尽くしていました。

水源地で見た、あの不吉なビジョン。

それは、今まさに、現実のものとなってしまっていたのです。

「なんて、恐ろしいことを。」

私の声は、か細く震えていました。

ホーウェルさんも、その報告書を読んで、厳しい顔で腕を組んでいます。

「やはり、わしの懸念が当たってしまいましたな。」

「これは、禁断魔法の、最も恐ろしい代償です。」

「ミレイ殿は、自分が何をしでかしたのか、全く理解しておらんのでしょう。」

彼の、その言葉。

その言葉が、私の心に深く突き刺さりました。

ミレイ様は、聖女という立場に追い詰められて、禁断の力に手を出してしまったのでしょう。

彼女を、そこまで追い詰めてしまった原因の一端は、もしかしたら私にもあるのかもしれません。

そう思うと、私は彼女を、ただ責めるだけの気持ちにはなれませんでした。

それよりも、今、目の前で苦しんでいる人々を、どうすれば救えるのか。

私の頭の中は、そのことでいっぱいになりました。

「ホーウェルさん、私、このまま黙って見ていることはできません。」

「罪のない人々や、動物たちが、これ以上苦しむのは耐えられないのです。」

私が、強い決意を込めてそう言うと、ホーウェルさんは静かにうなずきました。

「ええ、主殿なら、そうおっしゃると思っておりました。」

「ですが、主殿。王国との約束を、破るわけにはいきません。」

「主殿が、直接あの土地へ赴くのは、あまりにも危険すぎます。」

ホーウェルさんの言う通りでした。

私が、軽率に森を出れば、アルフォンス殿下が何を仕掛けてくるか分かりません。

それに、これほど広範囲に広がった「死の大地」を、私一人の力で浄化できるかどうかも分かりませんでした。

「では、どうすればよいのでしょう。」

「何か、森にいながらにして、あの土地を救う方法はないのでしょうか。」

私は、必死に知恵を絞ろうとします。

その時、ホーウェルさんが、何かを思い出したように、はっとした顔をしました。

彼は、書斎へ駆け込むと、一冊の古びた分厚い本を持って戻ってきます。

その本の表紙には、かすれた古代文字で、『大地の癒やし』と記されていました。

「主殿、もしかしたら、一つだけ方法があるやもしれません。」

ホーウェルさんは、ほこりっぽいページを、急いでめくり始めました。

そして、あるページを指さして、私に見せてくれます。

そのページには、美しい水晶の絵が描かれていました。

その水晶は、まるで涙の雫のような、不思議な形をしています。

「これは、『大地の涙』と呼ばれる、伝説の結晶です。」

「古い言い伝えによりますと、大地そのものが、深い悲しみに包まれた時、その嘆きに応えるようにして、聖なる洞窟の奥深くで、生まれることがあると言われております。」

「そして、この結晶には、死んだ大地を蘇らせるほどの、強大な癒やしの力が宿っているとか。」

ホーウェルさんの、その言葉。

その言葉が、私の心に、一筋の希望の光を灯しました。

「大地の涙、ですって。」

「ホーウェルさん、その聖なる洞窟というのは、どこにあるのでしょう。」

「ふむ、この本によりますと、その洞窟は、この森のさらに奥深く、誰も足を踏み入れたことのない、最深部に存在すると書かれておりますな。」

森の、最深部。

それは、水源地よりも、さらに奥にある未知の領域です。

そこが、どんな場所なのか、誰も知りません。

もしかしたら、危険な魔物が生息している可能性もあります。

でも、私は、もう迷ってはいませんでした。

それしか、方法がないのなら、私が行くしかありません。

「分かりました、ホーウェルさん。私、その『大地の涙』を探しに行きます。」

私が、きっぱりとそう宣言すると、周りにいた仲間たちが、一斉にざわめきました。

『主様、それは危険すぎます。』

「いや、わしも一緒に行くぞい。主殿を、一人にはできん。」

「わふん!」

グレンも、ノームも、そしてルーンも、心配そうに、そして力強く、そう言ってくれました。

私は、そんな仲間たちの温かい気持ちに、胸が熱くなるのを感じます。

「ありがとう、みんな。でも、これは私自身の問題です。」

「それに、私には、誰よりも頼りになる相棒がついていますから。」

私は、足元のルーンを、優しく抱きしめました。

ホーウェルさんも、私の固い決意を、理解してくれたようです。

彼は、私の肩に飛び乗ると、こう言いました。

「分かりました、主殿。わしも、お供させていただきます。」

「わしの知識が、きっと道中のお役に立つことでしょう。」

こうして、私は、「大地の涙」を探すため、森の最深部への冒険に出ることを決意したのです。

ノームたちが、旅のための準備を、すぐに始めてくれました。

丈夫なロープや、松明、そしてたくさんの食料を用意してくれます。

森の仲間たち、全員が私のことを心配し、そして応援してくれていました。

私は、みんなの思いを胸に、未知なる冒険へと旅立つ準備を始めます。

次の日の朝、私はルーンとホーウェルさんだけを連れて、家の前に立ちました。

グリフォンのグレンとフィリアが、空から私たちを見送ってくれています。

「グレン、フィリア、留守の間、この森のことをよろしくお願いしますね。」

『はっ、主様。お気をつけて、いってらっしゃいませ。』

私は、仲間たちに手を振ると、森の最深部へと続く、未知の道へと、第一歩を踏み出しました。

今までの穏やかな森とは、明らかに違う、神秘的で、そして少しだけ危険な気配が、私たちの体を包み込んでいたのです。

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役立たずの【清浄】スキルと追放された私、聖女の浄化が効かない『呪われた森』を清めたら、もふもふ達と精霊に囲まれる楽園になりました 旅する書斎(☆ほしい) @patvessel

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