毎日が過ぎても

遠影此方

毎日が過ぎても

ヒーローの一日を知りたい、とその人たちはぼくに言いました。取材をして、新聞の記事にしたいらしいのです。確かに白いライオンの耳と尻尾を生やし、空を飛ぶぼくの姿を見て、へんちくりんだなあと思うのは当然のことなのかもしれません。しかし、それを除けばぼくは学校に行っていないだけのただの少年なのです。その一日を覗いて何が楽しいと言うのでしょう。きっといい記事になると記者の人たちは言うけれど、ぼくはあまり乗り気にはなれませんでした。ぼくは一人で暮らしているわけでもないのです。お姉ちゃんがいる手前、お姉ちゃんの生活まで明るみに出してしまう危険性さえありました。


「ダメです。」


ぼくがそう言うと記者の人たちは期待が外れたのか残念そうな顔をします。どうしても、ダメでしょうか、とこちらを見てきます。その目はまるで捨てられた子犬のような目だったので、ぼくの断ろうという気持ちはぐらりと揺れてしまうのでした。ヒーローとしてこの街で過ごしているぼくは、人の困っている姿を見ると手を差し伸べなくてはならないような気持ちに突き動かされるのです。お姉ちゃんに相談してみてから決めてもいいですか、と言うと、記者の人たちは顔を嬉しそうに輝かせました。ぼくはお姉ちゃんはきっとぼくにそんな申し出は断るように言うだろうと思っていましたから、この人たちには悪いけれど、この話は無かったことになるだろうと決めつけていました。


「起きてから寝るまでの一日なら、街のパトロールを抜けばレオくんは普通の子供と変わらないじゃない。受けてみればいいんじゃない?」


お姉ちゃんがそんな言葉を言うとはぼくは思ってもみませんでした。


「でもそれじゃお姉ちゃんの一日も新聞を読むみなさんに知られてしまうことになるんですよ。それは嫌じゃないんですか。」


「私の生活、ねえ。大学生として過ごしている分には普通の人と変わりないし、一部くらいなら問題ないでしょう。最近は夜更かしもしてないし。一日の簡単な日記をつける、みたいなことでいいんじゃないかしら。私の知らないレオくんか、少し興味があるな。」


そういうぼくの想定とは違った会話があって、ぼくはぼくの一日の概要をこの街の地域新聞に載せることになってしまいました。平日の一日を、起きてから寝るまでのあらましを表にして載せることになってしまいました。少し、いや、かなり恥ずかしいですけれど、何でもない一日なら載せてしまってもいいかという気持ちになるのでした。


ぼくは朝は七時くらいに起きます。その時間くらいになると自然と目が覚めてしまうのです。布団から起きるとまず洗面所に行って顔を洗います。この時、お姉ちゃんはまだベッドで寝ているので起こさないように慎重に移動する必要があります。ヒーローの朝は早いのです。しかし、早く起きたからと言ってやることがあるわけではなく、体操やストレッチをしたり、お尻から伸びるライオンの尻尾がちゃんと出したり隠したりできるかどうか点検をする程度で、あとは朝の何とも言えない空気を胸いっぱいに吸い込んだりする程度なのです。お姉ちゃんは朝は九時ごろにいつも起きますが、寝坊をする時もあります。ぼくは起こそうとは思いません。人間も動物です。寝られる時に目一杯寝ておかなければその方の活動に支障がある可能性があります。まずはしっかり寝て、それから起きた方が良い一日を過ごせるように思うのです。


お姉ちゃんが起きてくると、洗濯機を回したり、テレビをつけたり、二人分の朝食の準備をしたりと我が家は大変賑やかになります。ぼくは賑やかになるこの瞬間が一日の中で一番好きなのかもしれません。お姉ちゃんが今日も生きていて、一日を過ごしてくれることがしみじみと嬉しくなるのです。朝食はテレビを見ながら食べます。朝はニュース番組が放送していますから、そこでこの街であったことをざっくりとですが確認しています。黒獅子が出た時、めちゃくちゃに破壊されてしまった西の街の外れに新しく駅が作られる計画が進んでいるらしいですね。この街もどんどん便利になってゆくのでしょう。この街にふらりとやってくる人も多くなってくるのでしょうか。ぼくは今から楽しみです。


朝食を済ませて、一日の準備を終えると、お姉ちゃんは鞄を持って大学へ行ってしまいます。初めて会った時から何年も経って、お姉ちゃんはまた少し背が高くなったようです。ぼくは背が伸びたりしないので、そこはお姉ちゃんが羨ましく思います。お姉ちゃんがいなくなってから、ぼくは家を出て、いつものとおりに街に出かけてゆきます。ヒーローのお仕事として、街のパトロールをするのです。この街には警察が居ません。その代わりに獣人委員会がありましたが、今はその活動も杳として知ることができません。街を守るのはヒーローたるぼくの役目です。パトロールと言っても前のように「バケモノ」が出現するからしているというわけではなく、この街でゴミ拾いや清掃をしてくれている方々に挨拶をしたり、何か危険物がないか見回ったりする程度で、ぼくらがする散歩のようなものと思ってもらって構いません。


この街も狭くはないですが、「バケモノ」退治に駆け回った頃に大体の土地勘はついています。異変があったらすぐにでも、空を飛んで駆けつけます。ぼくは「ライオン紋の王子様」なのです。それに、最近は頼れる仲間も増えました。絵本の中には居ませんでしたが、「ライオン紋のお姫様」という仲間がいます。名前はライナと言います。ライナとは役割分担をしていて、西の街のパトロールを受け持ってくれていますので、ぼくは東の街をパトロールするだけで済んでいます。この街をぼくとお姉ちゃんで守っていかなくてはならないのかと思った頃もありましたが、ライナが来てくれたおかげで、二人の労苦が三人で担えるようになりました。ライナにはとても感謝しています。ライナはパンが好きで、彼女の住んでいる家の近くにあるパン屋によく足を運んでいるらしく、その店のくるみパンがお気に入りらしいです。昼ごはんはいつもライナが持ってきたバッグの中に入ったパンを食べています。


街を一通り周ってパトロールを終えて、ライナと別れるとぼくは決まって街の図書館に向かいます。ぼくは図書館というものが大好きです。そこにある本なら好きなだけ読んでいいし、借りたくなったら借りることもできる。こんな素晴らしい場所があることをぼくはこの街に来る前は知りませんでした。図書館には司書のシリウスさんが居て、作業の合間がてらぼくの話し相手になってくれています。ぼくはよく宇宙の話をシリウスさんにします。本で読んだ星座の話や惑星の話、人類が打ち上げてきた探査機の話など、ぼくはシリウスさんに話しますが、シリウスさんはいつも嬉しそうに話を聞いてくれています。シリウスさんの方からはこの街のパトロールで何か変わったことはないかと聞かれることがありますが、最近のこの街は平和なので、平和です、と返しています。その受け答えにもシリウスさんはニコニコとしています。何がそんなに嬉しいのでしょうか。ぼくはたまに疑問に思ったりしますが、まだシリウスさんに問うたことはありません。


夕方になると、お姉ちゃんが図書館にやってきます。ぼくとお姉ちゃんは図書館を待ち合わせ場所にしているのです。お姉ちゃんはシリウスさんといつも二言三言会話をするとさあレオくん、帰ろうか、と手を差し出してきます。ぼくはその手を取って図書館を後にします。シリウスさんはまた明日、といつも手を振ってくれます。ぼくはお姉ちゃんの手と繋いでいないもう一方の手で振り返すようにしています。


お姉ちゃんは家までの帰り道に夕飯の買い物をするためにスーパーに寄ったりするのですが、買い物をしている最中に大学の先生が厳しいとよく愚痴を言うようになりました。お姉ちゃんは不満はあるようですが大学生活は楽しんでいるようでした。サークル活動というものには入っていないようでしたが、我を忘れるようなことはしたくないらしいのです。ハナエは政治家になろうとしている。私もうかうかしてられない、とよくお姉ちゃんは口にします。何かに急かされているような、そんな焦りをお姉ちゃんは背負っているように感じてしまって、ぼくは少しだけ不安になります。大人になる。大人になってこの街からぼくと一緒に抜け出す。お姉ちゃんはそんなことを目標にしているらしいのです。ぼくは外の街のことを本やニュースの中でしか知りません。そこに本当は何があって、誰がいるのか。期待と不安が半分ずつ胸の中にあります。


午後七時くらいに家に帰ると、すぐに夕飯の支度をして、夕飯を夜のニュースを見ながら食べます。夜のニュースは朝のそれと比べてちょっと過激なような気がします。夜のニュースには外の街のことや、外国のことも報じられていて、ぼくはいつも興味深く観ています。


夕飯を食べ終えてその後一時間くらいはテレビを見たり、図書館で借りた本を読んだりしながら過ごします。お風呂に入りたい気持ちもありますが、ご飯を食べた後しばらくはお風呂に入らない方が体にとって良いらしいのです。詳しいことは知りません。お姉ちゃんが昔お姉ちゃんの家族と住んでいた時の頃、お姉ちゃんの母親からそう聞いていたらしいのです。お姉ちゃんは自分の母親の話を滅多にしません。何か話したくない事情があるようなのです。ぼくはぼくの母親と父親についてあまり知ってはいません。いつか知る時が来るのかもしれませんが、今はその時ではないようです。お風呂はぼくとお姉ちゃんは別々に入ります。お風呂から出ると、寝巻きに着替えたお姉ちゃんは大学のレポートの作成に取り掛かります。ぼくも寝巻きに着替えていますが、特にすることもないのでお姉ちゃんのレポート作成の様子を眺めたりしています。ぼくとお姉ちゃんは遅くとも午後十時までには寝るようにしています。たまにお姉ちゃんが深夜に起きて夜更かしをしていることもあります。睡眠は大事なことなのに、いけないことだと思います。一体何をしているのか、ぼくが問うてもお姉ちゃんは秘密と言うだけで答えてくれません。ぼくも大人になったらわかる日が来るのでしょうか。


一日の終わり、寝る前になって、そんなことを書いたメモをメールに添付して、ぼくは記者の方が教えてくれたメールアドレスに送りました。ぼくのことだけじゃなく、他の人のことも書いてしまったように思いますが、ぼくは一人で生きているわけではないのでこれでいいように思います。地域新聞が届くのを楽しみにしながら、ぼくは今日も眠りにつくのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

毎日が過ぎても 遠影此方 @shapeless01

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る