人生と来ましたか、いやはやまぁ、いくら丼に随分と大きなものを重ねてらっしゃる……。
そんなこと深く考えずに、好きなように、自由に食えばよいのに、と思う私は無粋でしょうか。
そう、いくらばかりを先行して食べたとしても、自分の選んだ選択、数ある自由の中から選んだ食べ方のうちの一つ。
それも一つのスタイルで、その後白米が大量に残るのも自分の責任。
自由な選択には必ず、相応の結果を受け入れる責任が伴うわけですね。
ところが……別にこれは人生の縮図というわけではないのです……。
ただのいくら丼……!
ホントに、ただのいくら丼、なのです……!
好きなように、自由に、我儘に、あるがままに……食えば、いいのです。
それを許容するのがいくら丼の無法さなのです。
言ってる意味が分からない?
ならば、本作をお読みください。
好きなように、いくらでもいくら丼をお召し上がりください。