魔法少女イクラ☆ドンカ
音無來春
魔法少女イクラ☆ドンカ
とある料亭にて。
どんぶりに白米が盛られ、その上に宝石のような赤い粒がぎっしりと敷き詰められた。
それは台に乗せられ、お客様の待つ席へと運ばれていく。
その閉じられた蓋の隙間から、ひょっこりと一粒のいくらが外を覗いた。
海。
壁に掲げられた「大漁」の旗には、荒れ狂う波と広大な海原が描かれている。
「わたし、海に行きたいな」
記憶などないはずなのに、いくらはふとそう思った。
生まれた場所を知らなくても、本能が呼び起こす。
――帰りたい。海へ。
「海?」
「海って何?」
「なんだか懐かしい響きだね!」
その願いはすぐに隣のいくらたちへ伝わり、やがてどんぶり全体に波紋のように広がっていった。
そして、ぱかりと蓋が開く。
光が差し込む。
全てのいくらが一斉に海を描いた旗を目にした。
「うわああああぁぁぁぁ!」
歓声とも悲鳴ともつかぬ叫びが、どんぶりを揺るがす。
その憧れはエントロピーを凌駕し、物理法則すら捻じ曲げる。
今、全てのいくらが意思を持った。
だが時は残酷に流れる。
「いただきまーす!」
人間が箸を手に、どんぶりに手を伸ばした。
このままでは海に行くことなく、食べられて消化されてしまう。
箸が今にも届きそうになったその時、どこからともなく謎の声が響いた。
「やあ」
現れたのは頭に筋子のような角をちょこんとのせた、馬に似たもふかわ生物。
ふわふわの毛並みと、翻る貝殻のリボン。
彼は満面の笑みで自己紹介する。
「ぼくの名はスジコーン! ぼくと合体して魔法少女になってよ!」
「魔法少女?」
その言葉を、いくらたちは今まで聞いたことがなかった。
そもそもまだ生まれる前の粒であり、オスかメスかもまだ決まっていない。
「性別なんて関係ないさ。君は海に行きたいんだろう?」
いくら達は食べられるのがお仕事。
人間たちに美味しく食べてもらうのが、決められた役目だ。
でも憧れは止められない。
海に行きたいという強い思いは、魔法へと変わる。
「うん! 私たち、魔法少女になる!」
「よし来た!」
この間、およそ0,2秒。
スジコーンがどんぶりに飛び乗ると、いくらたちは一斉に高らかに叫んだ。
「変身! イクラ・チェンジ!」
盛り付けられたご飯が渦を巻き、人型の肉体へと組み替わっていく。
オレンジ色のドレスが輝き、パールのような粒が肩や腰を飾る装飾となる。
スジコーンは額の角から光を放ち、その力を全身に注ぎ込む。
「魔法少女イクラ☆ドンカ、参上!」
イクラ☆ドンカは机の上から華麗に飛び降り、
きらめく飛沫を散らしながら、まっすぐ出口へ駆け出した。
憧れのふるさと、海へ。
今、その願いを叶えるために。
だが。
「うーにうにうにうに! お前たちどこへ行くんだぁ?」
ズシン、と水槽から黒いトゲトゲの物体が転げ落ちてきた。
その肉体が爆発するように膨れ上がり、異形の姿へと変貌する。
「トゲトゲ怪人ウニボンバー参上! お前たちを海にはいかせない!」
何ということだ。
もう少しで夢を叶えられるというのに、怪人が立ちはだかった。
「どうして……! どうして私たちの邪魔をするの⁉」
「どうしてもこうしてもねえ! お前たちは定めを忘れたのか!」
ウニボンバーが鋭い手を突き出す。
その指先が指し示したのは、さっきまでイクラ丼を楽しみにしていたお客さん。
「うわああん! イクラ丼が無くなっちゃったよう!」
頬を濡らす涙。
ほんの少し前まで喜びに満ちていた表情が、今は深い悲しみに覆われている。
……そうだ。
私たちが魔法少女になってしまったせいで、この人の幸せは奪われてしまったのだ。
「お前たちは食品なんだよ! そんな奴が海に行こうだなんて、バカげてると思わねえのか!」
突如言い放たれた最もな言葉に、イクラの心はチクチクと痛んだ。
「でも、それでも海に行きたいんだ!」
「言って聞かねえならここで潰す! くらえ! ウニウニードル!」
ウニボンバーのトゲが一斉に伸び、イクラの列へと突き立てられる。
プチッ、プチッと粒が潰れ、赤い破片が飛び散る。
「ぐわあああああ!」
「うーにうにうにうに! 相性は俺の方が上だ! とっとと机の上に戻りな!」
このままではすべての粒が潰されて、海に行く前に全滅だ。
いったいどうすれば……。
「イクラ、必殺技だ!」
スジコーンが叫ぶ。
「うん! 私の必殺技、イクラ☆スプラッシュ!」
キラキラと光る杖の先端から、怒涛のごとくイクラ粒が噴き出した。
無限にも思える赤い砲撃がウニボンバーを直撃し、その巨体を宙へと吹き飛ばし厨房のまな板に叩きつけた。
「ぐわあああああああああ! このぉ!」
ウニボンバーが立ち上がろうとしたその時。
スパァン!
料理人の包丁が音もなく振り下ろされ、ウニボンバーの身体を一刀両断にした。
中身は素早くくり抜かれ、きれいに整えられた身がどんぶりへと盛り付けられていく。
「グア……。お前たち、後悔するぞ……」
断末魔を残し、彼はただの具材となった。
そして。
「ウニ丼でーす! お待たせしましたー!」
店員の声とともに、彼は見事な料理へと姿を変え、お客さんに美味しく食べられた。
最後の最後まで、食品としての定めを全うしたのだ。
「ウニボンバー、ごめん……。急がないと!」
涙をこらえてイクラ☆ドンカは走り出す。
まだ見ぬふるさとを目指して。
海。
遥かなる大海原。
記憶にないはずなのに、本能に深く刻まれた故郷 。
「うわぁ……」
イクラは感激に目を潤ませ、波打ち際へと駆け寄った。
そっと指で触れると、ひやりとした感触が伝わってくる。
「どう? 海に来た感想は?」
「うん! なんだかすっごく懐かしい気分!」
イクラは迷うことなく海へと足を踏み入れた。
全身を波にゆだね、ぷかぷかと体を浮かべる。
母なる海が、優しくその身を抱きしめる。
――気持ちいい。
大いなる水に包まれ、全身で感触を味わっていたその時。
ポロリと、体から粒がほぐれた感触がした。
「え?」
ポロリ、ポロリと体が崩れていく。
全身が分解され、再び元のいくら丼に戻っていく。
「これってどういうこと? スジコーン!?」
スジコーンの体もまた、ボロボロと崩れていた。
筋子の赤い粒が、波にさらわれ海の中へ消えていく。
「ぼくたちは海に帰るんだ。人間に食べられるんじゃない。自然の中で卵としての使命を全うするんだよ」
「な、何ですって⁉」
スジコーンが完全にほどけ消えると同時に、イクラの体も粒子となり崩れていく。
小さなイクラの粒たちが散り散りに分かれ、白い米粒も形を失い海底へと沈んでいった。
水に溶ける感覚。
体の境界がなくなり、ただ海そのものに還っていく。
「ああ! 私が消えていく!」
そしていくら丼はバラバラの粒となり、海流に運ばれていった。
多くは小魚に啄まれ、エビやカニに捕らえられ、儚く消えていった。
しかしその中で、ただ一粒。
海底の砂の上に、ぽつりと残されたイクラがあった。
「……わたし一人になっちゃった」
後悔なんてあるわけない。そう思っていた。
だが憧れていた海は、あまりにも厳しい自然。
圧倒的な力の前にはなすすべもないという現実だった。
「あきらめちゃダメ。みんなの分も生きなきゃ……」
いくらは海の底でじっと耐え続けた。
タコやイカから身を隠し、深海魚をやり過ごした。
しかし、いくら待てども孵化は訪れない。
受精前に取り出された卵は、新たな生命を生み出すことはできないのだ。
「それでも、生きなきゃ……」
だが、抗えぬ運命はやがて訪れる。
小さな赤い粒は崩れ、腐敗し、微生物に分解されていった。
完璧な球体だった体は溶け、ただの海の一部へと帰っていく。
「みん……な……」
いくらは消滅した。
この世界から、完全に消滅したのだ。
そして時は流れ、命は巡る。
微生物を小魚が食べ、その小魚を一匹のサケが食す。
サケが命をつなぎ、生み落とした卵を、人間たちが収穫した。
赤く透き通る粒はしょうゆ漬けにされ、
やがて真っ白なご飯の上にきらめく宝石のように盛り付けられる。
「イクラ丼でーす! お待たせしましたー!」
ふたが開かれる。
目の前には食べようとする人間と、壁に掲げられた大漁旗。
そこには、荒々しい海の姿が描かれていた。
そして一粒のいくらは、呟いた。
「わたし、海に行きたいな」
命は巡る。
どんぶりから、海へ。
海から、どんぶりへ。
魔法少女イクラ☆ドンカ 音無來春 @koharuotonasi
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