9,登校カオス 後
寮を出てまだ五分も経っていないのに、俺はすでに後悔していた。――いや、正直言えば出発する前からわかっていた。俺に「普通の登校」なんて、最初から与えられないのだと。
朝の住宅街は一見すれば穏やかだった。犬を連れて歩くおばさん、黄色い帽子の小学生たち、新聞を取りに出たおじいさん。澄んだ青空の下、秋の涼しい風が吹き抜け、清々しい日本の朝――のはずなのに。
俺の横で並んで歩く面子がすべてをぶち壊していた。
◆
先頭を歩くのは宇宙服姿の学園長ここあ。
ヘルメット越しに響く「シュコー……シュコー……」という呼吸音は近所中に響き渡っていた。だがここあは得意げに胸を張り、突然宣言した。
「本日も、地球の登校任務を遂行するにゃ!」
この人は……いや、この宇宙服の塊は、なぜか交通ルールやマナーだけは妙に厳守する。信号は絶対に無視しないし、横断歩道も律儀に手を挙げる。ゴミが落ちていれば拾ってポケットに入れる。しかし、そこに「シュコーシュコー」だの「大気圏突入準備」だのと意味不明な発言を添えるから、社会的信用はゼロだ。
そのすぐ後ろを歩くのは希崎視乗。小柄な体に不釣り合いな巨大レンチを肩に担ぎ、朝日を反射させてギラリと光らせる。通行人が一瞬悲鳴を上げ、カーテンを閉める音が響いた。本人は悪びれもなく、「この辺りの配管ってどうなってるの?地下水路を調べられたら楽しいのに」と瞳を輝かせている。いや、犯罪者の目だそれ。
さらにその後ろ、暁。腰に差した日本刀に手を添えて歩き、通行人を睨む。完全に「今から敵陣に突撃します」というオーラ。小学生が「お侍さんだ!」と目を輝かせて拍手していた。いや、褒めるな。
彩音はご機嫌な鼻歌を歌い、小鳥たちを引き連れて歩いている。その姿はファンタジーのワンシーンのように美しい。だが現実の住宅街でやられると異様だ。道端のおばあさんが「幻覚かしら」と目をこすっていた。
最後尾の桜庭咲良は、紅茶ポットを両手で抱きしめ、優雅に歩いていた。「朝露の透明感に似合う一杯を」と呟きながら……いや、それ誰に語りかけてるんだよ。
◆
道ゆく人々の反応はすさまじかった。
・主婦は「またあの学園……」とため息。
・サラリーマンは二度見の末に電柱へ激突。
・小学生たちは「コスプレショーだ!」と騒ぎ立てる。
・宅配業者は自転車を急ブレーキして「夢……?」と首を振る。
・警備員は「止めるべきか……」と真剣に腕を組む。
俺は必死に叫んだ。
「みんな!頼むから静かに!せめて目立たないように!」
するとここあがくるりと振り向き、胸を張る。
「静粛に歩くのは得意にゃ。宇宙空間では音は伝わらないからにゃ!」
「そういう意味じゃねえ!」
信号待ちの人たちが「宇宙から来たのかしら」と真顔で囁いていた。ちがう、日本の戸籍がある人だ。
◆
その横で、視乗が道端の自販機に釘付けになっていた。
「この冷却装置を強化すれば五倍冷える……」
カチャンと工具箱を取り出してカバーを外し始める。
「やめろぉぉ!それ窃盗だから!」俺は慌てて工具を奪い取った。視乗は「ちょっと見たかっただけなのに……」と残念そうに唇を尖らせる。いや、その「ちょっと」で人生終わるぞ。
さらに暁。横断歩道の警備員に、真剣な声で言い放つ。
「……模擬戦を」
「いやいやいや!なんで通学中に真剣勝負仕掛けんだよ!」
俺は両手を合わせて必死に謝る。警備員は「業務中なんで……」と後ずさり。通りすがりの人は「最近の高校生は剣を持ち歩くのか」と恐怖に震えていた。違う、剣を持ち歩いていいのは暁だけだ。いや、それもアウトだ。
咲良は通学バスの停留所で窓を開けたサラリーマンに微笑みかけていた。
「朝の目覚めにはアールグレイが最適です」
「え、あ、どうも……」と受け取りそうになるサラリーマン。だが運転手がクラクションを鳴らし、「出発しますよ!」と叫ぶ。俺は咲良の腕を引っ張り、「今は紅茶じゃなくて登校!」と怒鳴った。
「でも、香り高い紅茶は人の心を――」
「心を整えるのは学校着いてからでいい!」
そして極めつけはここあだった。赤信号に差しかかると、彼女はピタリと足を止めた。ヘルメット越しに声を張り上げる。
「信号は絶対に守るにゃ!地球社会のルールは遵守するにゃ!」
……いや、正しいんだけど言い方が怖い。しかも後ろで子供たちが「宇宙人でも信号守るんだ!」と歓声を上げていた。やめろ、その教育効果。
◆
俺の制止虚しく、事件は続く。
・視乗が公園の水飲み場を解体しようとする。
「水圧を三倍にすれば一気に水が吹き出すはず!」
「それ、爆破と変わらんから!」俺が全力阻止。
・暁が通りすがりの野良猫に「勝負」と刀を抜きかける。
「相手猫だからな!?勝負じゃなくて威嚇だろ!?」と俺が土下座。猫は逃げた。
・咲良が川辺で「この水で紅茶を淹れたら風味が変わるかも」とポットを傾ける。
「衛生的にアウトだから!」俺が強引にカップを取り上げた。
そのたびにここあは、横で「地球人は細かいにゃ……」と首を振っていた。いや、あんたも地球人だからな?
◆
そんなこんなで、ようやく校門が見えてきた。
「……はぁ……はぁ……」
俺は汗だくでシャツが背中に張り付き、呼吸は荒い。走った覚えはないのに、心身のスタミナはゼロ。むしろマイナスだ。
だが教室に入った瞬間、クラスメイトたちはちらっとこちらを見て、あっさり一言。
「おはよう。今日も賑やかだな」
……なにその平常運転コメント。俺の必死の制止も寿命の削りも、全部スルーか。
机に突っ伏しながら、俺は心の中で呟いた。
――さよなら、俺の平穏な登校。
さよなら、僕のふつうの学園 ~ありふれた青春は、宇宙服とロボと刀で爆散した~ @Kei-ichi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。さよなら、僕のふつうの学園 ~ありふれた青春は、宇宙服とロボと刀で爆散した~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます