人生を変えた、特別ないくら丼
明里 和樹
些細なきっかけ
思い……出した…………!
そうだ! 俺は、異世界に生まれ変わった存在、いわゆる転生者、という奴であり──前世は日本人、だったということを!
日本人だった前世の自分は、食べることが好きだった。特に北海道で食べた寿司、札幌ラーメン、ジンギスカン。どれもこれも美味かった。
その中でも特にいくら丼。いくら丼は格別だった。自分が今まで食べてきたいくら丼は何だったのか、というくらい美味かった。プリプリで弾力のある新鮮ないくらに刻み海苔を乗せ、わさび醤油を掛けてごはんと一緒にぱくり、と一口。
「……さん」
海苔とわさびの風味に醤油のしょっぱさ。いくらをプチッと噛めば、甘いようなしょっぱいような、濃厚な中身がトロリ、と広がり、ツヤツヤで甘みのあるごはんと合わさって、たいへんに美味しい。こんな旨味のお祭り、日本人なら誰もが笑顔になるに決まっている。
……ああ、駄目だ。思い出したら無性に食べたくなってきた。
「……ースさん」
でもいくらか……この異世界にあるのだろうか? いや、いくらは魚卵。鮭がいるかはわからないが、似たような卵を産む魚だっているはずだ。問題は米だ。この辺りで米なんて見たことがない。それに調味料。となると──
「……ノースさん!」
名前を呼ばれ、ハッ、と我に返る。
ここは冒険者ギルドのロビー。冒険者という、魔物の駆除や薬草の採集などを生業とする者たち──要するに何でも屋──に、仕事を斡旋する施設だ。
カウンターの内側から、俺の応対をしてくれていた受付のマリナ嬢が、ちょっとむくれ顔でこちらを睨んでいた。
「ああごめんごめん。ちょっと考えごとをしてました」
「もう、しっかりしてくださいね? ただでさえ冒険者なんて、危険の多い仕事なんですから」
「ああうん、気を付けるよ」
「……ほんとにわかってます?」
「わかってます! 気をつけます!」
「……もう、こういう時だけ調子がいいんですから。それで、この依頼どうされます?」
「河川での魚の大漁発生の実態調査だよね? もちろん、受けるよ」
川で魚。それに今の季節は日本でいうなら秋に当たる。……暦の上では、だけど。でもまあ、もしかするともしかするかもしれない。
「あとさ、追加で聞きたいことがあるんだけど────」
𓆟
「────というわけで、冒険者の引退手続きをお願いします!」
「…………は? いえちょっと待ってくださいどうしたんですか急に!? ちゃんと説明してください、特に『というわけで』の辺りを詳しく!」
朝というには遅く、お昼というには早い、冒険者ギルドが最も空いている時間。
「ようやく親方に一人前と認められたので、冒険者を引退して料理人に専念しようかと思いまして」
「え、前にお店を手伝っているって言ってましたけど、あれって料理人としての修行だったんですか!?」
「……実はね」
そう、あれから俺は、冒険者の仕事でいろいろな地方を巡りながら、いくら丼の材料を集めていた。それと並行し、街の料理店で修行も始めた。……実は前世も料理人だったので、腕にはそれなりに自信があったけど、この世界の料理の基本と常識を学びたかったからだ。あと地球にはなかった、この世界特有の食材の使い方も。
「……(お手伝いっていうから、てっきり接客だと思ってましたけど、厨房にいたからいつ行ってもお店で見かけなかったんですね)」
「……え、ごめん、何か言った?」
「……いえ何も」
そう言う割には、なんかちょっと不満そうな顔してません?
「でも、どうして料理人なんですか?」
あ、いつものマリナさんに戻った。
「うん、元々料理は好きだったからね。……それにマリナさん、常々『冒険者みたいな危険な仕事をしている人とは付き合えない』って言ってたから、街中の仕事なら比較的安全かな、って」
それが男除けの常套句なのは知ってるけど。冒険者なんてチャラい奴多いし。
……でも、勘違いでなければ、受付の時にあそこまで注意を促す相手は、自分だけだ、ということも。
「ああ、はい、まあ。確かに言いました、け……ど……」
何かに気付いた彼女の目が、少しだけ見開かれる。
一度息をしっかりと吸ってから、吐く。
……ああ、緊張する。
でも、幸いなことに今、ロビーに人は見当たらない。
しっかりと彼女と目線を合わせ、何度も何度も考えてきた言葉を、紡ぐ。
「……マリナさん、あなたのことが────好きです。僕と結婚を前提に、付き合ってください」
「…………え。ええぇぇぇぇっ!? けっ、けっ、けっ、結婚!?」
いやいや、前提ですよ、前提。普段はしっかりしているのに、たまに彼女はそそっかしい。……そういうところも可愛いとは思うけど。
それに、まあ、自分も……将来的にはそうなればいいな、と思ってるからそう言った訳だけど。
そうそう、例の河川での魚の大量発生、結果を簡潔にまとめると、やはり産卵のために川に帰ってきた鮭の大群だった。……まあ厳密には地球で獲れる鮭とは違うのだとは思うけど、見た目も味も鮭だったしいくらもあったので、あれは鮭である(独断と偏見)。
鮭がいることがわかったので商人ギルドを巻き込んで近くの漁村と協力し、鮭の捕獲といくらの加工体制を確保。ついでに海苔も。
それからは、米を求めて時に東に(なぜか龍と戦ったり)、調味料を求めて時には西に(なぜかお姫様の護衛をしたり)。
いろんな場所で、たくさんの人と出会い、食材を集め、商談をまとめ、ついに──────いくら丼を! 再現することが! できた! ……まあ、前世で食べたあの美味さには、まだまだ及ばないけど。北海道は偉大だ。
今世の自分は特にやりたいこともなく、なんとなくで危険だが報酬のいい、冒険者の仕事をしていた。でも、前世の記憶を思い出して気付いた。
そうだ、あの時の自分は美味しいいくら丼を食べて、自分もこんな料理を作ってみたい。たくさんの人にこんなに美味しい料理を味わってほしい、と思ったんだ。
そしてその思いは──今の自分も、同じだった。……まあ? 冒険者を辞めて料理人になれば? マリナさんと付き合えるかも? ……という下心もあったけど。
きっかけなんて些細なこと。
いくら丼を食べて美味しい、と思ったから料理人を目指した。
冒険者ギルドで会話するうちに、マリナさんのことが気になるようになった。
始まりは些細なことだけど、それでも“好き”という気持ちに気付いた時にはもう、自然と行動に移していた。
行動した結果、世界が広がり、今がある。
そして今は────その先が、知りたい。
「……………………えと、その、はい。わ、私でよければ……よろしくお願いしますっ」
きっと俺は、この時の彼女の顔を────一生、忘れない。
𓆟
たかがいくら丼、されどいくら丼。
自分にとっては、きっかけをくれた、特別な一杯。
あなたにも、特別な
人生を変えた、特別ないくら丼 明里 和樹 @akenosato
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