9,登校カオス 後

 寮を出てまだ五分も経っていないのに、俺はすでに後悔していた。――いや、正直言えば出発する前からわかっていた。俺に「普通の登校」なんて、最初から与えられないのだと。


 朝の住宅街は一見すれば穏やかだった。犬を連れて歩くおばさん、黄色い帽子の小学生たち、新聞を取りに出たおじいさん。澄んだ青空の下、秋の涼しい風が吹き抜け、清々しい日本の朝――のはずなのに。


 俺の横で並んで歩く面子がすべてをぶち壊していた。



 先頭を歩くのは宇宙服姿の学園長ここあ。

 ヘルメット越しに響く「シュコー……シュコー……」という呼吸音は近所中に響き渡っていた。だがここあは得意げに胸を張り、突然宣言した。

 「本日も、地球の登校任務を遂行するにゃ!」


 この人は……いや、この宇宙服の塊は、なぜか交通ルールやマナーだけは妙に厳守する。信号は絶対に無視しないし、横断歩道も律儀に手を挙げる。ゴミが落ちていれば拾ってポケットに入れる。しかし、そこに「シュコーシュコー」だの「大気圏突入準備」だのと意味不明な発言を添えるから、社会的信用はゼロだ。


 そのすぐ後ろを歩くのは希崎視乗。小柄な体に不釣り合いな巨大レンチを肩に担ぎ、朝日を反射させてギラリと光らせる。通行人が一瞬悲鳴を上げ、カーテンを閉める音が響いた。本人は悪びれもなく、「この辺りの配管ってどうなってるの?地下水路を調べられたら楽しいのに」と瞳を輝かせている。いや、犯罪者の目だそれ。


 さらにその後ろ、暁。腰に差した日本刀に手を添えて歩き、通行人を睨む。完全に「今から敵陣に突撃します」というオーラ。小学生が「お侍さんだ!」と目を輝かせて拍手していた。いや、褒めるな。


 彩音はご機嫌な鼻歌を歌い、小鳥たちを引き連れて歩いている。その姿はファンタジーのワンシーンのように美しい。だが現実の住宅街でやられると異様だ。道端のおばあさんが「幻覚かしら」と目をこすっていた。


 最後尾の桜庭咲良は、紅茶ポットを両手で抱きしめ、優雅に歩いていた。「朝露の透明感に似合う一杯を」と呟きながら……いや、それ誰に語りかけてるんだよ。



 道ゆく人々の反応はすさまじかった。

 ・主婦は「またあの学園……」とため息。

 ・サラリーマンは二度見の末に電柱へ激突。

 ・小学生たちは「コスプレショーだ!」と騒ぎ立てる。

 ・宅配業者は自転車を急ブレーキして「夢……?」と首を振る。

 ・警備員は「止めるべきか……」と真剣に腕を組む。


 俺は必死に叫んだ。

 「みんな!頼むから静かに!せめて目立たないように!」


 するとここあがくるりと振り向き、胸を張る。

 「静粛に歩くのは得意にゃ。宇宙空間では音は伝わらないからにゃ!」

 「そういう意味じゃねえ!」


 信号待ちの人たちが「宇宙から来たのかしら」と真顔で囁いていた。ちがう、日本の戸籍がある人だ。



 その横で、視乗が道端の自販機に釘付けになっていた。

 「この冷却装置を強化すれば五倍冷える……」

 カチャンと工具箱を取り出してカバーを外し始める。

 「やめろぉぉ!それ窃盗だから!」俺は慌てて工具を奪い取った。視乗は「ちょっと見たかっただけなのに……」と残念そうに唇を尖らせる。いや、その「ちょっと」で人生終わるぞ。


 さらに暁。横断歩道の警備員に、真剣な声で言い放つ。

 「……模擬戦を」

 「いやいやいや!なんで通学中に真剣勝負仕掛けんだよ!」

 俺は両手を合わせて必死に謝る。警備員は「業務中なんで……」と後ずさり。通りすがりの人は「最近の高校生は剣を持ち歩くのか」と恐怖に震えていた。違う、剣を持ち歩いていいのは暁だけだ。いや、それもアウトだ。


 咲良は通学バスの停留所で窓を開けたサラリーマンに微笑みかけていた。

 「朝の目覚めにはアールグレイが最適です」

 「え、あ、どうも……」と受け取りそうになるサラリーマン。だが運転手がクラクションを鳴らし、「出発しますよ!」と叫ぶ。俺は咲良の腕を引っ張り、「今は紅茶じゃなくて登校!」と怒鳴った。

 「でも、香り高い紅茶は人の心を――」

 「心を整えるのは学校着いてからでいい!」


 そして極めつけはここあだった。赤信号に差しかかると、彼女はピタリと足を止めた。ヘルメット越しに声を張り上げる。

 「信号は絶対に守るにゃ!地球社会のルールは遵守するにゃ!」

 ……いや、正しいんだけど言い方が怖い。しかも後ろで子供たちが「宇宙人でも信号守るんだ!」と歓声を上げていた。やめろ、その教育効果。



 俺の制止虚しく、事件は続く。

 ・視乗が公園の水飲み場を解体しようとする。

 「水圧を三倍にすれば一気に水が吹き出すはず!」

 「それ、爆破と変わらんから!」俺が全力阻止。


 ・暁が通りすがりの野良猫に「勝負」と刀を抜きかける。

 「相手猫だからな!?勝負じゃなくて威嚇だろ!?」と俺が土下座。猫は逃げた。


 ・咲良が川辺で「この水で紅茶を淹れたら風味が変わるかも」とポットを傾ける。

 「衛生的にアウトだから!」俺が強引にカップを取り上げた。


 そのたびにここあは、横で「地球人は細かいにゃ……」と首を振っていた。いや、あんたも地球人だからな?



 そんなこんなで、ようやく校門が見えてきた。

 「……はぁ……はぁ……」

 俺は汗だくでシャツが背中に張り付き、呼吸は荒い。走った覚えはないのに、心身のスタミナはゼロ。むしろマイナスだ。


 だが教室に入った瞬間、クラスメイトたちはちらっとこちらを見て、あっさり一言。

 「おはよう。今日も賑やかだな」


 ……なにその平常運転コメント。俺の必死の制止も寿命の削りも、全部スルーか。


 机に突っ伏しながら、俺は心の中で呟いた。

 ――さよなら、俺の平穏な登校。

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さよなら、僕のふつうの学園 ~ありふれた青春は、宇宙服とロボと刀で爆散した~ @Kei-ichi

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