世界一迷惑な男

久田井交

世界一迷惑な男

この世で最も迷惑な人間と呼ばれた男がいた。

彼の通った場所には、必ず歴史的な傷跡が残った。


イタリアではピサの斜塔を「首が曲がるから」と真っ直ぐに直し、町の誇りを消し去った。

スペインではサグラダ・ファミリアを「工期が長すぎる」と完成させ、百年以上続いた“未完成の夢”を打ち切った。

日本では東京タワーを「あと一センチ足りない」と伸ばし、誇り高き建造物を“世界一中途半端な塔”に変えた。

アメリカでは自由の女神に「自由なら歩け」と命じ、巨大なロボットとして街を闊歩させた。

中国では万里の長城を「スケール不足」と億里に延長し、地図という概念そのものを狂わせた。


それらはどれも戦火ではなく、血も流さなかった。

だが確かに、人類全体を不安と困惑に陥れた。

各国は憎しみを超えて団結し、この男を「人類共通の敵」と呼んだ。


そして九十年。

老衰という静かな結末を迎えた男は、最期にひとこと呟いた。


「悪いことばかりして天寿をまっとうとは、皮肉なもんだ」



光の中で目を覚ました彼は、己が死後の世界にいることを悟った。


「なかなか面白い人生だったな」

声が響いた。姿は見えぬ。だが、神の声だと直感した。


彼は口元を吊り上げた。

「へっ、神様に褒められるなんて光栄だな。じゃあ、地獄に落としてくれ。今度は鬼を困らせてやる」


「いや、お前は地獄には行かない」


「……ああ?」


「お前のおかげで、世界は平和になった」


「俺のおかげで?」男は眉をひそめる。

「俺は自由の女神を勝手に歩かせたんだぞ。あれが平和か」


「そうだ。お前を憎むことで人々は一致した。誰も戦争をする余裕がなくなった。世界はひとつになった」


男は鼻で笑った。

「買いかぶりすぎだ。それに、俺はもう死んだ。これからまた戦争が起こるんじゃないか」


「ああ、そうだろうな」神はあっさりと頷いた。

「だから、お前を現世に戻す。不老不死の肉体を与えて」


「……いや待て、なんでだよ」


「簡単だ。お前が死ぬと戦争が起きる。つまり、お前は平和のための呪物だ」


「呪物って言うな、お前が創ったんだろ」


「我々も困っている。地獄に送るには迷惑すぎるし、天国に入れるには浮きすぎる。だから現世に放置することにした」


「……扱い雑だな」


「雑ではない。合理的だ」


神はそう言い切り、ため息をつくと手を振った。



次に目を開いたとき、彼は再び自室の布団にいた。

新聞を開くと、世界のあちこちで小競り合いが始まっている。


彼はしばらく天井を見つめ、やがてゆっくりと立ち上がった。


「……やれやれ。じゃあ次は、エッフェル塔を逆さにでもしてやるか」


こうして世界はまた、奇妙な平和を得ることとなった。

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世界一迷惑な男 久田井交 @majiru_sh

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