第23話 あやとりしましょ


 翌朝。

 俺の指先から放たれた、完璧に安定した一本の『琴線』を見て、鴉麻神楽は満足げに頷いた。

 だが、その口から放たれたのは、労いの言葉ではなかった。


「さあ、やってみぃ。十本の琴線で、あやとりや」


 その日から、俺の、本当の地獄が始まった。

 一本の糸を「在る」ように維持するのとは、訳が違う。二本目の琴線を出そうとすると、一本目が消える。三本目を出そうとすると、全部が絡まって暴発し、道場の畳を少し焦がしてしまった。


(くそ……! 無理や、こんなん!)


 俺の「大河」のような呪力を、十本の、それぞれ独立した、極細の「小川」に分流させ、同時にコントロールする。それは、俺の巨大な呪核をもってしても、不可能に近い、神業の領域だった。

 神楽は、手本とばかりに、彼の十指から伸びた、目に見えない十本の琴線で、空中に、まるで3Dプリンターのように、複雑な龍の式神を、一瞬で編み上げてみせる。


「……才能ないなぁ、あんた」


 その、心底楽しそうな一言が、俺のプライドをさらに深く抉った。



 ◆

 


 数日後。音羽学舎の教室。

 俺は、授業中も、机の下で、必死に十本の琴線を操る練習をしていた。

 そのせいで、集中力が散漫になり、教師からの簡単な質問に答えられなかったり、習字の授業で、墨を半紙にぶちまけたりと、これまで以上に「出来の悪い子」を演じてしまう。

 周囲の生徒からは、「朱堂のとこの子、やっぱりアホなんやな」という、憐れみの視線すら感じた。


 放課後。俺に、永宮響が詰め寄ってきた。

 その瞳は、もはや怒りを通り越して、呆れの色を浮かべている。


「……あんた、ほんまにやる気ないんやったら、もう学舎やめたらどうや。見てて、見苦しいわ」


 その、あまりにも真っ直ぐな軽蔑の言葉に、俺は、何も言い返すことができなかった。



 ◆


 

 その夜。道場で、俺は一人、壁に頭を打ち付けていた。

 悔しかった。響に何も言い返せなかった自分が。そして、何より、たった十本の糸も操れない、自分の不甲斐なさが。

 そんな俺の横に、神楽が、音もなく座った。


「あんたは、まだ『頭』で考えとる。十本の糸を、一本ずつ、順番に操ろうとしとる。ちゃうんや、文音。あんたには、指が十本あるやろ? 右手の人差し指と、左手の小指を、同時に動かすのに、いちいち頭で考えへんやろ?」


 その言葉は、まるで俺の脳内を、そのまま見透かしているかのようだった。


「十本の琴線を、あんたの、十本の『神経』にするんや。見る、聞く、嗅ぐ……それと同じくらい、当たり前の感覚として、十本の琴線で、世界を『触れ』」


 その言葉に、俺は、天啓を得た。

 琴線を「操る」のではない。

 自分の「感覚器官」そのものにするのだ、と。

 俺は、目を閉じ、十本の指先から、世界を探るように、十本の琴線を、そっと伸ばしていく。


 すると、初めて、十本の、完璧に安定した『琴線』が、するすると、闇の中へと伸びていった。

 俺は、もはやそれに意識を割いていない。

 その十本の琴線で、道場の中を飛ぶ小さな虫の羽音を感じ、壁の木目のざらつきを感じ、庭に咲く花の香りすら、感じ取っていた。

 世界が、色鮮やかに、生まれ変わったかのような感覚。


 神楽は、その光景を見て、初めて、心の底から満足したように、にっ、と笑った。


「ようやったな。ほな、覚えたてのその十本の指で、宿題や」


 俺が、不思議そうに神楽を見つめていると。


「――明日の朝までに、その糸で、セーターでも編んでみぃ」


 最強の師匠は、心の底から楽しそうに、そう言った。


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京都あやかし呪術殲戦~古都の陰陽師に転生して赤ちゃんリードで無双する~ みんと @MintoTsukino

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