硝子の朝

@SASAKII

ショート1

夜明けとともに、彼女は目を覚ました。窓辺に差し込む光は、まるで砕けた硝子片のように鋭く、美しかった。

 ベッドの上で指を伸ばすと、そこには昨日まで確かにあったはずの温もりが、もうない。誰かと過ごしたという記憶さえ、曖昧に溶けていく。


 カーテンの隙間から鳥の声が聞こえる。それもほんの短い一瞬で、風に散らされたように消えてしまった。

 彼女は呼吸を確かめるように胸に手を当てる。心臓はまだ確かに動いているのに、世界が少しずつ透明になっていくのを感じた。


 鏡の前に立つと、映る自分の輪郭がぼやけている。頬を撫でても感触が薄い。まるで夢の中で、自分自身を触っているようだった。

 ――今日は、最後の朝かもしれない。

 根拠もなく、そう思った。


 机の上には一冊のノートが開かれている。昨日の自分が書いた文字が残っていた。

「明日を迎えられるなら、笑って過ごしたい」

 震えた文字でそう記されていた。


 彼女は窓を開けた。風が流れ込み、白いカーテンがふわりと舞う。その瞬間、輪郭がさらに淡く揺らぎ、透けていく。

 光の粒と混ざり合い、世界の一部へと溶け込んでいく。


 誰も気づかないまま、その存在は朝に吸い込まれた。

 ただ、机の上のノートだけが、確かな証として残された。


 そしてページの最後に、一行だけ新しい文字が現れていた。

「ありがとう」

 誰の手によるものかもわからないまま、その言葉だけが、静かに光を放っていた。

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