キョウカイ(試読版)

となりのしばふ

抜剣


 

小さい頃は、何者にも、どんなものにもなれると思っていた。

ケーキ屋さん、消防士、芸能人にアイドル、立派な魔法使い

――もちろんヒーローにだって


  


「うおぉぉぉォォォォォっっっっっ!!!!!!!」

 さんさんと照りつける日差し、かすかに昇る陽炎、蒸籠せいろの中のような7月中旬の午前7時半頃。大声と共にセーラー服の少女が1人駆けて行く。

 中背で貧相な体つきではあるが、背には小柄な天パの白いショートヘアの老婦、前には猫のマスコットが付いた大きめのリュックサックを背負い、更にそれらをものともせず走る身体の強度は、まさに霊長…いや、人類最強格と言えるだろう。

 太陽のような金のつり目はひたすらに前を見据え、風ではためくセミロングの銀髪は、特撮ヒーローのマフラーのようになびいた。 

 ごく普通の何てことのない茹だる夏の只中を、神々廻 明来ししば めいらは颯爽と横切って行く。

 「ヨネさん!もうちょいで家着くからな!!」

 暑い中ほんとにごめんねぇ、と背中越しにヨネが応えた。

 「ほんと、朝の散歩ついでにちょっと見るだけのつもりだったのよ?でもほら、田辺さんとこのお庭!明来ちゃんも知ってるでしょう?本当にお花が綺麗でねぇ…」

 「ははっ、そうだな!今はヒマワリとかだっけ?でも、その田辺さんと話し込んでて倒れるのは流石にな」

 「それがねぇ…行ったら田辺さん、たまたまお水あげてる時だったのよ。

 それにほら、田辺さんってとっても話上手でしょう?聞いてていつも飽きないのよぉ。もう少しお話ししたかったのに、本当…」

 「まぁまぁ…おっ、着いたぞ!」

 集合住宅が立ち並ぶ住宅街の中、赤い屋根が目立つ木造平屋の前に着き、玄関先でヨネは明来の背から下りた。

 「ここまでで大丈夫よ、本当にありがとねぇ明来ちゃん。明来ちゃんが通りかからなかったら、救急車のお迎えが来るところだったわ」

 「いやヨネさんが言うと洒落にならねーって…まぁ今度は気をつけてな」

  軽口を言いながら、明来はきびすを返す。するとそこに、軽快なエンジン音と共に、1台の白い軽トラックが停まる。

 明来は反射的におっと後ろに下がる。

 「あれ?明来ちゃん、今日は学校どうしたの?ここ学校と真反対だけど」

 運転席から少し身を乗り出し、男性が尋ねた。多少は整えたらしい癖まみれの茶髪に無精髭、薄汚れた作業服からは小麦色に焼けた健康体が覗いている。

 「明来ちゃんがね、通学路で倒れてた私を運んでくれたのよぉ。学校は大丈夫だからって言ってねぇ」

 「えっマジで!?…もぉーマジいい歳なんだから加減しろって言ってるだろ!お袋がごめんね明来ちゃん」

 「あー…大丈夫っすよ!あたしなら全速力で走れば、たぶん間に合います!」

 そう言いながら明来は横目でこっそり車内の時計を見る。

 午前7時41分。あぁ…いや無理だな、と明来は心で付け足した。

 「いやいや…いくら明来ちゃんでも、今からは流石に間に合わないでしょ?

 助手席乗って!ちょうど2区に用があるから、お礼も兼ねて乗せてくよ」

 「えっ…その、マジ、いいんですか!?」

 「大丈夫だって、元々2区に用あったし。ほら、時間無いし乗った乗った!」

 「…すみません、ありがとうございます!」

 明来が助手席に乗り込むと、軽トラックの後ろからヨネが見送る。

 「航太、明来ちゃん、気をつけて行ってらっしゃい」

 「ありがとうヨネさん!行ってきます!」

 「いやお袋は早く家入れよ!また熱中症なるぞ!!」

 そう毒づいて航太は軽トラックを走らせる。

 車内のラジオから第9学区の食料品や第7学区の最新魔法具サブマ、第6学区の解呪薬のCMが流れる。

 しばらく走ると、開けたままの窓から入る風と車内エアコンの冷風が混ざり、心地いい風になった。

 やがてラジオから聞き馴染みのあるポップな曲が流れ、航太が軽く口ずさむ。

 あぁコレ最近流行りのグループの曲…どっちもなんて名前だったっけ?と、明来はぼんやりと考えていた。

 車窓の景色は第8学区の住宅街や商店街、第7学区の工場の煙突群、そして第2学区のコンクリートジャングルへと変わった。

 「よし、もうちょっとで着くからな明来ちゃん」

 航太から話しかけられ、明来はハッとした。

 いつの間にか車内には洋楽の短調バラードが鳴り渡り、さっきまでは気にならなかった煙草の匂いが鼻につく。

 「いやほんとにすみません…ありがとうございます」

 「いいっていいって、謝るならこっちの方だよ。うちのお袋が本っ当にごめんな…」

「いやいいんすよ、マジで。田辺さんもヨネさんも困ってたし、あたしが助けたくて助けたんで!」

 「ハハハ、本当に明来ちゃんは昔から変わらないなぁ」

 「ちょっと、どういう意味っすか!」

 そうして話していると、目の前が次第に見慣れた光景に変わっていった。

 「あ、航太さん、この辺で大丈夫です!」

 「え、いいの?学校まではまだちょっとあるよ?」

 「いやいや、ここまで送ってもらっただけで十分で助かりました!ありがとうございました!!」

 「そっか…分かった。気をつけてな!」

 そう言うと、航太は近くの歩道に軽トラックを停めた。

 助手席から颯爽と明来が降り、航太に手を振る。

 「本当にありがとう、航太さん!行ってきます!」

 そう言うと明来は、メロスに匹敵するかのような速さで走り去った。

 その後ろ姿を航太は複雑そうな目で見守った。


 リュックサックを背負い直し、明来は通学路を走る。喉奥がまだ鉄臭く、腕と足が重く感じてきた。

 トラックを出た時の時刻は午前8時7分、登校時間は8時30分まで。まぁ何とか行けるだろ、と明来は思った。

 眼前にちらほらと見慣れた学生服が見えてきた。明来は走る速度を少し落とした。

 登校ピーク時間を過ぎているからか、歩く人はまばらだ。

 ―ねぇあれって神々廻さんだよね?

 ―そうそう

 明来はなるべくぶつからないように、間を縫うように走った。

 ―あ、見ろよ、神々廻が来たぞ

 ―あぁ、「あの」神々廻か

 明来は時間を見るためにスマホを出した。午前8時18分。急がないと、と明来は走る速度を上げた。

 ―アイツ今日も頑張るなぁ

 ―本当、毎日嫌にならないのかしら

 校門が見えた。ラッキーな事に学生指導の先生は居ない。

 明来は再び走る速度を上げ、校門を通り過ぎ、中等部の靴箱に着いた。

 肩で息をしながら靴箱の扉を慎重に開け、スクールサンダルに履き替える。

 賑々にぎにぎしい1階、騒々しい2階を横目に階段を上り、活発過ぎる3階へ向かう。

 階段を上がる足が重い。まぁ朝っぱらからそこそこ走ったしな、と明来は考えた。

 3階へ無事に着き、自分の教室に入る。階段手前の教室は楽で良い、と明来は毎度思う。

 扉を開けて教室に入った。入ってすぐに花瓶が目に入った。

 白地の細い花瓶に白い菊とカーネーション、百合が1本ずつ挿してある。

 置かれているのは窓側の1番後ろの席――明来の席だ。

 さっきまでのやかましさが嘘のように静かな教室の中、明来はゆっくりとそこへ向かう。今日もおそらく確実に『素敵なイタズラ書き』も添えてあるはずだ。

 毎朝本当によくやるよなぁ、と明来は感心した。

 ―見た?あの反応

 ―すました反応しやがって…

 ―てか、あの顔ウケるんだけど

 誰も明来かのじょに声などかけない。

 ―初等部の時なんか、あんなに顔真っ赤にしてたのにな

 ―ねぇやっぱりコレじゃあオモロい反応見れないよ?

 ―やっぱ前言ってたアレやる?

 誰も彼もが見て見ぬふり。

 ―いやでも先生が…

 ―何?アイツの事庇ってんの?

 ―先生もどうせ見逃すよ、だって……

 席についた明来は机を見た。そこには散々見慣れ聞き慣れた言葉が、これ見よがしにでかでかと書いてあった。

 『神々廻明来は出来損ないの非魔術士』

 明来はため息をつき、自身のロッカーを見る。

 、水浸しのゴミまみれだった。

 せっかくのいい気分が汚されていくように明来は感じた。

 明来は教室の時計を見る。午前8時22分。

 半までには何とか間に合うか、と明来はリュックサックから掃除道具を出し、慣れた手付きで掃除を始めた。

 こうして神々廻明来の、、いつも通りの1日が始まった。

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キョウカイ(試読版) となりのしばふ @tonarino_482

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