第1章 「樽いっぱいの酒」

赤黒い煙に巻かれた町は、うごうごと脈打ちながらその触手を広げている。

路地は排気口から放たれる悪臭と、野垂れているホームレスによって何とも言えない悪い雰囲気が漂っている。

怪しげなネオンを焚いた半地下のスピークイージーでは違法の酒が振る舞われていた。

「マスター、酒をひとつ。うんと強いやつを」

懐に旧式の火薬銃を携えた男が嗄れ声で言った。

グラスを磨いていたバーテンダーは手を止め、男を上目遣いで見た。

「いいけどさ。あんた、金はあんのかい?知ってるだろうけど、うちは高いからな。」

男は店の椅子にどかっと座った。

「金ならある。」

男は青い線が巻き付いた銀色の機械を、わざとらしく音を立てて机に置いた。

「そこの路地で取っ捕まえた違反ロイドの主要部品だ。こいつなら酒の1杯くらいは飲めるだろ。」

バーテンダーはグラスの方へ向き直し、また磨き始めた。

「あんた、ここは換金所じゃないんだ。酒は金で買ってくれ。」

「へぇ、変なとこマジメだな。俺がこの店のことを摘発官に言いつけたら、あんたどうなんか分かんねぇんだぞ?」

バーテンダーはため息をつきながら奥の棚へ手を伸ばした。

「あんただって、この店に出入りしてるって知られたら困るだろ。」

バーテンダーは慣れた手つきで酒瓶の蓋を開け、先ほどまで磨いていたグラスに注いだ。

「いいね、それだよそれ。ちょうどそれが飲みたかった。」

男がグラスに口をつけようとした時、スピークイージーに新たな客が入ってきた。

「火薬銃を持った男がいるってのはここか?」

妙にガタイのいい、サイボーグの男だ。

「なんのようだ」

男は懐の銃に手をかけた。

「おっと、あんたを悪いようにしようってんじゃないんだ。ちょっとばかし手を貸してもらいたくてね」

男は警戒を解かぬまま、椅子から立ち上がった。

「あんた、凄腕のガンマンなんだろ?町で噂になってたよ。」

「それで?俺に何をさせようとしてるんだ」

「なんだよ、あんたに悪い話をしようってんじゃないんだぜ?もちろん報酬だってたんまり出る…ほら、あんまり怖い顔すんなよ。」

男は懐の銃から手を離した。

「あんたにやって欲しいのはガードマンだ。」

「何を守れば良いんだ」

「あー。簡単に言うと、スーツケースだ。」

「スーツケース?」

「ほら、先月吸引式ドラッグの規制が厳しくなっただろ。あれの依存者…利用者がたくさんいるんで需要が高くてな。」

「つまり、俺に密輸の手助けをしろっていうのか。」

「あんたにとっても悪い話じゃねぇって」

サイボーグの男は小さな声で言った。

「今回の取引相手はあの有名な国家企業メガベンチャーの役員、ラビス・タンドラーだ。」

「…そんなやつがそんなもの欲しがるか?」

「おかしな話じゃないだろ、先月以前は誰でも欲しがれば手に入れられる代物だったんだから…まぁ、俺の話は以上だ。協力してくれるか?」

「あぁ、報酬は弾んでくれよ。」

「もちろんだ。」


サイボーグの男はジョウェル・ベンスキーというらしい。

事前に言われた集合場所に着いた男は、ジョウェルの到着を待っていた。

そのとき、背後から肩を持たれた。

「振り返るな。アンドリュー・アーサー…合ってるな」

「あぁ」

「俺はお前の仲間だ…ただ、事情あって顔は見せられない。これが例の荷物だ。」

背後の男はスーツケースをアンドリューに持たせた。

「ジョウェルという男からの伝言だ…"新たな集合場所はここからまっすぐ行ったところの立体駐車場のJ-7、白いFCVだ"。」

「了解した。」

アンドリューはスーツケースを持ったまま、立体駐車場へ向かった。


立体駐車場に着いたアンドリューが辺りを見回りていると、一台の見窄らしい車のライトが付いた。

「ここだ、乗れ。」

ジョウェルは少し開いた窓から顔を覗かせて言った。

アンドリューは足早に車へ乗り込んだ。

「FCVと聞いて少し期待していたのに、こんな車で来るとはな…」

「そんな悪く言うなよ、これでも俺の愛車なんだぞ?…で、スーツケースはどうなった。」

「これだ。」

アンドリューはスーツケースをジョウェルへ手渡そうとした。

「いや、いい。スーツケースがあると確認できたならいいんだ。」

「そうか。」

「それじゃあ出発するか。出発地はここハルステイン、目的地はサテライト!約360kmの旅だ!」

「政府組織の根城であるサテライトにこんなものを持って行ったらどうなるか分かってるのか。」

「あぁ、俺も取引先もそれは理解している…だからこそのこれだ。」

ジョウェルは銀色のカードを取り出した。

「これはなぁ、ロイヤリティカードっていう代物だ。これを持っていたらサテライトではそんじょそこらの摘発官くらいなら俺等が何をやっていても手出しできないらしい。」

「なるほど。」

「それじゃあ出発しよう。さっさと仕事を終わらせてさっさと金をもらおう!」

ジョウェルは勢いよくアクセルを踏み、立体駐車場を飛び出した。

「さっきからやけに興奮しているな。」

急カーブによる遠心力に耐えながらアンドリューが言った。

「俺の首に刺さってるチップ。見えるか?これはアクセラレーションチップっていうもので、ようは興奮剤だ。今回は無尽蔵の体力と集中力が必要となるからこいつを付けてきたってわけだ。」

「興奮のしすぎで事故を起こしたりしないでくれよ。」

「逆にお前は随分と退屈そうだな。」

「そりゃあそうだろう。ガードマンになってほしいと言われて来たのに、いざ到着してみたらただ助手席で夜景を眺めるだけなんてことになってるんだからな。」

「あぁ、なるほど」

ジョウェルは顔をしかめて言った。

「もうそろそろで特別警戒区域に入る。もしかすると摘発官がこのスーツケースの中身を見ようとするかも知れない…そうなったら、一貫の終わりだ…」

「だからどうする」

「だから、今回は道を逸れて荒野を走る。ただ、そうなると検閲官に見つかる可能性が低くなる代わりに見つかった時のリスクが高くなる。もし見つかったら応援を呼ばれないように検閲官を無力化させるしかない。」

「そこで俺の出番ってわけか。」

アンドリューはおもむろに銃の手入れを始めた。

アンドリューの持っている銃は旧式の火薬銃、アンドリューの叔父から引き継いだ年代物の銃だ。

ジョウェルはそんなアンドリューの様子を少し見て言った。

「あんたの銃、すごくいいよ。古い銃なのに新品のように綺麗だ。」

ジョウェルは荒野の方向にハンドルをきった。


銃の手入れが終わったアンドリューが外を眺めていると、暗闇に一点の赤い光があるに気付いた。

「おい、おまえ。あの赤いやつなんだ?」

アンドリューはジョウェルの肩を叩きながら言った。

「ん?なんだ?…」

ジョウェルはそう言って窓の外を見ると、顔を強張らせてからアクセルを強く踏んだ。

「あれは摘発用ドローンだ!まだこちらには気づかれいてないようだが、もし気づかれたら通報されるぞ!」

「なら気づかれてないうちに倒したほうがいいな。」

アンドリューは窓を開けて、ドローンに銃口を向けた。

「やめとけ!ドローンにはコアが2つあるが、その二つのコアを同時に破壊しなければ機器の損傷を検知して位置情報と共に通報されるぞ!」

「2つ同時に壊せたらいいんだな…?」

アンドリューは銃の引き金を引いた。

それと同時にあたりに破裂音が響く。

「やめろって!」

「大丈夫だ。今撃った玉は特殊に加工された玉で、着弾地点で玉の内部から爆発する…あんなふうに。」

アンドリューによって撃たれたドローンがゴッと音を立てて壊れ、墜落する。

「あんた、凄いな…思っていた以上に!」

「ちゃんと前見て運転してくれよ。事故られたら2人もろともだぞ。」

「あぁ、もちろんだ!」

ジョウェルはハンドルを握る手に力を込めた。


とある若い新人摘発官の2人は荒野に車を止めて駄弁っていた。

「…やっぱあの上司やばいよな」

「それな。聞いたか?この前なんて署内の女性の水筒を間違えて持って帰ってたって」

「やばw…絶対わざとじゃんw」

「なんであんな奴が昇進してるんだろうなぁ」

「たしかに…なぁ、あの光ってるやつなんだ?」

「ん?どれ?」

「ほら、あそこ」

「…こっちに向かってきてね?」

「あれ、車だ!」

2人は拡声器を片手に車を降りて呼びかけた。

「そこの車!止まりなさい!」

向かってきている車の輪郭が鮮明になってくる。

管理用ナンバーの付いていない白い車だ。

「聞こえてるのか!止まりなさい!」

白い車は徐々にスピードを落とし、止まった。

「ちょっと、窓開けて。」

新人摘発官の一人が窓を叩く。

車の運転手は何も言わずに窓を開けた。

「ちょっと、君たちこんな時間にこんなところで何してるの。」

運転手は何も言わずに黙って下を向いている。

「ねぇ、名前は何?…てか、そのアタッシュケースは…」

助手席に乗っていた男が銃を持って身を乗り出し、新人摘発官に発砲した。

新人摘発官は撃たれた衝撃と痛みで後ろに倒れた。

「お、お前何をしている!銃を捨てろ!捨てないならば撃つぞ!」

もう一人の摘発官がへっぴり腰でテーザーガンを男に向けながら言った。

助手席の男はぬるりと摘発官の方へ向きを変え、発砲した。


アンドリューとジョウェルは摘発官に勝利し、車を発進させた。

「なぁ、あんた。いくらなんでも殺さなくてもよかったんじゃないか?」

「あの場で殺さなかったら、こっちが殺されていたかも知れないんだぞ。」

「そうか…なんというか…躊躇いがないな。」

ジョウェルは舗装された道の方へハンドルをきった。

「そろそろサテライトに入る。ここからはカードに守られるから戦いはない。」

「それはよかった。」

2人は青と黄色のショッキングな光に照らされた街にだんだんと近づいていく。


街の中央から弾き出された閃光は少しの光がビルの間へ多くの光は曇天の空の上へと飛び出し、辺りをサイクリックに彩っている。

「なんだか綺麗な街だな。」

ジョウェルが少し息巻いて言った。

「そうか?そうか。」

アンドリューは街の眩い光に目を細めて言った。

「なぁ、お前はこの仕事で貰った金を何に使うんだ?」

ジョウェルはアンドリューの方へ目をやった。

アンドリューは少しの間考えるように下を向いてから答えた。

「酒だな。酒を買うんだよ。」

ジョウェルは少しがっかりしたように全身の力を緩めて、額にしわを寄せた。

「なにかもっと大きな物を買いたくならないのか?今回の仕事で貰える金を使えば酒なんて浴びるほど買えるんだぞ?」

アンドリューはまた少し考えるように下を向いてから答えた。

「なら猫が欲しいな。それもただの猫じゃない。台から台へ飛び移ったり、床の上で丸くなったりできるようなやつだ。暗いところで青く光ってくれたら便利かもな。」

ジョウェルは笑いながら言った。

「あんたが猫を欲しがるか。いや、悪くない。うん、悪くない…ほら、サテライトの入口が見えたぞ。入街審査があるから一応アタッシュケース隠しとけよ。」

アンドリューはジョウェルの反応に少しムッとしながらアタッシュケースを足元の見えない位置に置いた。


制服をきっちりと着こなした摘発官が笛を鳴らした。

「次。」

車の列が進み、待っていた車の運転手が窓を開ける。

「入街目的は?」

「起業だよ。」

「具体的にどういった?」

「サイバー系のだよ…休日ってのは嫌だねぇ、こんなに混むなんてよ。君もそう思うだろ?」

「…名前は?」

摘発官は黙々と聴取した内容をデータ保存する。

「べネル・アーグラー…もういいだろ?前回はこんなに長くなかったのに。」

「よし、次。」

車の運転手は窓を閉めて街へ走っていく。次の白い車が止まり運転手が窓を開ける。

「入街目的は?」

「…このカードを見てみろ。」

「ん?…なるほど…次。」

摘発官がピッと笛を鳴らし、白い車は街へ走っていく。

「おいおい見たか?一瞬だったぞ!」

ジョウェルがニタニタと笑いながらアンドリューへ話しかける。

「そのカードの効力は凄いな。」

アンドリューは感嘆しながらジョウェルが持つロイヤリティカードを見つめる。

「この調子だったら、取引先のところもすぐだろ!」

「ところで、これからどこへ向かうんだ?」

「…これから街の中心部にあるセルベームコープスへ向かう。」

国家企業メガベンチャーの本部へ入るのか!?」

アンドリューは身を震わせる。

「大丈夫だ。商談相手として行くんだ、悪いことはされないさ。それに、いざって時もこのカードが守ってくれる。」

「そうか。」

アンドリューは少し不満げに答える。

「と、その前に服を着替えてこいって言われてるんだった。」

ジョウェルは急カーブをし、ビルの前に車を止めた。

「ここで服を替えろと言われている。降りるぞ。」

ジョウェルとアンドリューが車を降りると、一人の老紳士が駆け寄ってきた。

「ベンスキー様とアーサー様でお間違えないですか?お待ちしておりました。私、タンドラー様より手配された使いにございます。」

老紳士は深々と頭を下げた。

「おうおう、じいちゃん頭あげてくれよ。ところでよ、そのタンドラーってやつにここで服を着替えてこいって言われてるんだが、どんな服に着替えればいいか分かるか?」

老紳士はにこやかに答えた。

「それでしたら、こちらで予め選んでおいたセットが御座いますが、それを着ていただかれますか?」

老紳士はサッと手入れされた服を2人分取り出した。

「あー。それでいい…ところで、どこで着替えれば良いんだ?」

「でしたら、こちらのビルの中に専用スペースが御座いますので、そこでなされますか?」

「準備がいいな、じいちゃん!」

2人は老紳士に案内されながらビルの中へと入っていった。

「おぉ!こりゃいいな!」

着替え終わり鏡を見たジョウェルが歓声を上げた。

「見ろよ!ほら!きっちりして…なんだお前似合ってねぇなぁ!」

ジョウェルはアンドリューの方を見て吹き出した。

「お願いだから落ち着いてくれ。」

アンドリューはジョウェルの様子を見て冷や汗をかいた。

「じいちゃん!ありがとな!それじゃ俺等出るぞ!」

「でしたら、こちらで手配したタクシーサービスをご利用いただかれてはどうですか?」

「おぉ!そうするよ!気が利くな!」

老紳士は2人をビルの外へ止めてある無人の黒塗りの車へと案内した。

「それでは、ご武運を。」

老紳士は扉を閉めて2人を見送った。2人が乗ったことをセンサーで確認すると車は自ら走り出した。

「随分と優雅な密輸だな。」

アンドリューは皮肉を込めて笑った。

「外をみてみろよ。」

ジョウェルは窓の外を見つめていった。

ビル達は車からでは全体が見られないほどに高く、その窓の一つ一つから様々な色の明かりが漏れ出ている。


2人が窓の外を見ていると、車が止まり、扉が開いた。

「お、着いたようだな。」

ジョウェルが車から降り、建物のロビーの方へと向かう。

アタッシュケースを持ったアンドリューも遅れて車から降り、ジョウェルに続く。

ロビーでは、3人の職員が様々な仕事をこなしている。

「やぁ、ラビス・タンドラーという男を呼んでほしいのだが…」

ジョウェルと職員との間にわずかな沈黙が訪れる。

「すみません、ラビス・タンドラーは現在外へ出ていますので対応しかねます。」

ジョウェルはカードを取り出し、ロビーへスッと置く。

「こういう者だ。ラビス・タンドラーを呼んでくれ。」

職員は少しの間も置かず答えた。

「失礼しました。今すぐ読んでまいりますので少々お待ちください。」

職員はロビー奥の大きな机のある来賓室へと2人を通し、スタスタとロビーへ戻る。

「うああ、怖えぇ。」

ジョウェルが身震いをする。

すると、紅茶色のスーツを着た細目の男が来賓室へと入ってきた。

「やぁ、しっかりと持ってきてくれたね?」

どうやらこの男がラビス・タンドラーのようだ。

「…と、彼は?」

ラビスがアンドリューを見て首を傾げる。

「ベンスキーの護衛として付いてきたアンドリュー・アーサーだ。」

アンドリューは淡々と話した。

ラビスはゆっくり2回頷き、口を開いた。

「で、頼んだものは?」

アンドリューがスッとアタッシュケースを机の上に乗せ、開ける。

「これだ。」

アンドリューはアタッシュケースの中身を初めてみて、内心驚愕する。

パッと見だけでも100袋を超える乾燥した草が入った袋がアタッシュケースの中に敷き詰められている。

「うん、数も申し分ない…これが報酬だ。帰っていいぞ。」

ラビスはアンドリューに中くらいのアタッシュケースを持たせて2人を面会室から追い出した。

何やら不穏な空気を感じた2人は建物から足早に出た。

2人が建物の外に出ると、先ほどの老紳士が待っていた。

「タンドラー様の要望により、お二人の車をここまで運んばせていただきました。」

老紳士は深々と頭を下げた。

「おう。ありがとうな!じいちゃん!」

ジョウェルは車に乗った。

アンドリューもアタッシュケースと共に車へ乗り込んだ。

ジョウェルはアンドリューが車へ乗ったのを見て、車を発進させた。


その朝、ネオンを焚いた怪しげな店に二人の客が訪れた。

「マスター、酒を2杯。うんと強いやつを。」

懐に旧式の火薬銃を携えた男が陽気な声で言った。

「金ならあるぞ!ほら!」

妙にガタイのいいサイボーグの男が大金をカウンターにわざとらしく音を立てておいた。

「あんたら、そんなにフラフラで大丈夫なのか?」

バーテンダーは奥の棚へ手を伸ばし、取り出した酒を慣れた手つきで大きなジョッキに注いだ。

「おぉ!いいねぇ!それだよ、そういうのが飲みたかった!」

男2人は店の椅子にどかっと座った。

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