羽二重の色無地
増田朋美
羽二重の色無地
暑さ寒さも彼岸までとは名言で、この時期になるとかなり涼しくなってきた。まだエアコンは必要な時があるが、それでもだいぶ涼しくなったなと言う感じである。そうなると秋といえば、演奏会なども頻繁に行われるようになる。
「今度の飛躍の合奏げいこは、羽二重の紫の色無地ではなければ出場を認めません。」
苑子さんがそういったため、皆嫌そうな顔をした。もちろん、浜島咲も含めて。
「羽二重の色無地って、まだそんな年寄みたいな着物着るような年じゃないわ。」
と、一人の生徒さんが言った。
「色無地って、あの柄の何も無い着物ですよね。柄がないなんて、なんてつまらない着物なの。」
また別の生徒さんが言う。
「それに、紫なんて、そんな暗い色、つまらないわ!」
また別の生徒さんが言った。
「苑子さん、みんな嫌がってるんですから、色無地ではなく他の着物でお稽古しませんか?」
咲は、みんなの気持ちを代表して、苑子さんに言った。
「いいえ、羽二重でなければだめです。着物の最高峰は羽二重なんだし、お琴をやっている限り、色無地は必須です。色無地を着るということは、汚れのないということでもあり、楽器に対して人間が最高の敬意を払うことになります。良いですか、日本の楽器は人間が鳴らすと考えてはいけません。楽器に鳴ってもらうと考えるのです。そのために、より良い音を鳴ってもらうということで、着物の中で最高峰の色である紫を身につけ、柄のない羽二重を着る。これは、当然のことです。」
苑子さんは、そう選挙演説する人みたいに説明した。
「だけど、そうかも知れないですけどね。今どき、着物を入手するなんて難しいですよ。いくらリサイクルの通販もあるじゃないかなんて言うけど、羽二重かどうかはわかんないでしょ。」
「あたしこの間、呉服屋へ行きましたけどね、あなたのような年代では、色無地は向かないってはっきり言われましたよ。だから売ってもらえないの!」
弟子たちは、次々にこう言って文句を言うのであるが、
「貴方がたが何を言おうと、私の社中では、伝統を守って、紫の色無地を全員用意してもらわなければなりません。いろんな社中が、洋楽を無理やりやったり、変なリズムの邦楽作品をやり続ける様になってるけれど、うちは、そうじゃなくて、ずっと琴のために書かれた作品をやり続ける社中なのよ!」
と、苑子さんはそういったのであった。
「だけど、誰でも用意できる着物じゃないことも確かですよね。」
咲がみんなを代表してそう言うと、
「そうかも知れないけど、うちは、他の社中とは違うのよ。今回やってる飛躍だって、プロダクション側が、古典箏曲は受けが悪いなんて、変なこと言ってきたからやむを得ずそうしただけのことで。せめて服装だけはちゃんとした着物を着ることが必要なのよ!」
苑子さんは、そういうのであった。
「うちは、他の社中とは違うって、そんなこと言ってるから、受けないんじゃありませんか。飛躍をやってと言われたのは、やむを得ずではなくて、もうそういう曲をやらないと、文化祭には出してもらえないんですよ!」
と、咲はそう言いかえした。みんな、そういう顔をしているけれど、一人だけ、表情も変えず、その場に座っている男性がいた。みんな彼のことを、ウスノロとか馬鹿だとか言って、相手にしていなかった。
「そういうわけですから、次の稽古までに、全員羽二重の紫の色無地を用意してくること。そうでなければ、お稽古は開催しませんよ!」
苑子さんはそういうのであるが、みんな嫌なかおをしてお琴を片付け始めた。先程の男性も黙ったまま片付けていた。
「あーあ、あたしどうしたら良いのかなあ?」
お稽古が終わると咲は、製鉄所へ言って、杉ちゃんが出してくれたカレーを食べながら言った。
「また、なにか言われたかい?苑子さんに。」
杉ちゃんがお茶を渡しながらそう言うと、
「ええ。今度は、紫の羽二重の色無地を用意してこなければ、お稽古を開催しないっていうのよ。」
咲は、困った顔で、杉ちゃんに言った。
「まあ、しょうがないねえ。そういうことは、お琴習ってれば仕方ないことだ。まず、色無地が欲しいんだったら、カールさんの店でも行って、買ってくることだ。」
杉ちゃんはすぐ言うのであるが、
「そうだけどさあ。みんなが全員羽二重の色無地を用意できると思う?」
咲はそういった。
「まあまあね。それはそうかも知れないけど、でもねえ、御琴習ってるんだったら色無地は必須になることくらい他の人にわかってもらわなくちゃね。きっと、汚れのないとか、そういうこと言われたんでしょう。」
杉ちゃんがそう言うと、
「日本の文化では、服装で自分の立場とか、敬意とか、そういう事を表しますからね。邦楽だけじゃありませんよ。茶道だって器に敬意を表して、色無地を着ることが多いでしょう。」
と、隣りに座っていた水穂さんが言った。
「色無地を着られるだけでも良いじゃありませんか。色無地という着物は、そういう特別な身分の人が着る着物ですよ。それは良かったじゃないですか。」
水穂さんは、少し咳き込みながら言った。
「右城くんから見るとそうなっちゃうのかあ。だけどそんなつまらない着物で、合奏げいこに出るなんて、あたしは、意味がないと思うんだけどなあ。」
「じゃあ、面白いことを教えてやるよ。色無地は、柄を入れないで黒または白以外の一色で染めた着物の事をさすが、実は、地紋と呼ばれる織り柄は存在する。それが、隙間を開けて所々に入れてあれば格は低くなり、江戸小紋と同様に隙間なくびっしり入れてあれば礼装になる。あ、全く自問のない色無地もあるぞ。そういうのは、まあ弔時と併用だな。そうすれば、誰かの葬儀にも着ることができる。」
杉ちゃんが、着物の豆知識を披露すると、
「杉ちゃん。そんなこと聞いている暇はないのよ。それより、着物を買いにいかなくちゃいけないわねえ。地紋なんて全然知らなかった。」
咲は、大きなため息を付いた。
「それに、色にも階級があるんだよ。一番の最高峰は紫。二位は青、三位は赤、四位は黄色、五位は白、そして最下位が黒。これは、冠位十二階と言ってね。聖徳太子が決めた階級制度で、服装をこの色にすることによって、お役人の階級を決めたんだ。」
「はあそうなのね。それで苑子さんは紫にこだわったのか。じゃあ、羽二重にこだわった理由は?」
杉ちゃんに言われて咲はすぐに言った。
「羽二重は、着物の中で一番最高級な生地でね。礼装用の振り袖に使ったり、留め袖にしたりする。テカテカに光ってるし、触るとツルンとしているから、すぐにわかる。つまり苑子さんがそういったのは、最高峰の着物を用意させろということだね。まあ、今は最高峰という扱いをされないでただの古着としかみなされない着物も多いから、意外に簡単に手に入るかもしれないよ。」
「そうなのねえ。最高の着物かあ。紫の何も柄のないつまんない着物かと思ったけど、そうでもないってことね。じゃあ、このあとカールさんのところで買ってこよう。」
咲は、なるほどという顔をしていった。
「でも、そのことを杉ちゃんみたいに説明できるかって言うとそうではない人のほうが多いじゃないですかね。それがわかっていれば、納得して買えるんですけれども、それも知らされないで、ただ闇雲に羽二重と言われても分けのわからないで終わりになってしまうのではないかな?」
水穂さんが心配そうに言った。
「そうね。今言ったこと、他のお弟子さんに伝えてみてもいいかしら。皆さんに一斉にグループラインで伝えてみてもいいかなあ。」
咲がそう言うと、
「おうやってみろや。気にするか気にしないかはその人次第だけどさ。」
と、杉ちゃんがそういったため、咲は、杉ちゃんの発言を、すぐにラインで送信した。
それから一週間経って、咲はまた合奏げいこのため、コミュニティセンターに行った。その時は、カールさんのところで入手した、羽二重の色無地を着用していた。咲が、いつも合奏げいこを行っている部屋に行ってみると、先日のお弟子さんたちは、一応苑子さんの発言を守って、紫の色無地を着ていたのであるが、
「これは羽二重ではないわ、ただの化繊じゃない。あなたも違うわよ。これは羽二重ではなく、一越よ。」
と、苑子さんは、一人ひとりの着物を見ていった。部屋に入ってきた咲を見て、
「そのとおり、これが羽二重よ。浜島さんどこで買ったの?」
と、苑子さんは言った。
「ええと、増田呉服店という、お店で買いました。リサイクルの着物屋だけど、いろんな着物について教えてくれました。」
咲が答えると、
「あたしはネットで調べてみたけれど、羽二重で絞って見たらこれが来たのよ。」
と別のお弟子さんが言った。
「あたしは、ブックオフで買ったんだけど、店で見たときは光ってるように見えたから良いのかなと思って。」
別のお弟子さんはまた言った。
すると、部屋のドアがいきなりギイと開いて、一人の男性が現れた。その人は、ちゃんと、羽二重の紫色の紋付羽織袴を着ている。
「おはようございます。」
と彼は言った。
「はいおはようございます。鬼頭くん偉いわね。ちゃんと羽二重の紋付きを用意してきたんだから。」
苑子さんはそうにこやかに言った。
「はい。祖父が、着ていたものなんですが、これなら間違いないだろうって。」
鬼頭さんはそう申し訳なさそうに言った。
「お祖父様?お祖父様は何をしている人なんですか?」
咲が、思わず鬼頭さんに言うと、
「はい。茶道を習っていまして、僕が羽二重の着物がほしいと言ったところ、これなら大丈夫じゃないかって、教えてくれたんです。」
鬼頭さんは答えた。
「はあなるほど。こんなウスノロが、羽二重の着物を用意してくるなんてねえ。絶対ありえないと思うんだけどなあ!」
「それに、お祖父様が茶道をされてたなんてなんかずるいわ。」
他のお弟子さんたちはそう言っている。
「でも、あたしたちだって一応、紫を買ってきたんだから、今日はお稽古してくれたって良いじゃありませんか?」
と、他のお弟子さんがそう言うが、
「いいえ全員が羽二重の色無地を着てくるまではお稽古しません。」
苑子さんはきっぱりと言った。
「なんで?」
他のお弟子さんたちは唖然としている。
「当たり前でしょう。お琴は、最高峰の着物を着てお稽古するのが当たり前なのよ。それを知らないなんて、お琴を知らないのと同じようなものよ。」
苑子さんはそういうのであった。
「そうですけどね。先生。羽二重なんて簡単に見分けられないですよ。だって着物なんて何を着ても同じようなものでしょう。みんな同じ形をしているのに、どこが違うというのですか?」
お弟子さんたちはそう言っているのであるが、
「いいえ、着物は同じようなものだなんてそんなこと大変な間違いです。着物は、それぞれ格があって、いろんな用事で着分けるものです。お琴教室にはそれにふさわしい着物があるんです。それを守らないで、一越や、紋意匠や、ちりめんや、化繊の着物を着てしまうなんて、絶対に許しませんよ!」
と苑子さんは言うのであった。
「一越も紋意匠も何もわからないわ。」
そういうお弟子さんたちに、
「確かにネット販売だと、そういう説明がなく着物を売っているから、わからなくなりますね。ちなみに僕は祖父に聞いてみましたが、紋意匠とは地紋だけが光る生地、一越は、全く光らない生地、ちりめんは波上のシボが特徴的な生地だそうです。そして羽二重は、光沢があってツルンとしている。」
と、いきなり、鬼頭さんが言った。
「鬼頭さんよく知ってますね!」
咲が思わず言ってしまうと、
「ええ。昨日祖父から教えてもらっただけのことですけど。」
と鬼頭さんは言った。
「じゃあ、これで今日はお稽古しませんよ。全員が羽二重の色無地を着てこなければ、やる気があるとはみなしませんから。」
苑子さんはお琴を片付けるように促した。
「そうかも知れないですけど、全員が羽二重の色無地を入手するのは無理な話なんじゃありませんか?」
と、咲は苑子さんに言ったのであるが苑子さんはそれを無視してお琴を片付けてしまった。
「じゃあこれは、書い直しですか?」
別の弟子がそう言うと、
「そういうことになりますね。でも大丈夫ですよ。今のリサイクル着物販売では、500円で着物が買えたりするのですから。なんでもとんでもなく格の高い着物が、売れなかったということで、500円で販売される例はざらにあるそうです。うちの祖父も、そういうことしてお稽古の着物を揃えたって言ってました。」
と、鬼頭さんが言った。
「それでは、この画面を見てください。これは通信販売の画面ですが、見ての通りよく光っている色無地と、そうでない色無地とあります。」
鬼頭さんはタブレットを取り出して、お弟子さんたちに見せた。
「どれがどれだかさっぱり。」
と、彼女たちは言うが、
「そうよ。それに、地紋のこともあるわ。ほら、地紋がびっしり入っている方が格が高いってあたしも教えてもらった。」
と咲もそれに加担した。
「じゃあ、紫で絞ってみてよ。」
と別のお弟子さんが言うと、鬼頭さんはそのとおりにした。紫の色無地ばかり画面には表示されるようになった。
「ああ、これなんか良いんじゃないですか。ほら、きれいに光ってます。地紋も、青海波がしっかり入ってます。」
鬼頭さんは、一枚の紫の色無地を指さした。
「他にも、紗綾形文様のよく光っているのもございます。あとは、車輪のものもありますね。お値段は、3000円とか、ああ、1000円とかのもありますよ。」
鬼頭さんは、お弟子さんたちのラインに、色無地の商品ページを共有させてくれた。
「これであれば、来週はお稽古できるんじゃないでしょうか?大丈夫ですよ。今着物は日常生活ではいらないものとされていて、こうして安く手に入るんです。だから、これをチャンスだと思えば良いんです。そういう入手ができれば大丈夫。」
「鬼頭さんすごいわねえ。」
と弟子の一人が言った。
「なんだかウスノロとか、根暗とか言ってしまって本当にごめんなさい。」
「いいえ、僕も祖父から教えてもらっただけのことですから、何も大したことはありませんよ。」
鬼頭さんは、静かに言った。
「じゃああたし、その青海波の買ってみようかな。」
「私は、紗綾形文様にしよう。」
お弟子さんたちは、そう言って、着物を注文するボタンを押していく。
「インターネットもうまく使えば、こうして役に立つのね。」
苑子さんはそれだけしか言わなかった。
「でも苑子さん。どうしてそんなに、羽二重の紫の色無地にこだわるんですか?」
咲は思わずそう聞いてしまった。これだけお弟子さんたちを巻き込んだのであるから、その理由を聞いてみたかった。
「当たり前じゃないの。お琴を習うのは着物が当たり前なのよ。」
苑子さんはそういうのである。
「でもなんで、色無地じゃなくちゃだめなんですか?」
咲がもう一度聞くと、
「楽器に鳴ってもらうと敬意を表すのには、柄がある着物ではだめだと言ってましたよね。」
と鬼頭さんが答えた。
「そうか。そういうことだったか。」
咲は思わず言ってしまう。
「じゃあ苑子さん、これできっとみんな色無地が揃うと思うから、次の稽古はちゃんとしてくださいね。あたしたち、みんな楽しくお琴を弾きたいんですからね。」
咲はそういったのであるが、
「当たり前のことをしてからよ。」
苑子さんは、そういうのであった。
とりあえず、皆色無地を注文してくれたので、その日はお稽古が解散となったのだが、咲は、帰ろうとする鬼頭さんに、コミュニティセンターの廊下で声をかけてしまった。
「今日はありがとう。助かったわ。」
「いえ大したことありません。だって僕も祖父に聞いて見る前までは知らなかったのですから。僕も羽二重だとか、何だとか言われてもわかりませんでしたよ。」
鬼頭さんはそういうのであるが咲はそれが信じられなかった。
「でも教えてもらえるんだから鬼頭さんは幸せね。」
「いやあ。どうですかね。なんだか無駄知識を聞いてしまったようで。お琴教室ではそれで良いのかもしれませんが、日常生活で伝統文化の知識を知っていてもなんの役にも立たないでしょう。逆にそういうこと知っていると生意気だとか変なやつだとかそういうことしか言われないでしょう。だから、こんなこと聞いて何になるんだろうと思いましたよ。」
そういう鬼頭さんに、咲はこういってあげたのであった。
「いいえ、お琴教室とか、そういうものが続いていく限り、着物の知識は必要よ。さっきの人たちだって、鬼頭さんがああして発言してくれなかったら、永久に羽二重にはたどり着けなかったでしょうし。あたしも、そういう着物にまつわる仕事をしているしている友達がいたから良いけど、そういう人でもいない限り、着物の知識は普及していかないでしょ。だから、鬼頭さんもそのこと忘れないでほしいなあ。」
「そうですねえ。」
鬼頭さんはそういったのであった。
「なかなか日本の伝統は、どうしても軽視されがちなんですが、それを忘れないで続けていける人がいてくれると良いですけどね。それもなかなか難しくなってきてるんじゃないかなあ。」
彼の言う通りだと咲は思ったが、それは言わないでおいたほうがいいなと思った。咲は、にこやかに笑って、
「でも今回は鬼頭さんがいてくれて助かったわ。」
とだけ言ったのであった。
「そういう人がいてくれるからこそ、お稽古が続くのよ。」
「ありがとうございます。」
鬼頭さんは、それだけ言って、先に軽く頭を下げて、コミュニティセンターから出ていった。そんな彼を、咲は、貴重な人材だと思いながら見送った。それでは次回のお稽古ではみんな羽二重の色無地を着てきてくれるだろうか。また騒動が起きてしまうかもしれないけれど、やっていくしかないなと咲は思うのであった。苑子さんだって、お琴らしさを維持するために、無理やり羽二重を用意させているのを咲は知っているからだ。それは、伝統に関わっている人であれば、みんなそうなのかもしれない。
羽二重の色無地 増田朋美 @masubuchi4996
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