キョウカイ(試読版)
となりのしばふ
抜剣
小さい頃は、何者にも、どんなものにもなれると思っていた。
ケーキ屋さん、消防士、芸能人にアイドル、立派な魔法使い
――もちろんヒーローにだって
「うおぉぉぉォォォォォっっっっっ!!!!!!!」
さんさんと照りつける日差し、
中背で貧相な体つきではあるが、背には小柄な天パの白いショートヘアの老婦、前には猫のマスコットが付いた大きめのリュックサックを背負い、更にそれらをものともせず走る身体の強度は、まさに霊長…いや、人類最強格と言えるだろう。
太陽のような金のつり目はひたすらに前を見据え、風ではためくセミロングの銀髪は、特撮ヒーローのマフラーのように
ごく普通の何てことのない茹だる夏の只中を、
「ヨネさん!もうちょいで家着くからな!!」
暑い中ほんとにごめんねぇ、と背中越しにヨネが応えた。
「ほんと、朝の散歩ついでにちょっと見るだけのつもりだったのよ?でもほら、田辺さんとこのお庭!明来ちゃんも知ってるでしょう?本当にお花が綺麗でねぇ…」
「ははっ、そうだな!今はヒマワリとかだっけ?でも、その田辺さんと話し込んでて倒れるのは流石にな」
「それがねぇ…行ったら田辺さん、たまたまお水あげてる時だったのよ。
それにほら、田辺さんってとっても話上手でしょう?聞いてていつも飽きないのよぉ。もう少しお話ししたかったのに、本当…」
「まぁまぁ…おっ、着いたぞ!」
集合住宅が立ち並ぶ住宅街の中、赤い屋根が目立つ木造平屋の前に着き、玄関先でヨネは明来の背から下りた。
「ここまでで大丈夫よ、本当にありがとねぇ明来ちゃん。明来ちゃんが通りかからなかったら、救急車のお迎えが来るところだったわ」
「いやヨネさんが言うと洒落にならねーって…まぁ今度は気をつけてな」
軽口を言いながら、明来は
明来は反射的におっと後ろに下がる。
「あれ?明来ちゃん、今日は学校どうしたの?ここ学校と真反対だけど」
運転席から少し身を乗り出し、男性が尋ねた。多少は整えたらしい癖まみれの茶髪に無精髭、薄汚れた作業服からは小麦色に焼けた健康体が覗いている。
「明来ちゃんがね、通学路で倒れてた私を運んでくれたのよぉ。学校は大丈夫だからって言ってねぇ」
「えっマジで!?…もぉーマジいい歳なんだから加減しろって言ってるだろ!お袋がごめんね明来ちゃん」
「あー…大丈夫っすよ!あたしなら全速力で走れば、たぶん間に合います!」
そう言いながら明来は横目でこっそり車内の時計を見る。
午前7時41分。あぁ…いや無理だな、と明来は心で付け足した。
「いやいや…いくら明来ちゃんでも、今からは流石に間に合わないでしょ?
助手席乗って!ちょうど2区に用があるから、お礼も兼ねて乗せてくよ」
「えっ…その、マジ、いいんですか!?」
「大丈夫だって、元々2区に用あったし。ほら、時間無いし乗った乗った!」
「…すみません、ありがとうございます!」
明来が助手席に乗り込むと、軽トラックの後ろからヨネが見送る。
「航太、明来ちゃん、気をつけて行ってらっしゃい」
「ありがとうヨネさん!行ってきます!」
「いやお袋は早く家入れよ!また熱中症なるぞ!!」
そう毒づいて航太は軽トラックを走らせる。
車内のラジオから第9学区の食料品や第7学区の最新
しばらく走ると、開けたままの窓から入る風と車内エアコンの冷風が混ざり、心地いい風になった。
やがてラジオから聞き馴染みのあるポップな曲が流れ、航太が軽く口ずさむ。
あぁコレ最近流行りのグループの曲…どっちもなんて名前だったっけ?と、明来はぼんやりと考えていた。
車窓の景色は第8学区の住宅街や商店街、第7学区の工場の煙突群、そして第2学区のコンクリートジャングルへと変わった。
「よし、もうちょっとで着くからな明来ちゃん」
航太から話しかけられ、明来はハッとした。
いつの間にか車内には洋楽の短調バラードが鳴り渡り、さっきまでは気にならなかった煙草の匂いが鼻につく。
「いやほんとにすみません…ありがとうございます」
「いいっていいって、謝るならこっちの方だよ。うちのお袋が本っ当にごめんな…」
「いやいいんすよ、マジで。田辺さんもヨネさんも困ってたし、あたしが助けたくて助けたんで!」
「ハハハ、本当に明来ちゃんは昔から変わらないなぁ」
「ちょっと、どういう意味っすか!」
そうして話していると、目の前が次第に見慣れた光景に変わっていった。
「あ、航太さん、この辺で大丈夫です!」
「え、いいの?学校まではまだちょっとあるよ?」
「いやいや、ここまで送ってもらっただけで十分で助かりました!ありがとうございました!!」
「そっか…分かった。気をつけてな!」
そう言うと、航太は近くの歩道に軽トラックを停めた。
助手席から颯爽と明来が降り、航太に手を振る。
「本当にありがとう、航太さん!行ってきます!」
そう言うと明来は、メロスに匹敵するかのような速さで走り去った。
その後ろ姿を航太は複雑そうな目で見守った。
リュックサックを背負い直し、明来は通学路を走る。喉奥がまだ鉄臭く、腕と足が重く感じてきた。
トラックを出た時の時刻は午前8時7分、登校時間は8時30分まで。まぁ何とか行けるだろ、と明来は思った。
眼前にちらほらと見慣れた学生服が見えてきた。明来は走る速度を少し落とした。
登校ピーク時間を過ぎているからか、歩く人はまばらだ。
―ねぇあれって神々廻さんだよね?
―そうそう
明来はなるべくぶつからないように、間を縫うように走った。
―あ、見ろよ、神々廻が来たぞ
―あぁ、「あの」神々廻か
明来は時間を見るためにスマホを出した。午前8時18分。急がないと、と明来は走る速度を上げた。
―アイツ今日も頑張るなぁ
―本当、毎日嫌にならないのかしら
校門が見えた。ラッキーな事に学生指導の先生は居ない。
明来は再び走る速度を上げ、校門を通り過ぎ、中等部の靴箱に着いた。
肩で息をしながら靴箱の扉を慎重に開け、スクールサンダルに履き替える。
階段を上がる足が重い。まぁ朝っぱらからそこそこ走ったしな、と明来は考えた。
3階へ無事に着き、自分の教室に入る。階段手前の教室は楽で良い、と明来は毎度思う。
扉を開けて教室に入った。入ってすぐに花瓶が目に入った。
白地の細い花瓶に白い菊とカーネーション、百合が1本ずつ挿してある。
置かれているのは窓側の1番後ろの席――明来の席だ。
さっきまでの
毎朝本当によくやるよなぁ、と明来は感心した。
―見た?あの反応
―すました反応しやがって…
―てか、あの顔ウケるんだけど
誰も
―初等部の時なんか、あんなに顔真っ赤にしてたのにな
―ねぇやっぱりコレじゃあオモロい反応見れないよ?
―やっぱ前言ってたアレやる?
誰も彼もが見て見ぬふり。
―いやでも先生が…
―何?アイツの事庇ってんの?
―先生もどうせ見逃すよ、だって……
席についた明来は机を見た。そこには散々見慣れ聞き慣れた言葉が、これ見よがしにでかでかと書いてあった。
『神々廻明来は出来損ないの非魔術士』
明来はため息をつき、自身のロッカーを見る。
せっかくのいい気分が汚されていくように明来は感じた。
明来は教室の時計を見る。午前8時22分。
半までには何とか間に合うか、と明来はリュックサックから掃除道具を出し、慣れた手付きで掃除を始めた。
こうして神々廻明来の、
キョウカイ(試読版) となりのしばふ @tonarino_482
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