第17話

 未来エリアに到着した時、和正は微かな爆音を聞きつけた。

 何か嫌な予感がして昭信に許可をもらい、音のした建物を覗いてみれば、そこには信じられない光景が広がっていた。

 先輩である刀也が倒れ、そのすぐそばに優がいる。

 それだけで状況を察した。

 先輩は優に挑み、そして返り討ちにあったのだと。

 叫びながら飛び出したい衝動をこらえる。

 前回はそれで撤退する羽目になった。

 浩司に言われたとおり、自分の存在を主張しながら飛び出した前回のあれは、自殺をしに行くようなものだった。

 幸いなことに、優はもう一人の、怪我をしたのか様子がおかしい少年を気にかけていてこちらに気づいていない。

 ならば、気づかれないように接近し、殺す。


 気配を消し、足音を立てないように慎重に近づく。

 優も少年も気づく様子はない。

 その視線は倒れた刀也に向けられている。

 そして、ついに優を間合いに収めた和正は、一気に距離を詰めて優に斬りかかった。

 その時、刀也に向けられていた少年の視線が、和正を捉えた。

 どこか茫洋としていた視線が瞬間鋭くなり、優のことを押しのける。


 和正の振り抜いた剣は、優を押しのけた少年の両腕を切断した。


「しまっ!?」

「いやああああああああ!」


 和正の声をかき消す優の叫び。

 優は和正のことを無視して、少年に駆け寄る。

 切り飛ばされた少年の両腕を拾い、意味もないとわかっているだろうに傷口にくっつけようとしている。

 完全に混乱している様子だった。

 あの、大勢の人間を殺し、実の親と育ての親すら殺した殺人鬼が。

 ただの少女のように取り乱している。

 その事実に和正は一瞬どうすべきかわからなくなった。

 自分のしていることが正しいのかわからなくなった。

 しかし、それも一瞬のこと。

 再び優に向けて光る剣を振るう。

 が、それはまたしても少年によって阻まれた。

 両腕を切断された少年が、和正と優との間に立ちはだかった。

 和正はすんでのところで剣を逸らすことに成功した。

 見ず知らずの少年に恨みはない。

 そんな少年を手にかけてでも優を殺すという発想が和正にはなかった。

 それが千載一遇のチャンスを逃すことになる。




 普段の優であれば、そんな和正の隙を見逃すことはなかった。

 しかし、今の優は錯乱し、マシンガンを手放して大吾の切断された両腕を抱えていた。


「逃げるぞ!」


 そんな優に、大吾が叫びかける。

 叫ぶとほぼ同時に、大吾は走り出した。

 両腕がなくなったためにバランスが崩れ、うまく走れない。

 それどころか、出血でどんどん体が重くなり、意識が朦朧としてくる。

 それでも歯を食いしばって走る。

 後ろからしっかりと優がついてきているのを確認した。

 そのさらに後ろから、鬼のような形相をした男が追ってくる。

 格好からして参加者ではない。

 ならば、狼。


「捨てろ!」


 大吾は優が大事に抱えている大吾の腕を捨てるように言った。

 このままではすぐ追いつかれる。

 そんな荷物を抱えていればなおさらだ。


「でもでも!」

「いいから!」


 駄々をこねるように嫌々と首を振る優に強い口調で命令する。

 優はビクッと体を震わせて大吾の腕を手放した。

 その大吾の腕が、後ろから追ってくる狼の顔面めがけて飛んでいく。

 狙ってそうしたのか大吾にはわからないが、優は大吾の腕をこれ以上ないほど活用した。

 狼の足が止まる。

 その隙に大吾と優は建物の外に飛び出した。

 しかし、そこには待ち構えるかのように、たくさんの参加者が集っていた。

 しかも、その中には、大吾の母、京香がいた。




 昭信は飛び出してきた少年と少女の格好に驚いた。

 少年は両腕がなく、血を流している。

 少女はそんな少年を支えている。

 明らかに尋常ではない。

 昭信が真っ先に思い浮かべたのは、救急車という単語だった。

 すぐにそんなもの呼べないと考え直し、とにかく少年の手当をしなければならないと思う。

 自他ともに認めるお人よしで、こんな常軌を逸したゲームの中でもそれがぶれなかった昭信ならではの発想だった。

 浩司に囮にされているとも知らず、その浩司を助けるために叫びながら狼に突進していくほどのお人よし。

 しかし、タイミングが悪かった。


「ちょっと! あんた何勝手に死のうとしてんのよ! あんたを殺すのは私なんだから!」


 最悪すぎるタイミングだった。

 昭信が不穏な叫びを上げる京香にギョッとした瞬間には、すでに彼の命運は決まってしまっていた。

 囲まれたと勘違いした最悪の殺人鬼が、再起動してしまったから。




 優は狼である。

 そして、狼にはそれぞれ武器が一つずつ与えられている。

 優がこれまで使っていたのは、別の狼から奪ったマシンガン。

 つまり、優自身の武器ではない。

 狼である優はそれとは別に、ちゃんと自分の武器を持っていた。

 マシンガンを手放してしまい、大吾が重傷を負った状態で囲まれた今、優はその武器を使うことを決めた。

 取り出したのは、タブレットのようなもの。

 とてもそれが武器には見えない代物。

 しかし、それこそが全狼が持つ武器の中で、最も危険な代物。

 優がそれを起動し、操作していく。

 すると、先程まで優たちのいた建物の壁を突き破って、一体のロボットが出現する。

 そのロボットは、ロボットというよりかは戦車と言ったほうが正しいもの。

 壁を突き破る威力の砲弾に加え、ガトリングガンも搭載した無人戦車。

 ほとんどが張りぼてのロボットしか飾られていないこの建物の中で、唯一実際に動く兵器。

 優の持つタブレットは、そのロボットを操るためのコントローラー、ではない。

 優の持つそれは、他のエリアにも隠されている同じような兵器、それら全てに命令を送ることのできる権限を有したコントローラー。

 それらセットで、一つの武器。

 詭弁もいいところだが、それこそが狼一号、絶対に負けることの許されない運営が用意した最強の狼の持つ武器。

 無人戦車が昭信たちに向けてそのガトリングガンの砲身を向ける。

 そして、なすすべもない人々に向けて、その無慈悲な弾丸の雨が降り注いだ。




『パートナーが死亡しました。あと10秒で首輪が爆発します』


 浩司はその合成音声を聞いて、ああやっぱりなと苦笑を漏らした。

 和正が建物に入っていった瞬間から、嫌な予感はしていた。

 野生の勘とでも言うべきか、なんとなく、このままだと自分は死ぬなという予感。

 だから、浩司は昭信の制止の声を振り切って、和正を追って建物の中に入っていた。

 できるならば死ぬのを回避するために。

 できないのであれば、和正へのリベンジを達成するために。

 そして、浩司は優と大吾が建物の外に出た瞬間、自分が死ぬという予感が確信へと変わった。

 そう確信した理由は浩司自身にもわからない。

 勘なんてものはそういうものだ。

 理屈では説明できない。

 しかし、その勘が外れることはない。

 だから、心残りなく死ぬために、浩司は和正へと襲いかかった。

 和正からすれば、いい迷惑だっただろう。

 しかし、浩司にしてみれば重要なことだった。


「ねえ、和正さん。殺し合いしましょう」

「何を言ってるんだ?」


 そんな会話になっていない会話から始まった殺し合いは、結果だけ言えば浩司の勝利に終わった。

 和正は逃げた優と大吾を追うため、浩司との戦いに集中できていなかった。

 このままでは逃がしてしまうという和正の焦りが、浩司には手に取るようにわかった。

 だから、この結果は必然。

 実力では和正の方が優れていた。

 しかし、その実力も十全に発揮できなければ意味がない。

 たとえ、浩司に致命傷を負わせることができていても。


 壁に背をつけて、浩司はズルズルと座り込む。

 その壁が赤く染まる。

 床にも赤い血だまりができているが、そちらは和正の体から流れ出た血だ。

 浩司のナイフが和正の首を切り裂き、和正の光る剣が浩司の脇腹を切り裂いていた。

 ほぼ相打ち。

 ただ、ほんの少しだけ浩司の方が立っている時間が長かった。

 だからこの勝負は、きっと浩司の勝ちだ。

 そう、浩司は自分に言い聞かせる。

 死ぬと予感していたから、死んでもいいと特攻した。

 それがこの結果。

 文字通りの殺し合いになった。

 浩司が求めてやまない、殺し合いに。


 だというのに、浩司は満足しきれなかった。

 結果はほぼ相打ちの微妙なものだとはいえ、リベンジを果たした。

 求めていた殺し合いも堪能できた。

 しかしながら、これから死ぬと思うと、もったいない気がしてきている。

 殺し合いの中で殺されるのであれば、それもまた一興と満足して死ねると思っていた。

 けれど、浩司は自分が思う以上に強欲だったらしい。

 もっと、もっと味わいたいという欲求が芽生えてくる。


「死にたくないなあ」


 浩司は我ながらなんて身勝手な願いだろうと苦笑を漏らす。

 結局のところ、浩司が求めていたのは死ぬ寸前の緊張感であって、本当に死ぬほどの死闘ではなかった。

 それに死に瀕してから気がついたのだから、馬鹿だとしか言えないと浩司は自己嫌悪に陥る。

 そして、そんな自分に付き合わせてしまった和正に、多少の罪悪感を覚えた。


 和正は首をかき切られ、うつぶせになって倒れていた。

 その死に顔は浩司には見えない。

 けれど、穏やかのものじゃないだろうということはわかる。

 和正にはやるべきことがあった。

 あの優とかいう少女を殺すという目的が。

 その目的を果たすことは、和正には永遠にできない。

 そのチャンスを浩司が奪った。


 電子音が規則正しく鳴り響く。

 外の様子がどうなっているのか、浩司にはわからないが、首輪が発動したということは少なくとも浩司の相方は死んだということだ。

 少しだけ外がどうなっているのか気になったが、これから死ぬ自分には関係ないかと思い直す。


「あーあ。生まれ変わったら今度は死なないようにしよっと」


 そんな自分勝手なことを言った直後、首輪が爆発した。




 それは地獄のような光景だった。

 大吾の目の前で、人がただの肉片となっていく。

 一度会ったことのある眼鏡をかけた真面目そうな青年が、先頭に立っていたせいで真っ先に弾丸の餌食になった。

 そして、止むことのない弾丸が次々と人を射抜いていく。

 いつまでも続くかと思われた地獄の光景は、不意に止んだ。

 そして、残ったのはおびただしい量の死肉と、首輪から電子音を響かせているたった一人の生き残り。

 それは、大吾の母親、京香だった。

 この惨状で大吾の母親だけ残っているのは、意図的に残した以外ありえない。

 大吾は失血のせいで働かない頭で、どうして京香を残したのか考えた。

 しかし、血の足りない頭ではいくら考えても答えは出ない。

 だから、直接聞くことにした。


「なんで?」

「大吾君が自分で決着をつけるべきかと思って」


 答えになっているようでなっていない。

 失血のせいか足元がふわふわとしてきて、現実感がなくなってくる。


「私よ。見てるんならそこのおばさんの首輪を止めて」


 優がスマホでどこかに電話をかけ、直後京香の首輪から鳴っていた電子音が止まる。

 京香は電子音が鳴らなくなった首輪を何度も何度もいじくっている。


「ちょうどいいのがあった」


 優が倒れた元は人間だったものの横から、何かを拾った。

 それは、忘れもしない、初日に見た狼の着ぐるみが持っていた、武器だった。

 あまりにも強烈な印象だったせいか、間違いなく同じものだと確信できる。


「さあ、大吾君。これであのおばさんに止めを刺して」


 優がその武器を差し出してくる。

 大吾に、京香を殺せと言いつつ。


「大吾君にはそれをする権利がある。だってあのおばさんはさっき大吾君のことを殺すって言ってたんだもん。それに、大吾君はずっとあのおばさんに苦しめられてたんでしょ? だったら、その苦しみを返したって誰も文句は言わない。だから、ね? 殺っちゃおう」


 優が熱に浮かされたように大吾に殺人を勧めてくる。

 確かに、優の言うとおり大吾はこの母親が殺したいほど憎い。

 しかし、


「できない」


 大吾の答えは否定だった。

 殺したいほど憎いのに変わりはない。

 許せないし許す気もない。

 けど、それでも、ここで殺してしまったら、大吾の中で何かが決定的に終わってしまうような気がして、踏み込むことができなかった。


「え?」


 優が呆然としたような声を漏らす。


「あ、そっか! 手がないんだもんね! じゃあ、こうしよう! 私が大吾君の手の代わりになる! だから、言ってくれればいつでも引き金を引くよ!」


 優が京香に向けて銃口を向けようとするのを、大吾は首を振って止めた。

 そういうことじゃない。

 大吾は、こんなクズのような母親でも、殺したくはなかった。

 どんなクズでも善人でも、死んでしまったらそこで終わってしまうのだ。

 そう、終わってしまう。

 それが大吾には恐ろしい。

 ついさっきの、大吾が殴り飛ばした男の死に様が脳裏に蘇る。

 死ねばそこまで。

 大吾は死ぬのも殺すのも、恐ろしかった。

 それが、いとも容易く人を肉片に変えてしまう優の姿を見て、思ったことだった。


「おふくろ」


 大吾は京香に呼びかける。


「ああ、ああ! さすが私の息子! 信じてたよ! あんたなら私のこと助けてくれるって!」


 京香は媚びるように大吾に擦り寄ろうとする。

 それを大吾は蹴り飛ばして拒絶した。


「勘違いすんな。あんたのことは許したわけじゃないし、今後も許す気はない。けど、俺は自分の手が汚れるのが嫌なんだ。だから、俺の知らないどこかで勝手に生きて、勝手に死んでくれ」


 許さないし許す気もない。

 ただし、手出しはしない。

 だから、自分のあずかり知らぬところで勝手に生きて欲しい。

 それが、大吾の願いだった。

 今後一生関わらないのであれば、憎む意味もない。


「どこへでも、好きに行け」


 大吾は京香に背を向けた。

 これ以上視界に入れているのも嫌になったからだ。

 やがて、立ち上がり、駆け出していく物音がした。


「もう、いいや」


 しかし、ボソリとした呟きが聞こえた直後、爆音が響き渡る。

 振り向けば、爆発した跡があり、優の持つ重火器から煙が立ち上っていた。

 そして、どこを見回してみても、走り去ったはずの京香の姿はなかった。

 爆発に飲まれ、跡形もなく消え去っていた。


「ゆ、う?」


 大吾がかすれた声で優の名を呼ぶ。

 振り向いた優の目は、何も映していないかのように空虚だった。

 そこで、大吾は失血が限界に達したのか気を失った。

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