フラクタル恒星のままに
伏見翔流
フラクタル恒星のままに
夜空に星が雨のように降った日、君は街に落ちてきた。矢印のような箒のような、赤い尾が、筋の通った美しい曲線を描きながら。
その時、僕はちょうど家での計画を実行している最中で、重たい鞄に荷物を背負って、産まれ育ったこのネオヒ地区にさよならを告げていたところだった。
家出の理由は単純。学校にも家にも、もう帰りたくないから。
教室のあちこちでどうでもいい自慢話に花を咲かせる男子のやつらも、グループの中で僕みたいな気弱なやつのことを優劣つける女子共も、それを見て見ぬふりする先生たちも、みんなみんなみんな、大嫌いになった。
親との関係も悪かった。父も母も「生まれた環境のせいにするな」と言いながら、僕が環境のせいで苦しんでいることを理解してくれない。そのくせして、知識人が「人格は環境によって形成されます」と語るテレビ番組には首を大きく縦に振る。それを見て、子供ながら醜いと思って堪らなかった。
なお、僕には兄弟や姉妹はいない。だから、この空間が窮屈で、つまらなくてならなかった。家でも独り、学校でも独り。そんな日々を過ごしていれば、いつしか独りきりなことが当たり前になってきて、周りへの関心も次第に薄れていった。
「僕は、こんなつまらない人たちと居たくない」
そう思った。これからは、自分の力で生きていくんだ。きっと今まで以上に辛いことも苦しいことも増えるだろう。でも、まだ納得がいく。学校や家族という「居場所だと思っていた場所」から裏切られるよりはずっとマシだ。
それから僕は荷物を鞄に詰めた。全財産と五日分のタオルや服などの衣類、保存が長く効く缶詰やありったけのお菓子、水を入れた大きなペットボトル、雨具に日傘、懐中電灯や発電機も持っていった。これらを眺めていると、昔参加した防災訓練を思い出して、少し微笑ましくなった。
そして親が寝静まった午前零時。
僕は荷物を持って家から抜け出した。玄関を開けると音で気付かれるため、窓からロープを垂らし、それを伝って下へと降りた。なんだか映画で見た特殊部隊みたいだなと、少しニヤけた。
窓の開いた二階の部屋を見上げる。夜風でカーテンが静かに揺れている。ここは今から「部屋」ではなく、ただ風により空気を循環させるただの「空間」になった。
もうあの部屋に、誰かが住むことはないのだろう。少し寂しさを感じてしまい、このまま歩き出すべきか逡巡してしまう。
「いや、もう決めたんだ」
白いパーカーのヨレを直して、黒い前髪を少し掻き分ける。靴紐は……、もう結んである。
僕は振り返らなかった。振り返ったら、もう二度と前に進めないと思った。
こうして、僕の逃避行が始まった。
─────と思っていた。
家を去ってから一時間ほど経った午前一時。君は街に落ちてきた。矢印のような箒のような、赤い尾が、筋の通った美しい曲線を描きながら、公園の真ん中に青白い光を放っていた。それはまるで、宇宙の彼方で起こる超新星爆発のような明るさだった。
「はぁ…………?」
僕はその場から動けず、呆然としていた。公園には直径およそ二メートルほどの大きさをした銀色のフリスビーのような円盤が、斜めに突き刺さっていた。真ん中には紫色に点滅する小窓のようなものがついていて、白い煙が立ち昇っていた。
「な、何これ……?」
僕は家でのことなどすっかり頭から抜け、目の前にある得体の知れない物体に目を奪われていた。物体は今のところ、ビクともしていない。
僕はさらに少し近付いた。恐る恐るではあるものの、興味が湧き始めていたのだ。
物体は銀色の巨大な円盤で、よくテレビや雑誌などで見るようなUFOとシルエットは似ているが、円盤と小窓は繋がっておらず、何らかの技術で浮かんでいるようだった。見た目を例えるなら、土星とよく似た形をしている。
「ゆ、UFO……?」
僕は周りを注意深く歩き回った。得体の知れないものゆえ、もしかしたら爆発や危険な光線を放ってくるかもしれない。僕は鞄を盾にしながら、周りを歩いて回っていた。
「……中は誰もいないのか?」そう思った瞬間、急に勢いよく真ん中にある小窓が、潜水艦のハッチのように開かれた。僕はびっくりして、近くの木陰に身を隠した。
木の幹から様子を窺っていると、ハッチの中から一人の人間の姿をした影が見えた。見た目は僕と同じ子供っぽく、水色にギラギラ輝くシャツに白い羽織のような丈の長い服を羽織っている。髪は青色めで、長いもみあげは水色、瞳の色は白で瞳孔は十字模様。周りを見渡しながら、黒目を赤色に点滅させている。
僕はその様子に見惚れていた。中から出てきたのは当然宇宙人だろう。けれど、どこか美しく、神秘的な様まで感じていた。
しばらく見ていると、青髪は宇宙船から降りてさらに辺りを探索し始めた。まだ変わらず、瞳を点滅させて、何かシグナルを送っているようにも見えた。
「何をしているんだろう……」
僕はその場から動けずにいた。もう少し近づきたかったが、気付かれたら何があるか分からないから動けない。その場から静かに見守ることが、今の僕にできることだった。
しかし、しばらくその場で見ていた時、僕の隠れていた木の枝が折れ、パキンという音が静寂の中で響いた。
「あっ……」
その直後のこと。青髪が瞬時にこちらに視線を向けた。その目には温度がなく、まさに本能的に狙っているような目線だった。
僕はすかさず木陰に隠れたが、それも無意味だった。僕の足元には紫色の光が差していて、その方向に振り向くとそれが僕に照準を合わせた拳銃型の兵器であったから。
僕は誰に教わることもなく、自然と両手を挙げていた。そしてしきりに首を横に振り、自分に敵意がないことを訴えていた。
青髪は鋭い目つきで銃口を向けている。言葉がないため、何を思っているのかが分からなかったが、とにかく余計なことはしないように必死になった。
「
「え?」
「
初めて、何か言葉のようなものを聞いた。しかし何を言っているのかは分からない。英語でもドイツ語でもフランス語でも、もちろん日本語でもない。どこの言葉かは分からないが、地球の言葉ではないことは確かだった。
「え……、えっと……」
「
「ぼ、僕は、その……」
僕がおどおどしていた時、不意に青髪の表情が明るくなり、向けていた銃を下ろした。僕がそれに困惑していると、瞳の色を黒に戻し、二、三回ほど「あーあー」と声を出したのち、小さく「コ、ン、バ、ン、ワ……」と呟いた。
「え……?に、日本語、喋れるんですか……?」
「まぁね。一応必要な言語だし?ペラペラじゃないけど話せるよ」
先程の理解不能な言語から一変し、そこそこ聞き取れる日本語を話し始めた。口調も穏やかで、完全に敵意は消えているように見えた。
「そ、そっか……。よかった……」
「さっきは驚かせてごめん。知らない人を前にすると、こうなっちゃうんだ」
「そっか……。まぁ、はじめましてだもんね」
とは言ったものの、こちらからすればだいぶ物騒な
「ウァイ、こういう人なんだ」
「……ウァイ?」
聞き慣れない単語に首を傾げると、青髪はポケットから小型のデバイスを取り出した。僕たちの使ってるスマートフォンによく似たものだが、棺のような形をしている。そのデバイスの電源を入れると、真ん中から青白いホログラムが映し出され、そこに小さく日本語で文字が映っていた。
「あ、ウァイって「僕」って意味なんだ……」
どうやらこの言葉は、地球の言葉でいう一人称として使われるそうで、男性や幼い男女が多く使うのだという。
「そうそう。ちなみに、これは百科事典だよ」
「え?これがそうなの?」
「うん。カッコいいでしょ」
百科事典をポケットにしまった青髪は、次に胸ポケットから小さいカード状のものを僕に差し出した。触った感じは、普通の紙と同じだった。
「Planne Σo GodRed……?なんて読むんだろう……?」
「あぁ、失礼。僕は「プラネ・シグマオー・ゴッドレッド」っていうんだ」
「な、長い名前……」
「そうなんだよ。だからウァイのことは「プラネ」って呼んでくれればいいよ」
「わ、わかったよ……」
プラネはそう言って右手を差し出した。それが普通に握手を求めていることに気が付くまで、少し時間がかかってしまった。
「君の名前は?」
プラネは僕に名前を訊ねた。
「ぼ、僕は
僕は名乗った。名前を聞かれることなんて、久々で少し新鮮な気持ちだった。
「オリグチ……、クオン……。へぇ~」
「いや感想それだけ……?」
「名前なんて記号でしかないしさぁ。そんなに関心がないんだ」
「な、なるほどね……」
プラネは不意に回れ右をすると、自分の降りてきた物体に近づいて様子を見ていた。この物体の事を訊ねると、プラネはシンプルに「宇宙ポッドだよ」と答えた。これは地球で言う自家用車みたいなものらしい。だが、今は突然の故障により、使用できない状況にあるとのことだった。
「ねぇ、プラネはどこから来たの……?」
僕はプラネに訊ねた。気が付けば、僕の方からも不安や緊張が解けていた。僕の質問に、プラネは振り向いて答えた。
「地球から何光年と離れた惑星ハレーってところからだよ」
「惑星、ハレー……」
「そんなに大きくは無いけど、いいところだよ」
惑星ハレー。地球人には発見されていない「フラクタル恒星」という特殊な星であり、あまり多くのことは話せないという。曰く、勝手に喋ったら「プラズマ線に縛られてショック死させられる」とのこと。
「ど、独裁国家……?」
「いやいやいやいや。そんなことはないよ。何より惑星ハレーには国家がないんだ。その代わりに、星全体をまとめている偉い人がいるんだって。ウァイはまだ会ったことないけど」
そう言いながらプラネは宇宙船を点検していた。これまた不思議なデバイスを繋ぎ、モニター上で問題を調べていた。
問題は意外にも数分で見つかった。それも、思ったよりも軽度のもののようだった。
「な、何か分かったの?」
「中の燃料が古いものだったみたいで、可動装置がオーバーヒートしたみたい」
「え……!?じゃあ、どうするの……?」
「簡単なこと。中を冷却すればいいの。そのためにはガソリンと氷がいるね」
「ガソリンと……、氷……?」
僕は考えていた。ガソリンと氷。身近なものとはいえ、いざ必要となるとどこで手に入れるべきか思いつかない。というか、意外と身近なもので対処できるものなのかと少し面食らってもいた。
「ガソリンか……。ガソリンならガソリンスタンドで買えるかも……。氷はコンビニとかかな……?」
「……ガソリン、何?」
プラネが不思議そうな顔をして聞き返した。
「あれ?ガソリンスタンド知らないの……?」
「うん……。こっちではガソリンは個包装で売ってるからね」
「そうなんだ。こっちは車に使ってるからね。よかったら案内しようか?」
「いいの!?やった!ありがたいっ!オリオン!」
「……お、オリオン?」
「うん。いま思いついた君のあだ名。よろしくね」
「あぁ……、うん。こちらこそ」
プラネの瞳が、また点滅した。今度は鮮やかな緑と紫に。点滅の色は、感情によって色が変わるのだろうか。
こうして早速僕たちは、ガソリンと氷を探しに出かけた。
歩きながら、僕は改めて考えていた。本当なら僕は荷物を持って駅に向かい、終点のアザミオカ駅に降りてバスターミナルからバスに乗って遠く遠くまで向かっていく。そう言う計画だった。なのに、今僕は遠い星からやってきた宇宙人の少年の宇宙船を直すためのガソリンと氷を探しに夜のネオヒ地区を歩いている。
(どうしてこうなったんだ……?)
(僕は家出するためにここまで歩いたんだぞ……?)
(完全に目的を失っているじゃないか……!)
僕は背中に背負った鞄の中身を思い返した。全財産と五日分のタオルや服などの衣類、保存が長く効く缶詰やありったけのお菓子、水を入れた大きなペットボトル、雨具に日傘、懐中電灯や発電機……。これらは全て家出に使う大事な道具、そして決意の証だった。なのに、その目的にすら届かなかったら、一体この荷物はどうなってしまうんだ?目的から外れているが、僕は「これが終わったら改めて家出しよう」と、もう一度自分に言い聞かせた。
「地球って夜は静かなんだね。惑星ハレーは夜でもみんな元気だから驚いたよ」
「そっちは街が一日中動いてるの?」
「まぁ動いてるかな。昼間限定の施設とか夜限定の施設とかあるんだ。だから街は常にどこか動いてるんだよ」
プラネが教えてくれた、惑星ハレーでの生活。それは地球と似通ったところが多くあったが、やはり
「ねぇオリオン、もしかしてここがそう?」
プラネが立ち止まり、指を差した看板。どうやら僕が案内した二十四時間営業のガソリンスタンドに着いたらしい。
「いらっしゃいませ」
店員が声をかけていた。連勤なのだろうか?ひどく疲れている顔をしている。
「すみません。ガソリンをくれますか?えっと……、どれくらいなの?」
僕はプラネにガソリンの量を訊いた。
「二リットルは欲しいな」
「二リットルです……」
結構使うんだな。と思った。
「本人確認できる身分証明書と使用目的の申告をお願いします」
「……はい?」
「免許証や保険証などの身分を証明できるものはありますか?」
僕はドキドキした。そんなものが必要だなんて、知らなかった。どう乗り切ろうか訳を考えていた時、プラネが店員の前に向かい、僕に渡したカード同じようなサイズの神を差し出した。
「赤神時雨(アカガミ・シグレ)と申します。年齢は二十歳、使用目的は大型作業車への給油です」
プラネは堂々と嘘を吐いた。僕はあまりにも堂々としているプラネに、ツッコむことも忘れていた。
店員は身分証を受け取ると「確認しました」と言ってすんなり僕たちを通した。逆に心配になるくらいあっさりとガソリン二リットルを購入出来てしまった。
「二リットルで四〇〇円になります」
「あ、はい……」
僕は鞄から財布を取り出し、五〇〇円で支払って一〇〇円のお釣りを受け取った。鞄の中の荷物の山を見て、プラネは不思議そうな顔をしていた。
「さぁ、行こうか」
「あぁ……」
僕たちは目的を果たして、ガソリンスタンドを後にした。
「ねぇ、あれ大丈夫なの……?」
「ん?何が?」
僕はプラネにさっきのやり取りを訊ねた。
「大丈夫だよ。実際、年齢以外は嘘じゃないもの」
「年齢は嘘じゃん……」
罪悪感がないのか地球をまだ知らないだけなのか、プラネは何ともないように明るい顔をしたままだった。
僕たちは次の目的である氷を買いに向かっていた。氷はコンビニにあるはずと思い、僕が向かう予定だったアザミオカ駅前にあるコンビニを目指した。そこそこ距離がある場所だ。僕は息を吐きながら、プラネと共に歩き始めた。
「ねぇ、オリオン」
しばらく無言で歩いていた時、プラネが僕に訊ねてきた。
「な、何?」
「そのいっぱいの荷物……、もしかしてどこかに出かける予定だった?」
今さらその質問?と思ったが、僕は気にすることなく頷いた。
「どこに行こうとしてたの?」
「……遠いところに」
「何で?」
「……家出しようとしてたんだ。その道で、君と出会ったんだよ」
「じゃあ……、あの時まさにそうだったんだ……」
それを皮切りに、僕はプラネに事の次第を語った。なぜ家出をするに至ったのか、その端から端まで、丁寧に語った。何だか、彼なら理解してくれるかもしれないという、どこか淡い期待を感じていたからだろう。プラネは、ただ静かに、時折頷きつつも、最後まで僕の話に耳を傾けていた。
「ははは。馬鹿みたいだよね……」
僕は俯きながら苦笑いしていた。我ながら、すごく恥ずかしかった。自分で決めたことなはずなのに、本当にこの決断は正しかったのだろうかと、どこか揺れがあるのを感じていた。
しかしプラネの顔を見てみると、意外にもクスりともしていなかった。その代わりに真剣な表情を向けながら僕を見つめていた。
「そっか。大変な思いをしたんだね……。ウァイはあまりこういう経験はないから分からないけど、理解者がいないって、辛いことだよね……」
プラネの声は、優しく僕に寄り添っていた。それは形だけの慰めではなく、しっかりと、僕の気持ちを分からないなりに汲み取ろうという確かな思いがうつっていた。僕は、その瞳で、言葉が出なかった。
「でも、きっとオリオンがいなくなったら、両親は心配しちゃうんじゃないかな?失って初めて気付くじゃないけど、オリオンがいなくなるのは、きっと悲しいと思う」
プラネは僕の手を、自身の手と繋げた。しっかり繋がった手と手は、心地いい温もりを閉じ込めていた。そして少しだけ、ピリピリと痺れる。
僕は何も言葉が浮かばず、プラネが見上げている夜空を見上げた。プラネは人差し指を空高く上げて、おはじきを弾くような仕草を取っていた。
「何しているの?」
「何をしているでしょうか?」
僕がその仕草を訊ねた時、プラネはおどけてクイズ形式に聞き返した。訊ね返されたものの、僕にはこの仕草が何なのかてんで分からない。分からないと伝えると、プラネは「よーく見ててね」と言った。
僕は言われた通りに夜空を見ていた。プラネはさっきと同じように、指をスイスイとスライドさせている。やはり何をしているのか、全く分からない。
しばらく見ていると、星たちが少しずつ列をなして集まっているのが見えた。それは普段見える星座とは違い、少し人工的というか、何だかいつもと違って見えた。
やがて、もうひとつ星が並んだ。そしてその次に、同じように星が並ぶ。それを繰り返していくうちに、星たちがひとつの形を作っていることに気がついた。
「あっ……!これって!」
「ようやく気付いたね?そう。すごいでしょ!」
プラネは星空を指でなぞり続け、やがてその動きを止めた。指先にあったのは、星たちの群れで作られた大きな星の記号の形だった。そう。プラネは指で星を動かして、夜空の中に自在に絵を描いていたのだ。指を右に動かせば右に、左に動かせば左にと、まさに魔法のような光景だった。僕にその力が使えるとは思えない。だからこそ、こんな光景をこの目で見るだけでも楽しく、心が踊った。
「宇宙には、何億という数の星があるんだ。でも、ひとつとして同じ形の星や惑星はない。みんな、代わりがない唯一無二の存在なんだ。地球人だって、きっとそうなんじゃないかな?」
プラネは言った。宇宙の色んな景色を見てきた身からでないと言えない、幻想的な答えだった。
「僕も、唯一無二なのかな?」
僕は、こんなことを聞いていた。プラネの答えは、決まっていた。
「きっとそうだよ。この地球の隅から隅を探し回っても、君に代われる人間は見つからないさ」
プラネの瞳は、ただ、優しかった。
「それにウァイは、たまたまだったと言われても、初めて出会った地球人が、オリオンでよかった。こんなに面白くて気軽になれるのは、遅かれ早かれ、オリオンしかいなかったと思うな」
プラネの言葉は、寂しさを宿した僕の心に確かに触っていた。そして伸びたその言葉は、僕の冷たくなった心に、温度を贈っていた。
「……ありがとう、プラネ。僕もこんな不思議な友達ができて、よかったと思ってるよ」
気が付けば僕は、気が晴れたように微笑んでいた。そしてプラネも、同じ顔をしていた。
それから僕たちは、コンビニについて氷を一袋分買って行き、公園に戻って来た。宇宙船は、まだ公園に残っていた。
「さぁ、ここからはウァイの時間だ。ウァイでも難しい作業になるからね」
「分かった。出来ることがあったら手伝うよ」
「ありがとう。もしその時があったら頼んでいい?」
「うん。いいよ」
そしてプラネは宇宙船の修理を始めた。僕は何か手伝いたかったが、プラネの行ていることは地球のテクノロジーではなく、僕の出る幕はなかった。何度も何度も、デバイスに数式を入力しながら、動作を確認している。思ったよりもデジタルな直し方だ。
「よし、オリオン、出番だよ!」
数時間ほど作業していた時、プラネは僕を呼んだ。
「どうしたの?」
「大体の作業が終わった。あとはしっかり動くか確認したい。僕の指示に合わせてガソリンと氷を入れて欲しい」
「え?こ、これに……?」
「大丈夫。タイミングを合わせてくれれば上手く行くよ」
プラネの説明によると、モニターに映し出されている数値の通りの分量になるようにガソリンと氷を入れる必要があるらしく、それも中で動いている装置の動きも見ながら注いでいくのだという。当然一人で出来ることではないため、普通は二人で行う作業なのだという。
僕は注ぎ口の前にガソリンタンクを持って立ち、プラネからの指示に耳を傾けていた。彼の合図に合わせて注いでいく、集中力のいる作業。こんな経験なんか滅多にない僕は、上手くできるかと緊張していた。
「よし……!まず一回目ガソリン「ストップ」って言うまで注いで」
「うん!」
合図があった。僕は一気に入れないように、慎重にトクトクと注いだ。独特な香りのする黄色の液体が、機体の中に注がれていく。
「よしそこまで。次はそこに十個くらい氷を入れて、しばらくアイドリングさせるよ」
僕がガソリンを入れたことにより、機体が音を立てて震えだし、周りのライトが点滅し始めた。動くということは、これで完全に確認できた。
これでしばらく、ガソリンの力で機体を動かしつつ、氷によって温度が上がった内部を冷却する……、という僕では理解が難しい工程が行われているという。
「それにしても助かったよ。惑星ハレーだとガソリンは高いからさ。何とかなりそうだよ」
「幾らくらいするの?」
「大体一リットル
「た、高い……!」
「貴重資源だからね。さ、そろそろ次の作業に行こう」
次の作業は、先程の手入れを行ったこの機体を実際に動かして、飛行に問題がないかを試験する、所謂「テスト飛行」だった。このテストで異常が見られなければ、プラネはようやく地球から帰れるということになる。
「大丈夫かな……?」
「問題自体は解決したはずなんだけど……、どうだろう。今から動かすから、少し離れててね」
「分かったよ」
僕は言われた通り距離を取り、彼が操縦する宇宙船の機体を見守っていた。
宇宙船は乗り込んだ操縦する場所を中心に広がった円盤型のブレードが高速回転し、まるでハンドスピナーのように回る。その浮力と、下部から噴出する高エネルギーの力によって飛んでいると教えてくれた。
機体が音を立てて上昇する。少し不安定な挙動があるものの、それも徐々に安定しているように見えた。
やがて機体は静かに地面に降り立ち、ハッチを開けてプラネが降りてきた。
「どうだった?」
「問題はないよ。修理完了!」
思ったよりも簡単な作業だったと思ったが、そんなことよりも無事に帰れるんだという喜びがあった。帰れるのはプラネの方なのに、自分の事のように喜んでいる。気が付けば僕とプラネは、ハイタッチを交わしていた。
「やったね!プラネ!」
「ありがとうオリオン!君が居なかったら出来なかったよ!」
修理が終わった頃、東の空が白々としていくのが見えた。もうすぐ、長くて短い夜が終わっていくようだった。夜が明ける瞬間を、僕はこの時初めて見た。
「これが地球の夜明けか……。綺麗だね」
「そうだね。僕、初めて見たんだ」
「そうなんだ。じゃあ、一緒に初めてを見られたね」
「えへへ……。確かにね!」
僕とプラネはこの一夜を通して、他の誰よりも深く繋がれた気がした。お互い住んでいる星も違えば、交わしている言葉も違う。触れてきた文化も歴史も違う。それなのに、そんなことによる隔てりを一切感じない出会いだった。こんな風に歪ながらも、しっかりと笑い合える関係になれた人など、今までほとんど出会えなかった。
……だから、家出しようとしていたのかもしれない。
あの夜、こっそり家を抜け出したことで、僕は君と出会えた。こんなシナリオ、全く描いちゃいなかった。
白い朝日を眺めていた時、僕は自分が思い出した。
「あ!そろそろ帰らないと母さんたちが起きちゃう!」
「大丈夫?ここからどれくらいで着く?」
「ここからだと十分くらいだけど……、大丈夫かな……?」
「じゃあ、ウァイの宇宙船に乗っていきなよ」
「え?いいの……?」
「大丈夫。ここから十分でしょ?それならひと飛びだよ」
プラネからの提案を受けて、僕は宇宙船に乗って送ってもらうことにした。
ハッチを開けて中に入ると、ちょうど二人くらいが入れるスペースに様々なグラフやメーターが映し出されているモニターが光り、真ん中にはYの字になっているハンドルがあった。
「しっかり掴まっててね。本当に一瞬で着くからね」
「ありがとう。二階に窓が開いてる部屋があると思うんだ。そこからでお願いできる?」
「いいよ。それじゃあ、行こっか!」
僕とプラネで一緒に直した宇宙船が、今、空高く浮かび上がった。地面がどんどん小さく縮小されていき、やがて街が程よく見渡せるくらいにまで浮かんだ。
そして、一気に僕たちは飛び出した。あの夜落ちてきたときも、こんな感じだったのだろうか。
体感十秒ほどで、数時間前に抜け出した家の窓に着いた。まだカーテンが、そよそよと揺れていた。
「ここでいいの?」
「うん。大丈夫そうだね」
部屋を覗いてみると、誰もいなかった。ドアも開いていない。抜け出してから今帰って来るまで、本当に誰も来なかったようだった。
「間に合ったみたいでよかった。改めて、ありがとう。オリオン」
「そんな……。何だか名残惜しいけど、またいつでもおいでよ」
「ははは……。そんな簡単には来れないけど、きっと、また会えるよ」
「そっか。じゃあ、その日にまた、会おうね!」
僕たちは、そんな健気な約束をした。
「ねぇ、これあげる」
帰り際、プラネは僕に小さいリモコンのようなものをくれた。
「これって、何?」
「これは
どうやらこの装置は、惑星ハレーでいう携帯電話みたいなものだという。それほど制度は良くないらしいが、それでも地球の技術よりは遥かに優れている。
「ありがとう。これでまた、会えるかもね……!」
「ははは。もしかしたら、ね」
そう言って、僕たちは微笑み合った。惜しみなく、いや、最後まで別れを惜しむように、その笑顔をお互いに記憶し合っていた。
「……それじゃあね。オリオン」
「うん。またね……。プラネ」
僕たちは最後に、改めて握手をした。今度はしっかりと、固い握手をした。
そして部屋の目覚まし時計が鳴ると同時に、プラネはまるでパッと消えていくように、宇宙の彼方へ飛んで行った。
誰もいない部屋に、再び僕は戻って来た。結局僕は、家出に失敗したわけだ。
でも、なんでだろう。心はとても、暖かった。
「久遠!起きなさい!」
母さんが起こす声が聞こえる。すっかり目が醒めた状態で聞くと、何だか、不思議と穏やかに聞こえる。
「はーい」
日常に、戻っていく。
僕はSig-Boxをポケットに隠した。星空が綺麗な夜に、そっと点火させよう。
もし、その満天の星空の中に、不規則に点滅する光を見つけたら、
また君に会いに行こう。そう思った。
フラクタル恒星のままに 伏見翔流 @Fushimi_Syouri
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