第12話

エレナたちが帰った後の工房は、心地よい静けさに包まれていた。

俺はカウンターの椅子に座り、ゴードンが置いていったドワーフの酒の瓶を眺めていた。琥珀色をした、いかにも強そうな酒だ。今夜あたり、少しだけ試してみるのもいいかもしれない。


「マスター。ワタシ、オナカスイマシタ」


「おっと、そうか。もうそんな時間か」


タマの声に、俺は我に返った。

時計を見ると、昼食の時間はとっくに過ぎている。冒険者たちの相手をしていると、どうにも時間の感覚がなくなってしまう。


俺は二階に上がると、簡単な昼食の準備を始めた。

メニューは、昨日と同じ野菜スープの残りと、黒パン。そして、デザートにはリリアが焼いてくれたハーブクッキーだ。


クッキーは、甘さ控えめで、口に入れると爽やかなハーブの香りが鼻に抜ける。とても上品な味だった。彼女の、心優しい人柄が表れているような気がした。


「それにしても、ティム君の杖、すごかったな」


食事をしながら、俺は今日の出来事を振り返っていた。

ただの木の枝だと思っていたものが、実は希少な『雷鳴木』だったとは。ああいう発見があるから、この仕事は面白い。


「あの杖があれば、彼はきっと一流の魔術師になれるだろうな」


自分の仕事が、誰かの未来を後押しする。

前世では、考えられなかったことだ。システムエンジニアの仕事は、誰かの役に立っているという実感を得にくかった。ひたすら、納期とエラーとの戦いだったから。


「マスター。タノシソウデスネ」


「ああ。楽しいよ、タマ」


俺は、心からそう答えた。

誰かに感謝され、必要とされる。こんなに満たされた気持ちになったのは、本当に久しぶりだった。


昼食を終え、一階の工房に下りると、俺は作業台の整理を始めた。

すると、カウンターの隅に、何か小さなものが落ちているのに気がついた。


「ん?なんだこれ?」


拾い上げてみると、それは指先ほどの大きさの、小さな金属の破片だった。

おそらく、ゴードンの斧を修理した時に、削り落ちたものだろう。


何気なく、その破片にスキルを使ってみる。


「『分解』」


その瞬間、俺はわずかに目を見開いた。

この金属、ただの鋼じゃなかった。ごく微量だが、未知の鉱物が混ざり込んでいる。それは、この世界の物質ではなく、もっと別の……そう、まるで、古代文明の遺物に使われている金属と、よく似た特性を持っていた。


「どういうことだ?ゴードンの斧は、普通の鍛冶屋が打ったもののはずだが……」


考えられる可能性は、二つ。

一つは、斧の素材となった鉄鉱石に、偶然、古代文明の遺物の欠片が混じっていた。

もう一つは、ゴードン自身が、知らないうちに、古代文明と何らかの関わりを持っているか。


「……まあ、考えすぎか」


俺は、その小さな金属片を、とりあえず机の引き出しにしまった。

今、ここで考えても答えは出ない。またゴードンに会った時に、それとなく聞いてみればいいだろう。


そんなことを考えていると、工房の扉が、今度は非常に控えめに、コンコン、とノックされた。

ベルを鳴らすのではなく、ノック。今までの客とは、少し違うタイプのようだ。


「はい、どうぞ」


俺が声をかけると、扉はゆっくりと開かれた。

そこに立っていたのは、燕尾服を impeccably 着こなした、白髪の老紳士だった。背筋はピンと伸び、その立ち居振る舞いには、一切の無駄がない。一目で、どこか高貴な身分に仕える執事だとわかった。


「こちらが、『タクミの修理工房』で、お間違いないでしょうか?」


その声は、低く、落ち着いていて、それでいてよく通った。


「はい、そうですが」


「私、とあるお方に仕える者で、アルフレッドと申します。本日は、工房の主であるタクミ殿に、是非ともお願いしたい儀があり、参上いたしました」


アルフレッドと名乗った老執事は、深々と、完璧な角度でお辞儀をした。

その丁寧すぎる物腰に、俺は少しだけ戸惑いを覚える。


「お願い、ですか。どのようなものでしょう?」


「はい。実は、我が主が代々受け継いでこられた、大変重要な品が、壊れてしまいまして。国中の名工に当たりましたが、誰一人として、手も足も出ず……。最後の望みを託し、噂に聞くタクミ殿の元へ参った次第にございます」


また、噂か。

今度は、貴族の耳にまで届いてしまったらしい。なんだか、話がどんどん大きくなっていく。


「まずは、その品物を、見せていただけますか?」


「承知いたしました」


アルフレッドは、傍らに置いていた、ビロードの布に包まれた箱を、恭しく持ち上げた。

そして、カウンターの上に、そっとそれを置く。


箱は、黒檀で作られた、見事な装飾が施されたものだった。

彼が静かに蓋を開けると、中には、壊れた一つの懐中時計が、クッションに守られるようにして収まっていた。


「これは……」


俺は、思わず息を飲んだ。

その懐中時計は、ただの時計ではなかった。

文字盤は硝子ではなく、磨かれた水晶で作られており、その奥には、歯車だけでなく、何本もの極細の魔力線が、複雑に絡み合っているのが見えた。


時計の蓋は、蝶番の部分から外れてしまっており、表面には深い傷がついている。

そして、何よりも、時計の針が、ぴたりと動きを止めていた。


「これは、『星詠みの懐中時計』と呼ばれる、我が一族の至宝でございます。ただ時を刻むだけでなく、持ち主の運命を、星の運行に合わせて示してくれるという、特別な魔道具でして」


「運命を、示す……?」


「はい。ですが、十日ほど前に、当主様が賊に襲われた際、その身代わりとなって、このような姿に……。それ以来、当主様の運気も、少しずつ翳りを見せ始めているのです」


アルフレッドは、悲痛な面持ちで語った。

つまり、この時計は、ただの家宝というだけでなく、その家の運命そのものを左右する、極めて重要なアイテムだということか。


これは、今までで一番、厄介な依頼かもしれない。

鍬や斧の修理とは、わけが違う。失敗すれば、一つの貴族の家を、没落させてしまう可能性すらある。


「……わかりました。まずは、詳しく調べさせていただきます」


俺は、覚悟を決めた。

目の前で助けを求められている以上、断るという選択肢は、俺の中にはなかった。


俺は、細心の注意を払いながら、その懐中時計を手に取った。

ひんやりとした金属の感触が、手のひらに伝わる。


そして、スキルを発動した。


「『分解』」


その瞬間。

俺の脳内に、星空そのものが流れ込んでくるかのような、幻想的で、そして超絶的に精密な情報が、奔流となって押し寄せてきた。


「ぐっ……!」


思わず、目をつぶる。

これは、なんだ……?

『沈黙の鈴』の時とも違う。情報量が、というよりも、情報の『質』が、あまりにも異質だった。


歯車の一つ一つが、魔力でできた特殊な合金で作られている。

内部の魔力線は、まるで神経網のように、時計全体に張り巡らされている。

そして、その中心部、動力源となっているのは、ビー玉ほどの大きさの、青白く輝く宝石。


『星の涙』。

流れ星が地上に落ちた時にのみ、極稀に生成されるという、伝説級の魔力媒体だ。


この時計は、その『星の涙』から魔力を引き出し、持ち主の生体魔力と、天体の運行情報を照合する。そして、その結果を、文字盤に浮かび上がる微細な光のパターンとして表示する。

それが、この『星詠みの懐中時計』の、本当の機能だった。


壊れている箇所は、複数あった。

外れた蓋はもちろん、賊の攻撃による衝撃で、内部の歯車が数個、欠けてしまっている。そして、一番の問題は、中心部にある『星の涙』。その表面に、髪の毛ほどの細さの、微細な亀裂が入ってしまっていた。


この亀裂のせいで、魔力の供給が不安定になり、時計全体の機能が停止しているのだ。


「どうでしょうか、タクミ殿。……直りそうですかな?」


アルフレッドが、固唾を飲んで俺の顔色を窺っている。


俺は、ゆっくりと目を開けた。

そして、静かに、しかし力強く、告げた。


「ええ。直せますよ。ただ……」


俺は、言葉を区切った。


「ただ、この時計、あなた方が認識している以上の、秘密が隠されているようですが。その部分については、どうしますか?」


俺の言葉に、アルフレッドは、驚愕に目を見開いた。


「ひ、秘密……でございますか……?この時計に、我らの知らない……?」


彼の動揺が、手に取るようにわかる。

どうやら、彼らも、この時計の全ての機能を知っていたわけではないらしい。


俺は、懐中時計の側面にある、小さな模様を指差した。

それは、一見するとただの装飾にしか見えない。だが、俺のスキルは、その模様が、巧妙に隠された押し込み式のスイッチであることを、見抜いていた。


「この部分。ここを押すと、おそらく、この時計のもう一つの機能が、作動します」

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社畜生活に疲れた俺が転生先で拾ったのは喋る古代ゴーレムだった。のんびり修理屋を開店したら、なぜか伝説の職人だと勘違いされている件 ☆ほしい @patvessel

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